子供は一人じゃ作れない!非協力的な夫と私の妊活奮闘記

不妊治療に非協力的な夫クマ吉とすったもんだの末に妊娠。不妊治療の様子、高齢出産、育児の様子を綴っています。

ネバーギブアップ

2018-12-07 | 私と夫の妊活日記

2度目の体外受精の結果を受けて、こんなにも悲しくてやるせない気持ちになるのか、と身をもってその辛さを味わっているクマ子です。妊娠判定日の翌日、夫を見送ってからクマ子はある人にメッセージをおくりました。

 

その人はクマ子のかつての同僚であり、今でも尊敬している先輩。15年前から海外の某企業にヘッドハンティングされ、そのままそこで結婚、長年日本には帰っていない超パワフルな女性です。

彼女は現在一児の母。それも今のクマ子の同じように海外で不妊治療を受けながらもバリバリ働き続けてた生粋のキャリアウーマンです。仕事ぶりは上司も彼女を一目置くほどで、目的を定めたら何が何でもそれを達成するという、ガッツの持ち主。常にポジティブな先輩の声をクマ子は無性にききたくなりました。

 

ほどなくしてメッセージがかえってきました。「Will call you later」

 

それから先輩から電話がかかってきたときの、安堵感といったら。自分がこんなにもいっぱいいっぱいになってるなんて。

「Hi,クマ子。何かあったの?もしかしてベイビーできた??」

ああ、先輩だ。相変わらずはきはきとした物言いにまた涙がでてしまう。

 

そして一気に話始めると、先輩はうんうんと話を聞いてくれました。一通り話を聞いた後、先輩は自分の体験談を話してくれました。海外で人工授精、体外受精をしてなかなか授からなかった先輩は、妊娠に良いと言われることはすべてしたそう。鍼にも通ったし糖質制限もしたし、マカを始めいろんなサプリを飲んだ、と。

 

「それでも授からなかったのよ。スーパーにいったらジャンクフードばっか食べてそうな女の人が何人も子供連れて買い物してるじゃない?見るたびになんであんな食生活なのにポンポン子供が産まれるのよ、私はこんなに頑張ってるのに、とかしょっちゅう思ってたわけ」

 

メンタルが鋼のように強靭な先輩でも、やっぱりそんなこと思ってたたんだ・・・・

 

「でもね、クマ子。Never give up。keep doingよ。続けるの。今あんたができることは諦めないこと。辛いのはわかる。でも今治療やめたら望みもなくなる。続けているうちは少なくとも可能性はある」

 

でも、もう辛くて苦しくて・・・。気持ちがおれてしまったことを伝えると

「子ども欲しいんでしょ?なら諦めがつくまで辛くても続けること。どんなことでも途中でやめてしまったらそれまでなのよ。仕事でもなんでも結果が出せる人は続ける努力を怠らなかった人。それにどんなに今辛くても、妊娠した時のあの喜びはそれまでの辛さなんか一瞬で吹き飛ぶから。」

 

「あと、変に『子どもができても着られるような服』とか選んじゃだめ。そんな期待を込めて生活しちゃだめ。今妊娠してないなら妊娠してないことを思いっきり楽しむの。もうすぐクリスマスでしょ、とびきりおしゃれなタイトドレス買って、メイクして出かけな。子供できたらおしゃれはぜんぜんできなくなるから、今のうちにヒールとドレスをenjoyするのよ。」

 

先輩は移植したあと、服を選ぶのに「もし妊娠しても着られるような服」を基準にしていたそう。だから残念な結果になるたび、むなしくなったんだとか。

 

「じゃあ、またね。いつでも電話してきなよ。See you」

そして切れた電話。

 

電話のあと、クマ子の気持ちはすっと軽くなった。

 

先輩の言う通りだ。今私ができることは諦めないこと。続けること。そしておしゃれを今のうちに楽しむこと。

 

一緒に働いている時から先輩の背中を追っていた。この人のように仕事がしたい、この人のようになりたい、と。目標を立てたらそれにむかってまっしぐら。先輩は仕事だけでなくて不妊治療でもそのパワーを発揮していたんだなあ。いつになっても追いつき追い越せる気がしない。

 

窓の外は曇り空。だけど雲の隙間から青空が顔をのぞかせている。

私の心も青空が見え始めた。

 

 

 

 

 

 


神様は不公平だ

2018-12-07 | 私と夫の妊活日記

2日前に胚移植の話をアップしましたが実はそれは2週間前のことで、昨日妊娠判定日を迎えました。

今回は妊娠しているかもしれない!だって胸もボリュームアップしてるし、おりものもサラサラで水っぽいし。体温も高いからクマ吉にもなんでこんなに体が温いの?!って驚かれてるし。

 

クリスマスプレゼントにとうとうベビーが来たのかもしれない!!そんな期待を持っていたので、結果を知ったときは奈落の底に落とされた気分でした。

 

2回目もダメでした。前回同様2個移植したけれども着床せず。3つ融解したので残りの1つを培養してもらっていたのですが、こちらも前回同様細胞が分裂した状態から育つことはなかったそうです。

 

「クマ子さん、お辛いでしょう・・・。もしかしたら遺伝子の相性が悪いのかもしれません。その場合は卵20個のうち1つ育つぐらいなのです。」

 

つまりクマ子の子宮に入った卵は子宮に入ったものの、細胞分裂した状態のまま育たないということ。着床するかしないか、以前の問題なのです。

 

「そうですか。では引き続き挑戦しますのでよろしくお願いします」

全然ショックでないようにふるまってクリニックを後にしました。

 

クマ子は滅多に泣かない。泣いてたまるものか。でもこらえきれなかった。クリニックからの帰り道、涙があふれ出てきて、泣きながら駅に向かいました。

 

1回目はそこまでショックじゃなかった。でも、2回目は・・・。2回目で成功する人が多いと聞いていたこともあり、それでも自分はダメだったという現実を受け止めきれず、あまりにも苦しかった。クマ吉にはクリスマスの日に妊娠報告しよう、とかいろいろ一人で舞い上がっていた自分がどうしようもなく腹立たしかった。

このどうしようもない怒りと落胆をどこにぶつけて良いか、どうやって自分の中で消化したらいいか、わからない。だから苦しい。助けて。こんなに私は苦しいの。

 

この気持ちは経験した人しかわからない。実際、クマ子がまだ独身だった時、不妊治療している先輩が「だめだった・・・」と落ち込んでいるとき、何がそんなに悲しいんだ??そもそも赤ちゃんができないんだから悲しむ意味ないじゃん、と心で思っていたぐらいだから。

 

赤ちゃんが物理的にできている、できていない、の問題ではないのです。移植の時、私たちの受精卵が私の子宮にはいっていく様子をモニターで見ている。肉眼では見えないけど、それは確かに私たちの命の源だった。

 

この目で見て、感じたんだ。ああ、今子宮にこの子がはいったのだ、と。そしてその命の源は育つことなく私の子宮の中でそっと永遠の眠りについた。だから辛い。

 

ある人に言われたことがあります。体外受精がうまくいかなかった悲しみは流産の時の悲しみとまったく一緒だよ、と。体外受精する前は「そんなわけないでしょ」と思っていたけど、今ならわかる。失う悲しみは一緒なんだ。

 

夫の前で泣けない。泣いたらきっと「そんなにつらいならやめよう」と言うから。

母親の前でも泣けない。泣いたらきっとどう応答したら良いかわからずおろおろするから。

友達の前でも泣けない。泣いてもきっと理解してもらえないから。

 

だから私は一人で泣く。こうして人目を憚らず涙を流して駅に向かう。

 

夜、夫が仕事から帰ってきたら何事もなかったように笑顔で迎える。「おかえりなさい」と。そして前回と同じように「まただめだったわ~」と明るく報告するんだ。

 

だから今は一人で泣く。

涙が止まるまで泣くんだ。