●「文化人は、浮いている」
今朝の日曜モーニングで、日本の国防のために軍事費を2%にしようとする動きについて、
コメンテーターの H田女史は、こう言っていた。
「軍事費を上げるよりも、いま必要な予算の配分を考えて【人と教育】に、より予算を増やしてほしい」
この方、『AERA』の編集長もやったことがあるんですよ。紛争地域の取材に赴いた経験もある。
その彼女にして、現在国防予算よりも「人と教育」予算が大事だと言っているのです。
この番組は、左寄りに偏向しているのは知っていたが、あまりにも地に足がついていないコメントである。
もう一人、女性カメラマンのコメンテーターも発言していたが、ABちゃんの「このままでは日本は、他国の笑い者になる」を取り上げて反対されていた。
国が在って、はじめて教育がある。
国が存続して、はじめて人を育てられるのです。
その母国が脅かされている時に、国を守るための現状分析(リアリズム)が微塵もないとは、茫然と言葉を失いました。いままで通り国が運営されると楽観しているわけです。
シニア世代に絶大なる人気を誇る『ハルメク』の敏腕女性編集長・山岡朝子女史が、文化人の仕事振りについて、これら無責任コメンテーターが一様に心に懐いている信念(開き直り)を一言で表していました。
「(仕事で)失敗しても、死にはしない」
そうなのです、文化人は間違ったとしても、死をもって償うことはありません。だから、好き勝手なことを口にして、その責任は取らないし、転向や変節も多いです。
かたや自衛隊はじめ軍人は、作戦行動の失敗は、即自分の死や部下の死に直結します。
それゆえ、彼ら軍人は徹底したリアリズムをもって軍事行動を貫いています。
「失敗したら、死ぬ確率が高い」
これが、軍事の基本です。
この、文化人の認識のズレが、彼らコメンテーターにイイ加減な発言をさせているのでしょう。
テレビは、コメンテーターの著しい劣化により、その使命を終わらせた。しかし、いまだにテレビに齧り付いている中高年は多く、影響力を持ち続けている。
その意味では、『日曜報道』で橋下徹さんが安倍ちゃんに「核シェアリング」の必要性について質問を振ったのは、大きな功績だったと感謝している。
[※ 但し、橋下氏の1対99の演出による作為的な一言、「ウクライナ人は、国外に逃げろ」が、海外でも呆れられているのは、非常に国益を損ねる発言であることは言っておく必要がある]
お蔭様で、世論がやっと追いついて来た。
現在、『文藝春秋』五月号に、安倍ちゃんが寄稿なさっている。タイトルは、
> 「核共有」の議論から逃げるな〜 中国・ロシア・北朝鮮からこの国を守るために (安倍晋三)
> 「日本は非核三原則ではなく、非核五原則だ」(故・中川昭一議員)
「持たず、つくらず、持ち込ませず」に加えて、
日本には【言わせず】【考えさせず】まであると。<
ーやっと、議論する兆しが見えてきた。
もはや間に合うまいが、日本のおかれた現状を正しく把握して、ふたたび敗ける覚悟をする時間だけは残されていてほしい。
●〜「核共有」しても見捨てられるんだって〜
『文藝春秋』五月号のメイン記事は、
フランスの歴史学者にして人口統計学者である、E.トッド氏による、日本が直視すべき怖しい現実を告げている。
いま、トッド氏にインタビューした理由は、並々ならぬその分析力と予想的中率にある。
(wikiより)> 経済現象ではなく人口動態を軸として人類史を捉え、ソ連の崩壊、英国のEU離脱や米国におけるトランプ政権の誕生などを予言した。
> 2006年、朝日新聞のインタビューにおいて、
「【核兵器は偏在こそが怖い】。
広島、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで、米ソ冷戦期には使われなかった。
インドとパキスタンは双方が核を持った時に和平のテーブルについた。
中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで、
東アジアも中国だけでは安定しない。日本も持てばいい。」と述べ、日本の核武装を提言した。<
『文藝春秋』の記事からも引用すると、
> ウクライナ危機は、歴史的意味をもっています。
第二次大戦後、今回のような「通常戦」は小国が行なうものでしたが、ロシアのような大国が「通常戦」を行なったからです。
つまり、本来「通常戦」に歯止めをかける「核」であるはずなのに、むしろ「核」を保有することで「通常戦」が可能になる、という新たな事態が生じたのです。
これを受けて、中国が同じような行動に出ないとも限りません。これが現在の日本を取り巻く状況です。
いま日本では「核シェアリング」が議論されていると聞いています。
しかし、
「核共有」という概念は完全にナンセンスです。
「核の傘」も幻想です。
使用すれば自国も核攻撃を受けるリスクのある核兵器は、原理的に他国のためには使えないからです。
中国🇨🇳や北朝鮮🇰🇵に米国本土を核攻撃できる能力があれば、米国が自国の核を使って日本を守ることは絶対にあり得ません。
自国で核を保有するのか、しないのか。
それ以外に選択肢はないのです。
ヒロシマとナガサキは、世界で米国だけが核保有国であった時期に起きた悲劇です。
核の不均衡は、それ自体が不安定要因となります。
中国に加えて北朝鮮も実質的に核保有国になるなかで、日本の核保有は、むしろ地域の安定化につながるでしょう。
[※ 『文藝春秋』五月特別号より、
緊急特集;ウクライナ戦争と核、
「日本核武装のすすめ」(歴史人口学者エマニュエル・トッド)より引用
“ ロシア侵攻後、世界初のインタビュー
米国の「核の傘」は幻想だ ” ]
『文藝春秋』五月特別号・目次
<緊急特集> ウクライナ戦争と核
🔹米国の「核の傘」は幻想だ
日本核武装のすすめ エマニュエル・トッド
🔹「核共有」の議論から逃げるな
中国・ロシア・北朝鮮からこの国を守るために 安倍晋三
🔹国家安全保障戦略「三本の矢」 北村 滋
🔹「核の選択」清水幾太郎を読み直す 片山杜秀
🔹第三次世界大戦の発火点 中西輝政
🔹<徹底分析>プーチンの軍事戦略
もっとも陰惨なシナリオとは? 小泉 悠
🔹プーチンが心酔するロシアの怪僧 古川英治
🔹ゼレンスキー「道化と愛国」 岡部芳彦
ー実におそろしい事態が、われらが日本の上に起きています。
別に、禍々しい「核兵器」なんか使わなくても、ほかに最先端の科学兵器があるだろうにと軽く考えていたが、そうではなかったのですね。
壊滅的な破壊力を有する「核兵器」であるからこそ、保有する国に特権が生まれてしまう、特別な軍事力であるわけです。
北朝鮮が、必死にアメリカに向けたミサイルの射程距離を伸ばしていたのは、対アメリカ攻撃を念頭においた軍略ではなかったのですな。
照準は日本に向けられていたわけです。
アメリカまで反撃ミサイルが届くならば、たとえ日本で「核共有」したとしても、アメリカは日本の為に「核ミサイル」を使用することは、【絶対に無い】だなんて…… そんな殺生な。
戦時においてアメリカの行動は、到底信用できるものではなく、ウクライナ危機においても、わが国は国益に反する対ロ制裁を強制されています。
わが邦の生殺与奪の権を握るアメリカに対して、日本が国家として如何にして、自律することが出来るか、そうするために「核」を持つことをトッド氏は勧めていました。
神の如き「核兵器」は、どちらか一方の国に偏在(かたよって分布する)するのを拒むようだ。
神と似て、「核」も国家間に遍在する方向性があるのかも知れない。
実に自己破滅的な兵器である。
最初にアメリカが開発して、唯一の「核保有」国となったときから、すべての凶事が始まった。
遍在しようとする「核」は、米ソ冷戦時にすぐさまバランスを保とうと敵国ソ連にセットのように装備された。
もはや、実現してしまった「核兵器」は、止めようがない、人々の恐怖心が止めさせないのだ。
まったく、「核」のない時代に戻る(核放棄)か、攻める国・守る国のセットで両国ともに「核保有」するか、この二つしか打つ手はないように思える。
いまの、日本に残された選択と条件は同じだなと、暗澹たる気分に陥る。
たぶん、日本では「核保有しない」に軍配があがるだろうと予想する。霊的に受け付けない感じがするからだ。
神の如き「核」の裏面は、実に禍々しきもので、日本にそぐわないと感じるのが日本人というものなのかも知れない。
日本人が、唯一無二の母国の良さを意識することが何より大切なことなのだと思う。
だからこそ、正しく現状を知って、心静かに亡国を覚悟しなければならないのだ。
_ . _ . _ . _ . _ . _ 玉の海草