
2006年チベット密教の指導者
ダライラマ14世が真言宗大聖院の
招へいに応えて宮島に来られた。
空海が宮島を開いた1200年の
節目に合せて大がかりな催しが
企画されていた。
大聖院で法王が講義をされたのを
リアルに聞いた一人だ。
参加者にふるまわれたおにぎりは
我が町・北広島町産の米と紹介された。
宮島とは幾重にも縁があると感じた。
弥山開基1200年の記念に
歌を作らないかというお話を
いち早く頂いた。
2004年のことだったと思う。
ダライラマの御前で歌うことになる
とのことだった。
大聖院と懇意にされていた
写真家の方が強力に推薦して
下さったのだと思う。
活動を始めて数年の頃。
無名のシンガーとしては
身に余る光栄だった。
宮島の写真集制作も進行していた。
写真家やライターの方と
その年の大晦日から元旦に掛けて
宮島の山頂、弥山へ上った。
雪がちらつき霧も掛かっていた。
月明りに照らされる山道を登った。
「霧立ち込める 幽玄の森
まろき月 銀色に輝いて
行く手を照らしたもう」
山頂では多くの人が居た。
メディアのカメラも居て、
初日の出を待っていたが
あいにくの雲り空。
諦めて下山を始める人も
出始めた頃に濃い雲の向こうに
朝陽が上った。
空に龍が舞うようだった。
「天(そら)より降り立つ
光りの御柱 龍神となりて
峰々よりあまねく 地上を照らす」
当時の私にとって創作は
偶然の産物に近い感覚だった。
イメージが湧くかどうか次第で、
作るのとは違ってできるかどうか
分からない。
登山のおかげでインスピレーションを
得てほどなくできたのは幸い
だった。
ギター弾き語りのデモ音源を
送った。
ギター1本では表現しきれない。
最近は打ち込みをして自宅録音
をする人も多いが私にはその
スキルがない。
編曲とスタジオ録音が必要で
数万円掛かる。
採用されるかどうか分からない
楽曲に数万円の投資。
当時の私には荷が重かった。
そうこうしているうちに
身心の不調に陥った。
急に気力が萎えたとしか
言いようがない。
こんな話をもらったと公言したせいで
誰かの不評を買ったのかもしれない。
この後に色々なことに見舞われて
自分の体質を知った。
「まだできませんか」と何度も
催促をしてもらったがとうとう
ちゃんとした音源を提出できず。
ダライラマ法王の前で演奏
されたのは別の方だった。
弥山山頂でも当分の間、
その方の曲が流れていた。
逃したモノの大きさを思い知った。
先だって紙面にダライラマ法王の
記事が載っていた。
たかだか100年足らずの人生。
膨大な知識を得て修行をして、
チベットの民を導く高僧になるには
あまりに年月が足りない。
「英知の継承」という意味で
チベットでは高僧の生まれ変わりを
発掘するという伝統が残っている。
ダライラマ14世はまもなく90歳。
生まれ変わりを見つける伝統を
行使すると表明された。
中国政府が反論したとか。
ある男の子が認定されたようだ。
ダライラマ14世は微笑みを
絶やさないきさくで穏やかな
人だったが、
中国政府の弾圧に屈しない
強い精神力を持ち合わせている方だ。
チベットのみならず世界中で
中国の実行支配がとまらない。
日本でも問題が表面化している。
このままだと日本もチベットや
ウイグル新疆の二の舞になる
と言われている。
独自の文化芸術・信仰を敬いながら
ゆるやかに融合する世界であれと
改めて思う。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/289709
「天来」は後にCDのタイトル曲にした。
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