あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

農繁期になると母不調問題

2024-05-07 | 田舎暮らし

ゴールデンウィークに田植えを

するのが我が町では一般的。

我が家でも妹の家族が来て

田んぼに繰り出したものだ。

晴れ渡った青空の下、

畔道で飲むビールは最高だった。

夜は倉庫でBBQ。

今では懐かしい「おもひで」の

一コマだ。

我が家の田植えは週末だ。

我が家の周辺の田植えは終わった。

母は他所の田植えが気になり

ひがな外を眺めていた。

私は不在だったので何日も

その状態だったはずだ。

〇〇さんは今から田植えじゃの。

あれは誰だろう?

あれは何をしおってんかの?

どこの耕運機かとか聞いてくる。

知らないって。

面倒なので「行って聞いてみて」

と言い捨てる娘=私。

延々と同じ質問を浴びせて来る。

回答はないが浴びせて来る。

私は連休前からバタバタで

人生にこれほど疲れたことはない

というくらい凄く疲れていた。

突然死の3文字がよぎったほどで

何とかリカバリーできて

良かったとほっとした直後、

久しぶりにリビングで母と過ごしたが

「あ~だろうか」「こ~だろうか」に

付き合う気力がなかった。

その日どうやら母が一人になる

様子だったので急遽帰宅した。

母は「ねーちゃんが帰ったで」

と麻呂に向かって喜んだ。

連休中に自宅に寝たのは2日だけ。。

不在の間母はずっとずっと

私の帰りを待っていたのだろう。

晩御飯を食べてしばしテレビを見て

母は20時半に就寝。

私は階上の自室にこもった。

午前0時階下で物音がする。

母がトイレに立ったのだろうが

賑やかに行くんだなと思った。

母が家人に何か言っている

らしかった。

弟が帰宅したのかなと思った。

何となく階下が騒がしいと思った。

10分ほどして行ってみると

母がトイレ前の洗面所で嘔吐

していた。

トイレにいっぱいもどしたという。

酷いめまいで歩くのも大変だったが

どうにかこうにかトイレまで来た

という。

「あ~しわい!」と訴えた顔から

ただ事ではなかったと分かる。

背中をさすってリビングに移動。

せもたれ椅子に座わらせた。

メニエールだろうと思った。

先日私がもらった薬の中に

メニエール用の液体があったので

こんなこともあろうかと

保管していたのを1本飲ませた。

3、4カ月ほど前にも

夜中にめまいがして嘔吐した

と言ったが平日夜は私は不在。

母は母屋に一人で寝ているので

どうしようもないと思ってはいた。

農繁期になると母はメニエールになる。

10年に1度くらいの頻度。

すぐに治るので放置してきた。

昔話の農繁期の過酷さが今でも

母にしみついているのだろうか。

病院に行くと言うと「嫌だの」と

言った。

連休が明けた今日、病院へ。

脳外科の先生が担当医。

「連休中に何かしましたか?」

と聞かれたが「な~んにも」。

「食欲はありますか?」

「はいっ!あります!」

私はつっこみ気味に答えた。

食欲は素晴らしくあるので

「良く食べるね~」と前日

本人に向かって言ったくらいだ。

連休明けで混雑を覚悟はしたが

予想以上の混雑でMRI待ち。

1時間以上先なので点滴しましょう

ということになり私はその間

一旦帰宅して麻呂の介護をした。

前夜、母が夜中に具合が悪くなる

1時間前にビールを調達に

台所に行くとこたつから這い出た

麻呂と遭遇。

私の傍に来たと思ったが

キッチンマットに放尿~。

おしめしているのにっ。

装着失敗だっ。

麻呂を責められない。

そんなこんなの介護な日々を

私はほぼ自宅に不在ですぅ。

いつまで行けるかなと思う。

病院に戻ると点滴中の母。

MRIの前にトイレに行くという。

点滴と一緒にトイレに行くこと3度。

MRIも点滴しながら。

狭いので怖がったが

音が煩かったとだけ言った。

結果は梗塞や腫瘍は認められず

大事ではなかった。

血管内の血流が悪かったので

水分補給をするようにとのこと。

我が家の今の体制に無理がある。

いよいよ私が母についていなくては

いけないかもと思っていた。

喉元過ぎれば何とやら。

主人や子供らと相談して・・

なんてことは選択肢にないわけで(笑)

自分自身の退職までの残りの期間を

どうにかやり過ごしたいものだ。

病院の受付9時。

終わったのは13時。

薬は出なかった。

3000円。

先月私は耳鼻科で6000円、

アレルギー科で6000円も払った。

安いと母は言う。

でもね、税金で7000円払ってるよ

と言っとく。

コンビニで何か買って帰ろう

というと母は無邪気に喜んだ。

母はサンドイッチ、私はレトルトカレー

を選んだ。

食べ終わった頃にテレビで

「お好み焼き」が出た。

「お好み焼きが食べたいの」と言う母。

コンビニで選ぶときに

「お好み焼きあるよ」って私は言った。

「ほうだったかいの」と記憶にない。

「脳があれあれです」と

脳外の先生にしきりと訴えた母だが

薬とかないんだね。

「どうしようもないんだろ」と

母が言った。

私はしばらく笑った。

 


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