あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

どう生きたいか?と自問自答の暇もなし

2024-07-25 | 田舎暮らし

物凄く暑い。

ちょっと動いただけで汗が

ど~~~~っと噴き出る。

額から、耳の前から後ろから、

流れ出て顎をつたって

床に落ちる様はもはや快感だ。

色の濃いTシャツの胸元に

汗の輪が出来て、

背中もびっしょり濡れシミだ。

それでも母は涼しげな顔だ。

寒いという。

私がリビングから出たら

即刻エアコンを切る母。

30度超えのエアコンなしは

毛皮を着た愛犬にとっては

命取りだ。

毎日つけるつけない、

消す消さないでもめる。

面倒くさい。

もめるのも人間と対峙するのもだ。

母は頑固な人だ。

私の頑固さとは一緒にして

欲しくない。

物言わぬ愛犬の為に私は戦う。

譲ったふりして根っこはけして

譲らない人。

ああ、面倒くさいな人間は~

と思う。

あの人もこの人も面倒くさい(笑)

中でも自分が一番面倒くさいとか。

暑くて生きているのもかなり

面倒くさい。

この一か月は特に起床が辛い。

毎朝、この人生いつまで続くんだ

と思うくらいだ。

で、気づいた。

暑さで血管が拡張していると。

低血圧気味なのです。

この数年は自覚症状がないが

80そこそこの時は脚に力が入らない。

顔から血の気が引くくらいで

立っているのもやっとだった。

そこまでではないが午前中は

全身が鉛のように重たくて

ぼ~~~~っと眠い。

朝からたったの10分の運転中に

猛烈な眠気でセンターラインを

またいで走っていたりする。

危険この上ないです。

とにかく暑い。

エアコンが必要なかった時代が

あったのが信じられない。

東京のど真ん中にあった会社の

社員寮はマンションだった。

エアコンがなかった。

当時、エアコンがないのは

珍しくなかった。

出社前にお化粧しながらも

顔面が汗でダラダラだったが

暑さで死ぬ人はいなかった。

我が町の真夏は30度を超える

ことはなかった。

もうだいぶ前のことだが

8月のインドは30度後半くらい

だったかな。

内陸部の夏は50度近いから

30度台はましな方。

1泊数百円の安いホテルは

エアコンがなくて窓も小さかった。

むしろ窓がない方が涼しいという

ことらしい。

30年前のインドはタクシーが

ひどかった。

むき出しの配線同志を接触させて

火花でエンジンが掛かる仕組み(笑)

「エアコンって何ですか?」の

レベルだった。

片道3時間半、悪路を疾駆する。

窓を開けると40度の熱風が

顔に当たって痛いほどなので

窓を閉めていた。

一般家庭にもエアコンは

ないどころかトイレもない。

家さえもない人間が何百万人

生きていられる国だった。

ホテルの窓から外を見たら

街灯の下で親子が川の字に

なって寝ていた。

ふところの広さを感じる国で

「生きるってこんなに切実

でシンプルなこことなんだ」

と悟って帰国。

東京のマンションのドアを

開けるや物の多さに強烈な

違和感を感じた。

色とりどりのモノがワッと

目に飛び込んで来たのを

ついこの前のことのように

思い出す。

都会では生きる実感が希薄だった。

生活そのものが虚像のように

感じていた。

何の為に生きているんだろうと

いつも考えては憂鬱になった。

「見劣り」しているのは

明らかだが体裁は整えたかった。

その為に頑張っていたと思う。

突如「帰ろう」と思った。

Uターンしてからは何の為に

生きるのかと考える暇がない。

その代わり「どう生きるべきか」

といつも考えている。

正確には「どう生きたいか」だ。

四六時中誰かと関わっていて

一人で考える時間と気持ちの

余裕がないからだろう。

10年後には「どう死にたいか」

になっているだろう。

自由になった暁には

またインドを訪れたい。

今までもそうだったように

もちろん単身で。

サビついた感性と肥満化した

精神に喝を入れに。

生死が混在する国だ。

「こう死にたい」と明確に

なるに違いない。

 


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