あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

自分の育て直し

2023-07-13 | 心の栄養

ご活躍ですねと言われると、

ゼンゼン活躍できていない自分に

がっかりする。

活躍していると私が思う人を

目撃するたびこんな自分を残念と思う。

「どうして私はこの程度なのか」

と考えてみた。

で、気づいた。

「この程度たらしめている」のは

自分自身だと。

他人に言われたことを思い出して

苦々しく思う。

が、自分で自分を認めることができず

自分で自分を軽視し、

自分で自分を小ばかにして、

自分で自分の価値を下げている

のだと思うに至る。

もっと言えば他人は私の内面を

映しているだけだ。

母とは仲良しな母娘と思われている

かもしれないが

傍若無人な母の無意識の言動に

イラっとすることが増えた。

母は変わっていないのかもしれない。

ただほとんど出かけなくなったから

目につくことが増えたのかも。

母は暇だ。

私への過干渉もひどくなった。

ずっとそうだったかと思えば

記憶にある母は縁側で大泣きする

私をほったらかして忙しそうに

野良仕事に出て行った。

その時の私は2歳くらいだった

のではないか?

「ずっとおかあちゃんと一緒に居たい」

とはっきりと思った。

だから今ずっと一緒にいるとか??

それよりもっと小さかった頃、

赤ちゃんだった私を誰も

ケアしなかったそうだ。

何日も泣きっぱなしで、

気づいたときはソックスが足首に

しっかり食い込んでいた。

足首が紫色になって

ちぎれそうだったと母は言った。

その話を聞いた時、私は高校生だった。

人は生まれながらにソックスのあとが

ついているものだと思っていた。

生まれた頃の私はいわゆる

ネグレクト=育児放棄に近い状態で

10代以降は過干渉だった。

その育てられ方は根深く私に

巣くっている。

コントロール下にあるのが普通。

だからどうも自分自身を信頼

しきれない。

なにかにつけ母の思う良し悪しが

基準になって来たはずだ。

母が私に指示命令を出し、

何か言うと「けなす」母。

最近そのことが気になるようになった。

これまでそれを愛情からと、

どこかで思っていた。

そうではなくコントロールなのだと

意識するようになった。

感情を逆なでされる日々。

子供の頃から何かにつけて

「せんの、せんの」=「するな」と

言われてきた。

今では立場が少し私優位になって

賛成か反対しない場合は

「そうしてもええ」と許可を

出してくる母。

どうして対等ではいけないのか?

本当に友達同士のように

仲の良い母娘を見ると不思議な

気がする。

その子のお母さんもお母さんと

同じように仲良しなのだろう。

コントロールしたり所有したりの

関係性を私は抜け出したい。

離れて暮らすのが良いという

アドバイスを実行しようとしている。

いつかは母も居なくなる。

私は何十年も生きてすっかり

大人になってしまったのだが、

母から否定されてきた自分を

ほめて心に栄養を与えたいと

本気で思うようになった。

それは自分が思う自分の人生を

生きている実感が持てないからだ。

母は家族のことばかり考えて

自己犠牲のようにして生きて来た。

これからは自分のことだけ

考えて生きてくれれば良い。

私もそうだ。

他人のことばかり考えて来た。

これからは自分を育て直しの

人生だと思っている。

自分で自分の機嫌をとるという

言い方がある。

その通りだと思う。

いつも誰かに認めてもらって

誰かに慰めてもらって

誰かと共有したいと思ったが、

自分で自分を良しとして、

自分自身を認めてあげて

頑張っているじゃないかと

称えてあげたい。

自分が自分を認められずに

誰が認めてくれようか?

それが出来たらきっと

最近にいやさん抜けた感じ。

ちょっと違う~なんて

言われるんじゃなかろうか。

ひたすら自分に期待したい。

母は私をコントロールするのが

困難になるわけだが

麻呂(犬)が私の代わりに

その役割りを担っている(笑)

 


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