『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

 どうしても気に障る日本語〜 三度び、「 ❌ 感謝です」

2023-01-08 01:34:26 | 危機感

__ なんて日本語だ! と、呆れかえって許せないのが「誰それに、感謝です。」という言い回し。

面白い解釈を見つけたので、記しておくことにする。

 

 

🔴気になる流行語「感謝です」

いままで、何故この言葉が気に障るのか、日本人🇯🇵として違和感を覚えるのか、ハッキリとわからなかったのだが……

「です」は丁寧表現だから、丁寧さを取り除いた基本文が「感謝だ」になるわけですよ。

 

「感謝です」➡︎「感謝だ」

 

といいかえると、本質的に間違っているのがよく判る。

「感謝だ」とか「感謝である」

なんて誰も言わないでしょ。

「感謝だ」という確言は、明らかに間違った日本語でしょう。

 

「〇〇だ」と〇〇に名詞(体言)を入れると……

例えば、「いまが、チャンスだ。」とかは立派に成立する。

だからといって、「あなたに、感謝だ。」とは言わないでしょ。

だから、こういう言い方を平気でするようになった、日本人のコトバ感覚(センス)が深刻に懸念される。

 

まともな日本人が、「感謝しています」という厳粛な気持ちを、軽薄短小に「感謝です」なんて縮めて言いますか?

 

ニューミュージックの天才作詞家・ユーミンや、私の尊敬する作家まで、還暦以上の方々も「感謝です」なんて平然と使っているんですよ。

嘆かわしいと思います、昨今は詩人も堕ちたものです、世も末です。

どうか国語に詳しい方々のご意見を承りたいものです。

 

 

 

🔴「感謝です」という本音とは?

或るブログのコメント欄で、実にユニークな意見を見つけたので、引用しておきます。

 

「感謝です」= 感謝(みたいなもの)です 

 

私も百歩ゆずって、「感謝(の気持ち)です」ぐらいの軽さかなと感じていました。

 

現代はインターネットが普及して、以前でしたら発信する機会のない人びとが「自分で文章をつくって、発信する」ようになりました。

そもそも、読書しないのに加えて、ネット上に書かれた変な日本語に最初から馴染んでしまうものだから、自然とそれを真似て書くようになったのだと思います。

 

ー他にも、実際目にした気になる書き方を紹介しますと……

なるほどでした。

  管理することによって、マトリックスの世界へ一直線に思います。

…… 納得してないのに議員で決めてしまうのは悶々です

最新チップ技術がこのように使用され活躍しているのは本当に賞賛です

今回の予言はガクブルです

コメ欄は良くみないとですね。

何とかしないとです。

自然霊なら、私を生かしてくれているだけでも感謝しなきゃですよね。

エアコンの取り替えのため、部屋の片付けが労働です

 

📺ニュースより)> 環状七号線で、 トレーラー火災が発生です。[※  何故、「発生しました」と動的な日本語が使えないのか]

 

 

…… まーありがたい事に、意味は通じるものの、おかしな言い方が流行ってきたものだと、頭を抱えてしまいます。ちゃんとした日本文になっていないのです。

最早、報道ニュースの原稿にまで、採用されているのですよ。

マスコミの言語レベルもガタ落ちですし、確実に民度は低下していると思います。

 

日本の先人がたの日本語の使い方を知っておいてから、それを時代に合わないから破るのなら、まだ話は分かるのですが…… 

基本的な日本語の使い方を、そもそも知らないで(人付き合いが希薄でコミュニケーション不足なので)、自分勝手に都合のいいように改悪するのですから、堪ったものではありません。

 

心ある人だけでも、正しい日本語🇯🇵を守っていかないと、大変なことになると危機感をいだいております。

       _________玉の海草


 日本人の読解力〜 8割の人は、 Twitter の文章を正しく 理解できない

2022-12-24 05:01:20 | 危機感

__ どこのコメント欄を読んでもそうだが、

なんでこんな甚しい読み間違えをするのかな、ちゃんと学校🏫教育をうけたのかな、あちこち拾い読みして早合点してて、これは付ける薬がないなと思われるコメントも少なくない。

いろいろな年齢層、いろいろな学歴があるので、一概に決めつけることは出来ないが、かなりの割合で「誤読」が横行しているのは事実のようだ。

 

 

__ オタキング岡田斗司夫から、頭のよい人として強力推薦されている、

橘玲『バカと無知 〜人間、この不都合な生きもの』

の中に、日本人の読解力に関する客観データが詳しく記載されてあったので、以下に引用する。

 

 

 

【資料】

国立教育政策研究所編『成人スキルの国際比較 OECD国際成人力調査PIAAC報告書』明石書店刊-より

OECD加盟国を中心に、24ヵ国・地域の1665歳の約15万7000人を対象に、201112年に実施された。

 

…… この調査は、ヨーロッパにおいて若者を中心に失業率が高い原因として、仕事内容と応募者のスキルとが噛み合わないのではないかということになり、

仕事に必要な三つのファクター、

・「読解力」

・「数的思考力」

・「ITスキル」

を実際に調べてみたものらしい。

 

PIAACの問題は、レベル1からレベル5まであり、

レベル3は「小学校5年生程度」の難易度とされている。

 

「読解力」の調査結果をみると……

 

「読解力」のレベル3の問題例では、

図書館のホームページの検索結果を見て、

「『エコ神話』の著者は 誰ですか」

という問いに答える。

あまりにも簡単だと思うだろうが、正解するためには、問題文を正しく読めるだけでなく「検索結果をスクロールし、そこに該当するものがなければ『次へ』の表示をクリックする」というルールに気づかなくてはならない。

この問題に正答できない人は、日本では27.7%で、34人に1人になる

 

レベル4の問題では、150字程度の本の概要を読んで、質問に当てはまる本を選ぶが、日本では8割近い(76.3%)成人がこのレベルの読解力をもっていない。

ツィッターの文字数の上限は140字なので、5人のうち4人は書いてあることを正しく理解していない可能性がある

 

他の二つのファクターの評価基準については、

・「数的思考力」

レベル3立体図形の展開

レベル4単純なグラフの読み取り

・「ITスキル」

レベル3メールを読んで会議室の予約を処理する

 

 

…… こうした本格的な調査から窺える、日本人の成人スキルとは?

 

>【まとめ】

❶ 日本人のおよそ3分の1は「日本語」が読めない。

❷ 日本人の3分の1以上が 小学校 34年生以下の数的思考力しかない。

❸ パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は 1割以下しかいない。

 

この惨憺たる結果にもかかわらず、日本人の成績は先進国で1位だったのだ。

 

…… やはり世界全体を見渡すと、道徳心(教育レベル)を求め得る国は、極めて少ないことが分かる。なるほど、W杯サッカーで暴動が起きるわけである。

とはいうものの、暗澹たる思いを懐かざるを得ない。

 

ツィッターの文章内容を正しく把握している人は、全体の2割しかいないのである。

最初の3行しか読まない(=読めない)とは、よく耳にする。

何かの試験に臨んだとき、

その 問題文を正しく理解できない人(当然、解答を間違える)が、3分の1もいる のである。

企業が、大卒から雇用したい気持ちもよく分かるような気がする。

 

 

__ ホリエモンのYouTubeチャンネルでも、この「日本人の読む力」については取り上げられていて…… (百田尚樹との対談にて)

 (ホリエモン・談)

文字が読めます

文章が読めます

文脈が読めます

行間が読めます

みたいな、レベルあると思うんですけど、

結構な人が文字は読めてるけど、文章として読めてない。

 

実例として、ご自身のTwitterでの発言に対する、読者の反応を上げておられた。

ホリエモンの実際のツイートが…… 

 

> 「A380のファーストクラスは機内でシャワー🚿浴びれんのか!」

 

…… この一文が、正しく理解されなかったらしい。

読者は、疑問文として捉えたり、非難する文として捉えたり、およそ半数の人びとが誤読してクレームを付けてきたものらしい。

これに対して、同席した 百田尚樹 も、

> 反語的表現が伝わらないですね。

…… と共感を示しておられた。

ある程度の読書量をこなした人なら、「文章のアヤ」というものに理解が及ぶものであるが、そうではない人びとが目立って多くなってきた。

 

これは、もう一つの見方からすれば、

もともとそうした誤読する人びとが一定数存在したのだが、紙のメディア全盛の時代には、そうした者たちはライター(執筆者)の立場になることはなかった

しかし、インターネットの時代となり、自分から発信するようになると、文字は読めるが文脈を読めない輩も、発信するようになるわけで…… 

結果、そうした投稿が目立つようになっただけだとする見方もある。

 

日頃は、文章を書くことのない個人が、ネット社会に参入して、自ら文章を書くようになった弊害だというわけである。

ほんとうに困ったことである。正しい読解力を持っているか否かが、こんなにも問題となる時代が到来したのである。

 

 

 

 

__ 悪名高き「学力偏差値」は、平均を「50」として、平均からどれほどかけ離れているかを示すものだが(50を頂点とする「ベル🔔カーブ」を描く)……

 

 

偏差値4060の範囲に、68.3%の人達が収まるそうだ。

高い偏差値ばかりが注目される日本だが、低い方、偏差値40以下に該当する人は、6人に1人は確実に存在する

本当は、行政的に無視できる人数ではないのだ。

そのかた達は、まったく存在しないかの如く口の端にのぼることもない。

 

 

ーネット社会では、こうした能力の低い人達が自信たっぷりに自分を主張することが間々ある。

これもまた、人類の進化の歴史をひもとくと理解できるのだそうだ。

 

人類は、歴史の大半を 最大150人ほどのグループ(共同体)で暮らしていた経験から、この自信満々な人々の生存戦略が浮かび上がってくる。

 

橘さんの本から引くと>

目立ち過ぎて反感を買うと、共同体から放逐されて死んでしまう。

目立たないと、性愛のパートナーを獲得できず子孫を残せない。

 

…… つまり、能力の低い人は、目立つために「自信たっぷりに能力があるように振舞う」必要がある。

能力の高い人は、目立たないように、「能ある鷹は爪を隠す」必要がある。

上記の本では、

「バカと利口が熟議する悲劇」と見出しをつけていたが、

論戦をつづけると、バカに引きずられる結果に終ることが多い。

そうなるポイントは、能力の低い人は「自信満々」だからである。「自信満々」かどうかは、誰にでも容易に見分けがつく。

 

人間は、脳🧠の認知能力の限界から、とりあえず「自信たっぷり」の相手を信用するものらしい。

しかしそれは、あくまでも、脳エネルギーの節約のためなのであって、「性善説」から来るものではないそうだ。

 

能力の高い人は、目立たないように物言いも謙虚にして断言なぞ決してしない。

その結果、自信満々の〇〇に引きずられることになる。

あちこちのコメント欄で、よく実例を見かけますね。

 

一定レベル以上の人々による討論でないと、「三人集まれば文殊の知恵」という「集合知」は獲得できないということです。

とすれば、求められる政治形態とは「賢人政治」ということになろうか。

 

 

 

様々な実験データから導かれる「人類の設計図(デザイン)」

橘さんの言葉を味わってみよう。

あらゆる生き物は、生存と生殖を最適化するよう長大な進化の過程で「設計」されてきた。

残念ながら、進化の目的はあなたの幸福ではないのだ。

🧠はよい出来事よりも悪い出来事を強く経験し、記憶するよう「設計」されている。

 

……「身内びいき」「仲間意識」ということがあります。

現代の進化論においては、

ヒトが(自分の所属する)内集団に対してやさしくなることと、

外集団に対して残酷になることとは表裏一体であると言われています。

 

「共同体のあたたかさは排除から生まれる」

…… という、身も蓋もない現実相も見逃してはいけませんね。

 

橘さんはまた、

限られた一生で読める本は、頑張っても23万冊程度なので、読む本を選ばなければならないということを提案なさっています。

現代ではまったく通用しない、古めかしい「オワコン(終わったコンテンツ)」も、惰性的に「教養」としてまかり通っているからです。

 

ここ半世紀で爆発的に進歩した「知のビッグバン」と呼ばれる、新しい判断基準「知のパラダイム変換」……

 

複雑系・進化論・ゲーム理論・脳科学・ICT(情報通信技術)

 

等の世界常識を塗り替える新展開は目覚ましいもので……

イェール大・成田悠輔の統計解析学とか、ビッグデータを駆使した客観的データに基づく見解には、なるほどいままでの時代にはなかった客観的説得力があります。

わたしが、さんちゃんの『ほんまでっかTV』を観るのも、考えてみればフロイト的な主観的心理学ではなく脳科学の実験や新しい進化論による客観的識見を知りたいからなのだと思います。

 

最近、昭和の時代に科学的な常識だったものが、次から次へと覆されています ね。

 

実験やデータによる客観的なエビデンスの上に築かれた最新知識(量子力学も含む)を学ぶ方が、実生活においてもタイムパフォーマンスがよいとは言えるかと思います。(勿論、昔日の智慧にも意外な宝玉が混ざっていることも間々あります)

 

 

ー 男女差にも言えることだが、これら人間の生得的というか生理的な基礎条件をないがしろにしてはならないだろう。

「多様性」を謳うのであれば、しっかりとした客観データに基づいた必然的な分類であってほしいものだ。

 

最近の、こうしたすこぶる実際的な広域実験データは、ほんとうに面白いと思います。

ビッグデータを基にしたAIの分析は、存外に真実に肉迫しているんじゃないかと思っています。(但し、データの取り方は適正なのかを精査する必要がある)

これからの時代、本当の意味での個別性が重要視される時代に本格的に突入するようだ。

 

いままでは、個性といったら専ら芸術や学問分野での必須事項だったが、AIの爆発的な進歩の渦中で、

人間の「個」の魅力とは何なのか、深く掘り下げられることだろう。

それに耐えうる、いわば掛け値なしの人生の達人が注目を浴びる時代が、ほんとうに到来するのである。

 

人生において、機械的な反復活動は除外される方向へ向かうだろうが、ほんとうに無意味なのかもまた、真剣に吟味される時代となる。

 

ひととして、有機生命体として、何が出来るのか、何をすべきなのか、ーーー つまりどのように生きるべきかが「待ったなし」で問われる時代ということになろう。

人間味の豊かなひとは、そのままでいいだろうが…… 反応するだけのロボット🤖人間には最後通告を突きつけられる時が、刻一刻と迫っている。

 

人間だけにしか出来ない行動とは何なのだろう?

そこにはどんな意味があるのだろう?

 

前世紀末より、いろんなメディアで頻りに「目覚めよ」という強力なメッセージが送られている。

 

まー、難しいことはともかく、わたしはどんな時代にも生き残りをかけて出現する「変態的天才」が大好きなのである。

かれらは例外なく「全力で楽しんでいる」処が、堪らなく好ましい。いや、全力を出し尽くさなければ、面白く楽しくないのかも知れない。

赤子は一日中全力で遊んでいるもの。

ひとは赤児のようにならずば、天の国に入れないとか、誰かがゆーとったな。 

高貴なる人びとの如く、「〇〇遊ばす」境地  こそ、真に人間らしいってことかしら。

       _________玉の海草


《玉断》 続 「団塊の世代」〜 お孫さんは意外に立派である

2022-07-23 12:12:05 | 危機感

__ 「団塊の世代」に対して一言ある人は、何も私に限ったことではなくて、ネット世間で噴出する苦情を並べてみると…… 

 

> あの世代、団塊の世代のインテリの人たちって、最終的な責任は取らないでまぜっ返して面白がっている的な無責任さがありますね。評論家さんたちにもかなり。

 

2病イコール団塊の世代の思想に似ていませんか?

権力にはとりあえず反対して、大騒ぎで武力で駄々をこねていたり、意見が違うとボコボコにするとんでもない行動力。

いまだに、地域会合でも一言大声で発言しないと気が済まない幼児性。といつて、やるべきことをやるよりも、ウロウロしながら顔を突っ込んではかき回していくところ。

 

私も団〇の世代の方達に、やたらと憲法〇条信奉者や、お題目のように「平和、平和」と唱える人が多いように思っていました。

あの世代の方達は直接は戦闘には参加している世代ではありません。

 

今の団〇の世代の方が全員、左依りとは思わないですし、80代以上の方が全員人格者だと言っているわけではありません。

割合として、多い、もしくは少ないと自分で勝手に感じているだけです。

〇塊の世代の方達にまさか「あなた達のその原動力の元になってるのはあの時の空腹感なんでしょ」とは言えませんからね。

 

例えば団塊の世代の女性が殊更に男女平等を叫ぶのは、その母親世代が戦争を経験し「これからの時代は、夫を支えるばかりの妻じゃ駄目」と、娘には社会に出るよう促し、家事は教えてこなかった。というのです。

いつの時代も、前の世代のツケを引き受けながら紡いでいくんだと思います。

 

学生運動などで社会を斜めから見て「なんでも反対活動」してきた親世代は、そののちに髪を切って役所勤めや新聞社勤め、教師になって日きょう租さまを拡大し、日本国民の社会活動をけん引されてきたのでしょう。

その世代たちは今ではおじいちゃんとおばあちゃんだから、今更非難しても遅いですが、今でも、自分たちの生活第一で年金や株などを必死で握って、老人を大事にしろと越え高々に叫ぶ。

地域の話し合いの場でも、どうでもいいことをこだわっておお手を挙げて話し出すのはこの世代。声もでかいし、握りこぶしでアジ~してます。そして、一人が発表しだすと、我も、我もと、次々に議題の重箱をつつきだします。

次世代の4050代の司会者達(地域のリーダー)は、これが始まると、しばらくは苦笑いで待っているしかない。

どこまで行っても、「反対」が好きなのである。この世代は。

 

テレビの街頭インタビューで、団塊世代が素敵な服を着て、お金のことを語るのを見ると、恥ずかしく思いますよ。

新しい世代、子育て世代の生活を何とかしたいという気持ちも見られず、ニートを養う自分たちの年金、株にかかわる経済を語る姿にあきれるし、赤面です。恥を知れと言いたくなる。

日本国民の弱体化は、明らかに団塊の世代が発祥元だと、私は思っています。 そして、次の世代、次の次の世代が道徳感の欠如を余儀なくされていきましたとさ。めでたくなし、めでたくなし。

 

団塊世代の親はとても苦労されてきましたが、団塊の世代は、不平不満を行動に移し、人を蹴散らして生きてきました。大人数なので、同年代だけでなく、その下の数年分の後輩たちの職、地位、給金すら、彼らはガッチリと自分たちのものとしてきました。

団塊の世代の後には、出世の道も、ポストもなく、いつまで居座るつもりだと、後輩たちは頭を抱えてきました。ぺんぺん草も生えないと、後輩たちは嘆いてました。

その挙句に、

団塊の世代の子供たちは、ニート多数。 働くこともせずに親の年金をアテにし、国税を収めることなく、国の金(親の年金も含む)で暮らし、狭い世界でひとり、人生を謳歌しているのです。

 

この世代は「やっぱりな」の世代。

だって、親が団塊の世代でしょうから。 私は以前から団塊の世代=超薄っぺらい先輩たちについて、イヤミを書かせていただいてきました。

戦争を知らず、立派な親の世代にしっかりと守られ、足の引っ張り合いを日常的にし、えげつない生存競争をしてきた彼ら団塊の世代。後輩の我々は、ほんとうに嫌な目にあってきました。

権力に対して異常な闘争心を持つ割に、いざとなると力の強いものに尻尾を振る彼らに、嫌悪感を抱いてきました。

そして、教育。

団塊の世代は自分の子に大甘であり、大量のニートを製造してきた。

そして、自分の子だけでなく、団塊の世代に教育をされてきた30代は少なからずいます。統計を取ったらものすごく面白い結果が出ると思います。

団塊チームは、自分には異常なほど保守的。でも他人にはすぐに責任を求める。プラカードをもって、団体で動くのがお好き。

反体制が大好物。今は引退して暇だから、またプラカードを持って霞ヶ関あたりを徘徊しています。

意味もなく反対をしたいのです。

そんな大人に教育されれば、

自分さえよければいい、生活費を誰かからもらって遊んでいられればいい。結婚は面倒だからしない、家族を養う責任もなく、オノレの快楽重視で生きる~(今回の事件のバカ父)

そんな世代を製造してきたわけです。

 

 

…… なんとまあ、酷い言われようです。しかし、傾聴すべきご意見が多かったと思います。これだけの目立つ「特徴」を持っている世代はそうそうありません。時代精神といおうか、世代全体がその傾向を有するわけですから。

こんなにまで言うのは、日本人というものに誇りを持っていらっしゃるからです。古き良き日本人が、絶滅しようとしているのが我慢ならないのです。

いまの日本人は、本来の日本人の美徳をもっていない。ごもっともだと存じます。こんどは、以下に私見を述べます。

 

 

🔴  貰ってばかりの人生 20220703

小網神社へ日参するという、金融界の鬼才・イトウ潤一(51才)の出演した番組を興味深く拝見した。

現在は、「東大金融研究会」の主宰をつとめる。

多様性を持つように他大学の学生もうけいれているらしいが、彼が学生たちに向けた言葉に引き込まれた。

(インタビューより)>

日本って、ギブバック(寄付)の精神がほとんど無いんですよ。

GIVE(与える側)の精神がほとんどないんですよ。

やっぱり(学生さんは)親御さんに守られて生活してきましたと。

今までの人生全部TAKE(受け取る側)なんですよ。

親御さんからTAKE、先生からTAKE、塾の先生からTAKE、下手すると地域社会からTAKE

先輩になったら後輩にギブバックしなきゃならないし、

同じ世代でも、できる人はできない人にギブバックしなきゃいけないし、

持っている人は持っていない人にギブバックしなけゃいけないし、

いろんな人がいる中で、社会が成立しているんで、自分の世界観が全てじゃない。

なので、他人の世界観をしっかり受け入れる、そこで融合させる、そういったプロセスっていうのを理解してほしいなって思いです。」

 

…… 古代インドにも人が生まれながらに負う「三つの負債」(神々・賢者・祖霊に対して)があるし、

現代アメリカにもPAY FORWARD」(感謝のリレー)のしきたりがある。

ラーマ・クリシュナだったと思うが……

神様たちへの負債があります。両親への負債があります。妻に対する負債があります………

両親への負債が払われないかぎり、どんな仕事もよくは行きません。

両親が満足しないかぎり、どんな信心もなんの役にも立ちません。」

と云っている。

[※  引用元が判明したので、付記する。「人間には払わなけりゃならない負債(かり)があるんだよ。家の祭神に対する借り、聖者(リシ)たちに対する借り、母親からの借り、父親からの借り、それから妻に対する借り。母さん父さんからの借りを返すまでは何をやっても成功しない。」(ラーマ・クリシュナ、訳:田中嫺玉)]

 

伊勢白山道でも、根源神への負債(お蔭さま)を表したものが、聖句であろう。

 

だから、さんざん親のスネをかじって大学まで出してもらった上に、独身貴族とばかりにひとり身を謳歌して、個人主義をつらぬき、自分だけのために投資し、中高年になるまで、TAKEばっかりの人生に、おそらく満足は生じ得ないであろう。

バランスがとれていない、陰陽☯️が完結していない。

愛情を受けてばかりいると、心が腐るとゆーのが私の持論である。

伊勢白山道は、負債を返すやり方を伝えているようにも感じられる。

団塊の世代から団塊ジュニアを経てその子どもの世代へと、いよいよ自分たちの権利の主張と国家から分捕ることばかり考える日本人が日増しに増えてきていた。

しかし、リーマンさんによれば、感謝を以て返済する日本人がまだまだいらっしゃるようなので、日本はなんとか保っている。

日本の個人主義は、西洋人の単なるサル真似で、本来の日本人にはそぐわないと私は思う。

おひとり様が、腐った蜜柑にならないように、ほんとうにお願いしたい。

 

🔴自信のない日本人 20220718

宮台真司賢人が言っておられた。(彼が昔取った統計データに拠ると)

自尊心のレベルが低い人は、公的な関心がないんですよ。……

自分に価値がないと思っている人間は、自己防衛に汲々とするでしょう。

余裕がない。

だから政治的な関心を持ちようがない。

 

‥‥ それが、日本の選挙で投票率の低い理由であるとのこと。

この間の参院選の投票率は、なんとか5割を越えて、なんとか二人に一人は投票していることになる。

うちの山形県は、6割を越えた。これは、何気に凄い数字なのだ。高齢者の人口が多い中で、認知症やら寝たきりで投票を棄権しなければならないお年寄りが沢山おられる。

高齢者の多数の棄権があってなお、60%越えなのである。

田舎人は、自己肯定感が強いと云えそうである。

 

都会人はほんとに気の毒だ、大地との接触がないからである。

大宮人たちの都会文化は洗練されていたが、「自然との交錯」がなかった。

『方丈記』に記すように、「京のならひ なに事につけても、みなもとは田舎をこそたのめる」のが都会文化の実相である。

都会には「なまもの」がない。加工され、人為の手垢のついた商品しかない。そして、(鈴木)大拙によれば、自然との交流のないところに宗教は生まれない。

「大地を通さねばならぬ。大地を通すというのは、大地と人間の感応道交の在るところを通すとの義である。」(『日本的霊性』45頁)

[※ 内田樹『武道論』より引用]

 

…… 親鸞さんも、京で学問していたときは、本質がわかっていなかったと云う。日本的霊性に目覚めたのは、流罪にされて地方で大地に触れたことからだった。

大地とか御山とか、巨きな存在感が「自信」には必要なんだろうね。安心感かしら。

日本人の自信のなさ(自尊心が低い)のために、日本人の幸福度もまた低い。

しあわせな人が少ない。不幸せを認めたくないから、無理して自らの幸せを演出しなければならない。お気の毒に。

不自然な環境に、不自然な過ごし方(働き方)、イライラが募る者同士がお互いのトゲで傷つけ合う。地獄絵図ですな。

自信のない人は、リーマンさんに頼るしかあるまい。

 

さびしい女性が増えている。

これは、日本の社会構造から来ている。多くの女性が考えもなしに、それにまんまと乗せられたのです。

哀れなことですが、自分から踏み出した道です、「強制したわけではない」といつも言われます。

女性の社会進出は、ほんとうに女性が望んだことだったのか、こんなにも不幸な女性が増えるとは予想していなかったに違いありません。

 

 

🔴 20220620

小さい頃に、野山や海の大自然にどっぷり浸った経験のある子は、違うと思う。

私は山だったが、森閑とした静寂(耳鳴りがするほどの静さ)と自分との境いがつかなくなって、森として生きている感じで、日ごろのしがらみから完全に解放されたとゆーか、異世界にいる感じが、民話の下地になっている気がする。

無音の雪原なぞ、侘しさ極まってかえって充填される感あり。

このとき、子どもは孤独ではない。

以後、大人になってからも心底ほんとうに淋しさに堪えきれないときは、深い大自然に潜る。

ほんとうに煮詰まった時に、相手になれる人はいない。それは人間では解決できない類いのことなのだ。

信仰とは、つねに相手がいるという事ではと思う。

神さまが自分の内にいるとは、なんておかしいんだと思いましたね

青い鳥と同じで、そばにいるのに遠くまで探しに出かけるんですよ。

自分で実感するのに、エビデンスは要らないんです。

根拠のない自信、否定しようのない思い、まわりが総て崩れてもこれは揺るがない立志めいたものは、大自然の森の静寂から直接ながれこんできたものだと思います。

人間をいやすのは地球ですね。

山奥でひとりぽっち、あれは孤独ではないんですね。

 

都会の人々は文字通り不自然です。土を踏めるだけでも違いますよ。

 

 

🔴素直な社員とは  20220719

鼻っ柱のつよかった私が、コテンパンにやられたことがある。

何年か勤め、向上心に燃えて、熟練した上司のおひとりに「こんな場合は、どうやるものですか?」と勇気をだして質問したことがある。

その方は、親切にこれこれこういう風にやると教えてくれた。

 

わたしは、なるほどと感心したものの、私のやり方には合わないので、教わった方法を実践しなかった。

当然うまくゆかず、ひとり伸び悩んでいた。

そんなとき、上役からも信頼されている先輩から注意を頂戴した。

先輩が言うには……

仕事の出来る上司に、教えを乞うのはよいことだ、

しかし、教えてもらった以上はそれを実行しなければ失礼だろう。もう教えてもらえなくなる。自分で勝手に判断してその実績のあるやり方を変えてはならないという事。

仕事を訊くということは、そういうことだ(その通りにやること)と懇々と説いてくれた。

 

わたしには、ハッとする見解だった。

ひとつとして、勝手に変えてよい所はなかったのである。

素直にやるとは、先人の経験則を守ることで敬意をあらわして、仲間に入れてもらうことなんですね。違うかな、、まだわかってない?

 

伝統芸能や武道の世界は、わざの伝承において仕来りが厳しいが、

煎じつめれば、師匠の心情に弟子が同期することで、「あれ取って」とか、言葉で言わなくても仕草や雰囲気でわかる状態になる。

教えてもらうとは、その情報量の濃密さはそれぞれ違うが、やっぱりこの「同期」が大切ですね。

自分の思い込みがわずかでも混ざると同期できない。

昔のコトバで言うと「啐啄(そったく)同機」ですね。

 

 

🔴新しい日本人か?  20220721

「新しい展開の世界」ってどんなのだろうと思いを巡らしていたら……

安倍ちゃんに献花に訪れていた高校生や中学生のお姿が思い出された。実に真摯に黙祷を捧げていらして、よくもこの日本でこんなにも立派に育ったものだ、親御さんの顔を見てみたいとフト思った。

 

「ゆとり世代」の後期が「さとり世代」と呼ばれるらしいが……

ゆとり世代→ 19872004年生誕

さとり世代→ 19962004年生誕

とすると、

いまの高校生以下は、【2005年以降】に生まれた、未だ名付けられていない世代である。(現在17歳位以下)

なるほど、新たに18歳で選挙権を与えられた世代ということになろう。意味深長な区分分けであると感じ入った。

 

もう一つ踏み込むと、これから成人に成る新世代は、「団塊の世代」の孫にあたる。

団塊の世代→ 19471949年生誕

ポスト団塊ジュニア世代→ 19751979年生誕

…… 「団塊の世代」が第一次ベビーブームに生まれ、「団塊ジュニア(19711974年生誕)」が第二次ベビーブームに生まれた世代なのだが、

「団塊の世代」のご子息にあたるのは、団塊ジュニアではなくて、その次の世代「ポスト団塊ジュニア」なのである。

そして、その「ポスト団塊ジュニア」のお子様たちが、いまの高校生以下の新世代ということになる。

 

実感しやすいように、世代の代表を挙げれば……

団塊の世代キタ野武、ヤ沢永吉、コ泉純一郎、イト井重里、ムラ上春樹、ヨシ田拓郎

ポスト団塊ジュニアナカ田英寿、ア室奈美恵、タケ田恒泰、ハマ崎あゆみ、イ藤英明、おーどりー

…… で、ポスト団塊ジュニアのお子様たちが、新世代となるわけである。

 

個人的な見解だが、日本の戦後態勢がマッカーサー占領軍下に統制されて、スリーエスに象徴される愚民化政策にみごとに洗脳されて、「権利」の主張や「自我」の主張が、「戦後レジーム」として推奨されて定着した。

本来の道に外れた日本人が、輩出し始める。

安倍ちゃんの「戦後レジームからの脱却」とは、御自らの反省も含めて、日本人として至らぬレベルの国民が増えてきたから、本来の日本人に戻ろうとする揺り戻しの露われだと思う。それが「日本を取り戻す」というスローガンに表れている。

 

戦後(1945年以降)生まれた「団塊の世代」より下の人々は、本来の意味での日本人ではない。大和魂をもった日本人としては認定されていない。(台湾人の評価等に見られる)

お爺さん・お婆さんから三代、いまの高校生以下の新世代は、戦後レジームで純粋培養🧫された三代目である。

わたしは、待つコDXにはギリギリ真正日本人を感じることがあるし、好きである。カノジョは「団塊ジュニア世代」に属していて、戦中派に育てられた最後の世代なのである。

やっぱりその下の世代(ポスト団塊ジュニア)は、待つコとは感性が違うと感じる。

 

ところが、その「ポスト団塊ジュニア」のご子息たちは、なかなか立派である。

[※  例えば、リアクション芸人・出川哲朗をリスペクトして、「出川ブーム」を創り上げたのは、この子達である。画面にあらわれない陰の努力とか優しさに逸早く気づいて、当時の安倍総理が、日本のために自分達のためにご尽力くださっていることを察して、急逝に際し、慎ましやかに花束を以って感謝の気持ちを捧げたのが、他ならぬこの世代なのである。わたしたちは、この抜きん出た精神の顕われを悦ばなくてはならないだろう。彼ら彼女らの親やジジババが教えたわけではない。自ら見い出したのだ。]

これはどういうことかと、あたまを悩ましたが、ある川柳を思い出した。

売家(うりいえ)と 唐様で書く 三代目

…… つまり、苦労して創業した初代や、生まれた瞬間から跡継ぎとして厳しく育てられた二代目とちがって、三代目ともなると、「生まれながらの将軍」なので甘やかされて教養を身につけたはいいが、商売への意欲はからっきしで身代を持ち崩して、唐様の書体で洒落て「売り家」の貼り紙して、実家を売り飛ばすという惨状に至るというわけである。

商売にともなう恨みや生き霊もあいまって、三代続けて繁盛させるのは至難の業であることを教訓とする川柳でもある。

 

してみれば、初代の「団塊の世代」で、亜米利加🗽の口車に乗せられて「自由」を謳歌して、わがまま一杯に生きて反・日本人を成し遂げてから、三代経過すると、最初の人生哲学は大きく捻じ曲がって、別物になることを暗示してはいまいか。

まったく思いも寄らないことだが、18歳で選挙権を得た新世代は、いわば「反・反・日本人」で、巡り巡って真の日本人に立ち帰る可能性を秘めている。

世界は逆に進行する(老子)ことで、妙な具合に僥倖がおとずれた、神々に愛される日本国なのではあるまいか。

            _________玉の海草

 


《玉断》 「団塊の世代」〜 日本を壊すタネを植えつけられた人々

2022-07-23 06:30:00 | 危機感

__ 2025年は、色んな意味でターニングポイントとなる年であろう。そのひとつが、「団塊の世代」が75歳(後期高齢者)を迎えることである。敗戦してすぐに起きたベビーブーム👶に産まれた「団塊の世代」。

 

戦争による人口減少で、戦後という時代はどこの国でも子沢山なものである。日本では1947〜1949年の三年間は、子どもの出生が激増した…… 悪名を轟かした「団塊の世代」と呼ばれる鬼子たちがこの三年間に誕生した。

 

彼らは日本の国体を内部から喰い破るための先兵とさせられた。「団塊の世代」は、亜米利加🗽によって仕掛けられた「日本弱体化政策」に見事にはまって、後世に禍根をのこして、それが今だに日本に影響しつづけている。

 

わたしたち新人類が憧れた世代が「団塊の世代」であり、厳しく指南をつけてくれた世代もまた「団塊の世代」である。その流れをザッと概観してみたい。

 

 

 

🔴 気になるデータ

[2020-09-26 | 王ヽのミ毎]

ーさて、いまの時期に耳に入ってきた、気になる統計を二つ記しておく

「ビッグローブ(BIGLOBE)」が、SNSにおける誹謗中傷の実態に関して‥‥

withコロナ時代のストレスに関する調査】を実施した

対象となったのは、全国の20代〜60代の男女1000(そのうちSNSを利用している770)

2020856日に調査が実施された

[結果]

:SNSで一般人に対して誹謗中傷をしたことがあるか?

「よくある」「たまにある」を併せた指数(%)

20代〜【15%ゆとり世代

30代〜5%

40代〜【9.1%団塊ジュニア〜ポスト団塊ジュニア

50代〜3.5%

60代〜0.7%

:SNSで著名人に対して誹謗中傷をしたことがあるか?

「よくある」「たまにある」を併せた指数(%)

20代〜【11.7%ゆとり世代

30代〜3.1%

40代〜【10.5%団塊ジュニア〜ポスト団塊ジュニア

50代〜4.8%

60代〜0.7%

誹謗中傷した理由(上位)

・相手が嫌いで我慢ならないから〜33.3%

・日常のストレスのはけ口〜23.3%

・相手に嫉妬があるから〜23.3%

・誹謗中傷をされたので言い返した〜20%

・かまってほしいから〜20%

 

■ 日本の「読解力」について

OECD生徒の学習到達度調査(PISA)より

[PISA」とは、OECD加盟国を中心として3年毎に実施される15歳を対象とした国際的な学習到達度テスト

2015年調査では、世界の72か国・地域の15歳の生徒約54万人が参加

日本では、198校の高校一年生・約6600人が調査に参加]

[結果]

2000年〜8

2003年〜【14位】

2006年〜【15位】

2009年〜8

2012年〜4

2015年〜8

2018年〜【15位】

アベマTV『報道リアリティーショー』で取り上げられて……

・語彙力不足

・考える力の低下

(分かりやすさが、考える力を弱める?)が指摘された

 

‥‥ 統計は、統計の取り方(質問の仕方等)によっても顕著に変わってくるらしいので、おおよその目安くらいにしかならないが、

SNSで酷い文句のつけ方をするのは、20代と40代に多い事

・文章の「読解力」に関しての国際順位は、2003/2006/2018年には、15位と大きく落ちている

(但し、2018年は新形式のテストであることと、2015年からPCを使ったテストとなったのでまだ慣れていない側面はある)

 

‥‥ わたしの年代は「テレビっ子第一世代」で、大学卒業して就職する時、いままでの新卒とあまりにも違う姿勢・態度から「新人類」と呼ばれた世代である

( 「新人類」と命名したのは評論家栗本慎一郎である、当時の日本メディアは従来の価値観からは説明のつかない社会現象が現れると大いに戸惑って、この独特の大局観を持つ大御所評論家にお伺いを立てるのが常であった)

昭和38年生まれに神界から受肉した人が多いことを鑑みれば、「新()人類」とは言い得て妙だったかも知れない

まー、おおむね還暦まえの50代後半とゆーことになろー

私達の世代は、社会に出て、「団塊の世代」から厳しく指導を受けたとゆーかよく虐められたものだ

「団塊の世代」は、第一次ベビーブームの【194749年】に生まれた世代別人口の最も多い世代で、現在70代前半の御歳の方々である( 1949年に最多出生数270万人を記録)

団塊世代の多くは地方で幼少期を過ごした人の割合が多い、小中学高校とクラス数が多いものだから、競争が激しく、また子沢山の日本だった頃だから、親の愛情が不足しがちだった可哀想な世代でもある

競争意識・縄張り意識はめっぽう強い印象がある

長々と「団塊の世代」を記述したのは、この世代の子ども達「団塊ジュニア」がまた厄介だからである

[🔴注;実際は、団塊の世代のご子息は、ポスト団塊ジュニアが多いー20220723日現在]

 

「団塊ジュニア」は、第二次ベビーブームと呼ばれ、197174年】に生まれた世代である(1973年に最多出生数210万人を記録)

 

この世代の多くは都市部で生まれ育って、厳しい受験戦争に曝されてきた、後年「氷河期世代」と呼ばれるよーになる、こりゃまた可哀想な世代と云えよー

「団塊ジュニア」は、現在40代後半頃の御歳の方々となろー、広義に70年代生まれが「団塊の世代」の息子娘たちになる

わたしの世代は、この「団塊ジュニア」世代からも、かなり突き上げを喰らった経験を持っている

 

この世代の有名人は、

野球の新庄、イチロー、松井、SMAPGLAY、ガクト、半沢直樹(サカイ雅人)もそーだ、ロンブー・ブラマヨ・有吉、お笑いは多いな……

マツコDX、ホリエモン、山本太郎も「団塊ジュニア世代」

 

外食チェーンにおいて「注文の方、よろしかったでしょーか?」等の伝統的日本語にない可笑しな言い回しを発明し普及させたのもコイツらの世代だ… o(`ω´ )o プンプン

俺はこの時の言葉遣いの乱れ(慇懃無礼な印象がある)には、いまでも本気で怒っている

「団塊の世代」と同様、「団塊ジュニア」も200万人近い同期がいたわけで、その中で熾烈な競争のあったことは容易に推測できる、恵まれていない世代なのである

この辺が、ネット上で過剰な批判をする素因になってるのかも知らん

 

なにか悪目立ちする傾向があるなあとは感じている

私世代の心象からゆーと、平気で裏切るとゆーか上辺だけの付き合いに終始する感が否めない

本格的なファミコン・パソコン世代だからだろーか

 

正直に書かせてもらって、不快に感じる向きもあろーかと存ずるが、どーも上は「団塊の世代」下は「団塊ジュニア」には、ほとほと手を焼いているのだ

 

 

🔴「もはや昭和ではない」 20220616

これの前に「もはや戦後ではない」(1956年の経済白書より)があった。

現在の社会制度は、

『男性が正社員で女性が主婦かパート、結婚したら離婚せずに一生を送る』

という昭和の核家族をモデルとして定められたものだそうだ。(中央大学・ヤマダ昌弘教授による)

 

つまり、令和の実状にことごとく合わない。

「もはや昭和ではない」とは、昭和につくられた制度からアップデートするのが急務であるというのが、今回の『男女共同参画白書』の主旨なのである。

それを、もはや平成ですらないと揶揄している人々が多数いたのは、いかにも残念だし幼いと思いました。

日本人は、手っ取り早い「分かりやすさ」を求めるあまり、もはや長文読解が難しいようです。

 

🔴「もはや昭和ではない」とは、

昭和の日本人モデルとの訣別を意味していよう。

伝統的な日本人が棲息していたのは、高島平をはじめとする団地住いがスタートする以前のことであろう。

三代一緒に住むのが本家、分家は自然核家族やお一人様になる。

そんななかで、猛威をふるったのは、昭和のお節介おばさんであった。オバタリアンなどと陰口を叩かれながら、彼女らはモンスター級のご近所のおばさんでした。

彼女らは、恋愛または見合いで結婚して、子育てをし、舅姑に仕えて、老後は介護をして看取ってやった。

人生の一代行事をひととおり経験しているので、とにかく有難迷惑なほど世話焼いてくれる。まさに人間通であり、頼れる貫禄があるのだが、町内会のしきたりに厳しい。

「もはや昭和ではない」ところの令和のおばさん達はどうか?

令和のおばさんは、ひとり身で結婚も子育てもせず、自分の自由というものを謳歌している。

ただし、昭和のおばさんと違って、ひととおりの道筋を経験していないものだから、彼女には誰も相談に来ない。

人生で直面する普通のことを経験していない、知らない。

年寄りの強みは経験者であることに他ならない。年を重ねて、自分だけの世界のみ広がる。

自分はさんざん愛されて育って、その恩を次の世代に返すことが出来ないことは、因果を産む。

親の介護やご先祖供養くらいは、恩返しして頂きたいものだ。

 

昭和のおじさんも同様である。

コテコテの男尊女卑を奉じてきたおじさん議員は、いまでも議員をやって国政の意思決定に関わっている。

いまの若者は、選挙に立候補すらしないから、いつまでも老害ははびこり続ける。

タバコダメ、セクハラ・モラハラダメ、女性軽視ダメなんて、昭和の時代にはなかった社会規範である。

そうやって育ってないのに、若者たちにアドバイスも出来まい。若者は老人に教えを乞わない。

ほんと、老人は役に立たなくなってしまった。

 

たぶん、老人を大切にしなくなったのは、老人の側にも問題がある。

昔のご隠居さんや、ご近所の顔役のように、周りの役に立っていないからなのだ。

パソコン社会への移行が、こうした世代間の分裂を生んだ。

若者が、ネットに関する知恵を老人に訊ねることはないからだ。

いまの子たちは、小学生から毎日3時間もネットで遊んでいて、お手のものである。

若者たちは、先輩や年長者から教えてもらうために、おもねる必要はなくなった。

ネット社会では、自分達が先行しているし、先達だからである。

そして、年寄りの話を聞かなくなった。

これが日本人の分岐点であろう。これ以後、日本人は育たなくなる。

 

 

🔴「百年前の真日本人」20220627

100年前の生活に戻れとは、蓋し至言だと思いました。100年前の1922年は大正11年、関東大震災の前年です。

関東大震災にて、江戸情緒は壊滅させられたと私は観てますので、100年前とは江戸っ子がご存命していた最後の頃となります。

 

昭和に入るや、すぐに「世界大恐慌」に見舞われ、間をおかず「満州事変」から日中戦争、そして太平洋戦争へと日本の帝国主義が蔓延る。

 

1945年敗戦ー 1950年の直前の3年間に生まれた人々が「団塊の世代」である。

現在70歳代前半の人々である

この方達が20歳を迎える頃に、日本は「恋愛結婚」が「見合い結婚」の数を上回るようになる

その頃が、「1970年安保闘争」の時期にあたります。

 

1953年(昭28)生れの 山下達郎 は

「シラケ世代、あるいはポスト団塊世代」にあたるので、しばしその生き方に耳を傾けてみよう。

きのう放送された音楽番組『関ジャム・完全燃SHOW』より引用する

あの1970年の政治騒乱でドロップアウトした人達はほとんど音楽をやってるんですよ。

“1960年安保の世代は文字の世代で雑誌文化は、ほとんどその人達が作ってる。

特に女性誌とか……

その人達が大きくなり、老人雑誌とか……

子ども雑誌もそうだし、そういう所と同じで僕らはそれと同じ事を音楽のメディアでやってきて……

僕らの音楽のムーブメントは、本来音楽の世界に入らなくていい連中がどっと音楽業界に参入してきたので、それがユニークさを生んでいる。

同時に、そういう意味では僕がステージに立って歌っていて、3列目に座ってる人が僕の代わりにステージで歌ってたかもしれない。

聴衆と自分の距離が近い。

生活者としての一つの共同意識】みたいなものがあるんです。

だから、そういう具合に考えてやっていかないといけない。僕はずっとそれだけ考えてやってきた。

同世代音楽】っていうキャッチフレーズを持ってますけど、自分と同じ世代のためにやってる。

だから、自分たちが歳とったら、歳とったという。

いつまでもピーターパンみたいな歌は作らない。

そういう考え方でやってきているので、

そういう人達の生活に奉仕する音楽。

 

ポップカルチャーとは基本的には大衆への奉仕と人間が生きる事に対する肯定。

ポップカルチャーというのは、そういうものだ。

それの上にアバンギャルドとか、そういうものがあるので。

僕がやるべき事は何か?

をずっと考えてやるとそういうことなので。

だから、海外進出とか考えた事がない。

そんな暇があったら、もっとローカルタウンに行って、そういう所で真面目に働いている人達の為に公演する。

それが僕の与えられた役割だと思っている。

じゃないと、自分は何のために音楽をやっているか?

ドロップアウトして音楽家になったので。

自分が音楽をやる意味は何かと常に問いかけていかないと自分が音楽家としてのスタンスが曖昧に成る。

それだけはイヤなので。

という意味で……

テレビ出ない

本書かない

武道館やらない

この三つでやってきたんですよ。

 

…… 達郎ご自身も、高校生のときに「70年安保」をちょっと齧ってしまった経験をお持ちらしい。

[※ 他にも、坂本龍一、テリー伊藤、上野千鶴子らは全共闘へ参加している]

音楽家として一社会人として、公人としての社会的責任を強く感じてらして、市井のひとりとしていたく胸打たれたご発言であった。

平成の大規模自然災害で、ミュージシャンが直面した課題でもあったのだろうと思う。

よくよく考えてみたら……

この焼け跡世代・団塊の世代といわれる人々は、何もない戦後の荒れ地に生まれたわけである。

住まいも食べ物も十分になかったので、育ち盛りにいつもお腹を空かしていた可哀相な世代である。

大きくなるにつれ、マッカーサーの3S(セックス・スクリーン・スポーツ)政策の影響をモロにうけて、青春時代を過ごした。

国に対する、国民の「権利」というものを覚えた世代は、60年安保〜全学連〜全共闘〜70年安保と国民運動に熱く取り組んでゆくことになる。

そして何ら成果を上げることなく、消滅した運動を傍観していた次の世代は、クールに「シラケ世代」となってゆくのである。

わたしは、その次の世代「新人類」に属するが、安保闘争だの全共闘だのにはまったく触れずに育っている。(ブントとか革マルとか、まるでチンプンカンプンである)

わたしたち世代は、生まれた時からテレビと一緒にそだった「テレビっ子第一世代」なので、シラケ世代の先輩方から政治的無関心を継承した。

 

こうして大雑把にみただけでも、「団塊の世代」このかた、まともな日本人として育てられてはいない。

両陛下のごとく田植えも養蚕も手がけたことのない、都市という隔離空間に住む人びとである。

自然から隔離された団地というもの、外で遊ぶより家の中でテレビやゲームに熱中する子ども達、お湯の出る生活〜温水シャワーを浴びられる環境、真夏にエアコンの効いた部屋にこもって汗ひとつ流さず、真冬にアイスクリームを愉しむ時代となってしまった……

100年前の日本人とは別物の、新しい日本人となったのである。

インターネットの普及は、その風潮に拍車をかけた。

もはや、何かと繋がっていなくては生活できない、中毒状態、いや強く依存してやっと保てる自分性。

露地栽培からハウス栽培、そしてビルの中で土をつかわぬ水耕栽培に移行してゆくさまは、そのまま人間にもあてはまる。

そして、わたしはようやく気がついたことがある。

団塊の世代以降の日本人は、ほんとうの意味での日本人ではないということ。

台湾🇹🇼人が喝破したように、現在の日本人には本来の日本人のもつ何かが欠けている。

たしかに大災害や窮地におちいって初めて起動する日本人特有の遺伝子🧬があるのかも知れない。

いまは、それを思うより他ない。

          _________玉の海草

 

 

 


《玉断》 国防を憂う〜 コメント欄まとめ

2022-05-08 10:15:56 | 危機感

__ ISHKブログのコメント欄での遣り取りの中で、触発されて生まれた国防についての拙稿をまとめる。

 

 立ち位置の違いだけ

日本には哲学がないので、西洋に倣って右翼/左翼と立場を固めたのは明治以降のことであり、西洋のように議会の長い歴史を経ていない分、拮抗する与党/野党の政治はいまだ出来ていない。

それ以前は、薩長藩閥政府とそれに反対する土佐中心の自由民権運動(板垣退助を中心に、帝国議会=国会を設立する運動)しかなかった。

反政府運動も、西南戦争をもって「武力闘争」は完全に終焉をむかえ、「民権運動」によって議会に代表を送り込み、政治を独占する薩長派閥の勢力へ風穴を開けようとするものだった。

民権を追求した勢力が「左翼」へ成長し、海外との不平等条約改正と外敵に処するために、民権から国権へ注力が移行した勢力が「右翼」と言ってよいかも知れない。元は国を思う愛国者の集まりから派生したものと言える。

実際、右翼の魁たる頭山満(福岡)と、左翼の魁の中江兆民(土佐)とは肝胆相照らす仲であった。

なんとなれば、お二方とも立派な国士であったからだ。

国を憂えて国のために働く、いわば「志士」であった。それ故に、「お国のために」という切なる思いは深く共有しており、たとえ立場と政策に違いはあろうとも、「お国のために」という互いの大前提はしっかりと揺るぎないものだった。

その一点において、話し合いが成立したのである。

侃侃諤諤、談論風発しても、双方とも「お国のために」という信念からは一ミリたりとも離れなかった。

だから、「国を生かす」方向でまとまることが出来たのである。

 

さて、いまの改憲派も護憲派も、本来はこの初期の右翼左翼の消息と同じはずなのである。

ところが、改憲派は「国を守るために」一致して推し進めているのに対して、護憲派からは「国を守るために」という気概が感じられない。

国より平和憲法の方を大事にしている印象がある。

わたしは、国策として「護憲」でも一向にかまわないが、護憲派のご意見とおりにしたとして、如何に「国を守る」のかが、何も出てこない。

すべて放棄したら攻撃や侵掠されないとでも思っているのか?

護憲派の方々は、ほんとうに日本を守るつもりでいるのか、大いに疑いをいだいている。

改憲派が「国を守るために」動いているのに、護憲派は「国を守るために」なんら具体策を持っていないのであれば、そもそも話し合いは不可能なのである。

ただ反対するために反対するだけなら、非国民といわれても仕方あるまい。

国(日本)が存続してこその「憲法」なのだから。

 

ー「護憲」でも結構ですから、どうやって国を守るのか、はっきりと示してください。それに納得できたら賛同します。

わたしが切に希望するのは、「国を守るため」の真剣な話し合いに尽きるのです。

 

 

国防についての私見

素人どうしで言い合うことも、世論には影響するかも知れんから、国益になるのかな?

私が訊きたいのは、護憲派の国防策なのであって、それで「国を守る」祖国愛を確かめたいのです、同胞としてのご意見なのかどうか。

 

箇条書きの方がわかりやすいので、その形をとります。

・「何故、戦後70年間日本は侵攻されもせずに、平和を維持できたのか?」

これは、日本に米軍基地があったからです。それだけです。

超大国アメリカは、核開発でも一歩先んじていましたかし、強大な軍事力は「世界の警察官」を僭称するに相応しいものでした。

ところが、ここ1520年で、まったく様変わりしました。

近隣の敵対する核保有国が2国に増えて、NK国の核ミサイルはアメリカ本土に被弾させることも出来ますし、C国の海軍力は世界一となりました。

ここに至って、日本国内に米軍基地があろうとも、日本に侵掠することが可能となりました。

いまの段階で、日本に侵攻されたからといって、アメリカが日本の為に核ミサイルを撃って反撃することは、100%無いからです。

アメリカの核抑止力は、効かなくなりました。

 

・「何故、いま軍備の増強を目指すのか?」

わたしたちの自衛隊は、すこぶる優秀です。世界ランキングでも上位に喰い込む健闘ぶりを見せておられます。

しかし、それは軍隊としてシミュレートした時の優秀さに過ぎないのです。

敵と対峙しても、交戦権もない武力組織を「軍隊」とは呼びません。自衛隊は「軍隊」ではないです。

軍事費を拡張しようとするのは、いまの戦力では対抗できないからです。

軍事力は、均衡している(バランスが取れている)ことが大切です。軍備が均衡していれば、戦端は切られにくいからです。

年々アップデートしなければならないものです。

覇権国家は、勝てる・奪えると確信してから侵掠するものです。

そう思わせない、ナメられない国力が大事です。

軍備を高めたとて、それを実戦に行使できない法律では、張子の虎みたいなものですが。

 

・「軍備の増強が、周りの国々との軋轢をうみ緊張を激化するが、それでもしなければならないか?」

国のために殉死なさった先人を祀る神社に、国民の代表たる首相が参拝するのは、最優先の国家行事だと思っています。

国として自律していれば、あたり前の事を戦後内閣はないがしろにしてきたと言えるかと思います。

他国からの干渉を許してきたのは、日本が自立していないからです。

アメリカ依存で、「核の傘」とも言われました。

今回のウクライナ危機でも、国益に反する対ロ制裁を強制されているわが邦です。情けないことです。

アメリカ・ファーストは、最近始まったことではなくて、昔からそうして来たのです。日本は、「核の傘」の恩恵を思って、アメリカの我が儘に堪え忍んでまいりました。

これも、一国として自立・独立していないからです。

占領国のままに、現在に至っております。

吉田茂首相のときに、占領を解かれ、「押しつけられた憲法」を破棄して日本人の創る憲法に変えることが出来たはずなのに、それをやらなかった。

その時にやらなかった事を、今やっているのだと思います。日本はいまだに自律していないからです。

現在、国際社会におけるアメリカの行動は、非常にあやふやなもので「危うさ」を感じています。

その潮流に巻き込まれている日本は、いまだかつてなく危うい状況におかれています。

しかし、核議論して国防議論して、敵意ある他国に睨まれたとしても、軍備拡張してアジア地域の緊張を激化させたとしても……

それらは全て、自立していない日本が自らの独立を守るために必要なことです。避けては通れない道筋であるからです。

 

ーお応えにはなっていないかも知れませんが、相変わらず「国を守る」具体策は出ませんね。

現状維持で推移できると思ったら大間違いです。

いまや政府がこれだけ勇み足なのは、間に合わないかも知れない恐怖心からだと察します。

わたしは、間に合わないと思います。第二のウクライナ、第二の憂いぐる、第二の地部っとになる予感がひしひしと……

アメリカの持つ「核抑止力」は完全に消滅してしまいました。うちのボンクラ政治家に較べて、覇権国家の政治家は老獪でしたたかです。ここまで詰めているとは思いませんでした、行動を起こされたら日本は即投了となりましょう。実に羨ましく涙が出ます。到底、太刀打ちできないでしょう。

せめて、日本国民全員に、正しく現状を知ってもらって、覚悟していただきたいと切に念います。

 

 

無題

国際紛争に決して巻き込まれないためには、アメリカにNOと言えるためには、そして敵国に侵攻を思い止まらせるためには、どうすればよいのか。

実効ある確実な国防策は……

日本が自前で「核」を保有することです。

 

ーたぶん、国民投票で否決されるでしょう。

自立できなかった日本人は、覚悟するしかない。

 

 

無題

だれも国を守るために、何をすべきか、何をするのがいいのかを、言わない。

不確かな情報を基にして、文句をつけるだけ。

ほんとうに国を守りたい人が、批判だけで終わるはずはないのだ。

それでは、たとえ日本人同士でも合意にいたることは出来まいよ。

ご自分の身を守りたい意識はあっても、国を守る意識はないみたいだ。

靖国参拝もせずに緊張緩和したとしても、それは自国の歴史を否定した弱小国民であると言っているようなもの。

日本が一国として立たなければ、強国のいいなりに成ることも仕方のないことです。

 

E.トッドに触れたニュースのリンクを有り難う御座います。このニュースだけでなく、ぜひインタビューの全文(まとめ記事)を読んでもらいたい。

 

「日本は核を持つべきだ」エマニュエル・トッドが指摘する“米国依存の危うさ”〈ロシア侵攻後、世界初のインタビュー〉(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

 

彼の論旨は、たとえ裏があろうとも「日本は属国であるかの如く、アメリカに振り回されないで、自ら自立してください」ということで、私は正しい分析だと思った。

Yahooニュースのコメント欄は面白いので、これから日本人の民度を探るべく逍遥することにしたい

        _________玉の海草