時には、旅の日常

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舞鶴日帰りミニ旅-04~海軍記念館

2018-06-03 10:26:03 | 京都
 北吸桟橋の見学に続いて、海軍記念館を訪ねます。

 <<舞鶴日帰りミニ旅-03>

 戦前は海軍機関学校が置かれていた敷地の一角にある、当時の大講堂を海軍ゆかりの資料館として、土日祝日に見学可能となっている、海軍記念館です。
 展示物と共に、大講堂のレトロな雰囲気も感じながら、短い時間でしたが、見学してきました。

 <舞鶴地方隊>


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 自衛艦が停泊する北吸桟橋から西へ、のんびり歩くこと10分弱で、舞鶴地方統監部に到着。

 海上自衛隊関係の機関が、こちらに置かれています。



 門から敷地へと入ると、緩やかな坂道を上り、正面に舞鶴地方統監部の庁舎が見えてきました。
 ツツジの花が見頃を迎えていて、レトロな庁舎と素敵なマッチングを披露してくれていました^^
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 道路と庁舎前の前庭との境界に並べて置かれているのは、砲弾の形にも見えますね…廃物利用でしょうか?

 戦前、ここには、海軍兵学校、海軍経理学校と並ぶ海軍三校の1つである、海軍機関学校が置かれていました。
 この地方統監部や、隣接している海上自衛隊第四術科学校(経理、補給、給養、監理等の教育機関)の庁舎は、かつての海軍機関学校の庁舎群を利用しています。

 因みに、第四術科学校のHPには、海軍レシピも掲載されています♪



 地方統監部の庁舎の手前に、海軍記念館はあります。
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 この建物は、昭和天皇の舞鶴行幸に合わせて、昭和8年(1933年)に3ヶ月の突貫工事で建設された、海軍機関学校の大講堂でした。
 当時の建設費は6万円…今日の貨幣価値に換算(GDPデフレーター・戦前企業物価指数を基に換算)すると、約1億1,000万円に相当する巨費が投じられています!



 玄関を入ると、初代の舞鶴鎮守府司令長官であった、東郷平八郎元帥海軍大将(鎮守府司令長官在任時は中将、明治37年(1904年)に大将へ昇進、大正2年(1913年)に元帥に列せられました)の像に,迎えられます。
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 この像は終戦後、アメリカ軍の目に留まらぬよう、地中に隠されていましたが、昭和38年(1963年)に西舞鶴港の土中から偶然発見され、海上自衛隊に寄贈されたそうです。
 これをきっかけに、海軍に縁のある品々の寄贈が相次ぎ、これらの収集展示のために、昭和39年(1964年)の海軍記念館開設の運びとなりました。
 いわば、この像から、海軍記念館が誕生したともいえるでしょう。

 像の背後の旭日旗は、海軍の飛行艇母艦「秋津洲(あきつしま)」の軍艦旗。
 昭和19年(1944年)9月に、フィリピン・コロン湾でアメリカ軍空母艦載機による攻撃を受けて沈没した際に、乗員によって持ち出されたものです。



 海軍記念館には、海軍関係の資料等、約200点が展示されています。

 東郷元帥の書になる、「聖訓五箇條」。
 明治15年(1882年)に、明治天皇が陸海軍の軍人に下賜した、「陸海軍軍人に賜はりたる敕諭(軍人勅諭)」の五ヶ条です。
 軍人としての徳目を、諭しています。




 大講堂。
 ドームを描く高い天井、良く磨かれた床や壁等が、印象的です。

 正面には、国旗と自衛艦旗である旭日旗とが、掲げられていました。
 正面部分は、戦後アメリカ軍による接収時に、ダンスホールの舞台として嵩上げされたとのこと。



 大講堂の照明には、海軍らしい意匠が施されていました。
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 縦に並べられた蛍光灯が、船の舵輪を囲んでいます。
 シンプルかつ気品のあるデザインに、見とれていました。



 今日ではレトロなデザインに感じる、縦長で丸みを帯びた窓も、建設当時はハイカラな趣向であったのでしょうね。

 照明同様、陳腐化せずに気品を保つ雰囲気を纏わせ続けているのは、流石です。



 大講堂を、パノラマ撮影。
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 左右の窓の並びが、お洒落ですね。
 こちらは、今日も、舞鶴地方統監部の大講堂として、利用されています。



 大講堂正面を、仰ぎ見ます。
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 正面部分は、戦後アメリカ軍による接収時に、ダンスホールの舞台として嵩上げされたとのこと。
 アメリカ軍…ここでダンスをしていたとは…;;
 らしいといえば、らしいですね(^^;)



 扉等の意匠もまた、ノスタルジックな昭和のテイスト。
 重厚感も感じられる、シックでいい雰囲気です。

 奥の扉は、トイレの入口(「御手洗」の貼り紙がありました)ですが、この扉の荘重な雰囲気に気圧されて、入ってもよいものか、一瞬躊躇ってしまいましたw
 トイレ自体は流石に、全く今風の綺麗なトイレでしたが。




 海軍の、志願兵募集のポスター。
 堂々と「徴募」とあるのが、軍隊らしい表現ですね。

 ポスター下部には、これまた軍隊らしい、簡潔で実用的な表現の徴募要項が記されています。
 様々な兵種が、あったのですね。




 寄贈された階級章等も、展示されていました。

 多くの階級自体がある上に、パッと見ただけでは階級章も似ているように感じられるものもあり、憶えるのも大変そう…;;
 まぁ、これは、今日の自衛隊でもいえることですね。

 この他にも、海軍記念館には、軍艦の装備や、軍港が開かれてから発展した東舞鶴市街の町割りや通り名の由来等、多数の興味深い展示がありました。



 順路をぐるりと一回りして、再び玄関の東郷元帥像まで、戻ってきました。
 時間の都合で、駆け足で巡りましたが、当時の貴重な資料や、大講堂の建物そのものから歴史を感じ取ることができた、充実のひと時でした。

 出迎えてくれた東郷元帥の像に今度は見送られて、海軍記念館を辞去します。

 <舞鶴日帰りミニ旅-05>>



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