落語の「寿限無」のなかで、”五劫のすりきれ”というのがある。
五劫とは四劫の一つ上で、それが擦り切れた後までと言う意味。
四劫とは仏教で世界の盛衰を説いたものだが、囲碁のルールで劫と
いうのがある。無数に多いと言う意味である。
古代インドでは、距離を測る単位に「由旬」というのがあった。
1由旬は牛車で一日で行ける行程で、だいたい14.4㎞
一辺の長さが1由旬の立方体をした城砦の中に芥子粒を山盛りにして
百年に一粒ずつ取り出して全部を取り尽くしても終わらぬというのが
「劫」である。
めんどくさいことを「億劫」というが一億回の劫のことである。
このような話になるとバラモンの塔のことなど面白い。
昔ガンジス河のほとりに一枚の板の上に三本の棒が立って、一本の棒に
下から大きい順に64枚の大きさの違う穴あきの金メダルがさしてあった。
このメダルを一枚ずつ別の棒に移して、64枚全部が別の棒に移された時
この世が終末を告げるという。
移すに当たって1、抜いたメダルは別の二本の棒のいずれかにさしておく。
2、大きなメダルを小さなメダルの上に重ねてはいけない、と言うルールである。
さて、これがどうなるかというと、1秒間に1回ずつメダルを移せたとして
およそ六千億年かかるという計算だそうだ。
それがどうした~~~と醒めてもらっては困る。
少々の人生の苦労など気にしないことである。
五劫とは四劫の一つ上で、それが擦り切れた後までと言う意味。
四劫とは仏教で世界の盛衰を説いたものだが、囲碁のルールで劫と
いうのがある。無数に多いと言う意味である。
古代インドでは、距離を測る単位に「由旬」というのがあった。
1由旬は牛車で一日で行ける行程で、だいたい14.4㎞
一辺の長さが1由旬の立方体をした城砦の中に芥子粒を山盛りにして
百年に一粒ずつ取り出して全部を取り尽くしても終わらぬというのが
「劫」である。
めんどくさいことを「億劫」というが一億回の劫のことである。
このような話になるとバラモンの塔のことなど面白い。
昔ガンジス河のほとりに一枚の板の上に三本の棒が立って、一本の棒に
下から大きい順に64枚の大きさの違う穴あきの金メダルがさしてあった。
このメダルを一枚ずつ別の棒に移して、64枚全部が別の棒に移された時
この世が終末を告げるという。
移すに当たって1、抜いたメダルは別の二本の棒のいずれかにさしておく。
2、大きなメダルを小さなメダルの上に重ねてはいけない、と言うルールである。
さて、これがどうなるかというと、1秒間に1回ずつメダルを移せたとして
およそ六千億年かかるという計算だそうだ。
それがどうした~~~と醒めてもらっては困る。
少々の人生の苦労など気にしないことである。