風と光の北ドイツ通信/Wind und Licht Norddeutsch Info

再生可能エネルギーで持続可能で安全な未来を志向し、カラフルで、多様性豊かな多文化社会を創ろう!

菅直人元首相がハンブルクで「脱原発と持続可能な社会への移行」を訴える講演

2016-03-25 18:13:21 | 日記
菅直人講演会と 日独における市民のための政治教育/Vortrag des Premierministers A.D von Japan Naoto Kan und politische Bildung der Bürger in Deutschland und Japan

菅直人元首相が3月23日ハンブルクで「フクシマから脱原発へ」をテーマに“原発電力なしの朗読会“シリーズの講演会を開いた。6,7百人収容の階段教室は立ち見を含め超満員、別の会場に実況中継、そこでもメイン会場以上のハンブルク市民が菅の声に耳を傾けた。市民の反応は、菅の語る脱原発から再生可能エネルギーによる持続可能な環境にやさしい社会への移行を弁護する内容を共有していることが随所で確認できるほど、一体感をなすものであった。
Der Premierminister a.D. von Japan Naoto Kan hat am 23. 3. in Hamburg in der Riehe „Lesen ohne Atomstrom“ einen Vortrag über das Thema „Von FUKUSHIMA zum Atomausstieg“ gehalten. Der Treppen-Hörsaal mit 6 bis 700 Plätze war bis unters Dach teils mit stehenden Gästen besetzt. In den neben stehenden Raum wurde der Vortrag direkt übertragen und dort sollen genauso oder mehr Gäste gewesen sein. Die Reaktion der Hamburger Bürger war derart mit dem Einigkeitsgefühl erfüllt, dass sie die Inhalte der Kans Rede über Ausstieg von AKW und Wechsel zur nachhaltigen umweltschonenden Gesellschaft durch erneuerbare Energie voll und ganz teilen.

ここまでだけ長いので私のFBサイトに掲載、ここからはとりあえず日本語だけです。

内容をかいつまんで言うと、フクシマ事故以前は原発に対する安全神話を疑うことは全くなく、推進派であった菅が、事故の後180度考え方を変えたと正直に告白。フクシマ過酷事故は250キロ圏5千万人が避難しなければならない直前まで進行、間一髪で核溶融を止めることができたが、ここにいたった責任は原子力ムラにある。具体的には東電が科学技術者の助言をことごとく経済的理由で無視、例えば、緊急用発電装置を設計にあった15メートル上の高台から、海抜10メートルに下ろし、冷却水を吸いあげる経費を節約したことにあること、また菅が海水による冷却水をストップさせたなど、うその情報を流して責任を菅に押し付けようとしている原子力ムラがまたぞろ復活、再生可能エネルギーへのシフトを妨害し始めていると報告。
国の最高責任者が連絡網を断たれたときに、現場に乗り込んで視察したことも、それで事故対策が遅れたなど、国民を馬鹿に仕切った理由で、菅降ろしに現を抜かしていた党内外の政治家、あたかもほかの首相であれば適切な処置でフクシマ過酷事故は避けられたかのような印象を市民に与えているマスコミの責任もまた大きい。
斑目というでたらめ極まりない原子力委員会委員長に適切な助言など期待できなかった事実、東電も菅に怒鳴りつけられるまでフクシマを放棄し従業員を引き上げようとしていたことなど、東京工大で物理を学んだ菅ではなく、例えば勉強が嫌いだったと言う阿部さんが首相をしていた場合、無責任無能の斑目の間違った助言に惑わされることなく、本当に適切な処置を施し、過酷事故をくいとめることができたか、考えてみるべきだろう。
菅の大きな功績は原発を止め、2年間という短期間と言えども原発なしで日本の経済が十分に機能することを証明したこと、先陣を切ったドイツを見習い固定価格買い取り制度(Einspeisevergütung)を導入、電力供給自由化で今では200社近い大小の電力会社が太陽光発電を中心に、風力、バイオマスなど再生可能エネルギーを供給していることなどでしょう。
震災後原発が止まり、火力発電に頼らざるを得なかったとき、化石燃料の輸入が嵩み,高額の貿易赤字が出たことがあったが、原発事故当時ドイツのようにせめて10パーセントでも再生可能エネルギーで電力を供給していたら、石油等の輸入量を10パーセント以上節約できたわけで、貿易赤字の責任の大半は再生可能エネルギー産業を等閑にし、あまつさえ成長を妨害していた電力会社、電力行政にあったことも忘れてはならないと思います。
そんな中で、ドイツの大電力会社E.onやバッテンファールはメルケル首相の脱原発宣言で選択の余地はなかったとはいえ、再生可能エネルギーに投資をシフト、今では総電力量の30パーセントを超えるまでにいたり、最終的には化石燃料から完全に離脱することを目指し、オフショアーを中心に電力過剰なまでに発電量を上げています。そのため、今大きな論争の一つになっているのは送電網の整備。従来の送電線は海上の電源からとはまったく離れたところを通っており、また北の海のオフショアーから南の工業地帯に運ぶ新しい送電線の建設など、再生可能エネルギー産業の成長には目を見張るものがあります。ドイツの市民は原発建設当初から、核廃棄物処理場をめぐり反対運動を進めていたので、市民は原発の知識を共有、経済界以外にはこれといって反対する者はほとんどいない。また、経済界も再生可能エネルギー産業の将来性は十二分に理解しているので、原子力ムラのように大金をつぎ込んで反対勢力を潰そうなどということはしていないし、市民もそんなことは許さないでしょう。
ドイツ市民の政治意識がどうしてここまで高められたのか。それを一言で説明できるのは「市民のための政治教育センター」というのがどの州にもにあるという事実でしょう。そこでは原子力問題はもとより、選挙制度や新しい法律、文化現象に至るまで、名だたる専門家が分厚い調査報告書から簡単なマニュアルまでを作成、今でこそ少しお金を取るようになったが、昔はただで市民に配っていました。
日本は逆に市民にはできるだけ、詳しい正確な情報は与えず、地方の大ボス小ボス、政治家、行政が「オレに任せておけ」と市民意識が成熟することをことごとく妨害しているのではないかと思われるが、具体的に、津波で壊滅的な被害を受けたある東北の町ではボランティアで都市計画の専門家が市民をサポート、復興計画にゼミなどで助言していると、行政が「いらんことをする」と煙たがるとか。「お上に任せて下々は黙って聞きおけ」という封建思想の現れでしょう。事実、役人にしても未だに仕えるのは市、県、国で市民に奉仕するなどという意識はないのではないでしょうか。
今、日本の国民が喫緊の課題として学ぶべきは、一人一人が学歴、出自、勤め先に関係なく、国や社会に対して自分の言葉で自分の意見を言う権利を持っているとともに、民主主義にとってはそれが義務でもあることの自覚ではないかと思います。SEALDsやT-en SOULはじめSilversにいたるまでその兆しは出てきているが、残念ながら今のところは日本の行政が「市民のための政治教育センター」を造るなど考えだにできず、松下政経塾と“生長の家”主導の「日本会議」にカヤの外に置かれているという現実に甘んじているほかないように私には見えます。安保法制案から市民の反対意見を封じ込める特別秘密保護法、緊急事態事項の憲法明文化など独裁戦時体制が着々と進められている今、あらゆる意味で手遅れにならないことを祈るばかりです。


ケント・ナガノ指揮の新作オペラ「静かな海」を見る

2016-02-15 10:20:01 | 日記
細川俊夫作曲、平田オリザ作の“海、静かな海”をハンブルク・オペラ座で見ました。舞台には原発の格納庫の水槽を模したアクリルの円盤とその下の鉄の格子、そのうえに蛍光灯の光輝く“燃料棒”が十数本ぶら下がり、そして右から斜めに降りて来る橋。それは能舞台からアイデアを得たものだということです。私には燃料棒を出し入れするクレーンの作業ブリッジにも見えました。
ストーリーは森鴎外の「舞姫」と能の「隅田川」を下敷きにしたもので、津波で家族を失い、原発事故で故郷を追われた福島の人々を子を失った母親に象徴、心の安らぎを求め、南無阿弥陀仏と唱えながら、未来に向かって希望をつなげようと苦闘する姿が描かれています。最後に舞台上の“燃料棒”が光を失い、冷たくぶら下がっていたのは脱原発を表現しているのでしょう。それが、将来への希望を表していることは、幕が下りた後、休憩ホールでの作者とのインタヴューで本人が原発再稼働絶対反対を宣言して拍手を受けていたことで明らか。
ただいけないのは、インタヴューのほとんどがプログラムに載っていることで、彼がそれに沿って話し、通訳がその部分を読み上げているだけのようで、それが30分近く続いたのは明らかに時間の無駄。それと作家が福島の風評被害に気を使いすぎ、福島の被害はチャルノヴィイルと比較して大したことではないと相対化を図っていたこと。政府が正確なデータを発表せず、被害が小さく安全と言っているのを鵜呑みにして、例えば福島第一原発がある大熊、双葉の両町内など「帰還困難区域」から避難している人が今だに約2万4千人に上るが、その区域には明確な除染の方針すらない事実は問わない。さらには漫画「美味しんぼ」の鼻血事件を出して、あたかも福島は安全、福島産のものを買ってくださいと言っているようで、違和感を抱いたのは聴衆の反応を見ると私だけではなかったようです。作品と明らかに矛盾する部分で納得できませんでした。
その後、ハンブルク大学日本学科の教授二人、ハンブルク・コンザバトリウム、経済学部の教授がパネルディスカッション。日本学科の二人は元同僚なので、口幅ったいですが、思うことを言わないというのは私の性に合わないので、非難を覚悟で言わせていただきます。
福島や震災復興については真新しいことはなく、報告に値するのは過去150名ほどの日本人留学生を指導した音楽院のシュミット教授が、日本人留学生について、「もともと社会、政治問題に全く関心がなかったが、それは福島以後も変わりない」と言っていたこと。私が最近訪ねてきたあるエリート大学の学生から聞いたことと一致、彼も「政治、社会問題について話すことは不可能、話題はガールフレンドや将来の就職、旅行、部活などに限られる」と言っていたが、日本の将来を担うのは若者であることに変わりないので、懸念を抱かざるを得ませんでした。もう一つ、これはと思ったのは日本学科の教授の一人が、司会の「福島以後の変化」を簡潔に短く言えば、どうなるか、という問いに、そんな質問には答えることを拒否すると言って笑いを取っていたこと。本人はコケットリーと思っているかもしれないが、他の参加者が真摯に答えたのから相当浮き上がり、一人的外れなことを言っていたのが目立っていた。その後の発言もオペラを被害者の傷を治癒する文学の力に例え、解釈していたが、平田の意図は治癒ではなく、絶望的な現実を突き付け、治癒などできない痛みを一生引きずらざるを得ない福島の人々を忘れず、痛みを共有しようと、それを耐えるには、南無阿弥陀仏を唱えるしかない、と言っていたのでは。文化評論というのはよく本質に迫る代わりに題材をダシにして、己の考えを言うだけの自慰行為になるという現象があるので、要注意。もう一人の日本学科の教授は福島以後政治的には変化がなく、変わったのは社会的現象と指摘、確かにまたぞろ自民党支配が復活、ただ反原発や昨夏の安全保障関連法案反対運動で社会的には大きく変化した、と報告していたのはその通り。願わくは政治的にもそのためここ半年ほどの間に一気に独裁右傾化したことも指摘しておいていただきたかったですね。

ドイツ・ケルン事件と日本の難民支援

2016-01-17 19:50:15 | 日記
Japan Association for Refugees - JAR 難民支援協会
14. Januar um 09:04 ·
【越冬支援 Week6】お礼のお手紙をいただきました

日本で育ち始めた上の記事のような難民支援協会の活動が、ドイツ・ケルンで起こった大晦日の出来事で挫けないことを祈ります。日本人がしてはならないことの第一 は、だから難民受け入れには反対なんだと、ケルンの悲劇にほくそ笑むことでしょう。ドイツでは現在8千万人のうち1千万人が国籍を取った元外国人、私のよ うに外国のパスポートで生活している人が8百万人、2015年には新たに百万人の難民が加わりました。そこで、起こった事件なので、いろいろ憶測がありま す。そのもっとも信憑性のある陰謀説2つ:
1. 今回のイスタンブール襲撃事件の犠牲者がドイツ人旅行者であった事実、パリの事件もドイツのサッカー・ナショナルチーム親善試合の妨害が一番の目的だった、ハ ノーファーでのオランダとの親善試合も爆弾テロの予告で中止、そして今回の北アフリカ・アラブ系回教徒の若者による若い女性に対する強姦、性的いたずら、 スリ、強奪事件等々。
これらは難民に対するドイツの歓迎文化を面白く思わないイスラム国のテロで、ドイツで回教徒難民拒否の世論を起こさせる目的であったという説。諸悪の根源 は西洋文化という彼らにとってはドイツ国民に回教徒の難民を歓迎してもらっては、困るわけです。一考に値するのではないでしょうか。
2. 次に全く逆方向からの説:今回のケルン事件だけに絞ると、SNを使った組織的行動だったということであれば、その情報の出口で難民歓迎文化を面白く思わな い国内のネオナチ、もしくは憲法防衛局の"隠れ協力員(V-Mann)"が歓迎文化に水を差す狙いで行った陽動作戦。
目的は難民受け入れを止めるまでにはいかにとしても、2016年難民受け 入れをCSU(キリスト教社会同盟、バイエルン州の半永久政権政党で、キリスト教民主同盟、社会民主党との連邦連立政権の一角を担う超保守政党)が主張しているように20万人に制限する。そのためには北アフリカ、アラブ系若者の携帯に女性襲撃を煽ればいいわけで、4,5人に情報が渡れば後は燎原の火の如く広がるでしょう。
どちらも陰謀説であることは疑いないと思いますが、今の国際、国内状況から非常に信憑性が高く感じられることも事実。それだけ、状況が逼迫しているという ことで、我々がすべきことはヒステリックにパニック状態に陥るのではなく、冷静に未来に向けこのようなことが2度と起こらないように最大限努力を払うとい うことでしょう。
それから大きくは世界の貧富の差をそれぞれの地域、国内の実情に合わせ少しでも縮めるということ。昨日話したドイツ人の合気道仲間は現在フィリッピンで果樹園を中心とした農園を立ち上げていると言っていましたが、そこでの日当は5ユーロ(650円) ちょっと、それを一気にドイツ並みの時給10ユーロ(1300円)のすることはできないし、その必要もないでしょう。大事なのは、彼のように開発途上国で 直接その国の経済に貢献することではないでしょうか。そこで生活の保障が立てば、誰も好き好んで難民になることはないと思います。
日本政府の難民政策には日本人として羞恥を覚えるほかありません。2014年は日本に やっと辿り着いた難民5000人に対し難民として認可したのはたった11人!こんな国に国際社会で発言権があるはずがありません。日本の存在感が地に落ち たのは先日パリであった地球環境会議の各国首脳記念撮影で安倍首相の立ち位置を見ていただければ歴然とします。即ち安倍首相自身から見ると極右の端!
最近はドイツのメディアで日本が扱われるとき、Japanとは言わず、極東とか、デビッド・ボウイ没後の特集では彼が中国や韓国文化に興味を持っていたと解説の音楽専門家が言っていました。もちろん当時彼が関心を持ち何度も訪問していたのは日本。ハンブルク市では経済振興公社が日本セクション廃止を決定。長年こちらに住んでいるある日本人女性は私が日本の多文化社会化の話をすると、外人は日本には合わない、と反対、人口が4,5千万人位に縮まっても日本人だけの方がいいと言っていたのには驚きました。私があなたは自分が何十年もドイツに住んでいて、日本には外人を住ませないというのですかと言うと、ニヤニヤするだけ。ただこれは彼女だけの話しではありません。日本の左翼リベラルと見られる人からも何度か聞きました。増田寛也の「地方消滅」を読めば、日本がせめて現状維持をするのにももう手遅れかも知れません。
言っても腹が立つだけなのですが、東北の復興は遅々として進んでいません。麻生太郎は麻生セメントの御曹司ですが、海岸をコンクリート漬けにして儲けているいるのはゼネコンだけ、東京オリンピックの建設が始まれば、さらに建設労働者不足は深刻化するでしょう。ドイツの戦後復興はイタリアを中心に南欧からの出稼ぎ労働者で担われました。どうして日本は10万人単位で出稼ぎ労働者を受け入れないのでしょうか。既に難民となった方だけでなく、難民予備軍を含め喜んで日本のために働いて下さる人は世界中にいると思います。それが実現すれば、日本の経済水準は悪くても現状維持、国際社会での存在感も一気に上がり、発言権も取り返せるでしょう。

年次報告2015/Jahresbericht 2015

2016-01-04 10:45:12 | 日記
とても長いので適当に読み飛ばしてください、 sehr lang, daher bitte einfach durchbrettern.
I.悲報, traurige Berichte:
1. ハンブルク大学で最初に学んだ私のドイツ語教師ハートムート・デルマス氏死去。彼からは授業は理論や公式ではなく自由な批判精神と人格が第一であることを学びました。
Herr Hartmut Delmas, von dem ich als erster Lehrer an der Uni Hamburg Deutsch lernte, ist im Januar gegangen. Ich habe von ihm gelernt, dass beim Unterricht nicht Schema F oder irgendeine Theorie ausschlaggebend ist, sondern Persönlichkeit und Kritikfähigkeit die wichtigsten.
2. 同僚で政治的に言いたい放題が可能だったマンフレッド・ポール氏死去。生涯社会民主党員で、ドイツの大学には珍しい反権威主義的な型破りのやはり人間性中心の教授。通常、原稿なしで行われた彼の日本の経済、政治、社会をテーマにした講演はそのまま印刷に回せるほど質の高いものでしたが、一度として退屈したことはありません。
Ein ehemaliger Kollege, Prof. Dr. Manfred Pohl, mit dem ich sehr gerne vor allem über die politischen Themen diskutierte, starb im April seinen zu frühen Tod. Er war ein lebenslanger Sozialdemokrat, der wegen seiner antiautoritären und unkonventionellen Art als Professor einzigartig in Deutschland war, und durch und durch menschlich, ja allzu menschlich. In der Regel hielte er seinen Vortrag über die japanische Politik, Gesellschaft oder Wirtschaft ohne Manuskript frei, und es war bereits drückreif und nie langweilig.
3. 日本の民主主義は9月19日に国会クーデターで“暗殺“されました。ただ、これで終わりと思った集団自衛権に対する抗議行動はSEALDsやT-en SOWL、ママさんの会、MIDDLs、SILVERs、OVERSEEsなどによって次々とめげることなく、フェニックスの如く蘇り、今後に希望の灯りをともしてくれましたたが、それは日本の民主主義が新たな段階を迎えたことを示していると思います。特に、その表現方法がこれまでにない創造的なもので、明るく楽しい未来の日本社会を先取りしているように思われます。抗議の声をあげた人々は皆衒いなく、一人ひとり自分の気持ち、感性に正直に生きているようで、日本の未来はそんな社会であってほしいと思います。
Am 19. September wurde gegen die japanische Demokratie ein „parlamentarisches Attentat“ ausgeübt. Allerdings gingen die Proteste gegen das multilaterale Militärbündnis getragen von den SEALDs, T-en SOWLs, MAMAs Verein, MIDDELs, SILVERs unerwartet und unvermindert ohne Resignation weiter, und ein Hoffnungsschimmer trat am Horizont auf, als wäre die neue Phase der japanischen Demokratie wie Phönix wiederauferstanden. Ihre Handlungsweise und Erscheinungsform waren in nie da gewesener Weise neu und kreativ und schien die glückliche und hoffungsvolle Zukunft zu antizipieren. Die Menschen, die Proteststimmen erhoben haben, sehen aus, mit sich selbst ehrlich und aufrichtig ohne Überheblichkeit zu leben. Ich wünsche mir für die Zukunft Japans eine Gesellschaft, in der solche Menschen leben.
4. 鹿児島川内で原発再鼓動。先日は、一審判決を覆す福井の高浜原発再稼働の判決がでました。全く先進国の動向から逆行する動きで、確かにここ何年かの過渡期には必要と思われる火力発電所ですが、その為の原油価格の下落、再生可能エネルギーの飛躍的な技術的進歩、そして将来必ず起こる過酷事故、どれをとっても原発再稼働が理性的なことでないことは明らか。それをゴリ押す政権の意図は市民に敗北感を植え付け、今後の政治に波風を立たせないという独裁者の匂いがします。最近は欧米のマスコミでも日本人の考えない、文句を言わない、物分かりの良さが指摘され始めましたが、民主主義は論争があって初めて生命を得るもの、日本の市民にはもっと政治社会問題に対して発言していただきたいですね。
Wiederinbetriebnahme des AKWs Sendai in der Präfektur Kagoshima. Vor paar Tagen wurde gegen die erste Instanz die Wiederinbetriebnahme des AKWs Takahama in der Präfektur Fukui durch das Urteil der zweiten Instanz genehmigt. Das Urteil steht im Gegensatz zur Tendenz in den Industrieländern. Der Ölpreis für das in der Übergangsphase sicherlich notwendige Verbrennungskraftwerk ist im Keller, der technische Fortschritt zur erneuerbaren Energie machte einen großen Sprung nach vorne, ein mit Sicherheit ereignenden Gau in Zukunft. Das alles spricht vernünftig gedacht gegen die Wiederinbetriebnahme. Die Absicht der Regierung, trotz alledem sie durchsetzen zu wollen, erweckt den Eindruck eines Diktators, den Bürgern Defätismus einzuimpfen und dafür zu sorgen, in Zukunft politischen Aufruhr in Keim zu ersticken. In letzter Zeit wurden in den westlichen Medien häufig auf die Kultur des nicht Denkens, des nicht sich Beschwerens und des Überangepasstes von Japanern hingewiesen. Aber die Demokratie lebt von den Auseinandersetzungen und Streitkultur. Ich wünsche, dass die Japaner mehr zu sozialen und politischen Themen Mund aufmachen.
II.日常生活, vom Alltag:
1. ハンブルク独日協会をやめました。2011年東日本大震災の際に募った義援金3000万円近くが、会長が機会がある毎に約束していた幼い震災孤児のためではなく、ある大学の被災した法学部学生の奨学金に使われたこと、さらにはその後に寄付された250万円ちょっとがいまだにハンブルク独日協会の口座に寄付されないまま残っているというスキャンダルが発覚、私の性格としてそれは看過できず、理事として今回除名された2会員の会長及び協会運営批判を支持したことを理由に、11月末の総会に参加を拒否されましたが、明らかに総会での批判を避けるための処置。最後はもともと11名の理事が辞任に次ぐ辞任で3、4名ほどになり、その3、4名で上の除名決議をしたという信じがたい独断ぶり。会計係は2014年の総会前に恐らく寄付金問題の責任追及を避けるために辞任したのですが、今年半ばぐらいからまた会計を担当しているとか。健全な精神の持ち主のすることではないでしょう。現在除名された一人が法廷闘争に踏み切りましたが、ドイツ社会の民主主義を信じるなら裁判に負けることはないでしょう。独日協会は一民間団体に過ぎませんが、ハンブルクの市民社会に対して何らかの道徳的義務があると思います。会長は日本人女性ですが、今回のスキャンダルで会長の社会的正当性は失われました。ハンブルク在住の日本人にとっては誠に哀しくも、恥ずかしいかぎりです。
Ich bin von der Deutsch-Japanischen Gesellschaft zu Hamburg ausgegangen. Die Tatsachen, dass die Spendengelder für die Opfer der Katastrophe 2011 in Ostjapan in Hohe von ca. 270 .000 Euro nicht an den von der Präsidentin mehrfach angekündigten kleinen Weisenkindern gingen, sondern als Stipendium an den Jura-Studierenden an einer Elite-Uni verteilt wurden, darüber hinaus immer noch ca. 20.000 Euro Spendengeldern auf dem Konto der DJG zu Hamburg herum liegen, sind aufgedeckt worden. Das ist mehr als ein Skandal. Ich kann leider so etwas nicht einfach übersehen und unterstützte ein ehemaliges Vorstandsmitglied und ein langjähriges Mitglied bei der Aufklärung ihre berechtigte Kritik an der Präsidentin und ihrer Vereinsführung. Das führte dazu, mir die Teilnahme an der diesjährigen Mitgliedsversammlung zu verwehren. Die Präsidentin wollte offensichtlich keine kritische Frage auf der Mitgliedversammlung zulassen. Von ursprünglich 11 Vorstandsmitglieder waren zu der Zeit nur noch 3 oder 4 Mitglieder im Amt geblieben und sie, also zu dritt oder zu viert(!), haben den Vereinsausschluß der obigen Mitglieder beschlossen. Der Schätzmeister, der einmal vor der Mitgliedversammlung 2014 zurückgetreten ist, um wahrscheinlich die Kritik über die Spendengelder zu vermeiden, soll seit Mitte dieses Jahres wieder im Amt sein. Warum weiß niemand, nur ein Mensch mit gesundem Menschenverstand tut so etwas nicht. Ein Mitglied hat sich entschlossen, die Präsidentin vorm Gericht anzuklagen. Nach dem Demokratieverständnis in Deutschland kann es eine gute Aussicht zum Gewinnen haben. Die DJG zu Hamburg ist zwar ein Privatverein, hat aber ein gewisses Maß Verpflichtung gegenüber der Zivilgesellschaft in Hamburg, moralische und ethische Erwartungen zu erfüllen. Die Präsidentin ist eine Japanerin, aber sie scheint jedoch ihre Gesellschaftsfähigkeit verloren zu haben. Als Japaner in Hamburg empfinde ich das ganze traurig und beschämend.
2. これを公表すると自分にプレッシャーがかかるので、避けていましたが、後がないので恥を忍んで言います。約1年半前からカイ・フォーゲルザング著「中国史」(日本語タイトル「小説中国史」)を訳し始めたのですが、遅々として進まずやっと600ページちょっとのうち100ページほどを租訳、先日著者と話し、3月末までにテンポを倍増して50ページ訳す約束をしました。ドイツの新進気鋭の中国研究者で私のところで日本語を学んだこともある人なのですが、斬新な中国、中国人像が最新の学術研究の成果をもとに浮き彫りにされており、ただでさえ歪な日本人の中国観に新しい知的刺激を与え、新たなアプローチの切っ掛けになるのではと期待し、翻訳を提案しました。ただ、現状は上の体たらくで恥じ入っています。何とかこの現状を変えたいのですが、どなたか一緒に訳していただけませんか。
Man sollte so etwas nicht offiziell ankündigen, und doch tue ich es, um sich selbst unter Druck zu setzen. Zum Schande gestehen, ist es mein letzter Versuch und zwar das Buch „Die Geschichte Chinas“ von Kai Vogelsang weiter zu übersetzen. In einem Jahr habe ich gerade ca. 100 Seiten von den über 600 Seiten geschafft. Das ist ganz einfach zu wenig. Ich habe deshalb mit dem Autor gesprochen und versprochen, das Tempo zu verdoppeln, d.h. bis Ende März mindestens 50 Seiten zu übersetzen. Der Autor ist ein junger scharfsinniger Chinaforscher, der Zeitlang bei mir Japanisch lernte. Das Buch hebt ein ganz neues Bild von China und Chinesen durch die neueste Errungenschaft der Chinaforschung hervor. Ich habe mit der Hoffnung, eine neue Sicht über die Chinesen und China zu Debatte zu stellen und einen intellektuellen Stimulus gegen das ohnehin verzerrte China- und Chinesenbild der Japaner zu geben, die Übersetzung des Buches vorgeschlagen. Der jetzige Stand der Übersetzung ist wie oben beschrieben beschämend. Ich muss das ändern. Oder jemand kann mir helfen?
3. 日本からの留学生と飲み会。みなそれぞれ真摯に自分の将来のことを考えています。この若者たちが、将来戦場に派兵されることなく日本の未来を切り開いてくれる事を祈ります。
Zusammen mit den Studierenden aus Japan essen gegangen. Alle machen ernsthaft Gedanken über ihre Zukunft. Ich hoffe nur, dass diese Jugendlichen in naher Zukunft nicht als Soldat nach Ausland geschickt werden, um dort für nichts zu sterben, sondern ein künftiges friedliches Japan aufbauen.
4. 広島大学の若手研究者がドイツの学校音楽教育の研究に3度ハンブルクに来られました。通訳のお手伝いをさせていただきましたが、ドイツの教員養成の実態をかいま見ることができ、日本の学校教育について考えさせられました。一言でいえばドイツの旺盛な批判精神に対し、日本では従順順応が第一に求められているようで、日本の高校生のいわゆる”空気を読む”など、教室の授業では全くその気配なし。我も我もと自分の意見を主張していました。そな子供たちを見るにつけ、日本の若者が今後グロ-バル化された世界で生き延びるには、何とも心許無いように感じました。安倍さんの好きな“強靭”な国家とは批判に対して、反論し己の主張を相対化して、最良の選択肢を探り出す市民によって築かれるもので、イエス・マンばかりの国ではないと思います。
Ein junger Forscher von der Universität Hiroshima besuchte dreimal Hamburg, um über den Musikunterricht in den deutschen Schulen zu recherchieren. Ich durfte ihn als Dolmetscher begleiten und einen Blick in die deutsche Lehrerausbildung werfen. Das hat mich über japanische Schulpädagogik nachdenklich gemacht. Wie oft darauf hingewiesen wurde, dass es in Deutschland die Kritikfähigkeit der Schuler vorrangig gefordert wird, wobei in Japan in erster Linie Gehorsam und Anpassung von den Schülern erwartet werden, traf es voll zu, soweit es um die deutschen Schuler geht. „Die Luft lesen“, von dem die japanischen OberschülerInnen regelrecht beherrscht zu sein scheinen, war gar nicht zu merken. Ich habe große Sorge, wie sich die so aufgewachsenen Japaner in der globalisierten Welt bestehen sollen. Ein „robuster“ Staat, von dem Herr Abe gerne redet, muss doch von den Bürgern getragen werden, die sich kritisch mit den Gegenmeinungen auseinandersetzten und eigene Position relativieren und so die beste Alternative zur Lösung herausfinden, und nicht von lauter Jasagern.
III.旅と休暇, Reise und Urlaub
1. 4月から5月中旬まで日本に一人で滞在。その間、FBなしではつながらなかったであろうハンブルク大学からの留学生と遠足や飲み会をやり、2週間ほどはドイツの友人の娘とその友達がロシア経由で訪ねてきたので、京都、奈良や私の故郷、四国の山の中の祖谷を案内したことはこれまでにない経験でした。FBの威力を今更ながら認識させられました。通常の枠から外れたところで旧知の者に会う事は、自分を再発見するきっかけにもなり、キレイごとだけでは測れない人間存在のどろどろしたところと対峙、衝突する中で、一人一人が独自の人間性を持っていることを改めて認識させられ、驚かされたことは、むしろ嬉しいことでした。
Vom Anfang April bis Mitte Mai war ich allein in Japan. Eine interessante Erfahrung, die ohne FB möglich gewesen wär: Ausflüge mit den Studierenden aus Hamburg oder Zusammen Essen (eher Trinken) mit den japanischen und deutschen Studierenden. Eine Tochter mit ihrem Freund kam über Russland zum Besuch, wir haben viel gesehen bis hin mein Heimatdorf Iya tief in den Bergen in Shikoku. Da, wo aus dem Rahmen des Alltags ausfällt, die Bekannten zu treffen, veranlasst einen, sich selbst neu zu entdecken und sich mit dem menschlichen Dasein auseinanderzusetzen, das gelegentlich schwer genießbar wäre und nicht immer schöngefärbt werden kann. Das war eine unerwartet intensiv nachdenkliche Erfahrung.
2. 3月トラヴェミュンデ、7月初旬アムルムに1週間、9月末にはデンマークのファーネで2週間過ごしました。休暇を取るたびになぜドイツとほぼ同じ経済力の日本でできないのか、と政治家の無策怠慢に怒りを感じます。真面目で勤勉な日本の労働者にもせめて2週間の保養休暇が実現することを祈ります。
Im März in Travemünde, Anfang Juli in Amrum jeweils eine Woche, im September haben wir zwei Wochen in Fanoe in Dänemark verbracht. Jedes Mal, wenn ich Urlaub mache, kommt mir so eine Wut gegen die Unfähigkeit und Faulheit der japanischen Politiker gegen die Tastsache hoch: warum ist das in Japan trotz der gleichen Wirtschaftsleistung wie die deutsche nicht möglich??!! Ich wünsche sehr, dass alle fleißigen japanischen Arbeitnehmer wenigsten zweiwöchigen Urlaub bekommen.
3. 7月末に高校1年生の姪の娘がたった一人で10日ほど訪ねて来てくれました。ベルリンやリューベックなど北ドイツを見て回り、ドイツの生活に触れ、若者たちを観察、日本人として自分を相対化し、「自ら立ち、律する」きっかけにしてくれることを信じたいですね。日本でも今夏の集団的自衛権を巡る抗議行動で、高校生たちが沈黙を破り、空気を読むことなく自分の思いを語り始めたことは、彼女にとってもちょっとした息詰まるような学校生活の息抜きになったのではないかと思います。今後とも、日本の社会が若者たちのために風通しがよくなることを祈ります。
Ende Juli kam eine Tochter meiner Nichte allein für 10 Tage nach Deutschland. Wir haben Lübeck, Berlin und Hamburg besichtigt und sie kam mit dem Leben in Deutschland in Berührung, beobachtete die deutsche Jugendliche, damit sie hoffentlich sich selbst als Japanerin relativiert und das zum Anlass nimmt, selbständig und selbst beherrschend souverän zu sein. In diesem Sommer in Japan haben die OberschulerInnen bei der Protestbewegung gegen das multilaterale Militärbündnis ihr Schweigen gebrochen und angefangen, ohne „Luft zu lesen“ eigene Gedanken vorzutragen. Für die Tochter meiner Nichte könnte eine kleine Verschnaufpause von dem erstickenden Alltag in der Schule gewesen sein. Ich wünsche weiterhin mehr Luft für die Jugendliche in Japan, damit sie sich freier bewegen und leben können.

IV.朗報, gute Nachricht
1. 合気道2段合格に尽きます。それと、家内ともども1年を通じ風邪一つひかなかった健康ですかね。皆様も、くれぐれもご自愛専一に願います。
Den zweite Dan von Aikido geschafft! Und wir haben ganzes Jahr ohne Krankheit überstanden, sich nicht einmal erkältet. Ich wünsche auch allen, bleib´/bleiben Sie gesund!
V.終わりに、zum Schluss:
今年は夏から秋にかけ難民が大挙ドイツを目指し押し寄せてくるという、誰も予想できなかった事態が発生、それに対するドイツと日本の対応のあまりにも大きな違いは日本人として恥じ入るほかありませんでした。日本は世界第3の経済大国、その国が2014年5000人の難民に対し、難民として認可したのがたった11人という事実は、日本が国際社会で発言権を失い、その存在感が地に落ちたことを意味します。
Dieses Jahr ereignete sich vom Sommer bis tief in Herbst hinein etwas unglaubliches, nämlich dass die Masse der Flüchtlinge im unerwarteten Maß nach Deutschland hineinstürmte. Über die so gravierend unterschiedlichen Reaktionen in Deutschland und in Japan schämte ich mich als Japaner zutiefst. Japan ist die drittgrößte Volkswirtschaft der Welt und erkannte 2014 nur 11 von den 5000 Flüchtlingen Asyl. Diese Tatsache allein reicht aus, zu sagen, dass Japan kein Rederecht in der internationalen Gemeinschaft hat und bedeutet, dass Präsenz Japans auf den Boden gefallen ist.
ドイツは今年100万人を超える難民を受け入れましたが、ただ人道的な理由からだけでないことは明らか。短期的には100万人の生活を保障するということは生活補助のための支出が必然、それは経済の活性化につながり、長期的には少子化で人口減少が避けられない将来の労働人口の補填になる。政治の責任者ならそれぐらいの理性的合理的計算はしているでしょう。
Deutschland hat knapp eine Million Flüchtlinge aufgenommen. Es ist allerdings evident, dass das nicht nur aus humanitärem Grund geschah. Das Leben der eine Million Flüchtlinge zu garantieren, bedeutet kurzfristig, Millionen von Euro für die Hilfe ausgeben zu müssen. Das trägt zur Belebung der Volkswirtschaft bei und ergänzt langfristig die rückläufige Bevölkerungszahl, die wegen des Geburtenrückgangs zu rechnen ist. Die politische Verantwortliche wie der Finanzminister oder die Bundeskanzlerin erstellt sicherlich solche Rechnung, was auch sehr vernünftig ist.
翻って、日本は2030年までに25歳から65歳までの労働人口が少なくとも300万減少、人口動態の統計には誤魔化しは効かないのですが、2014年難民受け入れ11名を見ても日本の政治家がその問題を真剣に考えている兆しはありません。明治時代のように4,5千万人の国に縮まればいいという乱暴な主張も、そのために必要な政治的対策については考えだにしていないようです。
Andrerseits soll Japan nach der derzeitigen demografischen Entwicklung bis 2030 drei Millionen Arbeitskräfte zwischen 25 und 65 Jahre alt verlieren. Über die Statistik kann man nicht drum herum reden. Man kann aber nicht glauben, dass die japanischen Politiker ernsthaft darüber nachdenken, wenn man die 11 Anerkennungen der Asylanträge 2014 in Betracht zieht. Die grob fahrlässige Behauptungen, dass sich Japan wie Meiji Zeit auf 40 oder 50 Millionen Einwohner schrumpfen solle, zeigen, dass solche Sprecher nicht einmal über die dazu nötige politische Maßnahmen nachdenken.
移民を受け入れて現状維持を図るか、縮まって生活水準を落とすか、どちらにしても大変な意識革命が必要ですが、そのための政策は聞いたこともありません。ただ、ずるずると成り行きに任せ、結果には国民の負担を求める。政治的貧困ぶりは目を覆うばかりです。願わくは、今夏の安保法制抗議行動が、日本の国民の政治的覚醒につながることを祈るばかりです。
Unabhängig davon, ob Japan mit der Aufnahme der Immigranten das Status Quo der Wirtschaft erhalten will, oder mit Schrumpfen den sinkenden Lebensstandard in Kauf nimmt, braucht eine bahnbrechende Kulturrevolution zum Bewusstseinswandel der Japaner. Ich habe von den politischen Maßnahmen dafür noch nie gehört. Man sitzt sozusagen die Probleme aus und am Ende muss das Volk dafür bezahlen. Das ist nichts anderes als das politische Armutszeugnis. Man kann nur hoffen, dass die Proteste gegen das multilaterale Militärbündnis in diesem Sommer zum politischen Erwachen der Japaner führt und damit hoffe ich für alle, ein gesundes, glücklies und friedlicheres Nuejahr!

ドイツの脱原発と日本の原発再稼働

2015-11-24 19:40:55 | 日記
2011年3月11日はドイツにとっても運命の日となった。福島で原発が次々と爆発、ドイツの原子力研究所所長はテレビのインタヴューでメルトダウンは当然進行中、ただ対策はとの質問には肩をすぼめるしかなかった。私は背筋がぞっとすのるの覚え、その後日本ではメルトダウンと放射能汚染の実態が発表されるのに丸1か月もかかったことに、行き場のない怒りを感じたことを今も鮮明に思い出す。原発再稼働に向け、形振り構わず突っ走る安倍政権と復活した原子力村ロビーは利益優勢で、国民の安全につては真剣に考えていないことが日々明らかになってくる。
福島事故の後、即座に脱原発を決めたドイツでは、反原発運動がその当初より核廃棄物貯蔵所建設反対と並行した進んできた経緯がある。今もその最終貯蔵所は決まっておらず、ゴーレーベンの中間貯蔵所に仮収納しているのだが、日本では中間貯蔵は原発の敷地内という驚くべき事実が事故の後発覚、やっと最終貯蔵の実験場が北海道にできたという。ましてや再生可能エネルギーへのシフトとは原子力村にことごとく妨害され、再稼働第一号の鹿児島川内原発を持つ九州電力はと太陽光発電用の送電線にキャパシティーがないと、買取を制限。ところが、それは川内原発用に送電線を空けておいたため。キャパシーがないなら再生可能エネルギー用に送電線を新設するとかの話しは聞かない。要するに国民は原子力村にいいようにあしらわれ、怒りも忘れてできるだけ考えない聞かない見ないで毎日“幸せ”に暮らしているのだ。もう一度過酷事故が起こるまで市民の覚醒はないのだろうか。