兵庫ブロックのキャンプが8月7日~8日、洲本市由良の生石(おいし)であった。午前中の仕事を終えて現地に集合すると、そこには本部からハワイアンバンドが来ていた。われら洲本のバンドは、先月、産声をあげたばかり。仲間のみんなは、どんなものかと、目を丸くし、耳の穴をほじくって演奏を聴き入った。1965(S40)8月のこと。

↑ 本部から来てくれたハワイアンバンド。
夕食後、演奏が始まると、みんなは、静かに耳を傾けていた。
(半年後、このバンドにわたしが居るとは、このとき、予想すらしていなかった)
</object>
↑ 橋幸夫の「ふたりの夜」(1965.6.5発売)を聴くと、この日を思い出す。

↑ 翌日、洲本支店の連中全員でパチリ。

↑ その後は自由行動。みんなは海へ散って、ボートをこいだり、泳いだり、時間いっぱい楽しんだ。

↑ 海岸のどこからか、橋幸夫のこの曲「あの娘と僕」(1965.6.5発売)が流れていた。
(あのときのあの娘はいまごろ、どうしているだろうか?)
このレコードには、「スイム」の踊り方が付録でついていた。だれかれになく紹介したくて、四つ折りにしてポケットに入れていたが役に立たず。それよりも、裏に載っていたプレゼントの水着(↓)が気になった。


↑ 本部から来てくれたハワイアンバンド。
夕食後、演奏が始まると、みんなは、静かに耳を傾けていた。
(半年後、このバンドにわたしが居るとは、このとき、予想すらしていなかった)
</object>
↑ 橋幸夫の「ふたりの夜」(1965.6.5発売)を聴くと、この日を思い出す。

↑ 翌日、洲本支店の連中全員でパチリ。

↑ その後は自由行動。みんなは海へ散って、ボートをこいだり、泳いだり、時間いっぱい楽しんだ。

↑ 海岸のどこからか、橋幸夫のこの曲「あの娘と僕」(1965.6.5発売)が流れていた。
(あのときのあの娘はいまごろ、どうしているだろうか?)
このレコードには、「スイム」の踊り方が付録でついていた。だれかれになく紹介したくて、四つ折りにしてポケットに入れていたが役に立たず。それよりも、裏に載っていたプレゼントの水着(↓)が気になった。
