★すべての原発いますぐなくそう!全国会議・福岡~NAZEN福岡ブログ★

被曝労働者なしには1日も稼働しない原発に反対です。
原発再稼働・新設・海外輸出を許さない。全原発を直ちに廃炉にしよう!

●福島原発事故を2度と繰り返さないために闘おう!

8・9城臺美彌子さんのスピーチは多くの人を勇気づけた!8月15日佐賀の金曜行動≪報告≫

2014年08月17日 | NAZEN福岡

8月15日、佐賀県庁前の金曜行動(呼びかけ「さよなら原発佐賀連絡会」)に駆けつけました。
この日は敗戦の日、お盆ということもあり、
「どうしようか?」
という意見もありましたが、
「わたし一人でもやります」
という中心メンバーの決意の一言で行うことが決まりました。
いつもより人数は少ないものの、
雨も降らず、蒸し暑くなく、1時間があっという間でした。

佐賀市内も休まず働く労働者が多いです。
タクシーのおじちゃんやバスの運転手、郵便配達中の職員に向かって「みなさんが働いてるから社会は動いているんです」と言うと誇らしい顔でこちらを見つめた労働者。


 15分マイクアピールした人

40分マイクアピールとコールした人

「心が伝わりますように」と願いながら話ししました。

「7月末、福島の子どもたちを長崎に招待する保養にスタッフとして参加しました。たくさん遊ぶ、たくさん食べる、たくさん寝る『当たり前の夏休み』を子どもたちは過ごしました。そこで毎日スタッフの分も食事を作ってくれた女性は保養最後の夜に自らの被爆体験を語りました。その人は8月9日、平和祈念式典で平和の誓いを読みました。彼女は『集団的自衛権の行使容認は日本国憲法を踏みにじる暴挙です』と言いました。そう、城臺美彌子さんです。わたしも彼女の勇気を自分のものとして声を上げたいです。安倍首相は縦断的自衛権とか原発再稼働の前に子どもたちが放射能を気にせず当たり前の夏休みを送ることができるようにすべきです」
と話すと、赤信号で車の中から聞いていた女性が身を乗り出し拍手しました。
橋の端のほうにも話を聞き、立ってるいる女性がいました。
反応の大きさに胸が熱くなりました。

ずっと手を振ってくれた自転車の人もいました。
この拍手・反響は城臺美彌子さんの勇気を称えるものです。
城臺美彌子さんは8月17日、東京の日比谷公会堂で「改憲・戦争・原発・首切りの安倍をともに倒そう!大集会」で発言されるとお聞きしました。ものすごい活動量です。彼女の行動と勇気にどれだけ励まされたか分かりません。

再稼働阻止のために、戦争への道をストップさせるために、安倍政権打倒しましょう!
力を合わせて。

佐賀で会えばいつも温かく声をかけてくれていた方が病気で亡くなったと聞きました。
ショックでした。

体調が良くないと聞いていたけど、またすぐ会えると思っていました。
残念です。
宗教上の理由で「ご冥福をお祈りします」は使いませんが、彼からもらった笑顔、言葉、行動の一つひとつを次世代に伝えていきたいと思います。

参加したみなさん、お疲れさまでした。
福島切り捨て許さず、川内原発・玄海原発、再稼働阻止!全原発即時廃炉!
戦争反対!オスプレイいらない!基地はいらない!集団的自衛権行使容認反対!秘密保護法反対!
働く労働者の力で、みんなの力で安倍政権打倒しましょう!
(田宮)


城臺美彌子さんと8・17集会で声を上げよう!改憲・戦争・原発・首切りの安倍をともに倒そう!大集会◇案内

2014年08月13日 | NAZEN福岡

長崎から城臺美彌子さんも参加し、発言します。
まだどうしようか迷ってるあなた、参加しませんか?
どうしても参加できないあなた、拡散してまだ知らない誰かに伝えませんか?

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国境を越えた団結で戦争を阻止する!

福島の怒りと団結して全原発廃炉へ!
労働者の団結で社会を変える!
改憲・戦争・原発・首切りの安倍をともに倒そう!
8・17大集会
8月17日(日)正午(午前11時開場)
日比谷公会堂(東京・日比谷公園内)
参加費500円
●記念講演
荻野富士夫さん(小樽商科大学教授)「『蟹工船』から見えてくるもの」
韓国・民主労総ソウル地域本部 統一委員長 チョヨンナンさん「労働者民衆が望まない戦争と原発はなくすべき」
●コント 松元ヒロさん
「アベこべ政治をひっくり返そう!」
●呼びかけ人挨拶/8・17提言/動労千葉、動労水戸からの特別アピール/ほか
【代表呼びかけ人】
西川重則(とめよう戦争への道!百万人署名運動事務局長)
高山俊吉(弁護士・憲法と人権の日弁連をめざす会代表)
鈴木達夫(弁護士)
杉井吉彦(ふくしま共同診療所医師)
吉本伸幸(東京西部ユニオン委員長・鈴木コンクリート工業分会書記長)
椎名千恵子(3・11反原発福島行動実行委員会)
【呼びかけ人】
葉山岳夫(弁護士)
武内更一(弁護士)
森川文人(弁護士)
田中康宏(国鉄千葉動力車労働組合委員長)
辻川慎一(全国労組交流センター代表運営委員)
石井真一(国鉄水戸動力車労働組合委員長)
鈴木善弘(東京西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会執行委員)
根津公子(東京・「君が代」不起立被処分者)
水島満久(全駐労マリン支部元副委員長)
佐藤幸子(福島診療所建設委員会)
布施幸彦(ふくしま共同診療所医師)
北島邦彦(都政を革新する会)
織田陽介(すべての原発いますぐなくそう!全国会議事務局長)
三浦正子(婦人民主クラブ全国協議会代表)
斎藤郁真(全日本学生自治会総連合委員長)

主催:安倍をともに倒そう!集会実行委員会
〒167-0032東京都杉並区天沼2-3-7さかいビル3A tel&fax.03-6768-5027
abetaose(at)suzutatsu.main.jp

郵便振替口座 00140- 7- 419334「改憲阻止8月行動」


ヒロシマーナガサキーフクシマ 怒りを一つに 被爆69周年 8・9長崎集会は大成功!≪報告≫

2014年08月10日 | NAZEN福岡

 8月9日(土)13時30分から長崎県勤労福祉会館で「ヒロシマーナガサキーフクシマ 怒りを一つに 再稼働と改憲、戦争への道を許さない 被爆69周年 8・9長崎集会」が開かれました。主催はNAZENナガサキ(すべての原発いますぐなくそう!全国会議・ナガサキ)です。100名近い参加者でした。詳しくは後日、発行される予定の報告集をご覧ください。ここでは写真報告を中心に、「来年は(も)行こう!」と行動するきっかけになってほしいという思いでお伝えします。

 司会:NAZENナガサキ 
 主催者あいさつ:「長崎平和祈念式典で被爆者代表・城臺美彌子(じょうだいみやこ)さんがスピーチし、出席した安倍晋三首相の目の前で、『憲法を踏みにじる暴挙』と集団的自衛権の行使容認を痛烈に批判したことを、このあと城臺さんご本人から伝えていただきたいです」と話し、拍手が鳴り響きました。




フクシマから 吉沢正巳さん(希望の牧場・ふくしま)
 3・11当日の様子を数日前のことのように鮮明に話し、当時の絶望的な状況について伝えました。しかし、彼はその絶望を「怒り」として表し、東京電力や国に対してはっきり抗議し、ふくしまに希望をつくりだそうとしています。福島原発事故によって被ばくした牛たちを国からは殺処分するよう指示がでたものの飼い続け、「ボチボチてんてん(白い)が出た牛たちの因果関係を認めろ」と声を上げています。「汚染された土を入れたフレコンバックの寿命は3年、破れてきている。」「仮設住宅の劣化、きしみ」についてもふれ、「(原発事故が起きたら)みんな巻き添え、そういうふうになるんだよ」と言いました。
 来る途中に玄海町や長崎の鉄橋で街宣したことなどを伝え、「ボクたちの残りの人生のテーマとしてしょいましょう。原発の時代を乗り越える実力闘争しかない」と力強く話しました。



 

ナガサキの被爆者から 城臺美彌子さん
 
長崎平和祈念式典でのスピーチについて「集団的自衛権行使は暴挙だ」と、ヒロシマへメッセージ(被爆69周年8・6ヒロシマ大行動へ)を送るときに書いたことが、「怒りが出てしまった」と言いました。
 「私が小学校2年生のときにできた憲法を踏みにじる、あの戦争を繰り返してはいけない。決まり。使ったらそこには子どもがいるし、家族がいる。長崎は軍需工場があったから狙われたんです。まわりまわってわたしたちの元に落ちたんです。
 武器輸出を許したし、武器製造を許したのです。もちろんそれは戦争に使いますから、戦争への道です。私たちはいま、伝えていかなければいけない。被爆者へのアンケートで(共同通信)集団的自衛権『反対』は54%、『賛成』が24%あとは『分からない』です。驚きました。安倍の言葉にだまされているのです。みんなに分かるように話していくと『解った』と言ってくれるんですけど。フクシマとつながりながら反対運動をしていこうと思います」

 

 休憩を挟み、今年も福島の子どもたちを招待したNAZENナガサキ企画・大村保養ビデオ上映。
そして数十名のスタッフを代表して4名の方が報告をしました。NAZEN福岡からは代表松尾栄子さん(写真・右上)が伝えました。また写真家の方が子どもたちが海で泳いでいるところなど生き生きした姿を撮り、紹介しました。


改憲阻止、安倍政権をともに倒そう!
鈴木達夫さん
(改憲阻止8・17日比谷集会 代表呼びかけ人・弁護士)から、
 「本日の8・9、怒りのナガサキだと感じた。雨の中の8・6ヒロシマでした。松井市長は昨年、原発にふれない。今年、集団的自衛権にふれない。今日、長崎の市長は懸念と不安を語った。被爆者は『憲法破壊の暴挙』と言い切った。画期的なものだったと思います。8・17『安倍をともに倒そう』と呼びかける集会をします。

 そもそも戦争とは何ですか?どうすれば食い止めることができるか?中国が攻めてきたらどうするか?人民同士の友好。われわれは安倍を倒す。自分の国の戦争に反対する。国際的な連帯、労働運動の力でともに闘おう」

 

被ばく列車の運転強制拒否し、外注化に反対するJR労働から
辻川慎一さん(写真上・左 国鉄水戸動力車労働組合 副委員長)は被ばく労働拒否の闘い、国・東電・JR東日本への抗議、ストライキしながら闘ってきたことを伝えました。避難してきた人々と、地域住民の分断を乗り越え、動労水戸とともに闘ってほしいと呼びかけつづけ、実際にともに行動する人がでてきている、支持されていることを話しました。「長崎にも闘う労働組合をつくりましょう」と呼びかけました。中村仁さん(写真上・右 国鉄千葉動力車労働組合)もこの間の動労千葉の活動を報告し、闘う労働組合への結集を呼びかけました。



各地の発言
NAZEN福岡からは田宮星(事務局)が「玄海原発再稼働反対で佐賀の金曜行動に参加する中で佐賀空港へのオスプレイなどの配備阻止しなきゃと話になり、佐賀県庁に抗議に行ったり、川内原発再稼働阻止で鹿児島へ行ったりしています。8・6ヒロシマ-8・9ナガサキ闘争で安倍政権打倒しかないと確信しました。ともに闘いましょう」と発言。反原発と解雇撤回を闘う北九州の国鉄労働者から羽廣憲さん(小倉闘争団)は裁判の報告と闘いへの決意表明をし、広島大学自治会からは「労働組合・学生自治会の力で戦争をとめよう!」、反核・反原発を闘う首都圏・学生は「法政大学で不当逮捕された武田雄飛丸くんを奪還しよう!」と訴えました。さいごに、橋里耕悟さん(NAZENナガサキ事務局長)がまとめとあいさつをし、閉会しました。歴史に残る力みなぎる集会となりました!(文:田宮)


祈りのナガサキから怒りのナガサキへ 長崎平和祈念式典での被爆者代表・城臺美彌子さんのスピーチ・紹介

2014年08月10日 | NAZEN福岡

長崎平和祈念式典で被爆者代表・城臺美彌子(じょうだいみやこ)さんがスピーチしました。力強いスピーチはわたしたちに勇気を与えました。励まされました。

東京新聞報道、動画、長崎新聞(事前に)報道をアップします。
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「憲法踏みにじる暴挙」 長崎、集団的自衛権に怒り

2014年8月9日 13時56分

「平和への誓い」を読み上げる被爆者代表の城台美弥子さん=9日、長崎市の平和公園で(梅津忠之撮影)

写真

 長崎は九日、被爆から六十九年の原爆の日を迎え、長崎市松山町の平和公園で市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれた。出席した安倍晋三首相の目の前で、被爆者代表の城台(じょうだい)美弥子さん(75)が「憲法を踏みにじる暴挙」と集団的自衛権の行使容認を痛烈に批判した。田上富久(たうえとみひさ)市長も平和宣言で「平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が急ぐ議論の中で生まれている」と指摘。政府の姿勢に対する被爆地の懸念があらわになった。

◆被爆者代表「平和への誓い」全文 

 一九四五年六月半ばになると、一日に何度も警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴り始め、当時六歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。

 八月九日朝、ようやく目が覚めたころ、魔のサイレンが鳴りました。

 「空襲警報よ!」「今日は山までいかんば!」緊迫した祖母の声で、立山町の防空壕(ごう)へ行きました。爆心地から二・四キロ地点、金毘羅山中腹にある現在の長崎中学校校舎の真裏でした。しかし敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは「今のうちー」と防空壕を飛び出しました。

 そのころ、原爆搭載機B29が、長崎上空へ深く侵入して来たのです。

 私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。お隣のトミちゃんが「みやちゃーん、あそぼー」と外から呼びました。その瞬間空がキラッと光りました。その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えていません。しばらくたって、私は家の床下から助け出されました。外から私を呼んでいたトミちゃんはそのときけがもしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。

 たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなり、たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で多くの被爆者が命を落としていきました。私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。わたしが被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることもできません。今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界中から一刻も早くなくすことです。

 そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。

 福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々がおられます。小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。このような状況の中で、原発再稼働等を行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未知数です。早急に廃炉を含め検討すべきです。

 被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。小学一年生も保育園生も私たちの言葉をじっと聴いてくれます。この子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、思いいっぱいで語っています。

 長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください。日本の真の平和を求めて共に歩みましょう。私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え残していく決意を皆様にお伝えし、私の平和への誓いといたします。

 平成二十六年八月九日

 被爆者代表 城台美弥子

(東京新聞)
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長崎平和祈念式典での被爆者代表・城臺美彌子さんのスピーチ

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あなたとともに ヒロシマーナガサキーフクシマ 怒りを一つに 8・9被ばく69周年長崎デモ≪写真速報»

2014年08月10日 | NAZEN福岡

8月9日9時30分、城栄公園に集合し、爆心地公園までのデモに参加しました。
台風の影響で強い風が吹きましたが、雨も降らず、午後からの「ヒロシマーナガサキーフクシマ 怒りを一つに 被爆69周年 8・9長崎集会」の成功を予感させるデモとなりました

写真速報

 

デモ出発前に前段集会が行われました。



集会は全国の反核・反原発を闘う学生が元気よく司会をしました。
はじめに吉沢正巳さん(希望の牧場・ふくしま)がマイクを握り、昨日の鉄橋街宣の報告を受け、自治体労働者は安倍政権打倒の決意を述べ、教育労働者は「佐賀空港へのオスプレイなどの配備を阻止しよう。川内原発再稼働阻止しよう。集団的自衛権行使容認の安倍にデモを叩きつけよう」、首都圏の学生も長崎まで来た決意を述べました。そして最後に橋里耕悟さん(NAZENナガサキ事務局長)から行動提起があり、出発。

学生たちの元気の良いコールと吉沢正巳さんやスタッフ、希望の牧場・ふくしまの牛のオブジェとともに歩きました。途中、安倍首相が通るためと、長い時間、デモ隊はストップさせられ、不当な扱いをされました。わたしたちはその間ずっと

「安倍首相は帰れ!」
「福島を返せ!」
「ヒロシマーナガサキを繰り返すな!」
「フクシマを繰り返すな!」
「集団的自衛権行使反対!」
「原発再稼働反対!」
核兵器はいらない!」
とシュプレヒコールを上げました。
 

通りかかった人々は携帯やカメラで写真を取り、見つめていました。こちらが手を振るとじっと見つめ、うなずく人が何人もいました。

みんな闘っています。有給を取って駆けつけた仲間、情報を拡散してくれる仲間、遠くから見つめる人の目、わたしたちにとっては大きな力です。安倍首相と真っ向勝負で力の限りぶつかる仲間を支えたい!ともに闘う。そういう気持ちで一歩一歩歩きました。

 

爆心地公園に到着しました。母子像のところで黙とうしました。

「ヒロシマーナガサキーフクシマ 怒りを一つに 被爆69周年 8・9長崎集会」の案内をしました。母子像の前だからでしょうか?いつもの倍くらいの声が出て、たくさんの人が立ち止まり、仲間が配るチラシはあっという間に手渡されていきました。8・6ヒロシマでデモしたこと、8・9ナガサキへの思い、フクシマから来てくれた吉沢さんのこと、城臺美彌子さんの言葉を思い出しながら話しました。

吉沢正巳さんはつづく行動でかすれた声を振り絞り、「福島の浪江町から来ました。原発をうごかしちゃいけない。」と声を上げました。(つづく)