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旅、香港、上海、中国、日々の出来事… 色々語っていくブログ

シルクロードひとり旅 〔22〕 =広州・香港~上海~船旅帰国 編=(完結編)

2012年08月26日 14時43分24秒 | -旅日記-
シルクロードひとり旅、旅日記も今回で最終回。

前回の日記で、新疆ウイグル自治区のウルムチを離れて実質的にシルクロードの旅は終了したが、
ここから広州・香港、上海を経由して帰国するまでを駆け足で振り返ってみる。



■広州から香港、そしてまた広州へ

広州は土砂降りの雨だった。

新疆ウイグル自治区・ウルムチから乗った飛行機は4時間かけて、定刻通り広州白雲空港へと降り立った。
降り立った瞬間、まとわりつく湿気を感じる。

広州は中国南部・広東省の最大都市。
乾燥した砂漠気候のシルクロードエリアとは間逆の、亜熱帯気候に属する。

シルクロードの強い日差しで日焼けをして腕の皮が剥けていたけども、いつの間にかものすごい湿気で白く剥けた皮が跡形も無くなっていた。
これまで1ヶ月過ごした乾燥した気候に慣れていた身体には、全身に絡みつくような湿度の高さは辛い。。

さて、改めて、ウルムチからはるばる広州までやって来た理由だけども、
中国の滞在ビザの期限が翌日に迫っているため、一刻も早く中国を出国しなければならず、
気軽に中国から出入りできる、中国であって中国で無い場所、香港へ向かうことにしたからだ。

ただし、せっかくこれまで4年ほど暮らした香港にまた思いがけず行くことになったけども、
残念ながら数時間だけで、また広州へと戻らなければならなかった。


広州空港からは、リムジンバスに乗って広州市の中心部へと向かった。
途中、渋滞に巻き込まれながら、1時間ほど乗って、広州東駅前へとやってきた。

バスを降りてすぐ、まずは広州東駅の切符売り場へと行き、翌日の広州東⇒上海行きの寝台列車の切符を購入。
寝台は硬臥と呼ばれる中ランクの3段ベッド寝台。ベッドは一番上の段(3段目)しか無かった。
まあ安上がりとなったから良しとする。

飛行機だと広州⇒上海で2時間半ぐらいだけども、予算が足りず、18時間かけての寝台列車の旅となる。

上海には、香港から持ってきた荷物を上海の友達の家に預けたままにしているので、
帰国する前には必ず上海に行かなければならず、ウルムチ⇒広州(香港)⇒上海と、ものすごく遠回りなルートとなってしまった。
まあビザの期限の問題があったので仕方が無い。


寝台列車の切符を購入して、中国出国のためさっそく香港へと向かう。

香港へは、広州東駅から香港九龍駅まで直通の列車で行くか、広州東駅から中国型新幹線で深センへ行き、国境を越えて
香港へ入り香港の電車に乗り換える2通りがある。

香港九龍行きの列車は本数があまり多くないので、中国型新幹線に乗ってまずは深センへ向かった。

香港にいるときはよく乗ったこの新幹線。久しぶりに乗車。



新幹線に乗って約1時間で深センへと到着。

深セン駅を出ると、もう目の前は羅湖のイミグレーションだ。



香港は1997年にイギリスから中国へと返還されたけども、法律・制度上はまだ外国扱い。
よって、中国・香港ボーダーにはそれぞれイミグレーションがあって、出国そして入国の手続きを行わなければならない。

まずは中国のイミグレで出国手続き。
イミグレの入管職員が、僕のパスポートに中国・パキスタン国境の「紅其拉甫」スタンプがあるのを見つけて、
「紅其拉甫(クンジュラブ)に行ったの!?」と驚かれた。

中国人でもあんな辺境の地に行くのは珍しいのだろう。

そんなこんなで無事中国を出国。これで1ヶ月使ったビザは失効。
そして徒歩で香港・中国ボーダーの深セン川を渡り、今度は香港への入国手続き。

香港入国では、まだ香港居住時の香港居民IDカードが生きているので、このカードを使って自動改札機のように
あっという間に手続き完了。並ばなくていいのがホントに便利なこのカード。

香港へ入境し、ここから東鐵線に乗って一駅目の「上水」でUターンすればよいのだが、
せっかく香港まで来て、次いつ来るかわからないので、最後の見納めに、高層ビルが立ち並ぶビクトリア湾の景色を眺めてから
広州へ戻ることにした。


羅湖から終点の尖沙咀まで電車で1時間。
やっぱり香港は中国と比べて、清潔さ、マナーなどあらゆる面で「文明」を感じる。。

そしてやってきた尖沙咀から見たビクトリア湾と香港島の景色。ちょうど日が落ちる夕焼けの景色だった。



住んでいたときは見飽きるほど見ていた景色だけども、もうしばらく見ることができないと思うと、
なんだか寂しい気持ちになる。




30分ほどの滞在で、再び電車に乗り、香港・中国ボーダーの羅湖へ移動。
そして今度は香港を出国し、中国へ再入国する。中国ではノービザ入国。14日間はノービザで滞在できる。

中国入国した深センから再び中国型新幹線に乗って、広州へと戻った。



■広州⇒上海 寝台列車の旅

広州滞在2日目。
この日は寝台列車に乗って、1800kmの距離を18時間かけて広州から上海へと移動する。

広州には、昔からの中心駅である広州駅と、深セン行きの新幹線と香港行き直通列車が発着する広州東駅、
そして最近新しくできた新幹線ターミナルの広州南駅がある。

上海行き寝台列車は、そのうち広州東駅から出発する。

真新しい広州東駅。付近は高層ビルが建ち並ぶビジネス街だ。



広州東駅は、深セン行き新幹線、香港行き直通列車、長距離寝台列車でそれぞれ入口が異なる。
今回はもちろん、長距離列車の入口から駅の中へ入る。



駅へ入り荷物検査を受け、待合室へと向かう。
中国の長距離列車は、まず待合室で待って出発の15分ほど前にやっと改札が始まりホームへ行くことができる。

待合室はものすごい人であふれていた。
見渡す限り人、人、人。。。

これぞ、ザ・中国という雰囲気だ。
高い湿度と人民たちの喧騒と熱気で、クラクラしそうになる。



そんな時、駅の係員の一人が呼び込みを始めた。
一等寝台乗客用の待合室の利用と、列車への優先乗車券を10元(約130円)で売りさばいている。

10元払えば、多くの人々であふれかえっている平民用の待合室ではなく、別室のクーラーの効いた一等寝台乗客用の特別待合室が利用でき、
さらに混雑を避けて列車への優先乗車ができるという訳だ。

乗客たちの足元を見た、なんともセコい商売。
この売上は全部駅員達の懐に入っていくのだろう。。
とはいえ、意外と多くの乗客たちが10元払って一等寝台乗客用の特別待合室へと入っていった。

どんな待合室だろうとちょっと興味が湧き、悪徳駅員どものお小遣いに10元寄付するのはシャクだったけど、
10元払って特別待合室とやらを覗いてみることにした。

が、、やられた。。
特別待合室なんて名前だけで、硬いベンチが並ぶだけ。
しかもここもすでに人民たちであふれており、座る場所も無い。。
唯一クーラーがガンガンに効いてるだけが救い。

ボッタクリ駅員に10元恵んで結局ボーっと立って待つこと30分。
やっと上海行き列車の乗車時間となった。

特別待合室の乗客は先に乗車することができる。
でも先に乗車しようが後になろうが僕にはあまり関係なかった。

中国の長距離列車では、乗客の多くがたくさんの荷物を持っていて、列車の中で荷物の置き場所取りでバトルになる。
優先乗車できれば荷物置き場探しに困らなくて良いというメリットがあるのだ。

僕はバックパック一つをどこかに置ければ良いだけなので、優先乗車のメリットは無かった。


広州東発、上海行き寝台列車。






列車に乗車前にもう一度切符の確認が行われる。



僕が乗る硬臥(二等寝台)は3段ベッド。



しかも僕の割り当てられているベッドは3段目。めっちゃ高い。天井近!



寝台列車の通路。




18時11分。
定刻通りに列車は広州東駅を出発。



しばらく広州市内を走った後は郊外ののどかな風景の中をひたすら走っていく。



だが、すぐに変わり栄えのない農村風景がひたすら続く景色に飽きてしまった。
で、列車が出発してしばらくを除いて、ほとんどベッドで爆睡していた。。


気づいたらもう列車の旅2日目の朝。
列車は広東省を出発して、夜のうちに湖南省、江西省と内陸の省を通過して、浙江省まで来ていた。
上海まではあと少しだ。

途中、浙江省の省都で、この年世界遺産にも選ばれた西湖を有する有名観光都市、杭州を通過。
ここまで来るともう少しで上海だ。

上海に近づくにつれ、クリーク(運河)が至るところにあって、そこを小さな貨物船が行き交う上海郊外らしい景色が見られた。


午前10時10分。
列車はついに上海駅に到着。
意外とあっというまの寝台列車の旅だった。



上海駅。



上海に到着し、いよいよ旅も終わりに近づいてきた。



■上海で、中国最後の夜

約1ヶ月ぶりに上海に戻ってきた。
思えば6月頭にうちの嫁さんと香港から上海に来て3日ほど過ごして、そこから嫁さんは先に日本へ帰国。
僕は一人、新疆ウイグル自治区のウルムチへと旅立った。

上海駅から宿泊予定の安ホテルへ向かうバスの車窓を眺めながら、
あっという間の旅だったなあとふと思い返した。


とはいえ、まだ旅は終わった訳ではない。
上海から日本へ帰らなければならない。

もちろん、普通は上海から飛行機で日本へ帰国するのだが、
片道航空券は意外と高く、これも予算の都合上断念。

となると、残る手段は「船」しかない。

上海⇔大阪間には、蘇州号というフェリーが就航している。
2泊3日と時間はかかるけども、安上がりで移動するにはフェリーが一番。

蘇州号は、租界時代にイギリスが建てた洋館が並ぶ運河沿いの外灘(バンド)の北側、虹口地区の運河沿いの埠頭から出発する。

まずはチケットを購入するため、埠頭近くのフェリー会社へと向かう。

フェリー会社のある虹口地区へは、外灘から蘇州河に架かる外白渡橋を渡っていく。
外白渡橋は、租界時代にはガーデンブリッジと呼ばれ、この橋を渡ると、かつて租界時代に日本人街を形成していた虹口地区へと入る。

いまも戦前の租界時代の雰囲気を残すガーデンブリッジとその周辺の景観。


左のビルは租界時代に建てられたブロードウェイ・マンション(現・上海大廈)と呼ばれるビル。


フェリー会社に到着し、翌日出発の大阪行きフェリーのチケットを購入。
その際、「チケットは通常、出発の3日前には買わなければならないんですよ!」と文句を言われる。。
まあ何にしても、無事フェリーのチケットをゲットし、帰国の足は確保した。
これで一安心。


その夜、1ヶ月も荷物を預かってくれた友人と食事をした。
友人と旅の話をしながら、改めて今回の旅の一場面、一場面を思い出した。

食事を終えて、ホテルへ戻る途中、上海の夜景を一人楽しむ。



ライトアップされたガーデンブリッジ。



湿った夜風を浴びて、旅の終わりを噛み締めながら、中国滞在最後の夜は更けていった。



■2泊3日、上海⇒大阪 船の旅

今回の旅のクライマックスは、上海から大阪までの2泊3日船の旅。

朝8時すぎ、早起きして、虹口区にある上海港フェリーターミナルへと向かった。
フェリーターミナルは、観光地で有名な外灘(バンド)の北側、高層ビルが林立する浦東地区の対岸にある。

フェリーターミナルの建物は最近移転・改修され、新しい建物となっていた。
ちょっと早く到着してしまったので、ターミナル内は人はまばら。

それでも30分ほど経つと、大きな荷物を抱えた乗客たちが集まってきた。

フェリーターミナルの建物内。



やがて乗客は2列に並ばされて、まずは税関検査が行われた。
といっても、荷物をX線検査機に通すだけで簡単に終わった。

その後、中国の出国審査を行い、パスポートに無事出国スタンプが押された。
これで一ヶ月以上滞在した中国ともお別れ。

出国審査を終えた乗客たちは、バスに乗せられ、フェリーの乗船口まで移動。

黄浦江沿いのフェリーターミナルに停泊している大阪行きの蘇州号。



階段のタラップを登りフェリーに乗り込む。



船内のロビー。



フェリーの乗客は、中国人の学生、日本人の留学生、中国人ビジネスマン、僕のような日本人旅行者のほか、
欧米人旅行者も何人かいた。

割り当てられた部屋は4人部屋で、大阪に仕事に行くという中国人ビジネスマンと同室となった。


出港まではもう少し時間がある。
荷物を置いて、さっそくデッキへと上がり、船からの景色を眺めてみることにした。



他のフェリーも停泊している上海港フェリーターミナル。



かつて、戦前の租界時代には、この辺りに匯山碼頭(Wayside Wharf)と呼ばれる港で、
日本と上海を結ぶ定期船が到着する港だった。

戦前に、多くの日本人が大陸中国で一旗挙げるために日本から船に乗り込み、ここ匯山碼頭に降り立った。
日本の敗戦直前には、上海には10万人以上の日本人が暮らしていたという。

日本から東シナ海を渡って、黄土色に濁った長江河口から支流の黄浦江をさかのぼって、船が上海の街に近づいてくると、
蜃気楼のように、重厚な洋館が建ち並ぶ外灘(バンド)の景色が浮かび上がって見える。



その景色を見たかつての日本人達は、皆声を揚げ、自分達が見たこともない、アジアの中のヨーロッパである
租界・上海に来たことを実感したのだという。

今回は、上海から日本へと、逆のルートを辿っていくことになる。

歴史ある港の対岸には新しく建てられた高層ビル群が見えた。




午前11時。
ボーッ!と大きな汽笛が鳴らされ、いよいよ出港時間。

タグボートが大きな船体を押しながら船はゆっくりと動き出した。



西を向いていた船体はタグボートに押されながら180度回転し、向きを東に変えて、日本へ向けて出発。
フェリーはまずは長江の支流・黄浦江を下っていき、大河・長江の河口へと向かう。




しばらくは上海の市街地の間を抜けていく。



楊浦大橋をくぐる。



長江に近づくにつれ、景色は工業地帯へと変わっていった。



ここは造船所。



狭い黄浦江では、フェリーもゆっくり慎重に進んでいく。
行き交う船も間近に見える。









潜水艦も!



デッキで景色を見るのも少々飽きたので、一旦船内へと戻った。



お腹が減ったと思ったら、お昼がとっくに過ぎていた。

ここで船内で腹ごしらえ。
フェリーには食堂があって、朝、昼、晩、いろんなメニューの食事が食べられる。
値段は少々高め。人民元で支払う。

麻婆豆腐を食べてみた。


うーん、味は大したこと無いな。。
それでも、窓から外の景色を見ながらの食事は楽しかった。


やがて船は川幅が急に広くなっている場所に到着した。
ここは、長江との合流地点のようだ。




天気が悪いせいもあるけど、川幅が広すぎて当然向こう岸なんて全く見えない。



黄土色に濁っているが、まるで海のよう。



大河・長江は、中国では重要な運河の役割もあって、数千キロ上流の大都市・重慶までさかのぼってく船もある。
長江河口付近は多くの船が行き交っていた。



やがてフェリーは長江を離れ、東シナ海へと入っていった。
もう陸地は見えなくなってきている。

これで中国大陸とはお別れだ。
でも、長江付近は海に出てもまだ黄土色に濁ったままだ。

夕方、ずっと曇っていた空が少し明るくなり、沈む夕日がうっすら見えてきた。


せっかくの船旅、天気が回復するのを願いつつ、1日目が終了。



■ついに日本へ

船旅2日目。
期待とは裏腹に、空は厚い雲に覆われ、雨も降っていた。



船は東シナ海を九州へ向けて進んでいた。

中国の近くでは黄土色に濁っていた海は、すっかりもとの青い海になっていた。



2泊3日の船旅、中日の2日目が一番ヒマになる。。
天気が悪くデッキで海を見ながら優雅に日向ぼっこ…などできる訳もなく、やることがなく昼間はずっと無駄にゴロゴロ過ごした。

時おり窓から外の景色をのぞいてみたが、海のど真ん中を進んでいるため、変わり栄えのない、どこまでも続く水平線の景色だけだった。


夕方、ふと窓から外を見ると、遠くにうっすら建物が見えてきた。

「陸地だ!」

思わずデッキへ出て、外の景色を見渡した。
同じように陸地を見つけた乗客たちもデッキへ出てきていた。

やっぱり人間は陸の生き物。
360度海に囲まれた状況にいた後、陸地を見つけるとなんだが嬉しい気持ちになってしまう。

そしてこの陸地は、まぎれもなく祖国・日本の地だ。


聞くと、どうやら北九州の工業地帯近くを通っていて、ここから関門海峡を通過し、瀬戸内海へと入っていくという。






陸地が間近に見える。
ここは門司の街並み。関門海峡は非常に狭く、一番狭い場所で幅が500mほどしかない。


だから福岡県の門司の街と、山口県の下関の街並みがすぐ目の前に見えるのだ。


ヤマダ電機!懐かしい。。たかがヤマダ電機が見えただけでテンション上がってしまった。



中国人の船員さんたちも外の景色を眺めて楽しんでいた。



関門海峡の一番狭い場所に、関門海峡大橋が架かっている。



関門海峡大橋を通過。



関門海峡を通過すると、ここからは瀬戸内海。
瀬戸内海を過ぎれば、大阪湾へと入り、いよいよ大阪へと到着する。



と、瀬戸内海へ入ったところで日没。
旅はいよいよ最終日へと入ってきた。



■旅の終わり…、帰国の途に着く

船旅3日目。
そしてこの旅最後の日。

船は朝9時には大阪港へと到着する。
なので、早起きをして荷物の整理など準備をした。

デッキへ出てみると、この日も天気は悪かったが、ちょうど明石海峡大橋が目の前に見えていた。



世界最長の吊橋である明石海峡大橋は、間近で見ると巨大でかなりの迫力。



真下を通過!


この旅最後の見所となった。


明石海峡大橋をくぐると、そこはもう大阪湾。
神戸の街並みを左手に見つつ、しばらく進むと、いよいよ目の前に大阪港が見えてきた。



大阪港に近づくと、船は速度を落とし、ゆっくりと港へと入っていった。

大阪南港の街並みが見える。



乗客は船の係員の指示で、全員船のロビーへと集められた。
ここで、乗客一人一人に番号の書いたカードが渡された。

午前9時。
船は大阪南港の国際フェリーターミナルへ接岸。



船の入口にタラップが架けられ、それと同時に制服を着た10名ほどの人達が乗り込んできた。
ここで、まず検疫検査が行われるのだ。
といっても、特に何もすることなく、先ほど渡されたカードを戻して、そのまま下船となった。


ついに大阪に到着。



下船のあと、すぐにイミグレーションで入国審査が行われる。
中国人はなにかと時間がかかっているようだったが、日本人の僕はあっさりと入国スタンプを押されて終了。

続いて税関の検査は、バックパッカーはよく調べられたりするのだが、今回は特に何も無くあっさり終了。

これでついに完全帰国!
長い旅もここで終了だ。


南港の国際フェリーターミナルからは無料バスで最寄の地下鉄コスモスクエア駅まで行く。
地下鉄中央線に乗って実家へと向かった。

電車の中は、中国のように大声でわめく人もおらず、静かで快適。
でも逆に汚らしい格好でバックパックを担いだ僕はめちゃくちゃ浮いていた。。

まあそんなことは気にせずに、1時間後、無事実家へと帰還した。


が!!
家は留守中で誰もいない。鍵も閉まっている。。
3日前の上海を出発するとき、母親に帰国の連絡を入れていたはずだが…。

家族に電話するが出てくれない。。
家族から忘れられた存在になっているのか??

家に入れず、中学生の時以来の締め出しを食らった…。

仕方なく、近くのマクドナルドでボーッと過ごし、家族と連絡がつくまで待つ。

遠足でも旅でも、家に帰り着くまでが旅である。
長い長いシルクロード旅は、そんなことでなかなか終わらせてくれなかった。。


そして2時間後、やっと母親と連絡がつき、なんとか家に入る事ができ、
これで正式に旅がすべて終わったのでした。


(おしまい)


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6 コメント

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Unknown (ST)
2012-08-27 00:06:53
数年前に広州に住んでましたが、今の東站のリニューアルっぷりに驚きました・・・

そしてまさかの蘇州号、懐かしすぎます
荒波の中卓球をやってました
二階のレストランは何食べても美味しくなかったような気が・・・

なんにしても長旅お疲れ様でした
またこんな紀行文読んでみたいです、楽しかったです☆
返信する
Unknown (new-beatle)
2012-08-28 18:21:32
コメントありがとうございます。

広州は2010年のアジア大会開催にあわせて地下鉄などインフラがかなり整備されて住みやすくなったみたいですね。

蘇州号、卓球台ありました!
中国人の学生さん達がずっとやってて盛り上がってましたね。

長い旅日記、読んでいただいてありがとうございました。
過去にも短い期間の旅行ですが中国中心に色々旅日記書いてますのでお暇な時にでもぜひ見ていただけると嬉しいです。
返信する
Unknown (雪だるま)
2015-10-06 20:30:00
シルクロードの旅を検索してこちらに辿り着きました。2日間で急ぎ足で読みましたが、最後の香港から大阪にかけての件は勝手ながら読み手の自分も旅の終わりを切なく感じました。

幼い時にマルコポーロの伝記を読んで以来シルクロードに惹かれています。いつか旅してみたい・・・でも中国語はサッパリです。英語はOKなのですが。

楽しく読ませていただきました。ありがとうございました!
返信する
Re:Unknown (new-beatle1978)
2015-10-08 10:03:34
シルクロードの旅日記を全て読んで頂いて、ありがとうございます。
私が行った場所は景色も人も皆素晴らしく一生の思い出となりました。また行きたいのですが、すぐには行けない場所なのが残念です。言葉はウイグルの奥地へ行くと中国語も通じなくなるので大丈夫ですよ。ぜひ旅してみて下さい。
返信する
Unknown (Unknown)
2016-10-01 16:52:45
はじめまして。
幼いころに楼蘭の美女を博物館で見てシルクロードにロマンを感じたものでした。

忙しい日々にすっかり忘れていたのですが、最近になってふと思い出し、「シルクロード 旅」などで検索をかけ、色々見て回っているうちにこちらのブログにたどり着きました。(NHK特集のDVDセットは高すぎて手が出ず…T_T)
この一週間、4人旅編から一人旅編までを毎晩見ては寝落ち(笑)の日々...もう楽しくて楽しくて止まらなかったです。
素敵な写真や気候の説明、歴史の解説も多く、臨場感たっぷりで私もすっかりその場にいるような気分になりました。
ウイグルの民家の様子はなかなか目にすることができない貴重な情報ですね、感激です!
本当に素敵な疑似旅行体験をありがとうございました!
返信する
Re:Unknown (new-beatle1978)
2016-10-03 07:08:25
コメントありがとうございます。
いまは私も帰国して、遠いし簡単には行けないですが、また行きたいと思える素晴らしい場所でした。
返信する

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