自分が願うような人生の進み方というのは少ないのかもしれない。
なんとなく悪い兆しがボクの前に現れている。それはとてもつらい。
でも、仕方のないことなのかもしれない。
ボク自身がそれを招いたともいえるのだから。
とにかく、流れに身をゆだねて生きるほかはない。
自分が願うような人生の進み方というのは少ないのかもしれない。
なんとなく悪い兆しがボクの前に現れている。それはとてもつらい。
でも、仕方のないことなのかもしれない。
ボク自身がそれを招いたともいえるのだから。
とにかく、流れに身をゆだねて生きるほかはない。
リハビリの書き物をした。
文章にキレがない。
まあ仕方ないだろう。久々だし、薬だって飲んでいるのだ。
朝は比較的安定してきている。過眠は前よりはましだ。
ちゃんと普通の人間に戻れるのだろうか。妖怪人間ベムとかの気持ちになってしまう。
戻れなかったら戻れないで、それも仕方ないことだが。
頼まれて軽い仕事のようなことをしている。
精神科医の神田橋先生も言っているが、双極性障害の個性は「移ろいやすい」「気分屋」であることで、ものごとを「完成」させようとしてはいけないという話だ。「気分屋的に生きれば気分は安定する」というのが神田橋先生の標語だ。
だから今回の頼まれ事も、100%を目指すのをやめてやっている。
意外にクライアントの要求は100%ではなく、結構適当なのだ。だからボク自身も適当でできる範囲で良いのだと思う。
そうであっても、随分集中力は落ちたなと自分でも感じている。まあ、それはそれで仕方ない。
精神障害とされる病気は目に見えない。
たとえば事故で足を失った人は物理的に足が存在しない。癌という病巣を持つ人は、いまの高度医療の中では3次元的にも病巣を見せられることもある。可視化できるのだ。
しかし精神障害は可視化することができない。これは病気を患っている当事者もそうであるし、周囲で看病する家族もそうである。
可視化できない、あるいは病気と健常のラインが見た目には極めて曖昧な病気とつきあわなくてはならない。
今日も「なんでこんなことをできないのだろう?」と自分自身思っていたが、ボクは病人なのだ。薬を飲んで脳の働きを抑制している。自殺未遂するくらい重い病に罹っているのだ。
できないことも進まないことも多くて当たり前なのだろう。
たぶん気分安定化薬だったり、抗精神病薬だったりの影響だと思うのだが、能力・理解力が落ちている感じがする。
この間、友人にHP制作について訊かれて、いろいろと調べていた。
一昔前の、HTMLよりはいまのHPは進化している訳だが、CSSだったりPHPだったり、とにかくHTMLタグや言語を見ていても、頭の中でこんがらがっているのだ。
それで「ちょっと集中して」と思うのだが、その「集中」ができない。
「集中」とは言い換えれば「脳の興奮」なのかもしれないので、そもそもそれを抑えようとしている薬を飲んでいるのだから、こうした反応は当然なのかもしれない。
双極性障害とは別のHPに関する全く別の話だが、WEBのソース言語を見ていると、きれいな文章を書く人とそうでない人がいる。ソースはあくまで裏方であるから、ソースが汚いからといってWEBの見栄えが悪いわけじゃない。
けれどきれいなソース文章を見ると妙に感動する。
ただ問題なのはきれいなソースを書く人に限って、見栄えは結構淡泊だったりする。無駄をなるべく削ろうとする性格なのだから当然なのかもしれない。