質問者:ハイル禅師 善良に現世を生きている人にも
悪いことが起きる理由とは何が考えられますか?
私:「善良に生きている」という人でも生まれてから現在までは
そうなのであって前世(過去世)が果たしてどうだったのか!
と言う問題に帰結するのであります
似たような質問で「僕は誠実に生きているのに理不尽な事が
多い」という人もおられましたが やはりこれも前世の言動に
起因している
しかし聖人などの場合は意味が変わり暗殺の危険に見舞われた
時は「カルマを超えて脱皮していく」と言う方向性を変える試練で
あります
それとたとえ聖人であっても前世の劫はある程度あるので
生命の危機は「過去世の劫を抹消する」意味もある
一般人の場合は善良にこれまで生きているのに
悪い事象が次々起こるのは前世の劫の小難化の意味と
死亡に繋がる場合は最大浄化の意味があります
要するに人は「過去世―現世―来世」と死に変わり生まれ変わり
をしていますが このような長いスパンで捉えると理不尽ではなく
自身の言動や言行に一致しているのである
現世が善良だからと言っても前世に大罪を犯していれば
先天の命数に罪障や罪穢が大きく持ち越されており
相応のカルマに必ず巻き込まれるのであります
·書かれていらっしゃる文章の内容とは別なのですが、25年くらい前に、深夜の海辺での緊急の御神事に参加させて頂いた後に、ご一緒させて頂いた方達と一緒に、“厳島神社“行かせて頂く機会があったのですが、小さな子供を両親に預けての参加だった為、“厳島神社“に行かず、一人で家に帰ってきてしまったのですが、たしか“厳島“の秘鍵開示“の資料は持っておりまして、読ませて頂いているはずですので、内容は分かっております。
·一番最初に行かせて頂いた1999年の“宇佐神宮での秘鍵開示と参拝のみでしたが参加させて頂きました。美しい朱塗りのお社や話を聞いて下さった神様の大御心に涙が溢れて涙が溢れて…。
·丁度、帰る為のバスに戻らなければいけない時間となり、帰りかけた時に、スタッフの方に止められ、サングラスを掛けて登場された深見先生や植松先生とすれ違ったのですよ!
·私は、厳島神社や宇佐神宮などの“朱塗りのお社“が大好きなんですよ。
·特に、世界遺産にも登録される様な美しい朱塗りの素晴らしいお社の“厳島神社“…。“厳島神社の神様“のありったけの思いの詰まった素晴らしく美しいお社…。“始皇帝暗殺“という映画も見ましたし、漫画も持っています。どれ程の思いで生きられた人生だったことか…“厳島神社の神様“の切実なる御心が伝わってくるようです。いつかは行かせて頂きたい神社です。それではまた…。】