■タシュクルガンで中国を出国
いよいよこの日は中国を出国して、パキスタンの国境の町スストを目指す。
タシュクルガンの朝は寒い。
6月も中旬に差し掛かっているこの日でも朝の気温は10度以下。
でも空を見上げると雲ひとつない青空が広がっていて、さわやかな朝だ。
そんな朝をちょっと早起きして、1晩泊まった交通賓館をチェックアウト。
カラコルム・ハイウェイ沿いを歩いて、街外れにある出入国管理局の建物へ向かった。
パキスタン・ススト行きの国際バスは出入国管理局の建物から出発するのだ。
カラコルム・ハイウェイは一直線にパキスタン方向へ延びている。
ここから先は出国手続きをしてからでないと進めない制限エリアとなる。
そびえ立つ雪山を越えた先が、中国・パキスタン国境のクンジュラブ峠だ。
朝9時半ごろに出入国管理局の建物へ着いたが、まだ誰もおらず建物も閉まっている。
辺りは閑散としていて、妙な静けさが漂っていた。
近所の住民が犬を連れて敷地内で散歩させたりしていて、国境の出入国手続きを行う場所という緊張感は感じられない。
ホントにここからパキスタン行きバスが出るのか?と不安になるが、しばらくすると、2人組の漢族の男たちが
たくさんの荷物を抱えてやってきた。
聞くと、パキスタン側のカラコルム・ハイウェイ工事関係の仕事でパキスタン・スストへ行くらしい。
10時を過ぎても出入国管理局の建物は開く気配が無かったが、同じくパキスタンへ行くであろうパキスタン人も
何人か集まってきた。
そして10時半ごろ、制服を着た職員らしき人が数人、建物の鍵を開け中へ入っていった。
しばらくして建物の扉が開いた。中へ入ると、職員からまずバスのチケットを買えと言われ、チケットを購入。
スストまで225元(約3,000円)。
バスのチケット購入時にパキスタン入国ビザの有無のチェックがあるかもしれないと、ちょっとドキドキしていたが、
まったく何のチェックも無く購入できた。
そしてすぐさま税関検査エリアでX線検査器に荷物を通し、税関チェック終了。
X線検査器を通ってすぐに出国審査を行う審査台があり、ここでパスポートをチェック。
パスポートには、「紅其拉甫」(クンジュラブ)の文字の入った出国スタンプが押された。
上が香港を出発して上海(浦東空港)で入国した時のスタンプ。下が押されたばかりの「紅其拉甫」スタンプ。
審査官が新人さんのようで、ぎこちない手つき。
貴重な「紅其拉甫」出国スタンプが反対向きに押されてしまった。しかもブレて字が見えにくいし。。
日本人はここ中国でも信用されていて、出国手続きはものすごくスムーズに終了。15分ぐらいで終わった。
まわりの中国人やパキスタン人の誰よりも早く出国手続きが完了した。
パキスタン人は荷物やパスポートなど色々入念にチェックされて時間が掛かっているようだった。
改めて、海外での菊紋が描かれた赤いパスポートの威力、というか信用度の高さを感じる。
日本人でよかった。
出国審査を行った後、パスに乗る乗客すべてが出国審査を完了するまで建物の外で待たされた。
しかも手続き上、出国済みのため自由に行動できず、公安の兄ちゃん2人が勝手にどこかに行かないように僕らを見張っていた。
トイレに行こうとすると、勝手に行くな!と注意される。
それを知らずにどこかへ行こうとしたパキスタン人に、公安の兄ちゃんは「Stay here!!」とカタコト英語で怒鳴っていた。
なかなか全員の出国審査が終わらず、僕を含め外で待たされている人らは暇をもてあましていた。
それで、2人組の漢族の男たちや公安の兄ちゃんとおしゃべり。
公安の兄ちゃんは山西省出身でまだ20歳代前半らしく、最低2年間はこの辺境の地タシュクルガンで勤務しなければならないらしい。
漢族の男が、ずっとここで働きたいか?と聞くと、公安の兄ちゃんは即座に「まさか!?こんなところ早く脱出したいよ。」
と、即否定していた。中国人にとってもこの辺境の地での勤務は過酷なのか。
さて、1時間以上待たされただろうか。乗客全員の出国審査が終了。
やっとこれから乗るバスも登場した。バスはパキスタン製のオンボロバスだった。
NATOCOというパキスタンのバス会社が運営するバスで、運転手もパキスタン人のおっちゃんだ。
乗客はパキスタン人6名、中国人2名、そして日本人の僕1名の計9名のみ。
バスの車中は埃っぽくて汚れている。。
乗り込むとすぐに、中国とは違う匂いや雰囲気を感じた。もうここからはもう中国ではない、パキスタンなのだ。
パキスタン人たちが大きな荷物をたくさん車内へ持ち込み座席を占領してしまったため、仕方なく後ろの方の席に座ることに。
正午12時すぎ。
入管職員が一人バスに同乗し、バスは入出国管理局を出てタシュクルガンを出発した。
■カラコルム・ハイウェイを走り、国境のクンジュラブ峠へ
タシュクルガンのイミグレを出発したバスは、一路、中国・パキスタン国境を目指して走り出した。
しばらくは、なだらかな草原の高原地帯を進んでいく。
※ここから先の写真は、青いフィルムが貼られたバスの窓から撮っているので青みがかってます。
この辺りは遊牧民が放牧をしていて、遊牧民たちが暮らすテントをよく見かけた。
広い草原が広がり、穏やかに時間が流れている外の景色に見入ってしまう。
途中下車してこの辺りを散歩してみたいなと思うけど、ここはすでに制限エリアで住民以外は立ち入ることはできない。
さて、バスはカラコルム・ハイウェイを順調に進む。
道路はそれなりに幅も広くしっかり舗装されていて、とてもスムーズに走行できる。
中国がこの道路を重要視しているのがよく分かる。
時折、道路の脇をチョロチョロ動く動物を見かけた。なんだろう、この動物。
しばらくなだらかな高原地帯を走った後、バスはいよいよ山道を登りだした。
九十九折の道が延々続く。
バスは検問所で一旦停車。タシュクルガンのイミグレで同乗していた職員だけが降りて、再びバスは国境へ向け走り出した。
写真中央に見えるのが検問所の建物。周りに何もない僻地で働くのも大変だな。
高度がぐんぐん上がっていくのが分かる。空が近くなってきた。
標高7000m級の高山に囲まれたカラコルム・ハイウェイをさらに進んでく。目指すは国境のクンジュラブ峠。
ひたすら山道を登り続けた後、再びなだらかな道を進みだした。
すると、車窓から「中国」と書かれた石碑が立っているのが見えた。
ここが国境だ。
ついに中国とパキスタンとの国境、クンジュラブ峠に到着した。
クンジュラブ峠は、中パ国境となる峠で、標高4693mの高さに位置している。
富士山より余裕で高い場所にある峠だ。
国境を通る舗装道路としては、世界一高い場所でもある。
石碑の目の前には、中国が建てたデカイ門の形をした建物があり、バスはそこをくぐる。
そして門をくぐると、「PAKISTAN」と書かれた石碑が。
ここからいよいよパキスタン入国だ。
国境を越えパキスタン側へ入ったところにゲートがあり、そこを通った後バスは停車。
ここではまだ入国手続きは行わず、休憩のみ。
バスを降りて外の空気を吸う。
風はあまりないが、空気がとても冷たい。
そして空気の薄さを感じるが、高山病になる気配はなかった。
高山病といえば、4年前のチベット旅行を思い出す。
あの時は標高5000m以上の峠を越えたっけ。そして思いっきり高山病になって死にそうになった。。
今となっては良い思い出。
標高約4700mのクンジュラブ峠の景色。
思えば学生の頃、テレビでこのカラコルム・ハイウェイを特集したドキュメント番組を観て、
カラコルム・ハイウェイ、そしてクンジュラブ峠の存在を知った。
荒涼とした大地を進むトラックの隊列を見て、シルクロードのラクダの隊列と重ね合わせ、
いつか、この現代のシルクロードとも言うべきカラコルム・ハイウェイを通ってクンジュラブ峠を越えてみたいと思っていた。
そして今、長年思い焦がれていたカラコルム・ハイウェイ、そしてクンジュラブ峠に立っているのだ。
■悪路のカラコルム・ハイウェイ
15分ほどの休憩の後、再びバスは出発。
峠を越えると今度は下り坂の山道を進んでいく。
中国領からパキスタン領へ入ると、一つの大きな違いに気づいた。
道路が、舗装から無舗装の砂利道に変わったのだ。。
整備がしっかり行われていない砂利道のせいで、バスはひどい揺れ。
さらに場所によっては雪解け水が作った川が道路に流れ込んでおり、バスは勢いよく流れ込んでいる川を渡っていったりする。
クンジュラブ峠近くの氷河。
周りの景色も中国側とは違っていた。
中国側はなだらかな草原の高原地帯が続いていたけども、パキスタン領に入ると草木はまったく見当たらず、
切立った岩山が延々続く荒涼とした景色へと変わっていった。
砂利道のカラコルム・ハイウェイの道のりも当然険しくなる。
ガードレールも何もない谷あいの道を進む。一歩間違えれば谷底へまっしぐらだ・・・。
殺伐とした景色が続く。
西遊記じゃないけど、妖怪が出てきてもおかしくないような雰囲気だ。
砂利の山道を進んでいくと、至る所で道路の補修工事が行われていた。
補修工事を行っている箇所は、道無き所に無理に仮設の道を造っているため、ひどい道だ。
さらに崖崩れも頻繁に起こっている様で、崩れてきた岩や石ころが道路の半分以上を塞いでいたりする。
崖崩れのため、カラコルム・ハイウェイは頻繁に通行止めになるらしい。
カラコルム・ハイウェイは、「ハイウェイ」とは名ばかりの、とんでもない悪路だった。
そんな悪路を通るのだから、バスの揺れはハンパない。
激しい揺れに座席の背もたれに寄りかかることもままならない。
古くボロいバスのためサスペンションの状態が悪く、さらに揺れが勢いを増す。
しっかり捉まっておかないと、気を抜くと激しい揺れで飛んでいきそうになる。
さらに砂利道から巻き上がる砂ぼこりがバスの中にも入ってきて、車内が埃だらけになっている。
そんな状況が延々何時間も続いたのだ。
もう体はボロボロ・・・。
車窓の景色を眺めている余裕はとっくに無くなってしまった。
中国側のカラコルム・ハイウェイは舗装がしっかりしていてとてもスムーズだった。
パキスタン側のこの状況を見ると、なんだかんだ言っても中国は大国であり、中国とパキスタンの国力の差をはっきり感じる。
パキスタン側のカラコルム・ハイウェイのこんな状況を改善すべく、中国の援助で大規模改修工事が行われている。
その工事を行っているのは、ほとんどが中国企業で、現場で働く労働者もすべて中国人だ。
バスに同乗している漢族の男2人も、パキスタンでカラコルム・ハイウェイの工事に関わる仕事をしていて、
工事箇所で同国人を見つけると、窓を開けて「オーイ!」と声をかけていた。
アフリカなどでもそうだが、中国が他国を援助する時は、自国の企業、さらに労働者まですべて自国から連れてきて、
援助国に何の恩恵を与えず、逆に地元民の反感を買うということが多々起こっている。
この中国の援助で行われているカラコルム・ハイウェイ工事もそんな構図なのだろうか。
そんな悪路のカラコルム・ハイウェイでも、荷物をたくさん積んだトラックが悲鳴を上げながらも何台も通っていく。
カラコルム・ハイウェイは中国・パキスタンにとって物流の大動脈でもあるのだ。
死ぬほど辛い悪路のカラコルム・ハイウェイを、まだかまだかとススト到着を期待しながら、バスは何とか進み続けた。
やがて、バスは道路を塞ぐゲートの前で停まった。その横に山小屋のような小さな建物がある。検問所のようだ。
この辺りは自然保護のため国立公園に指定されていて、ここを通るパキスタン人、中国人を除く外国人は
入園料を支払わなければならない。
しかし、パキスタン人のバスの運転手は、乗り込んできた検問所の係員に「乗客はパキスタン人と中国人だけだ!」と伝えて、
そのまま出発してしまった。
運転手は日本人が一人乗っていることは知っているはずだが、手続きするのを待つのが面倒くさかったのだろうか。
なんにしても、お金払わなくてラッキー。
検問所を過ぎると、目指すスストももう少しだ。
そしてクンジュラブ峠を越えパキスタン領内に入ってから約4時間。
悪路のカラコルム・ハイウェイを走り、ものすごい揺れに延々耐え続け、やっとスストの町へと到着したのだった。
■スストでのパキスタン入国手続き
中国時間午後5時45分、パキスタン時間午後2時45分。
バスはスストの出入国管理局の建物横の広々とした駐車場で停まった。
激しい揺れが延々続き、乗っていた時間以上に長く感じた中国・パキスタン国際バスの旅だった。
乗客はバスを降り、それぞれの荷物を抱えて建物の前まで移動。
建物の前には税関職員らしき男たちが数人立っていて、ここに大きな荷物を置いて建物の中で入国手続きをしてこいと言う。
言われるまま、背負っていたバックパックを置いて建物の中へと入った。
建物の中に入ると入国カードを渡される。
パキスタンの公用語ウルドゥー語と英語が併記されているが、どのように記載するか戸惑っていると、
近くにいたパキスタン人職員が「パスポート貸せ、俺が書いてやる。」とスラスラと書いてくれた。
入国カードを持って入国審査を行う部屋へと向かう。
タシュクルガンから一緒に来た漢族の男二人がちょうど入国手続き中で、パキスタンのビザなどを確認され、
問題なくすぐに終了。
そしていよいよ自分の番だ。
パキスタンの入国ビザを持っていないのでちょっと不安。
でも事前に調べた情報通りであれば、ちゃんとアライバル・ビザを発行してくれるはずだ。
ドキドキしながら入国審査官にパスポートと入国カードを渡す。
入国審査官は無表情でパスポートの顔写真ページを眺め、ペラペラとページをめくっていく。
そして、「パキスタンビザは?」と聞いてきた。
予想通りの質問。
もちろんビザは無いので「持ってないです。」と答えると、
無表情のまま「Why?」と強めの口調で言った。
えっ!?「Why?」って?
ビザ持ってなかったら自動的にアライバル・ビザを発行してくれるんじゃないの?と、焦る。
「ここでアライバル・ビザが取得できると聞いている。」と答えるが、審査官は相変わらず無表情でパスポートを眺めている。
しばらく沈黙の時間が過ぎた。
アライバル・ビザ取得は無理なのか・・・、このまま入国できずに中国へトンボ帰りなのか・・・、という事態が頭をよぎった。
するとその時、すぐ近くにいたパキスタン人の男が、「パキスタン・ビザ?」と声をかけてきた。
税関職員や入国審査官は、ちゃんとした制服を着ているが、この男は一般のパキスタン人男性が普通着ている
シャルワール・カミーズというシャツの裾が長くゆったりしたズボンの服を着ていて、要は普段着の格好だった。
この男は何者??と思っていると、「アライバル・ビザはこっちだ。」と廊下を挟んで向かいの部屋を指差した。
そして、男は入国審査官からパスポートを取り上げ、僕を連れて別の部屋へ入っていった。
男は書類が山積みになっている大きな机の席に座り、「まあ、座りなさい。」と、机の前の椅子に僕を座らせた。
「アライバル・ビザを発行するから、この書類に必要事項を記入しなさい。」と言って、一枚の紙が渡された。
書類には、名前や生年月日、パスポート番号などのほか、職業や父親の名前まで書く欄があった。
「顔写真を持っているか?」を聞かれたので、ビザ用に事前に用意していた顔写真を2枚渡す。
書類を書き終わり、男へ渡す。
男は書いた書類を見ながら、一枚の小さな紙に転記していく。
どうやらこの小さな紙がビザのようだ。
ビザの紙に必要事項を書き終わったところで、男は机の引き出しから糊を取り出し、ビザの紙の裏側に塗って、
僕のパスポートへ貼り付けた。
中国ビザもそうだけど、多くの国のビザの用紙は裏がシールになっていて、パスポートにキレイに貼り付けられるのだが、
このビザはただの紙。糊でビザをパスポートに貼り付けられたのは初めてだ・・・。
ちゃんと糊を付けていないので、角がペラペラと剥がれやすくなっていて、気をつけないと取れてしまいそうだ。
ビザを貼り終わると、「Immigration Check Post, Sost. Visa Issuing Office」と書かれたスタンプを押された。
そして、パスポートを返却してくれた。
どうやら無事、アライバル・ビザを取得できたようだ。
ビザを取得できたところで、再び入国審査官の部屋へ行く。
審査官はビザのページをチラッと見ただけでパスポートに入国スタンプを押した。
これですぐに手続きは終了した。
これでパキスタンに入国できた。よかったー!ホッと一安心。
部屋を出ると、先ほどアライバル・ビザ発行手続きをしてくれた男がいて、こっちへこいと言う。
一安心したところで、また何か問題か??と不安になる。
部屋にはもう一人の男がいた。鼻の下に立派な髭を蓄えている。
「こいつは俺の友人だ。」とアライバル・ビザを発行した男は髭オヤジを指差して言った。
髭オヤジは、「君は今日泊まるところを決めてるか?よかったら俺のホテルに泊まらないか?」と言ってきた。
なんだ、ホテルの勧誘か。またビザ関係でイチャモンをつけらるのかと思ってビビってたので、妙に力が抜けた。
どうせスストには1泊だけしかしない。明日の朝にはフンザへ向けて出発する。
なのでホテルはどこでもいいやと思っていたので、この髭オヤジの誘いに乗ることにした。
髭オヤジは「こっちだ。」と言って僕を建物の外へ連れ出した。
そこには、僕のバックパック一つがポツンと置かれていて、その前に税関職員一人が立っていた。
一緒にバスに乗って到着した中国人やパキスタン人はとっくに手続きと税関の検査を終え、
すでにみんな出発していなくなっていた。
それでまだ税関検査を終えていない僕のバックパックだけが残され、税関職員が見張っていたのだ。
これから税関検査で荷物をカバンの中から全部出されて細かく調べられるのか・・・、と憂鬱になっていると、
髭オヤジは、僕のバックパックを担いで、「さっ、行くぞ!」と言った。
「税関の検査はしなくていいの?」と聞くと、
「大丈夫、大丈夫。俺があいつに話をつけといたから検査は無しだ。」と、親指で税関職員を指しながら言った。
「あいつは税関職員のクセに酒の密輸をやってるんだ。ワルだろ?」と、髭オヤジは笑いながら言った。
(ちなみに、厳格なイスラム教国パキスタンでは一般的に飲酒は禁止されている)
■カレーの国パキスタンでカレーを食す
髭オヤジの名前はサリームという。
サリームに連れられて、BADAKHSHAN Hotelという名の、一軒の小さなホテルに到着した。
ホテルは「ロ」の字型で真ん中に中庭があって、その周りに部屋が並んでいる。
いくつか部屋を見せてもらい、一番キレイそうな部屋を選び、そこに泊まることにした。
部屋は広くないがベッドが2つあり、トイレが併設された小さなシャワールームがあった。
「シャワーはお湯が出る?」と聞くと、「すまんが、今は出ない。」と言う。
うーん、部屋代安いから仕方がないか。
部屋に荷物を置いて、やっと一息。
ベッドに横になると、全身に疲れを感じた。
初めて訪れた国パキスタンに来て、体力的にも精神的にも消耗していた。
そこへサリームがまた登場。
「晩飯食べるか?」と聞いてきた。
「カレー、ピラフ、なんでもあるぞ。」という。
そうだった、パキスタンといえばカレーだ。カレーの国に来たんだ。
迷わず「カレーが食べたい。」と伝える。
カレーはチキン、マトンなど何種類かあって、その中で北インド・パキスタンでは一般的なダール(豆)カレーを注文。
「出来上がったらまた呼びに来るから。」と言って、サリームは部屋を去っていった。
約20分後、サリームが再び部屋へ来た。
「できたから、食堂に来い。」と言う。
食堂へ行くと、皿に盛られたダール・カレーと大きなナンが2枚、テーブルに置かれていた。
そういえば、この日朝に中国・タシュクルガンを出発して何にも食べてなかった。
おいしそうなカレーとナンを見て、かなり空腹であることを思い出した。
大きなナンをちぎって、ダール・カレーにつけて食べる。
パキスタンに来て初カレー。
うまい!さすが本場。
カレーは思ったほど辛くない。たくさん入った豆が味をマイルドにしている。
ナンもモチモチしててしっかりとした生地だ。
空腹だったためか、あっという間に平らげてしまった。
食後、ホテルを出てスストの町を歩いてみた。
スストは、カラコルム・ハイウェイ沿いにバラックや薄汚れた商店が並ぶ、なんとも殺風景な町だ。
ただ国境の町というだけで、見るべきところもない。
町で見かけるのは、不思議と男だらけで、女性の姿を見ない。
パキスタンは保守的なイスラム教国。
一般的に女性は必要時以外は外出せず、家の中にいることが多い。
さらにスストという町自体、女性がほとんどいないようだった。
カラコルム・ハイウェイの工事関係者や、トラックの運ちゃんなど、野郎だらけの町のようだ。
遠くに雪を被った美しい雪山が見えた。
歩いていても面白くないので、ホテルへ早々と戻った。
まだパキスタンに着いて何時間かしか経っていないけども、
今までいた中国とはすべてが違う、どこかユルいパキスタンという国にまだ慣れずにいた。
中国・北京時間とパキスタン時間の時差は3時間。パキスタンが3時間遅い。
中国との時差と、この日の移動の疲れ、そして慣れないパキスタンの雰囲気に疲れがどっと出てきた。
ベッドで横になると急に眠くなり、早めに就寝することにした。
翌日はスストを出発。
さらにカラコルム・ハイウェイを進み、目的地の桃源郷フンザを目指します!
(つづく)
【追記】
1.スストでのアライバル・ビザは、パキスタン中央政府が正式に発行しているものではなく、
地方政府のギルギット・バルティスタン州政府が独自に発行しているものらしい。
言ってみれば非公式のビザということになる。 それで今回、入国審査をした審査官は中央政府の役人で、
アライバル・ビザを発行した男は地方政府の人間だと思われる。
2.情報によると、2011年10月ごろからスストのアライバル・ビザは発行されなくなった模様。
パキスタン中央政府がテロ対策で外国人の出入国を厳格に管理し始めて、地方政府が勝手にビザを発行させないようにした。
それに伴い、中国・タシュクルガンのイミグレで出国の際パキスタン・ビザの有無をチェックされるようになり、
現在はパキスタン・ビザが無ければ中国・タシュクルガンから出国できなくなったようだ。
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中国とパキスタン、さすがに違いますね、いろいろ。
タシュクルガン辺りの国境警備の人員の為の 冬の
燃料を ゴツい灰色の 軍のトラックでガンガンと運ぶ
風景を見ましたよ。 もう何台も何台も カシュガルの更に
西のウパール村の のどかな風景の中を かき乱す
ように列を成して進むのです。
大粒の石炭が山のように積まれていました。
国境付近は凄く寒いからでしょうね~。