goo blog サービス終了のお知らせ 

のんびりカメラ・楽しくカメラ

仕事を終えてブログを新しくリニューアル
しました。これからは写真ブログに
しようと思ってます。見にきて下さいね。

はちみつ草

2011-08-15 | 北海道~の便り

 元気な友人からのEmail

同じ年なのに羨ましいなぁ・・・

 

日本一の清流 

北海道 大樹町 「歴舟川」をカヌーで4時間半漕いで清流下りをしたとか

そして上流で熊に遭遇・・・・

川原で はちみつ草の群生が・・・

残念ですが ズームアップがいまひとつ(Mさんすみません!)

花の形が気になって (初めて見る花みたいです。)

又写真を送ってくださいね。


東北の被災地その ②

2011-07-08 | 北海道~の便り

前回に続きます・・・・

 

まずは有り難う御座いますm(_ _)m 送る前は正直、それほどの期待もなく“その1”を送りました。反響がなければ、その2はやめようと思ってましたが、皆さん有り難い返信を頂き、良かった、嬉しい、有り難いとの思いでその2を編集してます。出来るだけありのまま誇張しないで、感じたことをお伝えしたいと思います。
  
着いたその日にホテルにて夜の10時と12時に震度2と3の歓迎の地震、6月23日には震度5、津波警報も出て、濃霧注意報、崖崩れ注意報、高台に非難していたのですが、ラジオで「濃霧のため、津波が確認出来ません」のコメントが何十回も放送されると現場での臨場感満点でした。その時は自分のことよりも、また被災者が出ないことを祈ってました。幸い、津波は来ませんでした。最後の夜はオマケか名残を惜しんでか?ご苦労さんか?震度4の地震を経験しました。
  
2日目は釜石市内の高台の御宅で、すでに床下のヘドロを土嚢袋に積み込んであるのをトラックに積み込む作業で、横1列に並んで20kg~30kgの土嚢をリレー方式で積むのです。 骨折も治っていないので、多少手を抜いてと思っていたのですが、その中に居ると手を抜くどころか目いっぱいやらされてしまいました。
その中、77~8歳の年配の家主が悪いと思ってか、手伝うのですよ。 それが東北人の心です。手伝わなくて良いですからと何回も云っても手伝ってくれました。
  
2トントラック4台ぶんが1軒のヘドロの量です。そこの御宅も立派な建物で、庭の手入れも素晴らしかったのですが、つつじも5~6本あった椿の木も全滅でした。
人も家も壊して行くのですが、我が子のように丹精込めた庭も壊すのが津波なのですね。藤の木と桜は意外と塩水に強いのか残って花も咲いたと嬉しそうに話してくれました。
 
釜石市は海の側は建物は残っていませんが市街地では残っておりました。残っていると云ってもこの情況です。
 
これが3ヶ月半経った日の姿です。
 
鉄が良くこんなに曲がるものです。                          右上に長く見えるのは電車のレールです。
 
一人が呆然と、一人が下を向いてます。
 
1枚だけ作業の終わりがけの写真を撮りました。(持ち主がいませんでしたので) ここの清掃依頼は隣の人で住みたいけど隣からのハエが凄く何とかして下さいとのことで、ヘドロを除去して、高圧洗浄をしました。 街はハエが多く、車の窓を開けて、駐車していると200匹以上のハエが入っています。
  
街全体がヘドロの匂いが凄いのですが、(魚の倉庫が壊滅しその魚が街中に流れた)表面が乾いている匂いを10とすると掃除をするにはそれを下の方からかき混ぜる訳ですから20ぐらいの匂いになります。水で手を洗ったくらいでは匂いは取れません。石鹸が必要です。私のホテルの部屋はヘドロの匂いがしてました。3ヶ月経った冷蔵庫はもっと臭いことを発見!
 
瓦礫の中はそれぞれの生活していたそのままの状態で散乱してます。この人形の持ち主は無事だったのでしょうか?
 
初日には自衛隊の車が中学校の校庭に沢山いましたが、どんどん減っていき、最後の日には1台も居なくなりました。地元の建設業者が自分たちの仕事が無くなるとのことで帰ってもらったそうです。(10年は軽くある仕事が3年しか無くなると困るのでしょうか?)今は県が建設協会に発注していて、協会の言いなりで3日で終わる仕事を10日かけてやっていると地元の人がこぼしてました。(3倍以上の期間、仕事が無くならない魔法の営業が見つかったわけです)
 
平和像も釜石大観音様も人も街も守ってはくれませんでした。
 
隣町の住田町の町長が国土交通省の規約を破って建てた被災者用仮設住宅。(板と板の間に断熱材が入っており、永久に住めそう)林業の町ならではのアイディア。
仮設住宅を作っても、全員、平等に入ることが出来ないから、誰も入居させない、援助の野菜が届いても、平等に分けられないからと云って全部腐らせてしまったと言う話も聞きました。
  
陸前高田には2回行きましたが、2回目に行った奥さんはまさか高台の自分の家まで来るとは思ってなく、窓から見ていたときに、犬がなくので、鎖を外しに行って外しているときに、波にさらわれ、流されたそうです。犬のくさりを外してあげられなかったと寂しそうに話していました。ほとんどの人が財布も持たずに逃げたのだと気付きました。
  
大体のボランティアの方は2日で帰って行き、そして何回も来ているようです。私の場合は期間が長いので1週間も経つと車の運転もまかされ、トラックで、瓦礫を運んだり、皆を乗せて現場に行ったりと色々な仕事をさせて頂きました。
  
最後の日、清掃が終わって帰り際、何回も何回もありがとうと云われ、「どのようにご恩返しをして良いか判らない」と云って頂きました。これはボランティアにとって最高のご褒美です。溜まった疲れも本当に飛びました。次の日の列車のなかでも晴れ晴れとした気分で帰宅できました。
  
写真は121枚撮った1部です。その写真も私が見た現場の1000分の1でしょう。見られなかった部分も含めると100万分の1かも知れません。それもたった2つの町のことです。被災地の町はいくつあるでしょう。 文章もへたくそで、思うことの100分の1も伝えることが出来なく申し訳けございません。足りない部分は皆様の想像力をお借りしたいとおもってます。少しでも東北のことが伝われば幸いです。 「冬に向かった時に自殺者が増えなければ良いけど」 と云う話も聞きました。その言葉は私の詰まらない文など飛んでしまうくらい重いことばです。 東北の人たちは我慢に我慢を重ねています。忘れないでください、 お願いします m(_ _)m  
  
 
 

東北の被災地 その ①

2011-07-07 | 北海道~の便り

北海道に住む友人 先日2週間の被災地ボランティアへ

行ってきました。 Mさん骨折後まだ完全に完治してない体で

頑張ってきた様子を EMAILに届けてくれました。

これは ブログをやっている私としては是非アップして皆さんに

見て頂きたいと思いました。 (Mさんに許可を頂きました)

内容もMさんの便りをそのままアップする事にしました。

                MIXI  先月アップしてます。

 

東北のボランティアから帰って、ある友達からどうだったと携帯にメールが入ったので、今の実情を話して少しでも判ってもらえたい。1人でも多くの人に、まだ何も進んでいない、東北を忘れないで欲しい、との思いで帰って来たばかりだったので、長いメールを打ち返したら、茶化されてしまった(-.-)y-゜゜゜  震災、東北に興味の無い人にとっては、私の話しは単なる自慢話にか聞こえないのかと、ガックリ・・・・ 他人に話すのも馬鹿らしくなって、写真の整理もせずにいたところ、本気に話を聞いてくれる人に出会いました。そこで、やっとこのメールを作成する気になりました。 もう震災は終わったの如く、震災のニュースが減り、バライティ番組ばかり、ニュースは福島の原発に持って行かれております。どうか忘れないでください。お願いします。 m(_ _)m

 

6月14日朝7:30札幌発の特急北斗4号に乗り込む、函館で白鳥28号、新青森で東北新幹線はやて128号盛岡から鈍行で北上駅に約8時間半の久しぶりの列車の旅。 被災地はどのようになっているのか?どのようなお手伝いが出来るのか? 心が引き締まる。と同時に骨折のコルセットを引き締める。

  

6月15日 5時45分北上商工会議所前に集合。これから毎日朝5時起きである。この日は14名で2グループに別れ1つのグループは釜石市へ我々6名は陸前高田市へ向う。 

 

全国各地から50名くらいのボランティアが集合。朝礼の後、土嚢袋、スコップ、ツルハシ、1輪車等の工具を積んで各グループごとに、それぞれの現場へ 

 

 

 

  

陸前高田は人口23000人の町で三陸リアス式海岸の南部にあり、唐桑半島、広田半島と入り組んでおり、そこに気仙川が流れ、山に囲まれ、風光明媚な街でした。気仙川から土砂が運ばれ、そこに有名な高田松原もありました。日本渚百選であったのですが、それがそれが一瞬にして

木造は1軒もありません胸がつかえました。

町がそっくり全部無くなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何百台という車の墓場です。                                    マンションの5階まで津波が来たのが判ります。

  

 

 

 

 

 瓦礫が20M位の山を作ってます

 

 

千 昌夫が建てたキャピタルホテル1000は流されず残っておりました。        我々がお邪魔した被災地のお宅の側に花が咲いているのを見ると余計に心が痛みました。

 

 

 

  

我々が作業したお宅はかなりの高台に建っておりましたがそれでも床上1m80cmくらい浸かったそうです。日本式の門と塀がある立派な家です。床下のヘドロは以前にボランティアが除去したのですが、家の周りにヘドロがあるので雨が降ると床下に入ってくるので、除去してくださいとのことでした。

そこの奥さんが知人が目の前で流されて行く話、その時の恐怖、父親(78歳)が止めとけと云うのにバイクで津波を見に行き、命からがら逃げてきた話をしてくれました。

 

大変感謝され、何度も何度もおれいを云われ、ジュースや果物、シャーベット、漬物と次から次と出され、恐縮してしまいました。

さすがにそこのお宅や被災者にカメラを向けることは出来ませんでした。