美術館見学の報告がいつの間にか時代小説みたいな展開になりましたが、「朝香宮鳩彦王の生涯」 昨日の続きです。
朝香宮鳩彦王は第二次世界大戦終盤においては、終始強硬な主戦論者として本土決戦に備えた陸海軍統合(統帥一元化)を主張・力説していました。
ここまでいくと どう見てもA級戦犯です。
しかし、戦後、南京事件の件でGHQから戦犯に指名される可能性があったものの、皇族であったためか戦犯指定を受けることはなかったそうです。
本当の自由を手に入れた鳩彦王は その後人間的で 現実的かつ優雅でユニークな日々へと突き進むのです。
1947年(昭22)の皇籍離脱後は、東京都港区白金にあった現在は東京都庭園美術館になっている朝香宮邸を外務省に貸し出し、自身は熱海の別荘に隠棲してゴルフ三昧の日々を送ったそうです。
維新後 将軍を降りた徳川慶喜が 旧武家社会から完全に隔絶し、二人の女性を伴い海沿いの家に住み、自転車とカメラ三昧の日々を選んだことを思い出します。 お手本にしたのかとすら思えるほどです。
ともあれ 戦前は皇族であり陸軍大将として重責を担っていた鳩彦王は、 戦後は民間人として新たな人生を選択、 優雅でスリルに富んだ94年の生涯の幕を閉じるまで 人生を充分にエンジョイされたみたいですね。
鳩彦王は 数多くのゴルフクラブの会長・名誉会長を務めましたが、その中でも1930年(昭5)自らが名誉会長を務める「日本ゴルフ倶楽部」が埼玉県に移転しました。
この際、移転先の膝折村が朝香宮にちなんで1932年(昭7)5月1日に朝霞町と改称されました。
現朝霞市ですが、宮号をそのまま使うのは畏れ多いとして一字を替えたそうです。 朝霞市へは 我が家から車で20分弱くらいで行けるごく近隣の町なのですが 朝香宮にちなんで町名変更した事実は 恥ずかしながら今回初めて知りました。
ところで 現在の東京都庭園美術館となった旧朝香宮邸を語るとき、あの西武グループの創始者である堤康次郎氏の素早い動きについては避けて通れない史実になります。
近江鉄道の経営者であった堤氏は、戦前衆議院議員に7回当選をしていました。 戦後公職追放されていましたが、おとなしく隠遁生活を送っていたわけではありません。非凡な経営判断とその手腕を発揮していたのです。
堤氏は戦後公職追放されていたさなか、1947年10月に皇籍離脱した朝香宮家から、いち早く軽井沢別荘を買収したのに続き、1950年には朝香宮家邸を西武鉄道名義で買収しました。
これを契機に1951年竹田宮、1953年北白川宮、1954年東伏見宮、李王家を次々買収していき、のちにこれが 現在のプリンスホテルに変化しています。
旧皇族・宮家の都内邸宅を買収し、用途はホテル経営という先見性を見るとき、堤康次郎氏の才覚は並大抵のものでなかったことを痛感するのです。 これで近江商人共通の倫理観が西武グループの社訓にあれば文句なしだったのですが・・・。
やがて公職追放が解けた堤氏は1952年10月8回目の衆議院議員当選。翌年5月 衆議院議長にまで登りつめ、西武王国の基盤を作り上げました。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋加筆
個性的で何かと話題の多い 大好きな西武グループですので、私は西武線沿線に住んでいます。 重ねて言いますが創始者に あの近江商人本来の倫理観が少しでも残っていればと思うと残念でなりません。
最近建てられたプリンスホテルは必ずしも該当しませんが、歴史のあるホテルの場合、戦前は どんな宮家の邸宅であったのかを調べることも個人的には興味深いテーマのひとつといえます。
庭園の散歩を終えると すでに午後1時を回っていました。 次回は ランチタイムです。
徳川慶喜を見習ったことは考えられます。
優雅な94年の生涯を真っ当された健康な方でした。
「日本ゴルフ倶楽部」が縁で1932年に朝霞町と改称されたのですね。
軽井沢別荘、朝香宮家邸、竹田宮、北白川宮、東伏見宮、李王家買収、これがプリンスホテルに変化したのですか~
堤オーナーは先見の明が確かでした。
学生時代から大好きな西武グループですので、私は西武線沿線に住んでいます。
西武グループ創始者に あの近江商人本来の倫理観が少しでも残っていればと思うと残念でなりません。
「丼」
子供の社会科の授業でも、
なかなか昭和史までは手が回らない様ですね。
その割には、息子は第一次世界大戦~第二次世界大戦
の辺りは興味があるらしく、よく本を借りて来ます。
感覚だけで訪れ、圧倒され、惹かれた私ですが、
庭園美術館は、単なる美術館として建てられたのではなかった事がドン・キホーテさんのブログのお陰で
よく分かりました。
昭和史を見てきたドラマチックな建物だったのですね。
いろんな事を、空想したりして何度も何度も読み返しています。
西武との繋がりがここでも~
本当に驚きです。
最初にお題をいただいたときには軽い乗りでOKしましたが、いざ取材しようとしたら 規制も多く 一時は どうなることかと困惑してしまいました。
しかし、調べているうちに このテーマは 私にはとても興味深い歴史的背景のうえにあることを知りました。
最近 少したるみ始めた時期なので 良い頭脳のトレーニングになりました。
少しずつ老いていく身に 刺激的なお題をいただき 有難うございました。
「丼」