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にしのサラリーマン時代

にしがサラリーマンで幸福のときを書いている。当時の知り合いや、子や孫たちに読んでもらいたい。

'65キャンプが生石で

2009-08-09 21:37:32 | サラリーマン3年生
 兵庫ブロックのキャンプが8月7日~8日、洲本市由良の生石(おいし)であった。午前中の仕事を終えて現地に集合すると、そこには本部からハワイアンバンドが来ていた。われら洲本のバンドは、先月、産声をあげたばかり。仲間のみんなは、どんなものかと、目を丸くし、耳の穴をほじくって演奏を聴き入った。1965(S40)8月のこと。

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 ↑ 本部から来てくれたハワイアンバンド。
夕食後、演奏が始まると、みんなは、静かに耳を傾けていた。
(半年後、このバンドにわたしが居るとは、このとき、予想すらしていなかった)

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 ↑ 橋幸夫の「ふたりの夜」(1965.6.5発売)を聴くと、この日を思い出す。


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 ↑ 翌日、洲本支店の連中全員でパチリ。

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 ↑ その後は自由行動。みんなは海へ散って、ボートをこいだり、泳いだり、時間いっぱい楽しんだ。


「あの娘と僕」(1965.6.5発売)
 ↑ 海岸のどこからか、橋幸夫のこの曲「あの娘と僕」
(1965.6.5発売)が流れていた。
 (あのときのあの娘はいまごろ、どうしているだろうか?)

  このレコードには、「スイム」の踊り方が付録でついていた。だれかれになく紹介したくて、四つ折りにしてポケットに入れていたが役に立たず。それよりも、裏に載っていたプレゼントの水着(↓)が気になった。
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音楽クラブ練習開始

2009-07-30 01:30:29 | サラリーマン3年生
 楽器演奏を教えてくれる先生が職場まで来てくれた。リズムジョーカーズというプロバンドのリーダーだ。ゥワー、すごい。先輩が、誰かのコネでお願いして、来てくれることになったのだ。1965(昭和40)年7月のこと。

 早速、職場の会議室で練習を開始。といっても、だれもが初心者ばかり。先生が楽器の割り振りをしてくれた。リーダーをやってくれるイワさんはスチールギター、ベースはハラ君、わたしはギター、女の子二人はウクレレを担当することになった。 楽器の基本を教わると、いよいよ曲の練習だ。
 最初の楽曲は「旅愁」が準備されていた。
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 ↑ 私の楽譜は、これ。和音であるコードだけがアルファベットで載っている。
学校では教わっていない初めて見る楽譜の書き方だ。

 コードを楽器で弾いたことがないわたしだが、担当するギターは、サイドギター。和音でリズムを刻む単純な演奏だった。だからメロディの音符は必要なく、コードだけが載っている。それを聞いて、わたしは喜んだ。なにしろ、苦手な音符を読まなくてよいのだから。もしかしたら、雑誌平凡・明星などの付録楽譜に載っているコードが、分かるようになれるかもしれない。早くもそんな厚かましいことを考えていた。

 いよいよ、弦の押さえ方から教わる。ギターコードを全然知らないわたしには、ハイポジションコードの演奏が覚えやすいと、先生に薦められた。早速その押さえ方から始める。 女の子も、上手にウクレレを鳴らしていた。


 ちなみに、「旅愁」、「浜千鳥」ってこんな曲でしたね。クリック(↓)してお聴きください。
「旅愁」
「浜千鳥」



野球はV4ならず

2009-07-20 23:58:56 | サラリーマン3年生
 去年V3を達成した洲本支店野球チームは、今年は3回戦で敗退した。去年まで同一チームであった津名のメンバーが店舗昇格で分離なったのが原因。さらに野球がうまい同期のWakiくんが転勤でいなくなったのも、残るメンバーのチーム力が下がる原因ともなった。1965(S40)年7月のこと。

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 ↑ 7月4日からの兵庫地区予選、洲本から分離独立した津名チームが進出なる。
ということで、津名チームを応援することにした。


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 ↑ 7月18日に園田グランドで決勝戦が行われた。おしくも津名は、準優勝だった。お疲れ様でした。


若人の会:京都~嵐山へ

2009-05-29 13:06:44 | サラリーマン3年生
 先々週の道後温泉につづいて、京都を旅した。ご年配には申し訳ないが、やはり若い者だけの旅行は楽しかった。1965(昭和40)年5月15~16日のこと。

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 ↑ 京都・清水寺
清水寺本堂の舞台は、丸太が縦横に組まれていて、写真には適しない姿だった。しかたなく、奥の院から山の方向へカメラを向けてみんなの姿を撮った。

 遠くには、半年まえにできた京都タワーがうっすらと見える。きのう京都駅に着いたときは、日暮で旅館へ急いでいたのでタワーは見逃していた。
 翌日、旅館をでて霊山観音を横目に平安神宮へ向う。つぎは南下して円山公園~さらに清水寺へ。次、また北上して大谷祖廟(オオタニソビョウ)とまわった。
いよいよ昼飯だが、次の行先嵐山で予定しているというので、そちらへ急いだ。

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 ↑ 嵐山
歩き疲れて足が棒になっていたが、弁当をたべて元気になったところで記念撮影。

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 ↑ 偶然にも「倉丘伸太郎」さんに出逢う。

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 ↑ みんながサインをもらっている。ぼくももらおうと近づいたが筆記具がない。
代わりに写真をぱちぱち撮り合った。


このころ、農協の有線放送でこの曲( ↓ )、クレハホームソングクリックでジャンプします。「さわらびの丘」(1965.4.20発売)がよく流れていた。


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 ↑ B面のこの歌「小さな幸せみつけたね」は、今でもこころが震える。


'65.5.2~3社員旅行で道後温泉

2009-05-28 23:48:51 | サラリーマン3年生
 5月2~3日は、この年唯一の連休。絶好の社員旅行日と決まっており、道後温泉から瀬戸内海の寺をまわった。1965(S40).5.2~3のこと。

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 ↑ 道後温泉へ着いたら雨だった。
宴会までは時間があったので、ホテルで傘を借りて界隈を散歩した。

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 ↑ 翌日、立ち寄ったところでの記念写真。
私のカメラで撮ったのだが、どのように有名な所かは分からない。
このあと、瀬戸内海を船で渡って耕三寺へ行った。
 今回、若い女性が欠席していたので、若いぼくとしてはつまらない旅だった。幹事さん、すみません。


'65賀集八幡神宮の春祭り

2009-04-14 00:36:45 | サラリーマン3年生
 4月12日は賀集の祭り(本宮)だった。その前日(宵宮)は、だんじり組立の日でわたしも参加するつもりだったが、会社の用事で欠席した。その代り、本宮は月曜日だが、年休を取って祭りに参加した。1965(S40)年4月12日のこと。


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 ↑ 祭礼団の先輩達。
 写真を撮るというと、きまって棒にもたれる。お酒も大分入っているからか。


新入社員歓迎会に

2009-04-12 23:14:50 | サラリーマン3年生
 4月11日(日)、新入社員の歓迎会に出向いた。わたしが新入で歓迎を受けてから早くも2年たったということか。今度は歓迎する立場になった。本部から、会場(池田市民体育館)へ集まるよう要請がきていた。困ったことにこの日は、地元賀集の祭りの宵宮で、だんじりの組み立てに出る予定とかさなってしまった。だが、祭礼団々長に了解が得られたので会社の行事に参加できた。1965(S40)年4月のこと。


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 ↑ 神戸中突堤。
 新入の女子社員を引率(?)して、本土(本州のこと)に渡る。
うしろに見えるのが関西汽船。その船を降りると、なぜかカメラのシャッターを切っていた。


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 ↑ はずかしながらも、歓迎の証にと歌を唄った。

 事前に出しておいた歌謡曲名↓
恋をするなら」(橋幸夫'64.8.5発売)
 ↑ 「恋をするなら」(橋幸夫'64.8.5発売)
を唄った。

 ステージで唄ったのはこれが2回目。1回目は、賀集公民館での青年芸能祭だった。亡き親父にけしかけられて、その翌年、飛び入りでステージに立っていたのだ。どうやらそれ以来、どこか出場できるところがあればいいなぁと機会を探していたのだ。


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 ↑ 本社の先輩達による「ハワイアンバンド」の演奏。
 これがハワイアンか? 以前、園田グランドでブラスバンドを見たことがあったが、ハワイアンは今日が初めてだ。こんなバンドが洲本支店にもできたらいいなぁ。

 実は半月前、今年入った女子社員から、「バンドが無いのか。入社パンフレットには載っていたのに。それなら作ってよ!」と突き上げられた。しかしグループの結成には、楽器が必要になる。恐るおそる店長へ打診すると、「本社へ、要望書を書いて出してみい」と指示された。

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 ↑ こんな要望書を出していた(複写便せんの控え)

 要望を出した数日後、本社から、楽器構成に問題ありと電話が入る。要望書に書いたのは、アコーデオン・ギター・ベース・ドラムの構成。それは無理だがハワイアンバンドの構成ならOKだという。しかし、ハワイアン音楽は聴いたことがなく、どんなバンドか見たことがない。
 それが、今回のクラブ紹介の楽器をみて思った。ウクレレやギターは女性にでも演奏できる。なるほど、楽器構成の変更意図はこの辺にあったのか。歓迎会の帰り道、女子社員の突き上げはさらに強まっていた。

 それから数ヶ月後、洲本支店にも「ハワイアンバンド」ができた。そしてプロの先生の特訓を受けていた。


後輩が増えた

2009-04-01 23:57:01 | サラリーマン3年生
 4月1日、男子の新入社員が1週間の本社研修を終えて、支店配属になった。毎年のことだが、男子より先に女子が入社して、本社研修後、支店に配属されていたので、これで今年の新人は揃った。これからの半年間は、見習いのバッチを胸に付けて仕事を見習う。2年前に入社したわたしは、サラリーマン3年生。年下になめられぬよう精進せねばと、気持ちを新たにしていた。1965(昭和40)年4月1日のこと。

愛のしあわせ
 ↑ このころ聴いてたレコード、「愛のしあわせ」
(橋幸夫・吉永小百合'65.3.5発売)。