自己内観ブログ

自己を信じて大地にしっかり根付いた生き方をするための日々の閃きを綴ります。

魂を尊ぶ

2018-05-08 09:36:00 | ひらめき
魂とは、心を支える芯だど思います。「心を込めて」などと表現したりしますが、「魂を込めて」と置き換えても違和感はなくむしろ「魂を込めて」の方がより込めてたものが、強い感じがします。

だれでも、大事な場面では「魂を込めて」なにかをしているのだと思います。しばらく会えなくなる家族に作る食事から始まり、大切な人への贈り物や自分が懸命に造る作品や芸術、表現する歌や演奏や踊りや劇、仕事の中でも多々あると思いますが。

それを表現された時は、その込められものが相手に伝わり感動が生まれます。

その魂とは、心の深いところにある、その人を大切に育んでいる尊い命の源では、ないでしょうか?

だからこそ、その命の源の息吹きが込められた諸々のものが、生き生きと輝き魅力されるものとなるのだと思うのです。

魂のこもった言葉や文字も同様で、語った人や書いた人の思いや志しが伝わるものだと思います。

もし、誰かの言葉や文字からそのようなものを感じた時には、感謝を伝えたり表現するようにしています。

それが、相手の命の源を尊び自分の命の源をも尊ぶことだと思うからです。

毎日を魂を込めて生きるように努力していると、自分と真正面から向き合えて感謝しながら大切に丁寧に過ごすことができるのではないかと、感じています。

もし、逆に暗いものを込めて誰かに表現したとするとまるで逆の現象が起きるのでは、ないでしょうか?
できるだけ明るい前向きなものを魂に込めて表現したいといつも思っていますが...

もし、そうでないものができあがったり、表現してしまったら謝りやり直せばいいことだとも思っています。

大切なことは、誰もが誰かの魂を無視したり敢えて傷つけたりしないことだと思うのです。
お互いを尊び慈しみ合うことは、この地上で生きているすべての生命に当てはまることだと思っています。

そして、自分の魂が弱いとか輝いていないとか暗く感じることがあったとしても、そんなことはないと思います。

心の芯、命の源ですから...誰もが神々しいはずです。もし、そう感じる時があればそれは、きっと魂が何かを得て欲しいために自分自身の芯を一時的に隠してしまうのかもしれません。
ですから、そういう時こそ深く内観をしてみるようにしています。
そうすると、必ず何かがわかり元気が出てきます。元の気です。つまり、芯がでてくるのだと思います。

この作業をいつも、後まわしにしたり何かに依存したりしていると、芯があるのにわからなくなるように感じます。そうなると、なかなか大変なことになり自分自身を見失うようなことになりかねません。

ですから、魂、心の芯をいつも見失しなわないように頻繁に内観しきれいに保つことが、幸せに繋がるのだと思っています。

すべての魂ありがとう、いつも敬い大切にします\(^_^)/


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