そら

「がんばらない」けど「大好きなやりたいことに向かって新しい自分を展開していく」、そんな方へのお役立ち情報と時々ひとりごと

初対面のあと

2017-03-19 21:46:26 | 日記
こんにちは、今日は気持ちの良い連休最終日ですね。

朝からスポーツジムで頑張ってしまいました。

そのあとのコーヒーは美味いですね。

さて、本日は、『初対面のあと』がテーマです。

これから4月になり、入学、入社、転勤など、新しい環境で新しいことを始める方も多いと思います。

そこでは新しい出会いもあるわけですが、こんなことありませんか?

初めて会ったとき、お互い相手に何も期待していない中で何かの話をして、知り合うことで、自分の世界が広がった様で、喜びやワクワクを感じます。

ところが、その後、何回かまた同じ人に会いますが、そんなに取り立てて話すことがない場合、ただの挨拶になったりします。

ここからが不思議なのですが、挨拶だけで話をしない関係が居心地が悪く、また、お互いが居心地悪く感じないようにするため、もっと自分が頑張って笑顔で接しようと努めたり、話題を無理に探そうとするうち、苦しくなったりします。
さらには、その居心地の悪さをお互いが感じないようにするため、相手をあえて避けるようになったりもします。

何なんでしょうね。この負のスパイラル。

人と関係を築くときには、いつも『楽しい』『面白い』などの感情をお互いが持つべきだという心理が働いて、

何となく思い描いている『理想的な自分』を維持しようと頑張ろうとします。そこには、自分の弱い面や嫌な面の居場所がありません。

でも本当は、『理想的』だと感じている良い面も、『嫌な』悪い面も自分の一部なんだよね。

いま、ここで、何を感じるか、どんな思いを描くか、喜び、哀しみ、苦しみ、全てOK 。その思いを認めてしっかり見守る。

自分の心を、過去や未来を考えて、どうこうしようとしない。いまの気持ち、そのままを受け入れる、認める。

そう考えて初めて、人と率直に、正直に、素直に人との関係が築けていくのかなと思います。

これから、新しい素敵な出会いがあるといいですね。

それでは。





カラオケ

2017-03-13 06:46:41 | 日記
こんにちは。

先週末、久しぶりにカラオケに行きました。

今回唄った福山雅治の『家族になろうよ』に、こんな詞がありました。


変われないとしても、

一歩ずつ

与えられる人から

与える人へ変わってゆけたなら



それでは。




自分との和解

2017-03-05 20:49:57 | 日記
こんばんは、春を感じるボカボカ陽気のとても気持ち良い週末でしたね。

私の地元では、今日、マラソン大会が開催され、熱戦が繰り広げられれました。

さて、今回のテーマは、『自分との和解』です。

以前から自己受容について、色々感じたり考えたりしているときに、行き付けの本屋をたまたまブラブラしていて、棚にある一冊の本が私の目に止まりました。というより飛び込んで来ました。

『the deepest acceptance(もっとも深いところで、すでに受け入れられている)』 ジェフフォスター著』です。

まだ全て読みきれていないのですが、自分にとってしっくりくる箇所があったので、ご紹介します。

『私たちはある特定の体験、例えば醜さ、弱さ、失敗、無力感といった、自分が完全性の脅威になると考えるあらゆる体験から逃れようとする、しかし、それらは実際には完全性の脅威ではない。海に浮かぶ波として、それらはすでに深く受容されている。私たちに必要なことは、今の瞬間にあるその受容をただ認識することだけだ。全ての思考や感情は、あなたという存在の中で生まれては消えていくことが許されている』

私たちは、周りからの愛情を得たい、その為に自分を向上させたいとの思いで、自分の理想イメージ(愛情深い、優しい、思いやりがある、人情深い、成功者、人気者など)を作り上げ、これを維持しようと試みます。

しかしながら、この理想イメージを強く思えば思うほど、それとは反対の感情、思いが現れた時、それが自分の中で許せず闘いとなり、最終的には抑圧して、表面上だけでも理想イメージを維持しようと頑張ってしまいます。

これは本当に苦しいです。
私も職場や家庭で、自分の理想とはかけ離れ、無力感、無能感に襲われたとき、心の奥底でこれは絶対自分であってはならないし、拒絶しなければならないとの気持ちが意識水面下で起こり、必死に抑圧しようとするが耐えきれず最終的に怒りに変容する場面が、数多くありました。

でも本当は、理想イメージもその反対の感情、思いも、自分という映画スクリーンに映し出すことが許されている一時的な映像(海でいうと波)でしかなく、しかも映し出されただけで自分自身がそうなったわけではありません。そう思うと自分の中で闘う必要も抑圧する必要もないとの思いに至りました。

過去の後悔や未来の理想イメージから作り出される、自分はこうあるべき、こうすべきといった思考(波)は、自分の中にある自然現象の一つと捉えて受け入れるとともに流していき、もっと大切なこと、

いま目の前にいる人、目の前の景色、いまここの体験に意識を向けて、目の前のことに無心で取り組む、そういった時間を少しずつ増やしていきたいと改めて思います。

それでは。

それでは。