ねこぶえのうろうろ

  ニュースはなるべく辛口に…(時々甘くなるかも?)

問題解決

2005-11-29 21:46:50 | 日記
 ねこぶえは電車通勤なのですが、電車を降りたあと学校まで、自転車を使っております。歩くと20分くらいかかるので、土砂降りの日以外はチャリチャリ~っと走っております。
 …が、実はここ2週間ほど、毎日歩いていました。なんでかというと、キーがないからですな。
 自転車の鍵、なくした。

 これがなんとも、難儀な話で。
 まぁぶっちゃけ、ねこぶえの自転車の鍵なんて、もともと付いてたヤツですから、マイナスドライバーとトンカチで、鍵の差し込みをガンガンやってやれば、多分数分で外すことができます。
 もしくは、金ノコで、ギシギイ切ってやっても、10分くらいで切断できるだろうと思います。

 んー、でも、困ったことには、今自転車のある場所は、利用者のめっちゃ多い駅前駐輪場のど真ん中なのです。
 そんな場所で、鍵を破壊していいもんだろうか?めちゃ、犯罪者チックやないですか。
 駅前の一番メジャーな公営駐輪場だから、うちの生徒の保護者さんも、たくさん利用してはります。「あら、ねこぶえ先生、鍵を壊していらっしゃるわ。自転車盗まれるのかしら?」…なんてことになったら目も当てられません。
 困った。

 そこで、ねこぶえが思いついたのは、駐輪場の管理人さんに泣きつくという手。きっとうさんくさい目では見られるでしょうが、とにもかくにも公営の駐輪場だから、借りるときに自分の住所とかも登録してある。それで本人確認してもらえれば、近くの自転車屋さんまで持って行くにしても、温かい目で見てもらえるだろう。
 ただ、管理人さんってば、割と勤務時間が短いのですな。
 ねこぶえは仕事が遅い男なので、ねこぶえが学校を出て、20分歩いて駅に着く頃には、管理人さんは誰もいなかったりするのです。

 そんなこんなで2週間。
 今日やっと、根性で学校を出てきて、管理人さんのいる時間に駐輪場へたどり着きました。

 えぇと、怪しまれないように、さわやかに声をかけよう。
「あのぉ。自転車の鍵を落としてしまって困ってるんですが…」
「あら~、いつ頃落としたん~?」
 やたらと語尾を伸ばす管理人さんでしたが、ひとまず最初の雰囲気はいい感じ。
「いや、それがもう2週間ほど前で…」
「あら~、特に鍵の落とし物は~、届いてないけどね~」
「ちょっと、自転車屋さんに持って行って、鍵外してもらおうと思ってるんですが」
「あら~、切っちゃうんだったら~、これ~、使ったら~」
 ん?
 と思ってる間に出てきたのは「クリッパ」。鉄線やワイヤーを切るためのごつい刃物です。ねこぶえ、某電力会社に勤めてた時はしょっちゅう使ってましたが。

「これ~、使い終わったら~、ここに返してくれたらいいから~」
「は、はぁ…。」

 ありがたくお借りして、自分の自転車へ。
 いや、マイナスドライバとハンマーだったら、かなりがんばっても5分くらいはかかるとこなんですが、クリッパなら話は早いです。ぶっちん、と切るだけ。10秒かかりません。

「どぉも、ありがとうございました」
「はいは~い~」

 拍子抜けするほどにあっけなく、問題は解決しました。

 …って、これでええんかいっ!!!
 ねこぶえが、自転車泥棒やったらどないすんねん~!!!

 鍵を壊しちゃったので、一応ワイヤー錠を購入してきましたけど…、こんなん、あのクリッパ使ったら一瞬で切られちゃいます。
 うぅ、ここに駐輪しといて、本当に大丈夫なんだろうかと、新たな問題に気づかされた出来事でした。

神戸でjazz

2005-11-27 08:11:04 | 音楽
 昨日の夜、とっても素敵な時間を過ごしてきました。
 神戸で、カクテルを飲みながら、jazzを聴いてきました~!!
 めーっちゃ幸せな時間でした(^^)。

 先に断っておくと、ねこぶえはjazzは全然詳しくないです(^^;。だから、昨日聴いた曲名もわからんし(一応曲紹介はされてたけど、jazzの雰囲気でボソボソっと、さらっと言わはるから、ねこぶえの英語力じゃ聞き取れへんの~)、そのアレンジをどうこう批評することもできへんのですが。
 しかしとにかく素敵だったのは、まさに「音楽の会話」を目の前で見れたこと。アンプラグドで生音だけが響く中、ピアノとベースとドラムというシンプルな構成で、ソロが行ったり来たりする緊張感。存分に味わってきました。
 音に浸るというよりは、音に沈没するくらい(^^;。

 あと、音楽とは関係ないですが、カクテルがうまかった~(^-^*)。
 やっぱねぇ、ちゃんとしたバーで飲むと、ちゃうわぁ。ジントニックを飲んでたのですが、居酒屋で飲むのと全然違う。多分、ジンそのものの味もいいんだろうし、ライムも本物をたっぷり絞ってくれてあるんだろうなぁ。
 以前、酒好きの友達が高級ジンを買ってきて、それをトニックウォーターで割って飲んだのもうまかったけど、少しレベルの違うおいしさでした。

 そのバーを出たあとでいただいたコーヒーとケーキも、最高においしかったし。雰囲気もあたたかな感じでよかった。
 週の最後に、すごく幸せな時間を過ごさせてもらいました。さ、今週もがんばっていくぜぃ(^^)。

憲法なんかも

2005-11-23 14:44:28 | 政治
 先の選挙で自民党が大勝してから、「憲法改正」が話題になってますね。
 特に憲法9条。

 時々テレビで、政治家が議論してたりしますが、正直、お粗末な議論やなぁと思います。
 2つの重要な観点が抜け落ちてるんじゃないでしょうか。

 まず第一に、めっちゃ根本的な話だけど、日本に攻め込んでくる国なんてないですよね。
 仮に自分が、中国の国家主席とか、ロシア大統領とか、北朝鮮の書記長とか、韓国の大統領とかになったと考えてみればよいのです。いったい、何のために日本に攻め込むでしょうか。
 日本には石油などの資源もないし、歴史的に他の国がほしがるような土地でもないし、宗教的な対立を起こしているわけでもないのです。逆に、食料自給率40%という事情を考えれば、征服した土地のために、別のところから食料を運んでやらねばならないのです。いったい、何のために日本に攻め込まなければならないのか。

 唯一ある可能性は、日本が軍隊を持っていたり、アメリカ軍が日本にいたりすることで、その攻撃を受けないために先制攻撃されるくらいじゃないでしょうか。たとえばですが、北朝鮮と韓国が戦争を始めたとして、日本から兵器が運び込まれるのを防いだり、アメリカ軍基地が使われたりするのを防ぐために、北朝鮮が先に攻撃してくる…そんなことくらいしか考えられません。

 つまりなにが言いたいかというと、日本に軍隊があるから、攻撃されかねないのであって、日本が本当に戦力を放棄すれば、日本は完全に平和になるということです。
 百歩譲って、今の、がんじがらめに縛られている自衛隊で十分。それも、今後削減していくべきであって、現状に合わせて憲法を改正し、そもそも憲法違反している自衛隊を追認してやる必要なんて、どこにもないのです。

 ここから2つ目の観点ですが、憲法というのは、現状を追認するような性格のものでは、決してないんですよ。
 国の進むべき道、理想の姿が「憲法」なんですよ。

 もちろん、それが時代とともに移ろうのは否定しないし、そのときには憲法を改正すればよいです。
 しかし、「平和国家」というのは、今も「日本の国のあるべき姿、これから進んでいくべき道」でしょう?
 ならば、それを変えるのは絶対におかしい。最終的に「あるべき姿」のなかに「軍隊」が組み込まれるのはおかしいと、ねこぶえは思うのです。
「交戦権」というのは、つまりは「国家の命令であれば、人を殺しても罪に問いませんよ」ということですから、それが憲法に組み込まれるのは、明らかに平和国家に反するのです。

 またも百歩譲って、どうしても平和のために「集団的自衛権」とかいうものが必要なのだったら、その時その時で法律を作るしかないでしょう。実際にそうして自衛隊を送っているのだし。その手続きを簡単にしよう…という必要が、いったいどこにあるのか。議論を避けて、軍隊を手早く送ろうとする、その真意はいったい何?と考えてしまいます。
 憲法との矛盾は生じるけれども、本当に「集団的自衛権」なるものが正しいのかどうか、国際的な議論を待つしかないかと思います。


 いや、ほんとにね。
 日本というのは、地理的にも、歴史的にも、奇跡的に恵まれてきた国だと思うのです。
 イスラエルなんて国は、誕生した時点から、宗教的にも地理的にも問題のまっただ中にあり、平和国家になれそうにもない状況を背負ってきています。北朝鮮という国も、要は当時のソ連が勝手に作った国であって、「あるべき姿」の中に「平和」が含まれていなくてもしょうがないのです。

 だからこそ、日本という国は、その奇跡的な幸運を世界に還すために、本当の意味での「戦争放棄」を目指すべきだと思うんですね。
 ごちゃごちゃ理屈を付ければ戦争ができるような、そんな言い訳だらけの国にするんじゃなくて、本当に世界を信頼し、自分達を信頼し、武器なんていらないよと。
 それが理想なのは十分わかっているけど、憲法というのはそういう「理想」でなけりゃ、意味がない、とねこぶえは思います。


 実際に。
 ねこぶえは、今の自衛隊にかかっているお金で、世界中から若者を招待し、留学してもらえばいいと思います。
 たくさんの人に来て、日本という国を知ってもらえばいい。本当に、平和な国ってのがあるんだよ、と、知ってもらえればいい。
「徴兵がなくて、だれも銃を持ってなくて、武器も基地もない国が、本当にあったよ」
と、その人たちに、自分の国に帰ったあとでみんなに伝えてもらえればいいのです。

 毎年そんな人が、1万人ずつ増えていったら、日本は世界の中で本当に立派な働きをしたことになる。
 10人の技術者を送るために、100人の兵隊を一緒に送るより、ずっとずっと大切なことじゃなかろうか。まして、外国に出て行って、そこで兵器を使うことの方が重要とは、ねこぶえにはとても思えない。
 少なくとも、どちらを「理想」として憲法にうたっていくべきなのか。そう考えれば結論は明らかだと思っています。

 政治の世界が、現状追認に走っていっちゃ、絶対にダメですよ。
 それって、ようするに「何でもあり、やったもん勝ち」ですから。先の大戦のとき、陸軍や海軍で、武功を挙げた方が政治の場で発言力を持っていったというのが、まさにその姿ではないですか。
 目の前のことに振り回されず(目の前の問題に対応するのは、憲法以外の問題です)、これからを担っていく日本のリーダー達に「本当にあるべき姿」は何なのかを考えてもらいたいです。

ホワイトバンド

2005-11-21 15:28:11 | キリスト教
 日曜参観の代休ということで、今日はお休み。うれしい(^^)。
 最近ずっと出歩いていたこともあって、思う存分引きこもっております。ようやく扇風機を片付け、ヒーターを引っぱりだしてきました(^^;。

 今日はちょっと余裕があるので、ふと思ったことを。
 すでに旬がすぎちゃってますが、ホワイトバンド。

「ほっとけない 世界のまずしさ」
「世界のまずしさは克服することができる。この世界にはそのための資源や情報がすでにある。必要なのは『貧困を世界の優先課題にする』という意志をもつこと」
 という意味が込められているという話の、ホワイトバンド。
 これはを買ったからといって、それがいきなり募金として貧しい国に行くわけではない。ただ、そういう思いを持っていることや、そういう事実を伝えるために、ホワイトバンドをつける…ということであるそうな。だから、ホワイトバンド活動に参加を表明するには、別に市販されてるホワイトバンドを巻く必要はなくて、要は白いモノを手首に巻けば良いらしい。

 なるほどなぁ。なかなか、いい着眼点だと思います。
 しかし、これに対して賛否両論、いろいろあるわけですな。そしてねこぶえも、正直、あまり賛成できないなぁ。

 まずは、正攻法な反論。
「世界のまずしさを克服するための資源」
 この定義が、なかなか難しいですよ。

 2つのことははっきりしています。
「世界は今ほど貧しい必要はない」ということと「世界全部を日本ほど豊かにすることはできない」ということなんです。
 たしかに、今はあまりにも富が偏りすぎていて、アメリカや日本ではイヤというほど食べ物も衣料品も薬剤も無駄にされている。その一方で、飢餓があったり寒さで凍え死ぬ人がいたり、薬がなくて病気を治せない人がたくさんいるわけだから、世界は今ほど貧しい必要は絶対にないのです。
 こちらで余っているものを、あちらに回せばよいし、そのための手段も管理する情報技術も、今の世の中にはちゃんとあるわけですから。

 しかしながら、世界の人々すべてが、日本やアメリカほどの豊かな暮らしができるほど、地球は資源にあふれた星でもないのです。
 たとえば、ねこぶえの家は、自動車が2台とパソコンが3台とテレビが2台あります。でも、テレビは液晶ではなく、車庫もなくて、まだ54歳の父親はリストラの後フリーター状態で…、つまり、よいところもあれば厳しいところもある、日本の標準くらいの家です(家の老朽化を考えると、ちょっと厳しいくらいかも(^^;)。

 でも、「地球がもし100人の村だったら」によると、その村でパソコンを持ってるのは1人だけ。
 それは逆に言うと、もし100人の村人全員にパソコンが行き渡り、クルマや冷蔵庫や殺菌された水道が行き渡るようになれば、村が消費するエネルギーは、軽く現状の100倍くらいになりますよ、ということです。

 ねこぶえは、自分がそれほどエネルギーの浪費家だとは思ってないんだけど(エコドライブしてるし、冷房はめったに入れないし、暖房も足元が暖まったらすぐに切るし、ゴミはめちゃしっかり分別して出してます)、でも実際には、こういう「普通の日本人の生活」をしているだけで、”世界の普通の人”の何十倍ものエネルギーを消費してるわけなんですね。

 元に戻って、今の日本に生きながらホワイトバンドを身に着けるということは、それ自体が矛盾すれすれの行為だろうと思います。まして、そこにファッション的な要素が含まれていたり、芸能人の影響があったりすれば、ホワイトバンドのメッセージを送りながら、むしろその矛盾を押し進める立場の人間であることも同時にアピールしていることになります。

 自分が、今の生活レベルを落とす気がないのであれば、ホワイトバンドのメッセージなんて、絵に描いたモチ以下のものだろうと思います。
 実際、最初にねこぶえ的に「ちくっ」と書いたつもりなのですが、夏が過ぎて、ファッションが夏の白や青から、秋の茶色やグリーンに変わるとともに、ホワイトバンドはほとんど見かけなくなり、話題にも上らなくなりましたね。すっかり旬がすぎちゃった感じ。
 ほっとけないはずのものは、あっさりほっとかれていたりします。


 それから、ねこぶえは同じ理由で「24時間テレビ」なんかも嫌いなのですが、結局それをお金儲けに利用されている面が否定できないんですよね。
 24時間テレビで、タレントがチャリティーするのも、多額の募金が寄せられるのもすばらしいことです。
 しかし、実際に、あの番組には「スポンサー」が付いていて、コマーシャルが流れ続けているわけなんですね。

 そのスポンサー企業は、なんのためにコマーシャルを流すのかと言えば、これは商品を売るため。
 そしてその広告費用は、必ず商品の値段の中に織り込まれているのですね。

 なんのことはない、結局そうして集められた募金は、それで品物を買う時点で、しっかり企業に取り込まれているわけです。
 もちろん、募金はないよりある方がいいし、それがなければ買えないものもたくさんある。ねこぶえはそれに変わる有効な提案を持っているわけでもないから、本来こういう反論は意味がないんだけども、でもなんかおかしい気がする。
 結局、テレビ局と、スポンサー企業は、チャリティー番組をやっていても儲かる仕組みになっている。

 ホワイトバンドも、結局ホワイトバンドを売ったメーカーは儲かっているわけです。
 そしてそれは、大抵の場合、一段と貧富の差を拡大させていく方向です。本当にこれでいいのかな。


 ねこぶえは、基本的に「偽善OK!」の考え方です。
 募金、やっちゃいます。100円入れれば、自分は本当にいいことしたと実感できる幸せな性格の持ち主です(^^;。実際、たとえ100円で、その大半が企業に流れるとしても、ないよりはあったほうがいい。

 だから、ホワイトバンドの思想そのもの、着眼点そのものはいいと思います。
 世界の貧困のことも、知らないよりは知ってた方がいいし、それを伝えるチャンスは少しでも多い方がいい。そういう意味で、見える場所にホワイトバンドを付けるというのは悪くない。

 でもなぁ。
 その行動自体が、実はそこでメッセージされているような矛盾を、さらにおしすすめてることになってるとしたら、どうなんだろう?
 募金に比べて、はるかにややこしい仕組みであるホワイトバンド。ねこぶえは、どうもすっきりしないものを感じています。
 いっそ、ホワイトバンドというものの販売を完全に禁止して、みんなでタオルでも巻くことにしたらいいと思うんだけども。
 …それじゃダメというところが、すでに「地球の北側の人間」の発想だと思うんですよね。
 しかしそれにしても、最近ホワイトバンドを見かけないな。。

日曜参観

2005-11-20 23:21:55 | 教育
ふ~。
今日は日曜日でしたが、学校でした。日曜参観です。

ウワサには聞いていたのですが、すごい人だった(^^;。
子どもより大人の方が、ずっと多いねんもん。
中学生の兄ちゃん姉ちゃんとかも来てるし。なんでか「その友達」とかもおるし。
じいちゃんばあちゃんもおるし。
ようわからん人もおるし(ぉぃ)。
とにかく、うちの学校の伝統として、日曜参観は地域的なイベントであるらしいです。

そんな中、とにもかくにも、2時間の授業参観を終えてきました。
図工と、国語と。
図工はうまくいったけど、国語はちょっとなぁ。
詩の発表だったんだけど、子ども達が緊張してしまって、早く読むし、声は小さいしで、正直あまり親御さんには何をやってるのかわからんかったんじゃなかろうか。
あ、でも、音楽会で歌った歌を、授業の最後にやったところ、これは非常に良かった(^^)。

そんなわけで、明日は代休ですっ!!!
これはとにかく、めっちゃうれしい。

明日は、部屋の掃除をします。
あるはずのものが、いっぱいなくなってるので(^^;。探さなきゃなりません。
自転車の鍵とか、iPodのケーブルとか、昨日買った本とか。なんで本が一日でなくなるのか。

子ども達には、「ちゃんと片付けてから遊びにいくこと!!」って言ってるのになぁ。

音楽会

2005-11-19 06:08:10 | 教育
 昨日、学校では音楽会がありました。
 4年生は、各クラスの合唱と、全体での合唱、リコーダー奏でした。
 これに向けて、毎日クラスで歌わせてたわけです。ほんと、授業時間を削っての練習だったわけですが、でも子ども達も歌が大好きになったし、十分にそれだけの価値はあったと思います。

 そしてそして、我がクラスは、本当にいい音楽をしてくれました(^^)。
 上の学年と比べても、3本の指には入ったのではないだろうか(<かなり自画自賛&贔屓目(^^;))

 いやでも実際、他のクラスより有利な点がありました。
 ねこぶえはクラスでギターを弾いたり、フルートを吹いたりしてるので、子ども達は「ねこぶえ先生は音楽のできる人だ」と思い込んでるわけです。
 実際は、音楽センスのなさで、子ども達の合唱を聴いても、どこをどう直せば良くなるのかがイマイチわからんのですが(涙)。

 でも、その子ども達の思い込みを利用しない手はない。
「みんなすばらしいっ!! 先生もかれこれ20年音楽をやってるけど、こんなにすばらしい音楽はなかなかないぞっ!」
・・・無責任にほめ倒しました(^^;;;。

 でも、それで「クラスで調子に乗る→音楽の授業で細かい指導を受け、へこんで帰ってくる」のサイクルが作られ(^^;、最後に音楽の先生にもほめたおしてもらったらしく、昨日は絶好調に、ノリノリで歌ってくれたのでした。
 いや、本当に、子ども達の心というのはとっても素敵です。
 本気でほめてやれば、本当に一生懸命になってくれる。本気で注意すれば、精一杯直そうとしてがんばってくれる。

 それだけに、「いかに本質を見抜いて評価できるか」というのが、教師の力量だなぁと思います。
 音楽に関しては、ねこぶえはしょせん付け焼き刃です。子ども達が「ねこぶえ先生はすごい」と勝手に思い込んでくれていることと、普段の音楽の授業で、専科の先生に見てもらえてることで、なんとかごまかしがきいたわけです。

 でもほんと、本質を見抜くためには、自分もそれぞれの教科なり、自分の人生なりで、どっぷりと苦労しなきゃいけないな、と思います。
 一言で言えば「研究すること」なんだろうけど。
 子どもにだけやらせてないで、自分も一生懸命、チャレンジすること。それがずっとずっと必要なんだと思います。

 音楽会は、本当に良かった。これをまた、次の何かにつなげていきたいなぁ。

秋の奈良

2005-11-13 05:33:33 | 日記
 先週、ちょっと載せた写真が好評だったので、そいでわと今回は奈良バージョンです。
 http://www3.kcn.ne.jp/~artyoshi/nekobue/review/other/narakouen/narakouen.html
 このページにまとめて掲載しています。

 前回の京都は、写真を撮りに行ったんじゃなかったので、あまり枚数も撮らなかったのですが、昨日は一人でふらりと出かけたので、いっぱい撮影してきました。
 やはりまだ紅葉には少し早かったけど、それでもかりんの実や柿の実がなっていたり、イチョウはすっかり黄色く色づいていたりで、秋らしさを感じられるところも十分にありました。
 もちろんカメラは、先日から話題にしている、LUMIX DMC-LX1を使ってます。

 んー。
 で、ねこぶえなりに、このカメラについて思ったことを書きますと、全体として非常に気に入りました(^^)。
 色の濃さと、解像度の高さ。それに絞り優先やシャッター速度優先での操作のしやすさがポイント高いです。

 当初、「いちいちレンズキャップ外すの面倒っぽい」「やっぱでかい」なんてなことを思ってましたが、そこはまったく気になりません。
 大きさは、たしかにジーンズのポケットには入らないけど、ベルトに引っ掛けるタイプのミニポケットには十分に入るので大丈夫。それに、昨日はほとんど手に持って歩いてましたが、本来のグリップと、レンズの部分とを持ってやれば、非常に手に収まりも良かったです。
 レンズキャップも、これも単に慣れの問題でした。慣れと言っても、20回くらい撮影したらもう慣れたくらいのもんで、これも一種のリズムでしかないわけですな。
「おっ、いいな」と思ったシーンに出くわしたときに、右手がグリップ部分に回り、それを支えつつ左手がレンズキャップを外し、そのころにちょうどスタンバイの完了した右手人差し指が電源を入れる…、と、文字にすると長いですが、要はレンズバリアの付いている機種ならば、左手が遊んでいるタイミングに、その左手でキャップを外すだけなので、なんら問題はないですよ、ということです。
 強いて言うならば、自分ではレンズが繰り出さないと思っている「画像の再生時」。再生しようとしてるのに、ついついカメラのモードを「再生」にするのを忘れて電源を入れちゃった時に、「キャップを外してください」と怒られるくらいのもんです。

 逆に、色の濃さとか、マニュアル時のことで、少し気になる点もなきにしもあらず。
 まず色の濃さですが、うーん、ちょっと濃ゆすぎるかも(^^;。今回の写真も、どうもイマイチ秋っぽさが不足してるのは(自分の腕はおいといて)、ちょっと空が青すぎるんじゃないかと思うのですよ。もうちょっと透明感のある青空だったんだけど、写真では「夏!?」と思うくらい鮮やかな青空で写ってます。きれいでいいんだけど、秋っぽさを狙うなら、ちょっとカメラの方で色合いを調整しておいた方が良かったかもしれません。
 ただ、キャノンやSONYのエントリー機で見られるような「塗り絵」っぽい色の着き方には、ぎりぎりなってない感じがします。べたっとなっちゃってるか?と思うところでも、ぎりぎりちゃんと諧調が残っていて、それが解象感の高さにもつながっているように思います。今度、花の写真のアップとかを撮ると、もっとよくわかりそう。

 それから、マニュアル撮影で、これはしょうがないのかもしれないけど、イマイチ絞りの効果が薄いんですよね(^^。
 今回の写真でも、数値的には、例えばカメラに任せるとf=4.6くらいで撮影されるシーンで、わざとf=8.0にして撮影したものが何枚かあるのですが、正直…、違いがわからない(^^;。
 いやまぁ、たしかに、しぼった方が微妙にシャープに写ってるとは思うのですが、期待したほどに違いになってないんですね。
 これもまた、今度花をアップで撮影するときに、絞ったのと開放とで、背景がどれくらいボケてくれるのか、試してみたいと思います。

 ともあれ、ワイドな画角が本当に楽しいし、マニュアルの楽しみもあるし、いいカメラだと思います。
 これからもどんどん撮ってみようっと。

初秋の京都

2005-11-06 07:54:38 | 日記
 昨日は京都へ行ってきました。秋の京都…というにはちょっと早かったですが、京都国立博物館で「最澄と天台の国宝」をみたり、清水寺にで夕日を見たり、まったりしつつも久々の京都を味わってきました。

 まずは「最澄と天台の国宝」。
 ねこぶえはクリスチャンですけども、お寺とか仏像はとても好きです。いや、美術品としてということでもなく、なんていうのかな…、本当にひたむきな「人の心」を感じます。
 特に今回の展示では、最初の方に展示されている「写経」。本当に、これは活字ちゃうの!?というくらいに一文字一文字が整えられていたり、一文字一文字を「仏」と見立てて、蓮の葉の絵の上に書かれてあったり。言葉で言えば「信仰」というのでしょうけど、もっと根源的な…、多分本当の意味での「愛」だろうなぁと思いますが…、そういうものを感じます。
 本当に本当に大切でしょうがない、だから、精一杯の表現をしている、そんな切なさを感じます。

 それからもう一つ。延暦寺の聖観音立像です。
 これは本当に、参らさせられたというのが正直なところです。本当に美しいものを見たとき、「これは参ったなぁ」って思います(^^;。
 んー。本当に素敵な表情を浮かべた仏像でした。
 もし、神様が目に見えるとしたら、普段はこんな表情をしてはるんじゃなかろうかと、そう思いました。


 それから、清水寺に行ってきました。ねこぶえ、ずーっと関西に住んでいるわけですが、どうしたことか、京都観光というものをほとんどしたことがないのです。清水寺も、実は今回が初体験(^^)。
 京都市内がすごい渋滞で、国立博物館から清水寺のわずかな距離の移動にやたらと時間がかかってしまったのですが、逆にそのおかげで、ちょうど夕焼けの時間に「清水の舞台」にのぼることができました。写真はそのときのです。きれいだった~。
 本当にいいお天気で、ちょっと暑いくらいだったけど、おかげで雰囲気よく京都を楽しむことができました。
 いつかできれば、平日に。そしてもう少し紅葉の深まった頃に、もう一度行きたいなぁ。

ビバ!手ぶれ補正

2005-11-03 15:14:24 | パソコン
ついにきました!先日購入したパナソニックのDMC-LX1!
早速充電して、何枚かパチパチと撮影しております。

んー、ほんと、16:9という横長ワイドな画像は、めちゃ楽しいです。
なんも考えずにとっても、なんとなく作品ぽい。
なんとなく、映画の1シーンみたいになる。作品を作るセンスのないねこぶえにとっては、非常にありがたいカメラかも。

そしてびっくりなのが、手ぶれ補正の威力ですな。
今日はあいにくの曇り空なので、我が家のネコを撮ってたのですが、シャッタースピード1/4でもなんとかなる。細かく見ればたしかに手ぶれているんだけども、それを相当押さえ込んでくれています。元々800万画素の写真なので、400万画素までリサイズしたとすれば、そのわずかな手ぶれがさらに半分になるわけで、それでも普通に印刷するなら十分。
そう考えると、ISO感度を無理に上げて、シャッター速度を稼がなくていいというのはとてもすばらしい。
これはほんと、コンパクトカメラには必須だな、と思いました。

まださわったばっかりなので、オートでしか撮ってないんだけど(^^;、ぼちぼち研究していくべぇと思ってます。
今のところ、プチ不満は、思ったほど液晶の視野角が広くないこと、かな。まぁ欠点というほどではないです。大きな液晶はとても快適です。あっという間に30枚くらい撮ってしまいました。
土曜日あたり、外で使ってみたいなぁ。

読書タイム

2005-11-03 14:07:35 | 教育
 うちの学校では11月は『読書月間』ということになっておりまして、特に水曜日の朝は、教師も含めてみんなで10分間読書をする「読書タイム」が設けられています。

 で、昨日がその1回目。
 我がクラスではどうなることやら…?と思いつつ、ねこぶえも読みかけの「教えるということ」大村はま先生の著書を持って教室に行きました。
 そしたら。
 8時40分に読書タイムが始まったとたん、ビシッと教室が静かになりました。
 数人、びっくりしたように周りを見渡している子もいたけど、その子もすぐに本の世界に引き込まれていきました。

 いや、びっくり。僕も思わず、クラスを見渡してしまいました。このクラスがこんなに静かになるなんて、初めてかも。。
 ちょっと問題児な子が、2分ほど遅刻してきて、いつもならおどけたりふざけたりして教室に入ってくるその子も、廊下でモジモジしてました。あまりにクラスが静かなんで、一人では入ってこれなかったらしい(^^;。
 手で「後ろから入っておいで」と合図してやると、困ったようにソロソロと入ってきました。しかも、普段は教室の前の下駄箱のところに、靴を脱ぎっぱなしにして入ってくるのに、昨日だけはちゃんと靴を履き替えて、靴箱にしまってから入ってきました。これまたびっくり。

 …そんな話を、休み時間にベテランの先生に話したら、
「本の力はほんとに偉大だし、教師の力は無力なもんだねぇ」とおっしゃいました。
 なるほど。
 まさにそのとおり。ねこぶえの力で、教室を10分間静かにし続けることなんて、絶対にできへんもんなぁ。

 あまりに素敵な時間だったので、もう5分ほど延長しました。その後の授業への入りも、とってもスムーズだった。
 子育てしてはる皆さん。ぜひぜひ子どもにはたくさん本を与えてあげて下さい(^^)。
 なにも「名著」「名作」でなくてもかまわないから。大人から見ればくだらなくて、無意味なような本でもいいので、ぜひぜひたくさん読ませてやってほしいと(できれば、最初は一緒に読んであげてほしいと)思います。
 親が本を読む姿を見せるだけで、きっと全然違うんだろうなぁと思います。