丼季報亭「8万時間の休息」

旅の記録や季節の便りそれに日々の思いを軽いトーンで綴ってみました。

182.朝香宮鳩彦王の優雅でスリリングな生涯

2008-10-30 00:15:27 | 街角散歩


東京都庭園美術館探訪(2)  

東京都庭園美術館は、東京都港区白金台にある都立美術館です。 

旧朝香宮邸(きゅう あさかのみや てい)とも呼ばれています。

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 28日訪れた本館美術館では開館25周年を記念して10月25日より「1930年代・東京-アール・デコの館(朝香宮邸)の生まれた時代」展 が開催されていました。

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 写真撮影は禁止なので 一部パンフや資料からスキャンしました。

 ところで 私にとっては 朝香宮は初めて聞く宮家でした。 朝香宮家の初代当主である朝香宮鳩彦王【あさかのみや やすひこおう、1887年(明20)- 1981年(昭56)】は日本の旧皇族であり、陸軍大将になったほどの軍人でもありました。

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官位は大勲位功一級(大東亜戦争の功による)に昇り、第26代近衛師団長、上海派遣軍司令官等を歴任しています。 戦後1947年(昭22)10月に臣籍降下して、朝香鳩彦(あさかやすひこ)と名乗りました。また、後に「ゴルフの宮様」として知られています。

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 もともとは久邇宮朝彦親王の第八王子であり、1906年(明39)3月に朝香宮家を創設しています。「朝香」の名は明治天皇より賜ったもので、父朝彦親王が伊勢神宮祭主を務めていたことにちなみ、伊勢国朝香山から採られた宮号だそうです。
 皇族男子は陸海軍いずれかで奉職するしきたりがあったため、鳩彦王は学習院、東京陸軍幼年学校、陸軍中央幼年学校を経て1908年(明41)5月に陸軍士官学校(第20期)を卒業。同年12月に陸軍歩兵少尉に任じられ、近衛歩兵第2連隊附を命ぜられました。

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  1910年(明43)に明治天皇第八皇女允子内親王と結婚しました。1914年(大3)11月には陸軍大学校(26期)を卒業し歩兵第61連隊中隊長となります。

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 その後、1922年(大11)にフランスに留学しましたが、翌年、允子内親王の兄・北白川宮成久王の運転する自動車が交通事故を起こし、この事故で北白川宮成久王は薨去しました。

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 同乗していた鳩彦王は重傷を負っていました。怪我の療養のためフランス滞在が長引いたことで、フランス文化により長くふれることになりました。特に、看病のため渡仏した宮妃とともに1925年のアールデコ博を観覧し、同様式に対して強い関心と理解を示していきます。

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 帰国後 当時流行のアールデコ様式の粋を尽くした瀟酒な建物本館が1933年(昭8)に完成します。現在東京都の有形文化財に指定されているこの建物こそが旧朝香宮邸なのです。

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 さて鳩彦王はその後陸軍少将・陸軍中将と昇級し歩兵第1旅団長、近衛師団長、軍事参議官を歴任しました。 階級は陸軍大将に昇り、上海派遣軍司令官であった時には上海・南京攻略にも参加しています。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋加筆


平成の世には 宮家が陸軍大将なんて 思いもつかない話ですね。

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 鳩彦王は第二次世界大戦終盤においては、終始強硬な主戦論者として本土決戦に備えた陸海軍統合(統帥一元化)を主張・力説していました。 ここまでいくと まぎれもないA級戦犯ですが、戦後の東京裁判で鳩彦王は戦犯となるのでしょうか?

 この話の続きは次回ということに・・・・。 


 28日は1930年代の美術品・家具備品などの展示品を黙々と見て歩きました。 宮様の書斎の机や椅子 リビングのテーブルや椅子のデザインが シンプルなのに気品がある点がとても印象的でした。
・・・・・この項 明日に続きます。・・・・・


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5 コメント

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朝香鳩彦さん (あこ)
2008-10-30 09:17:22
朝香宮鳩彦王(1887年-1981年)から朝香鳩彦さん。
久邇宮朝彦親王の第八王子、陸士第20期卒業、
1910年第八皇女允子内親王と結婚、1922年仏留学、
交通事故で北白川宮薨去、アールデコ様式の本館1933年完成など歴史を得て美術館が有るのですね。

それにしても、撮影禁止とは。。
モンブランさんが訪問された時は撮影が出来たようなのに。。


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撮影禁止 ()
2008-10-30 09:43:17
あこさん

通常 どこの美術館も原則として撮影禁止です。

ただ ここは特に 展示コーナーの全てに係員がいて
監視しています。もちろん模写も不可です。

この人件費だけでも 相当なコストですね。
入場料収入でマネージできるとも思えませんが・・。

鉛筆で紙にメモを取ることまでは黙認されますが、
ボールペン・万年筆の持ち込みも認めていません。

「丼」
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厳戒態勢が哀しいです! (モンブラン)
2008-10-30 16:46:54
厳戒態勢が哀しいですね。

日本の美術館はそうでもしなければ、
守れないのでしょうね。
でも、哀しいです

オランダのゴッホ美術館に行った時は、
絵画がむき出し(ガラスのケースに入るでもなく)
だったのを見て、驚いたのを覚えています。
20年以上前のことですが~。

調度品や備品の数々~
素敵でしょうね!

時代と共に、激動を生き抜いてきた建物だったのですね。
ドラマチックですね。
ドキドキ、ワクワクして来ます。

テレビドラマにならないかしら~(ミーハーですね)
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海外の美術館では  ()
2008-10-30 20:01:21
モンブランさん

 ニューヨークやシカゴの美術館では すぐ手の届くところに マネやモネやルノアールの絵が 普通の部屋にさりげなく ただ壁にかけてあるだけでしたね。

もちろん 警備なんていませんよね。

「1930年代・東京-アール・デコの館(朝香宮邸)の生まれた時代」展 は 旧華族などの個人所有物などが展示されていたり、有名な絵画もあるため、普通よりもずっと、警備が厳重なのでしょうね。

「丼」

返信する
朝香宮鳩彦王ですか (台湾人)
2010-03-10 00:13:48
有栖川宮熾仁親王、北白川宮能久親王、閑院宮載仁親王、朝香宮鳩彦王など日本はヨーロッパの皇室と同じ多くの皇族の方がいらっしゃるので、これも長い伝統を守ってきた一種の証だなと思います。
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