こんばんは。
わたしにとって、意外と死は身近にあったらしい。
今までの感覚で、苦しいだの、痛いだの言っていたが、計測してみると、携帯心電図のあまりの大雑把な心電図では、何もわからないことが、わかった。同時に、不整脈程度しか分からないのだとも。
体内酸素血中濃度を知るサチュレーションを測っていたが、予想外のデータに呆然とした。朝、二度寝して、ちょっと息苦しい。それで、サチュレーションは、なかなか、測れず、末梢の血流障害だろうと、さすってなんとか、測ると、値は、74だった。
なるほど、この感覚の後は、ずっと1日テンションが低くて、血圧が上がりそうなことをしても、脈拍さえ上がらない。流石に、何かおかしいだろうと思ってたけれど、これは、呼吸障害ではなく、心臓由来の何かの現象なんだろう。
だけれど、わたしは、極度の医師不信である。
西洋医療って、ズバッて治してくれることないんだよ。
わたしのところの中医さんは、不整脈であろうが、心不全であろうが、治さないで帰す西洋医療じゃない。
前に、病院で聞いてて思ったんだ。
ある患者が、救急でおなかが痛くてやってきた。血液検査で調べた結果、その患者を、病院は帰した。
その翌日の朝、辛くて、再度患者はやってきた。血液検査で、昨日から既に、急性膵炎だったのだ。
見落とすことはあるだろう。でも、急性膵炎の値は、見落とせないものだろう。
患者は、あっという間にストレッチャーで運ばれていった。昨日の冷たい対応とは、違ったようで、そもそも、心の準備もなかったようだ。
自分の親族が医者なこともあり、医者だってミスするということはよくわかる。
でも、わたしも、かつてやられた。血液検査をした。当番医が、診て、血液検査では、心筋にダメージがかなり出ていた。
医者は、何も問題ないので、お帰りくださいと言った。わたしは、どうしようもなかった。後で、主人や、主人の両親に、「仮病」扱いされた。
当番医ではなく、そのデータを、主治医が見たとき、「なんで、帰ったの?」と聞かれて、わたしは、やるせない思いになった。
わたしは、先日、主治医を変えざるを得ないのかと思って、主治医に問い合わせした。昨年、12月に急いで、主治医とともに力になってくれた医師の診察を受けに行かざるを得ないことがあり、主治医の診察の日は、本当に月に少ない枠なので、しょうがなかった。
しかし、結局は、まぁ、重くなっていることは、わかってきてて、主治医と共に力になってくれた医師は、確かに、主治医に向けて「伝言を残してくれていた。今後、どういう可能性が考えられるのか」も併せて、告げてくれたのだと思う。
主治医は、主治医を変えることを拒否し、「一緒にやって行こう」と言う。
なんとなく、言いたい意味は分かった。恐らく、もう、誰もわたしを守れないのだ。主治医と共に力になってくれた医師の病院には、十分な施設がない。だから、突発した際、守る術はないし、わたしの医療過誤率は、高かったので、わたしでも、緊急カテーテルやステント再留置、更には、バイパスはごめん被る。恐らく、術式が、わたしの体質に合わないんだろう。
そんな術式が合わないってあるのかって言えば、あるんだと思う。
麻酔薬が苦手だったり、なんだったり、あるんじゃないのかな。具合が悪いと、血管がボロボロになる体質だから、仕方ないよ。大体、そういう人は、カテーテルをするべきじゃないんだよ。健康で、順調だったら、やればいい。でも、具合の悪い日は、大安吉日ではないんだ。それだけだよ。
2人目がお腹にいて、つわりで、水さえ飲めない時に、アメリカの医師は、針を20本以上使って失敗し、更に、隣の子供用の診療施設から、子供向けの点滴の針を貰ってきても、わたしは、全滅だった。その時、アメリカの医師は言ったよ。「日本に帰れ」って。
日本で、果たして、ちゃんと入れられたかどうかわからないよ。でも、それを考えたら、無駄に何か医療をやれば、「明日から高尾山に健康体で登れる」と言われたあの日は、本当はなかったんだと、学ばないといけないんだよ。西洋医学が万能ではなく、中国医学でさえ、症状の緩和に努めているだけだからね。
でも、2012年に、全ての医療を放棄し、自殺のような形で生きてきた自分の中で、今更、余計なドアは開かなくていいんだよ。
それにさ、なんか、言う訳じゃないけれど、今年、天中殺でさ。前も、ドンピシャ、天中殺でさ、偶然が重なるのって、見てて嫌じゃないの。
進めない道もあるし、進みたいけれど諦める道もある。
でも、それも、全て自分の道であり、肩の力を抜いて生きるしかないんだよね。
仕事は忙しいし、頻繁に訪れるインセンティブ考課はさ、やっぱり、ハードル競争のようで楽しいやね。これやってりゃ、病気だっていうの、忘れちゃうもんね。実際、忘れることもあるんだし、そういうのが、逆に生きる気力になったりしてさ。末期癌で20年生きるようなもんだね。
正直、自分には、末期癌で20年生きて亡くなれるラッキーさはないんだろうと思ってたんだよ。
でも、最近、その自信ある。無駄に、運が悪いと思ったことはないんだよ。なんか、頑張ってみるところは頑張って、力抜いていいところは力抜いたら、ラッキーさを享受できる気持ちになった。無駄に、自信あるね。
姑の嫌がらせに構ってられないほどの仕事の忙しさ。これ、やっぱ、凄いよ。仕事をこなせるだけ、ありがたいよ。だから、ダメージを病で受けても、復活できるように、筋肉はトレーニングしてる。他人にしてみたら、微々たる努力だろうけれどね。
という訳でさ、進むに進めないことが、かえって、わたしのストレスを減らしたってことかな。
過剰な医療を行って、西洋医と摩擦起こして、ストレス受けたくないんだよ。だって、今入院してる暇がない程、やりたい仕事があるんだから。威圧的な人は、医者の専売特許じゃないんだよ。顧客もそうなんだよ。顧客へのストレスと、自分へのストレスで十分でしょ。
って、主治医は、やり切れないように笑ってた。「君の肩が痛いのの理由がわかったら教えて。」って。医療機関にいても、治す暇のない人と、医療機関外でも、治す暇のない人と、たまたま、同じ病気になって、もう、8年になる。
これで、何かが引き金で致命傷でも、いいんだよ。どうせさ、そもそも、家系的に年金は、払うだけで、貰わないで死ぬ忙しない家系なんだしね。
わたしが亡くなっても、遺るものがあるように、今、仕事頑張ってんじゃないの。名前が残ることだけが、仕事じゃない。橋を作る人は、橋に余さず、自分の名前を彫り込んでほしいと願うかい?願わないね。慰霊碑に刻んでも欲しくないよ。
進歩って、そういう意味でのProgressなんだと思う。
少なくとも、生きたいと足掻いてた時より、百倍も幸せだよ。幸運な、「末期癌で20年」って生活に入れそうなんだから。まぁ、10年持つか、持たないかだけれどね。だから、後がないから、より一層、真剣になれるんだよ。被害者ぶって、悲しそうな顔して、遊んでる暇はないからね。
朋