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日々触れる情報から様々なことを考え、その共有・一般化を図る

【エッセイ第7回】近代自我の「上京物語」とその後~東京という場所(1)

2005-06-18 22:18:50 | エッセイ
私は地方出身者で、東京に大学進学で上京してもう10年以上になる。その「東京」でも都心寄り、山手線の内側でずっと同じ場所に住み続けている。

先日、私同様地方出身者で大学時代に知り合った友人と話していたら、「なんでお前東京にずっといるの?」と訊かれた。彼は、彼自身のキャラクター(人となり)や人生プランからして、もういい加減東京から離れたいらしく、それがあってそう私に尋ねた訳だ。

こういう非日常的な問いを振られた場合は、ストーリーの流れからして「いつになく」とか「珍しく」考え込んでしまった・・・とフツーはなるが、私は変な人間なので「毎度のように」考えていることを文章化してみた。

勿論、理由・原因は一つに集約できるようなものではなく、内的にも外的にも複雑に絡み合っている。

まず、「ずっと住み続けていた」し「今も住み続けている」のは、私がネコのように自分の家を中心に据えた縄張り意識が結構強いからだろう。人間誰しもソトとウチでは仮面を意識的につけかえるものだが、私はとりわけその傾向が強い。
プライド高くて見栄っ張りのくせに大雑把で適当なダメ人間だから、ソトである程度常識的な人間を演じていても、ウチではグダグダである。言い換えると、私は自分自身の「非常識性」を、非常識性ゆえにソトでは包み隠すことに多大なエネルギーを費やさなければいけないので、ウチでは文字通り緊張の糸がプチンと切れて反動で余計グダグダになる。(私がこれで身だしなみもより気にしなければならない「女性」性だったら、とうに胃潰瘍になっていたかもしれない)
そういう性質ゆえに、グダグダを可能にする自分の家・部屋に対する執着は強く、住環境の良さ云々ではなく、一ヶ所に住み続けて自分の部屋に自分の履歴を重ねれば重ねるほど、引越しなんて考える気が失せるってことだ。

成長や経験という観点からすれば、私もまだ「老人」ではないし、ガンコに一ヶ所に定住するより、種々多様な土地で生活してそれぞれの土地の固有の文化に触れる方が視野が広がっていいとは言える。


言えるのだがしかし、ここで漸く「東京」という場所の特性のお話になる。(上の段まではあくまで私が定住を好む理由、「ずっといる」ことに対する説明である)

東京は言うまでもなく日本の首都であり、行政の中枢であり、一応現在の文化の中心・発信源でもあり、日本最大の都市であり、全国から人が集まる都会である。

もっとも、私が上京したのは東京の大学に受かって、その後もういいやで関西の大学は受けなかったからで、受験の日程が関西の大学の方が早くてそっちに先に受かってしまっていたら間違いなくそのまま関西に行っていた。当時は、とにかくまず「地元・親元」を離れたいってのが先にあったから、東京に拘っていた訳ではない。

ただ、実際都心寄りの今の場所に住んでみて、元々定住志向があったことを差し引いても、私には東京での生活が「しっくり嵌った」。
現在の東京という都会は、成り立ちからしても性質からしても、正に「人工」の都市である。人工ということは、「自然と闘わなくてもいい」以上に、人間が無理矢理その場所を都会に「している」のだから、そこに人が住むべき・集まるべき「必然性が(余り)ない」ってことでもある。なんせ江戸時代が始まる以前は東京なんて何もない未開の地だったんだから。そこに権力でもって「中心」という概念を作り浸透させることで、東京は発展してきた。

必然性が少ないということは、東京に集まってくる個々人のレベルで言えば、必然性を与えるのは「自分」でしかない。上京するまでは「中心だから何か得られるに違いない」という錯覚で何とかなるけれども、実際に来てしまうと、「得られる=与えてくれる」期待は大抵早々に打ち砕かれる。
モノも文化もとりあえずふんだんに揃っているから、刺激は確かに沢山ある。ただどこにいたって最低限の「日常生活」からは逃れられず、刺激というスパイスだけあっても、日常生活という食材が今までと何ら変わらないなら、それどころか刺激を消化しきれず空洞になってしまうなら、まるで意味がない。その日常生活を変え得るのは「自分」で、自律的に主体的に意識的に有機的に行動していかないと、人工的都会の東京では居場所がないということだ。

逆に言えば、東京では、内容やレベルはともかくとりあえず主体性を持って行動していれば、自分という「自由」はあるということでもある。自我も自尊心も一丁前に強い私にとっては、これはとっても有難いことなのだ。


勿論、その「自由」は、実質はちっともラクなものではない。地方・田舎・故郷という言葉で表現される「都会でない場所」であれば、世間体だとかムラ社会だとか旧弊な血縁だとか自然だとか、個人の自由に対する「抑圧」に該当するものはちゃんとある。あるから、その抑圧からの「開放」という形での自由は設定できる。
で、その開放の具体的な形は、本来はその抑圧がある場所で行われてしかるべきだが、最も手っ取り早いのは当然その場所からの脱出・逃亡に他ならない。周りを変えて自由を勝ち取るなんて、人一人の力では-若者一人では殆ど不可能だ。だから、手っ取り早いというよりは、むしろ選択肢は"それしかない"。

ところが困ったことに、脱出・逃亡して都会に辿り着いた瞬間、自分を抑圧する対象がないんだから一定の自由は既に確保されてしまっている。そして、特に生活文化が極端に少ない東京という都会にある自由は、「人目を気にしなくていいが殆どのことは自力でするしかない」という自由である。
夢や目標といった主体性のある具体的なものをはっきり持って東京に来た場合でも、「シンデレラガール」なんてパターンを体現できる人なんてせいぜい何万分の一ぐらいの確率で、東京の「自由」は、夢や目標に対する自分に合った方法論さえ自力で模索させる。なんせ自分の生活=目の前の現実さえ「こうするもの」と決まっていないんだから、将来(さき)のことを自力で模索しなければならないのは当たり前だ。

無論、現実か将来かどちらを先に優先すべき、ということではない。帰納的にしろ演繹的にしろ、つまり将来の目標を設定してそれに沿って現実をかくすべしと考えるか、先に現実を実のあるものに確立させてから将来の可能性を考えるか、それはどちらでもいいんだけど(ちなみに私は帰納的だ)、現実のことも将来のこともある程度はっきり自分の中で意識されたものがなければ、東京で「マトモ」をやるのは難しい。


私も、大学時代は、周囲からの刺激に対して生活を疎かにしてでも「主体的に」反応して、反応だけは主体的にしても現実にも将来にもビジョンは何もなくて、「自由」の内実をスカスカにしていた。東京での自由の本質に気づいたのはまぁ大学を卒業してから数年先、のことだ。だから気づくまでは何となくズルズルと流されて東京に居据わり続けて、今になって漸く「ずっといる」理由をきちんと説明できるようになった。

自我自意識自尊心は、「一人=自分」が単位の東京においては必要条件ではある。しかし必要条件ではあっても十分条件ではない。その十分条件を満たして自分という存在を「何とかする」、マトモなものにするために「ずっといる」ってことだ。又それが達成できなけりゃ「これまでずっといた」意味も全然ないし。
逆に言えば、自我自意識自尊心、平たく言い換えれば「ワガママ」という必要条件-地方や田舎においては余計なだけのシロモノを元々結構持っていた私に適した居場所は、やっぱり東京にあるってことだ。

まだ語れることはあると思うが、ひとまず「自分の話」には区切りついたのでここで筆をおく。