時には、旅の日常

管理人:taろう/旅先で撮ったスナップにコメントを添えて、他にも気の向いた事を綴っていきます。

舞鶴日帰りミニ旅-05~東郷邸

2018-06-10 08:07:04 | 京都
 海軍記念館から更に西へと歩を進め、東郷邸へ到着しました。

 <<舞鶴日帰りミニ旅-04>

 東郷邸は、舞鶴に鎮守府が置かれた際、初代の司令長官に任ぜられた、東郷平八郎中将(鎮守府司令長官親補当時)の官邸として建てられた、ユニークな和洋折衷の邸宅です。
 基本的には、毎月第1日曜日のみの公開ですが、5月の連休中は公開されることとなっていたため、少ない機会を生かして、訪ねてみました。

 <舞鶴地方隊>


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 海軍記念館を後にして、さらに西へと進み、高台にある東郷邸へ。
 海軍記念館からは、歩いて約10分弱程で、到着しました。

 高台の木々に覆われて、静やかな佇まいに包まれていました。
 邸へのアプローチを進むと、質素な構えの門と塀とが、見えてきました。



 和風と洋風の家屋が隣り合う、ユニークな東郷邸。
 先ずは、白い洋風建築の方へ入る順路となっていました。

 この東郷邸、明治34年(1901年)に海軍の舞鶴鎮守府(通称「舞鎮(まいちん)」)が開設され、その初代司令長官となった東郷平八郎中将の官邸として、司令長官の任にあった明治36年までの2年間使用され、以後も昭和20年(1945年)の終戦まで、歴代司令長官の官邸となってきました。
 昭和28年(1953年)に海上自衛隊に移管され、舞鶴地方統監部が管理しています。

 鎮守府の庁舎は、この東郷邸のすぐ南隣に建っていましたが、昭和39年(1964年)に老朽化のため取り壊されました。
 京都府のHPにあった、舞鶴鎮守府庁舎の画像へのリンクは、こちら
 ブログ「まちかどの西洋館別館・古写真・古絵葉書展示室」さんには、手彩色絵葉書の画像が。
 画像を見てみると、ハイカラな庁舎であったことが分かりますね。




 東郷初代司令長官から歴代司令長官が使用してきた、司令長官用のデスク。

 ずっとこの場所に置かれていたのかはわかりませんが、年季の入った存在感のある机でした。
 どっしりとしていて、使い心地も良さそう。



 応接セットの置かれた部屋…こちらで来客に会ったり、会合等も持たれてきたのでしょうか。

 明治の頃には、大変ハイカラな施設であったことでしょう。




 洋風建築から棟続きとなっている、和風建築の方を眺めています。
 和風建築の建物は、採光にも優れていそうな縁側が印象的で、軽快な感じを抱かせますね。

 屋根の鬼瓦には、錨の意匠が。
 海軍らしい、粋な演出ですね。
 建築当初から、この錨入りの鬼瓦が使用されてきたとのことです。



 洋風建築から和風建築へと、足を踏み入れます。

 当然ながら、建物内部の雰囲気も、和風建築へと移った瞬間に、ガラリと変わりました。
 洋風建築の方から眺めて印象的であった、縁側を歩きます。

 こうした、縁側のある日本建築というのも、珍しくなりましたね。
 エアコンなどなかった明治の建築当初では、冬はさぞ寒かったことでしょう;




 華やいだ雰囲気を纏った洋風建築の部屋とは打って変わって、ピンと張りつめた清涼感が心地良さげな、和風の大部屋。

 二間続きの間取りでしょうか…落ち着いた雰囲気を纏った、広い空間です。
 大きな床の間も、目を引きます。



 先程とは逆方向で、和風建築の方から、洋風建築を望みます。

 純和風な建築とは棟続きで、白壁の洋風建築がくっついているのが、やはり不思議な感じがします。
 洋風建築の方から根がめていた時も同じですが、眺めている側の建物が、眺めている方向の建物とは全く趣きの異なる建築であるとは、あらかじめ外観を見ていなければ、想像もつきませんね。



 縁側は、和風の書斎へと続いていきます。

 石庭となっている庭は、和風建築にも、洋風建築にも、共にマッチしていて、いい感じ。




 和風建築にある、書斎。
 東郷司令長官は、ここで様々な構想を練ったと伝えられています。

 こじんまりとした和室、庭を眺められるよう、窓辺に据えられた座卓…確かに、落ち着いた境地で、考え事をするにはうってつけの部屋ですね。




 書斎の窓からは、木々の緑と庭の敷石の白とが、快い眺めを演出しています。
 何というか、悟りも啓けそうw

 ちょっとしたお寺の、庵のような佇まいを感じさせる、素敵な書斎からの素敵な眺めでした。



 書斎から、再び洋風建築の方へと戻ります。
 洋風建築内に掛けられていたこの鏡は、海軍の装甲巡洋艦「吾妻」で使われていたものとのこと。

 軍隊らしく、キッチリと手入れされてきたのでしょう(もちろん、今日でも)…綺麗な鏡です。



 東郷邸の見学を終えて、門へと出てきました。

 出入りした邸の玄関までのアプローチの、この風景を現出させている木々は、この奥に個性的な邸宅を隠しているのですね。
 明治の頃から、恐らく訪問者に強い印象を与えてきたであろう、個性的な和洋折衷が印象的であった東郷邸の、貴重な見学の機会でした。

 <舞鶴日帰りミニ旅-06>>



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2 コメント

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Unknown (タヌ子)
2018-06-16 07:17:27
すっかりご無沙汰してしまいました。
廃線跡の遊歩道、趣があって素敵ですね。
日本海側の方が怪しい隣人(中・露・北朝)が近いので、太平洋側より警戒が必要な気がするのですが、海上自衛隊の基地が舞鶴だけって言うのが意外でした。
大分前に日本に立ち寄ったフランスの空母、シャルル・ド・ゴールの見学をしたことが、巨大で圧倒されましたが、中まで見学できたので楽しかったです。
その際に知り合った自衛隊の人に厚木基地の一部を見学させてもらったことがありますが、近隣国から忌み嫌われている旭日旗が現在も自衛隊旗として使用されているというのは知りませんでした。
東郷亭、やはり日本家屋は素晴らしいですね。
大部屋の長いテーブルの下が掘りごたつ式になっているのは外国の方を招く機会もあったからなのでしょうか。
こんな穏やかな庭の景色を眺めていたら、戦争のことなど考えられなくなりそうです(笑)
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タヌ子さん。 (taろう)
2018-06-17 10:34:52
お元気そうで、安心しました^^
暑い季節への変わり目で、心身共に負担の大きなこの時期、十分ご自愛ください。
旧中舞鶴線の廃線跡、散策路に整備されていて、海へのちょっとした、気持ちの良い散策路です。
北吸トンネルは、散策のいいアクセントになっているように、感じました。
戦前から日本海側の海軍根拠地は舞鶴のみであったそうですが、大陸側の国々が例外なく敵国同然の今日、日本海側の備えをもっと重視すべきですよね;
高校生か大学生の頃に、チリ海軍の練習帆船(白亜の美しい船でした)が神戸に寄港した時に見学をして、その時にもらったペナントを今でも大事に持っています。
世界で韓国だけが旭日旗に対しヒステックに喚き散していますが、サッカー選手のキソンヨンが日本人への差別的な猿真似パフォーマンスの言い訳に虚言を吐いた7年前より以前は全く無関心であったのですから、日本の準国旗扱いである旭日旗をハーケンクロイツと同一視する悪質なデマを、日本は本気で叩き潰さなければ、そのうち日の丸にも難癖を付けてくるでしょうね。
東郷邸は、鎮守府司令長官の官舎であったので、仰るとおり、外国の賓客接遇のために、和洋折衷+洋館併設となったのでしょうね。
軍隊の施設らしからぬ?落ち着きと安らぎに満ちた居心地の良さを感じた、東郷邸でした。
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