『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

《玉断》 畏れるべき関西文化〜 「させていただく」 の是非

2022-06-10 18:30:22 | 日本語

__ きょう、カトパンのワイドショー『イット』のニュースで取り上げられていて、コメンテーターの明治大学の齋藤孝先生からのコメントもあって、参考になった今流行りの言葉が、「させていただく」である。

 

 

番組ではアンケート(30人だけだが)も取っていて…… 

20〜30代は「礼儀正しくて良い」「言葉自体が好き」という声であり、

50代以上は、「丁寧そうで丁寧ではない、好きじゃない」「何となく上から目線」との意見だそーだ。

文化庁の「敬語の指針」(2007年)に拠ると…… 

「させていただく」を遣うシチュエーションとして、ふたつの条件を満たす必要があると云ふ。

・相手・第三者の許可をうける場合

・そのことで自分が恩恵をうける場合

 

齋藤孝先生の話しでは、2010年頃から、政治家が多用し出したことも影響していると云う。当該者は、鳩山さんや麻生さんなどである。

この「させていただく」の言い方は、

「丁寧な言葉をつかうことで謙虚な姿勢を一見示しつつ、自分の意思は通させてもらう」という便利な言い方であると云ふ。

 

まー、なるほどと思いながら聞いていたが…… いまひとつ深掘りが出来るので、私見を加えよう。

関西発祥のコトバが日本を席巻する

[2022-02-22 06:27:18 | 8´11´22]

 

コミュ力において、関西と東京とでは比較になりません。まるで都びとと鄙びと(田舎者)ほど違います。

話しコトバの「柔らかさ」、対立に持って行かない「意図的なあいまいさ」、リズムを崩さない敬語「〇〇してはる」等々枚挙にいとまがありません。

何より、名前の判らない人に対して、つかえる言葉を持っている処は讃嘆せざるを得ません。

レパートリーが豊富で羨ましいです

たとえば、「にいちゃん」「ねーちゃん」「おばちゃん」「おっちゃん」「旦那さん」「坊ん(子ども)……

年上につかう「にいさん」「ねえさん」もありますな。

気軽に声を掛けられる、その土地で長い歴史の中で認められた、失礼のない言い方(言葉)をコミュニティで持っているとゆーことが素晴らしいことなのです。

京には主上がおわしまし、近畿は商人の街だからでもありましょー。

わたしは、東北人ですが、大阪では他人に気さくに声をかけることが出来ますが、地元にもどるとまるで会話が発生しません。

東北には、「名前のわからない人」に対する呼びかけの言葉(失礼のない言葉)がないからです。

都会的で洗練されているよーに見えても、首都東京でも事は同様です。東(あずま)びとは大勢の人々にもまれて仲違いすることなく生きることに未だ慣れていないのでしょー。

 

ー大阪で三年間大お世話になり、関西人を芯から尊敬する私くしですが、「めっちゃ」「〇〇させていただく」も関西発祥なんですが、何となくキライなんです。

「めっちゃ」は関西方言をあづまびとが盗用したといえますが……

「させていただく」は、もっと事情が複雑なのです。

 

司馬遼太郎『街道をゆく(24) 近江散歩奈良散歩』に拠ると……

> 日本語には、【させて頂きます】、というふしぎな語法がある。この語法は上方から出た。ちかごろは東京弁にも入りこんで、標準語を混乱(?)させている。

「それでは帰らせて頂きます」。…… 略…… 

「はい、おかげ様で、元気に暮させて頂いております」

この語法は、浄土真宗(真宗・門徒・本願寺)の教義上から出たもので、…… 略…… 

絶対他力を想定してしか成立しない。…… 略…… 

「地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました」などと言う。相手の銭で乗ったわけではない。自分の足と銭で地下鉄に乗ったのに、「頂きました」などというのは、他力への信仰が存在するためである。もっともいまは語法だけになっている。

 

__ どうやら「させていただく」は、浄土真宗の他力本願から出た「宗教的なコトバ」らしいのだ。

大阪芸人が師匠筋にたいしてつかう「勉強させていただきます」にしても……

自分が勉強するのに、師匠の許可が必要なはずはない。勝手に勉強すればよいだけだ。それをあえて「させてください」と許可を願う言い方をするのは、

師匠におもねるとゆーよりも、絶対他力で阿弥陀様のはからいにより、「させていただく」とゆーことなのだ

実に深い、宗教的なコトバなのである。

同じ消息で、「息させていただく」や「感動させていただく」など言いそーであるが、実に他力の思想では成り立つ言い方なのである。

この「させていただく」とゆー語法は、近江商人の行商によって全国に流布されたとする説もあるそーだ。

近江商人には一向宗の門徒が多かった。

なるほど、関西圏以外で「させていただく」を聞いたのは、新潟県上越市の人であったが……

新潟の海沿いは、親鸞上人にゆかりの深い土地だものなあ、妙好人がつかったのかも知れませんね。

「生かしていただく」も、まったく同じ消息ですね。

実に深い言い回しですが、「〇〇させていただきます」と言われるのが、何故か大っ嫌いなんです。

「させていただく」は、丁重なコトバではあるが

【敬語ではなく】、言い切る処に相手の意向を無視している慇懃無礼さがあると云います。

たぶん、他力信仰のない人がこの語法だけを使っている処にも異和感があるからだと思います。

ちょっと阿る(おもねる)よーな、胡麻するよーな腰の低さは、武士(プライド)を尊ぶ東国にはなじまないものかも知れません。

 

 

__ ほかにも、さすが関西圏のことばは強烈やわと再確認させられるのが、

「めっちゃ」や「わかれません」もあるんだす ♪

 

● “ コトバの棲み分けは大切 ”
[2019-12-04 02:44:33 | 王ヽのミ毎]


「めっちゃ」とゆーコトバに、これだけ意見があるとゆーだけでも、このコメント欄には日本語を大事に遣う方々が集まっていると云えるのかも知れん
私は、若い頃大阪で三年程住ませてもらったから、「めっちゃ」とゆー関西方言が遣われる場面は数多く見聞きしている(大阪を「めっちゃ好きやねん♪」)
大阪にも私の限られた経験からみても、いろいろな大阪弁のランクがあって、私は特に「船場言葉」と云われる、落ち着いた渋い感じの大阪弁にシビレておりましたわ
「おおきに」って、語尾下げて言わはる旦那衆なんか、なんとも云えん都びとの風情を醸し出しておられました
今回の「めっちゃ」は、大阪の若い女の子がつかう印象が強いです、男が云うのは聞いたことがない
もちろん、私も遣いませんでした


◆「めっちゃ」の本来
めちゃめちゃー滅茶滅茶ー目茶目茶
めちゃくちゃー滅茶苦茶
むちゃくちゃー無茶苦茶


‥‥ ってところでしょーか?
「無茶苦茶しよるな」とか「目茶目茶好きや」とかは僕自身ゆーとったと思う、「むちゃくちゃ」の音韻が男っぽい思うねん

まー、くだけた口語であるし、そもそも方言でもあるし、あらたまった席で遣う語彙ではない
きちんとした妙齢の日本婦女子の遣うコトバではない
人は、自分の身の回り(ネット環境も含む)で遣われるコトバしか、原則として遣わないので……
「めっちゃ」を多用するのは、底が知れるとゆーものだ
強調する表現を多用する人は、また最上級のコトバを遣いがちな人は、全体がよく分かっていない人です
世の中にはそんなに端倪すべからざることは、多くないものだからです
盛り過ぎた話は面白くない

「めっちゃ」を、関西以外の土地で遣うのならば、それは仲間内の符丁みたいなものだ
テレビ画面ではよく見聞きするコトバだからといって、限られた世界での流行りコトバに過ぎない
若者コトバと云ってよいかも知れない、口調が可愛いとゆーかむしろ幼い
ついでに云えば、なんらオリジナリティーの感じられる表現ではないのだ

昔の人、つまり日本語をつくってきた人々の書いた本も読まないし、年寄りの話にも耳を傾けない環境ならば、もはや致し方ない

 

●  [2022-02-21 17:01:44 | 8´11´22]

理解できないとゆー意味合いの「わからない」を、「わかれない」とゆーのは、一体誰が言い始めたのか?

「わかる」には、それ自体で「可能」の意味が含まれるから、「わかることが出来る」とは言わんし、ましてや「わかれる」なんて、普通の日本人は言わない。

 

🌷「わかれない」と耳で聞いたら、普通は、例えば男女間で「別れない」の意味だと思うだろー。

Yahoo!知恵袋にも、「見える」「できる」「わかる」などに可能の表現はないと記しておられる方がいた。

それゃそーだろー、「わかる」で充分なのにわざわざ「わかれる」とゆー人の気が知れない。

「わかれる」は、「わかられる」の「ら抜き言葉」だとゆー解釈も成り立つが、「わかられる」に「理解することが出来る」とゆー意味はない。

 

🌷「わかれる」と同じよーな使い方で、「生きれる」がある。

これは「生きられる」(=生きることが出来る)の「ら抜き言葉」である。

「いきれる」と耳で聞いたら、わたしなら「息切れる」と勘違いするだろー。まったく正反対の意味合いになってしまう。

「生きる」とゆー根本の話題について、誤解されやすい言い方はするべきではない。

 

🌷「見れる」と「見られる」と比べた場合……

「見ることが出来る」とゆー意味でつかうならば、一聴して「見れる」の方が意味は伝わりやすい。

「見られる」だと、誰かから見られている意味で「受動態」で解釈したり、「敬語」として解釈したりする恐れがあるから。

だけれども、「見れる」は音韻が悪いから私はつかわない。

 

「わかれない」とつかっている人の文章を読むと、しっかりとした文章で素養もありそーな人が使っている。少なくとも大学卒だと思われるのだが、いったいどこでこの「わかれない」と読んで覚えたのだろーか?

わたしは、知識人としては基本である「2000冊の読書」(中野好夫基準)をクリアしているが……

その読了した本のなかで、「わかれない」とゆー日本語に遭遇したことはない。

誰が言い始めたのか、ずいぶんアタマの悪い言い方だと思うが如何か?

 

 

__ この拙稿に応えて、関西のISHK読者の方から、貴重な現場の使用例を教えてもらったのです。

わからないを、わかれないと使うのは普段、関西弁で、「そんなんわからんわ」と使うとキツクなるので、

普段は、これわかる?と尋ねられたら、

上司になら「すみません、わかりません」ですが、

同僚なら「ごめんなさい、私にはわかれませんわ」

「そんなん、わかれませんよ」普段使ってる方便の癖です。

 

__ なるほど、関西圏の人付き合いは濃密だなあと感嘆してしまう。そんな、微妙な使い分けをなさっているのですね。畏れるべし、関西人 ♪㊗️

天子さまの都のあった京は、徳川さまが治めるまで始終戦乱の巷でありました。隣の大坂は、生馬の目を抜く商売人の都でありました。

それゆえ、この近畿圏における「生き残りの知恵」は、到底よその土地の及ぶところではないことは容易に推測されます。

会話のスキルが、命にかかわることもあったことであろう。言葉は、他人の気持ちを逆立てるものであってはならなかったのです。

実際、大阪では全く個人的な情報をやりとりすることなく、うわべだけの親しい会話を延々と続けることができる。大阪弁とはそんな重宝な会話体でもある。

極端なはなし、大阪弁ならば内気な私でもナンパできますよ。

素晴らしい「しゃべくり」の高度な伝統、敬愛鋭く大阪はこれからも、中央の日本語に揺さぶりをかけて来ることだろう。

そのたんびに、懐の深いその使用法を学べば、日本人のコミュ力も飛躍的にアップするのは疑いがない。

困った流行り言葉だが、表現にレパートリーを増やした功績は見逃せない。どっちに転んでも、さすがの人間通の粋人・大阪人である。真の都びとの名に値いしよう。

最後に、『五常訓』から借用した齋藤孝先生の「愛の一句」を。

 慇懃無礼

  礼に過ぐれば

    へつらいに

        _________玉の海草



1 コメント

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Unknown (ISHKノート 研究レポート)
2022-06-13 23:15:10
「コメント欄に掲載されるものと、不掲載になるものとの違い」
20220609の記事は、『他人に意見する時の心得』であった。
それで、まさに他人に意見する投稿をしたわけだが……
初稿は弾かれて、記事を読み直した上で推敲した第二稿は、めでたく掲載された。
その違いを書き記しておこうと思う。

(拙稿の初稿)>
20220610
「気に障る言われ方」
よく耳にするのが「〜した方がいいですよ」
コメント欄でもちょくちょく見かける。
この言い方が許されるのは、限定された条件下だけなので、よくよく注意しなければならない言い方である。
つまり、年長者から年少者への言葉である。
あるいは、経験者から未経験者への言葉である点である。

「〜した方がいい」、had better に当たるのか、この言い方は「良い悪いの判断」を告げているからである。
🚩年寄りが若者に言う分には、なんら問題はない。年寄りの経験則の方が上回るのが普通だから。
🚩しかし、これをたとえば年下の女子から言われたとしたら、たいていの男はカチンと来るだろう。
平たく言えば、この言い方は、あなたの判断は間違っていますよ、だから私の言うとおりに「〜した方がいいですよ」と言っていることになる。
この失礼さに気づかない若者が増えている。
🚩たとえば、ITに関しては若者の方が、情報強者だからそれは許される。年配者はSNSにも後から参入した新参者で情報弱者だからである。
🚩しかし、人生全般においては、若者が年寄りに向けて放ってよい言葉ではない。IT機器を使いこなせないからといって、人生の先輩の如く上から指図してよいわけではない。
🚩ご自分をしっかり持つのは勿論よい。そのことに異論はないが、他人の判断の正否を自分が決められると自惚れてはならない。🚩あなたが上の立場にいるわけではないからだ。
まして、目上の人には断じて言ってはいけない言葉遣いであると思う。

(推敲した第二稿)>
「気に障る言われ方」
⛳️これは気をつけないといけないと用心している言い方が、わたしにもある。
【〜した方がいいですよ】という一見なんでもない言い方だが、コメント欄でもちょくちょく見かける。
この言い方が許されるのは、特定の人間関係だけなので、よくよく注意しなければならない言い方なのである。
つまり、年長者(年上)から年少者(年下)への言い方である。
あるいは、経験者から未経験者への言い方である。
上から指図する言い方となっているからである。

「〜した方がいい」、had better に当たるのか、この言い方は「良い悪いの判断」を告げているからである。
平たく言えば、この言い方は、あなたの判断は間違っていますよ、だから私の言うとおりに「〜した方がいいですよ」と言っていることになる。
この失礼さに気づかない人が増えている。
目上の人には、断じてつかってはいけない言葉遣いであると思う。

__ 🚩印は、具体例および直接的な攻撃である。
⛳️印は、立場を変えて、直接矛先を向けないやり方である。
言葉尻の違いにお気づきいただけたかと思う。今回の記事にあるような配慮をRさんもしておられることが明らかになった。
だとしても、正直なところ、私の初稿にあるような「あなた」と呼びかける攻撃的な投稿が女性読者からされた場合は、いつも掲載している感がある。
女には甘い。
あるいは、情報弱者を差別語として捉えたのか?
まー、ネットスラングや幼稚な罵倒を含む投稿は、最近アップされなくなったのは、良いことだと感じている。
無意識で剥き出しの悪感情は、見るのもイヤなものである。
他人の口に戸は立てられぬものだが、あまりに低脳な記述を受け付けないのもまた、大人の配慮であろう。
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