ハイル禅師語録

ハイル禅師語録で奇跡の開運

聖徳太子

2016年01月30日 | 教え
ハイル禅師 聖徳太子の子孫は なぜ 滅びたのですか?

私:聖徳太子は 門閥政治を防ぐために 
自分の子孫が根絶やしになるような墓相にしたのです

聖徳太子は 釈迦の前世記を存じており 
釈迦が前世でトラに身を捧げた様に
自分も血族支配の門閥政治から脱却するために 
優秀な自分の子孫が絶えるように仕向けました
これは 厨子の中に描かれております

聖徳太子 亡きあと
蘇我入鹿が人望の厚い太子の息子の山背大兄王に
戦を仕掛けたが 山背大兄王は 戦えば勝てたのだが
多くの血が流れることを防ぐために 
太子の血族二十人余りで自決したのです

山背大兄王も徳のある人物で 
太子の考えを良く理解していたようです
太子が豪族の門閥政治を防ぐために
「冠位十二階」制度をつくり 家柄に関係なく
有能な者を政治家や役人に取り立てようとしたことをです

当時は「和を以って尊子と為す」と言わねばならぬほど
門閥がひどく 太子は 人望のある
自分の子孫が権力を独占することを阻み
息子もよく理解していたのです

太子は 真に日本を思うあまり
子孫が絶えるようにしたのは 天に誠を示す為でした

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