美しい地球と伴に生きる

この美しい地球を「地球という名の牢獄」にしないため、世界のリスク情報の発信や人間としての生き方を考えてみたいと思います。

今後の厳しい時代を「逃げることなく人心を失うことなく」強く健気に生き抜く日本人

2011年10月20日 21時55分23秒 | 日記
「真実のアメリカは、過去も現在も、ドス黒く邪悪な悪魔が棲み着いている。」という日本人になったビル・トッテンさん。そのアメリカはアメリカのシステムが世界標準だといって世界に広めています。グローバルスタンダード=アメリカの悪魔システム?
一方、経済成長著しい中国、経済だけでなく、その「狂っている」アメリカの悪魔のグローバルスタンダードを人心に輸入してしまったのでしょうか?
以下、J-CASTニュースより転載
通行人18人が「見て見ぬふり」 中国「女の子ひき逃げ」動画に怒りの渦
J-CASTニュース 10月17日(月)19時12分配信
 中国の広東省で、車にひき逃げされた女の子を20人近い通行人が「見て見ぬふり」して通り過ぎていく様子を、街頭の防犯カメラが記録していた。この様子が地元テレビ局で放送され、「冷血」などと怒りの声が広がっている。
 広東省広州市のテレビ局「南方電視台」や、地元紙「広州日報」によると、悲劇は2011年10月13日17時30分ごろ、広東省中央部の仏山市で起こった。2歳の女の子が白いライトバンにはねられたのだ。
■女の子は軍の病院で手当を受けたものの死亡
 ライトバンは前輪で女の子をひいて一度は停止するものの、運転手が車から降りてくる訳ではなく、そのまま発車。後輪でも女の子をひいてしまった。
 いわゆる「ひき逃げ」で、女の子は血を流したまま現場に放置された。人通りはある通りで、明らかに通行人は倒れている女の子に気付いている様子だ。だが、見て見ぬふりをして通り過ぎてしまった。「見て見ぬふりをする」というよりも、「よけて通る」といった方が実態に近そうだ。そうしている間に、女の子は別のトラックに轢かれてしまった。
 見て見ぬふりをした通行人の数は、バイクや自転車に乗った人も合わせると、7分間に18人。19番目に通ったゴミ収集の中年女性がやっと女の子を助け起こし、警察や消防に通報した。女の子は、軍の病院で手当を受けたものの脳死状態が続き、10月16日に亡くなった。
 事故現場は女の子の自宅から100メートルの金属問屋街。母親と一緒に幼稚園から帰宅途中、母親が買い物で目を離したすきに起こった事故だった。最初に女の子をはねたバンの運転手は、携帯電話で通話しながら運転していたという。
■「手を差し伸べていれば2回ひかれることはなかったはず」
 ライトバンとトラックの運転手は、地元自治体が中国版ツイッターなどで情報提供を呼びかけたこともあって、すでに逮捕されている。
 監視カメラの映像が公開され、中国のネット上では、18人の通行人に対する批判が相次いでいる。その内容は、「冷血だ」「手を差し伸べていれば、すくなくとも2回ひかれることはなかったはず」というものが大半だ。
 ただ、意見の中には、
  「責任を追及されるので、かかわらないのが賢明」
だとするものもある。その背景にあるのが、06年に南京で起きた「彭宇(ポン・ユー)事件」。この事件では、彭さん(若い男性)が、バスから降りるときに突き落とされて転んだ女性を助け起こして病院に連れていったものの、女性は『彭さんに突き落とされて骨折した』と主張し、損害賠償を求めて提訴。結果的には、彭さんが敗訴して損害賠償の支払いを命じられたというもの。この判決には批判も多いが、
  「中国人は、この判決をきっかけに公共の場で人を助けることに及び腰になってしまった」
という見方も根強い。
Foresightコンテンツ-新潮社ニュースマガジン
(このページの記事は新潮社から提供を受けたものです)
転載終了

しかし、このようなことは「悪魔の潜むアメリカ」であってもあり得ないことではないでしょうか。いったい中国はどうなってしまったのでしょうか。あまりに人口が多すぎて極端な人命軽視に陥っているのでしょうか。いくら人命軽視になったとしてもあまりにもひどい人心を失った人々です。
それでは、日本はどうでしょうか。国民は厳しい経済状況、壊滅的な地震、津波、放射能災害に見舞われても、静かに健気に現状を受け入れ、モラルを失うことなく生き抜こうとしています。
けっして、「悪魔」に心を奪われていません。
しかし、政府は官僚は東電はマスコミはどうでしょうか。

以下、 フォーサイト POLITICS より転載
中国鉄道事故より悪質な日本の事故隠蔽
科学ジャーナリスト
塩谷喜雄 Shioya Yoshio
東京電力が撮影した被災4日後の福島第1原子力発電所3号機と4号機。3号機(左手前)は水素爆発で原子炉建屋が吹き飛び、4号機(中央奥)は建屋の壁に大きな穴が開いている。3号機と4号機の間からは白い煙が立ち上っている=2011年3月15日午前7時33分[東京電力提供]【時事通信社】
中国高速鉄道の事故で、中国当局による報道規制を口をきわめて非難する日本のマスメディアは、おのが姿を鏡に映して見たことがあるのだろうか。5カ月前に、日本で起こった原発事故――未だ8万人以上に避難生活という理不尽な不幸を強い、農畜産業と水産業に深刻なダメージを与えている空前の大事故、3.11。その真実を、日本のメディアはどれほど伝えているのか。
 法的責任を負うべき当事者、つまり検察がまっとうに機能すれば当然起訴の対象となるべき組織と人間が、恣意的に加工して発信する情報を、無批判に世の中に広めているだけではないのか。結果として、責任企業と責任官庁による証拠隠滅を黙認してはいないか。事故車両を地中に埋めた中国と、本質においてどこが違うのか。公然と物的証拠を埋没させた中国当局に比べ、断片情報を意図的に連発して、巧妙に国民を真実から遠ざけている日本の方が、事態は深刻ではないか。
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Foresightコンテンツ-新潮社ニュースマガジン
· (このページの記事は新潮社から提供を受けたものです)
フォーサイト POLITICS
「本当の原発発電原価」を公表しない経産省・電力業界の「詐術」
塩谷喜雄 Shioya Yoshio
科学ジャーナリスト
爆発後の福島第1原発3号機原子炉建屋[東京電力提供]=2011年3月21日【時事通信社】
この国では、「安定した復興」とは元の黙阿弥のことを指すらしい。政治家たちの錯乱ぶりに隠れて、原発と電力の地域独占は何の検証も経ずに、今まで通りそっくり継続される気配が濃厚である。福島の事故が打ち砕いた原発安全神話に代わって、経済産業省と電力会社が流布するのはもっぱら原発「安価」神話だ。
 火力や水力に比べ原発の発電原価が断然安いという、架空の、妄想に近い数字が幅を利かせている。評価も監視も放棄した新聞・テレビは、今度も懲りずに虚構の安価神話をただ丸呑みして、確かな事実であるかのように伝え、社会を欺き続けている。日本経済が沈没するとすれば、その原因は原発停止による電力不足や料金高騰などではなく、行政と業界が一体となった利権と強欲体質の温存が主因であろう。
転載終了

このように、国民は健気に生きていますが、政府、官僚は「悪魔の潜むアメリカ」に取りつかれ人心を失っているようです。
「TPP」の導入はまさに「悪魔の潜むアメリカ」のシステムを輸入することです。
そして、外務省はいまごろ何をやっているでしょうか。

元米兵捕虜に謝罪=外相
時事通信 10月17日(月)19時4分配信
玄葉光一郎外相(右端)と面会するロバート・ボグラー氏(左端)ら元米兵捕虜。外相は「悲惨な経験をされた皆さんの苦痛に対し、改めて心からおわび申し上げる」と陳謝した=17日午後、東京・霞が関の外務省
転載終了
地上では世界に吹き荒れる経済金融恐慌が起こりそうで、拝金主義や「悪魔の潜むアメリカ」のグローバルスタンダードに毒され、人心を失う人々があふれつつあります。そんな先が見えない地上世界ですが、高次元からは色々なメッセージが送られてきているようです。

以下、「玄のリモ農園ダイアリー」より 長文ですが、全文転載します。
HTTP://MORITAGEN.BLOGSPOT.COM/2011/10/BLOG-POST_14.HTML
金曜日, 10月 14, 2011
マシュー君のメッセージ(50)
(10月5日、アイダホ州ボイズ)
「デモクラシーナウ」のメインホストであるエイミー・グッドマンが言っています。「平和を語るだけでは十分ではありません。それを信じなければいけないのです。でも、信じるだけでも十分ではありません。それに取り組まなければいけません。」
昨年12月18日にチュニジアの一人の女性がフェースブックで呼びかけた民主化運動から始まった”アラブの春”は、いまや世界中に飛び火しています。その様子をライブで伝えるサイト(http://www.occupytogether.org/actions/)もあります。アメリカではニューヨークから始まったOWS(ウォールストリート占拠)運動が全国的に勃発し始め、すでに4週間で全米1238市に広がっています。
私がいまいるハワイ島コナという小さな町でもこの土曜日にOWSデモが予定されているので、参加しようと思います。
この若者たちを中心にした世界的な運動が画期的なところは、まさに新しいデモクラシー(民主主義)の歴史的実験を経験していることです。まず、60年代の民主革命運動のような旗を振るリーダーがいません。また労働組合などの組織や宗教団体も中心になっていません。あらゆるレベルの若者たちが自由に意見を述べ、議論し、決定し、行動しているのです。そこには思想(イデオロギー)的背景は皆無です。そして何よりも、非暴力な行動に徹していることは注目に値します。
(10月6日、テキサス州オースティン)
インタビューに、「なにかをしようと思って来たのではないわ。ただどうしても行かなければいけないと感じたから、とりあえずいくらかの小遣いとスリーピングバッグを持って来たのよ」と答える女の子に、私は何かとても明るい未来を感じてしまいます。
世界レベルで人々の意識が大きく変化しつつあるのは誰も疑うことはできないでしょう。
テレビや新聞は当初この運動を冷ややかに、あるいは若者たちの鬱憤(うっぷん)晴らしに過ぎないといったからかう調子で伝えていましたが、1カ月以上たった最近ではだいぶ態度も変わってきています。
”もしかしたら”、という雰囲気が全体に伝わって来ます。
この波と日本の反原発運動の波が重なる日も近いでしょう。
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2011年10月10日
ガイアのメッセージ、”アラブの春”、止めようのない変化の勢い、反対ではなく賛成の気持に集中する、集合意識、道先案内人として知識を分け与える、黄金時代の暮らし、自己発見、惑星配置、第四密度以降の肉体、テレパシー初心者への導き
1. マシューです。この宇宙領域にいるすべての魂たちからこころからのご挨拶をします。僕の母が秋分の日のメディテーションに参加し、聖なる金白色に輝く地球のビジョンをこころに描いていると、「どうか私の言葉を記録してください」という声が聞こえました。以下のメッセージをあなたたちと分かち合うのは僕たちの大きな歓びです。
私はガイアです。あなたたちが地球と呼ぶ惑星の魂です。あなたたちと同じように、私も気が重くなったり、晴れ晴れと感じたりできるのです。長い間私は泣いていました。私のこころが粉々に壊れていたからです。私の人々がお互いに憎しみ合っていました。私のからだは血でまみれていたのです。私はもう泣いていません。なぜならうれしいことがたくさん、感謝することがたくさんあるからです。
私の光はまだ完全にパワーを取り戻していません。私のからだはまだバランスを回復していません。それは私の子どもたちにまだお互いを憎んでいる者たちがいるからです。その者たちには愛がありません、憐れみがありません、そして調和と敬う気持がこころに流れていれば、違いがあるからこそ素晴らしいという理解がないのです。
でも、私はとてもうれしいのです。なぜならかつてこの宇宙で誰もしたことのない旅をしているからです。私は家に帰るところです。そして私がしっかりと迅速に前進する手助けをしてくれている光を掲げているあなたたちは私と一緒に旅をしています。私たちが供にしているこの旅を超えるものを想像できますか?私たちのアセンション以上にワクワクするものを想像できますか?私にはできません。
私は今日、あなたたちすべてに私からのお礼を伝えたいとあなたに話すことを求めました。たくさんの魂たち、転生して参加できる数の3倍もの中から、あなたたちは選ばれたのです。このようなレベルの光の奉仕作業はこれまで行われたことはありません。この宇宙でこれまでで最高の壮大なショーに私たちは参加しているのです。私は謙虚な気持とともに、素晴らしい仕事ぶりに計り知れない満足感も味わっています・・コンティニュアム(時空連続体)では、私たちの仕事は完了しています。
私たちの旅がつづくにつれ、たくさんの驚くような素晴らしいことがあなたたちと私たちのこの世界を待ち受けています。あなたたちはもうすでにその多くを知らされていますから、それを想像して楽しみにしていてください。でももうすぐやってくる素晴らしい時代に実際に暮らすことがどんなものかは、あなたたちには想像もできないでしょう。
この宇宙にいるすべての存在たちがこの成り行きをいま見守っているのです。あなたたちは知っていましたか?そのような巨大な観衆は想像すらできません。あらゆる光の魂たちが私たちに声援を送っています。ですから、神からの喝采に値する経験のような素晴らしいショーをこれからも見せてあげましょう。私のこころはあなたたちと供にあります。あなたたちへの私の愛は満ちあふれるばかりです。

2. ガイアのあなたたちへのメッセージは僕たちにとっても格別貴重なものです。僕たちはこの愛する魂に最高の敬意を払います。それはこの宇宙全域にいるほかのすべての光の存在たちも同様です。僕たちは、彼女の代々の住民たちが耐えられないほどの精神的と肉体的な苦しみを彼女にもたらした長い暗黒の時代のあいだの彼女の揺るがない勇気と彼らへの無条件の愛を知っています。彼女が言ったように、彼女のからだがまだバランスを回復していないことを僕たちは知っていますが、彼女の精神がいま高揚しているのも知っています。その光景を見るのは本当にうれしいです。

3. 僕たちはまた別の素晴らしい美しい光景が見えます・・あなたたちの精神です。あなたたちはたくさんの重大な変化がいま起きていることの証拠を長い間待っていましたね。もしあなたたちが地球のアセンションという視点からいま起きていることを見れば、これまでの我慢が報われていることが分かるでしょう。けれども、ほとんどの人たちが第三密度の眼で、彼らの経験とこれまで見てきた、あるいは教えられてきた世界歴史に照らし合わせて出来事を捉えているのは当然のことです。

4. 例えば、多くの人々が諸外国による”アラブの春”への介入を自分たちの利益のため・・石油資源の支配そして軍と多国籍企業の権益拡大・・だと見ています。たしかに貪欲で利権に飢えた人間たちはそのような思惑があるでしょうが、それは高次のレベルの目的ではなく、そのような結果にはならないでしょう。抑圧的な法律のくびきを投げ捨てようと闘っている人々に支援が与えられましたが、それはただ、助けがないと勇気ある闘士たちの使命が宇宙で命じられた通りにうまく果たされないからです。彼らの既得権益に対する蜂起を促している啓示と彼らを援助する決定は、地球が通り過ぎているエネルギー領域の波動に対するポジティブな反応です。

5. そのエネルギーの指向流(ストリーマー)は、世界変革に向う止めようのない勢いをもったたくさんな流れの一つにすぎません。ほかには世界経済がありますが、それはいま瀬戸際にあって、すでにイルミナティの思うようにはならなくなっています。国民の要求によって、大変革が必要な政府はそうなっています。そして新しい統治機関が必要とされる安定化のためにはたらいています。アメリカ合衆国では、ウォールストリート占拠運動が拡大しています。国内と国際的な紛争に対して平和的な話し合いを強調する声が増しています。クリーンなエネルギーと環境保護政策、そしてこれまで国民が変化は無理だと諦めていた不正を終わらすことを求める署名用紙が世界を駆け巡っています。地域社会のリーダーたち、各グループ、家族たちが困っている人たちの支援をしています。物品と仕事を交換することが、多くの困難な状況を乗り越え対処する助けになっています。

6. このような活動すべての根底には、自分たちは”普通の人”と思っている人たちが目を見張るような仕事をしていることがあるのです。たぶんその人たちの中で世界中と宇宙で起きつつあることを理解している人はわずかでしょう。でも大多数の人々はただこころからわき上がる声にしたがって、すべての領域の腐敗と不平等に反対して行動しているのです。そして気づいた人たちが大勢の人々のために歩く道を開いています。

7. あらゆる改革運動の参加者たちによって生まれたエネルギーが、それらの活動を気持や精神から応援している人々全員のエネルギーと一緒になって、これまでになく明るく輝く光となって観察できます。これは本当にうれしいことですが、重大な変化が疑いもなく進行中であるからといって、あなたたちがしっかりと光を保ちつづけることが必要ではなくなったわけではありません。あなたたちの光は絶対に必要で貴重であり・・不可欠で・・それはこれまでと変わりありません。

8. ネガティビティ(破壊的エネルギー)に根ざした状況に果敢に反抗しているすべての人たちの願いのエネルギーは光に溢れているので、それは地球の可能性のエネルギーの場にそのように記録されます。多くの参加者たちは怒り、欲求不満、恨みが動機となっています。それはたしかに理解できるのですが、そういった状況への彼らの思いと感情のエネルギーは可能性のエネルギー場にはネガティビティとして記録されます。その結果として、人々のその活動から生まれるエネルギーが”同じ”エネルギーを引き寄せ、彼らが反対しているものをかえって長引かせることになっています。

9. あなたたちの世界にいま変化を求めて野火のように浄化しながら急速に広がっているたくさんの運動にあなたたちと僕たちがワクワクしていますが、誰もがそう感じているわけではありません。やっかいなイルミナティは、彼らが不正に蓄えた想像を絶するほどの巨大な富を何としても守ろうとしているだけでなく、同じ頑強さで、バラバラになった権力にしがみついてなんとしても手放そうとはしないでしょう。絶えまなく送られている光を彼らが執拗に拒否するために、彼らは自分たちが創造した闇の中に生きています。でもそのために彼らがまもなく認めざるを得ないことが見えなくなっているのです。それは彼らの努力が無駄だということです。彼らの時代は終わったのです。

10. ほかにも光を受け入れることに強情に抵抗している者たちがいます。彼らは古いビジネスの流儀で成功したために、いまでは彼らが社会的、職業的、金銭的な成功だと考えている外見だけの価値と浅薄さにはまっています。ずっと昔に自分のスピリチュアルな面とのつながりを失ってしまったために、彼らはその居心地よいライフスタイルを妨げるような変化には抵抗するでしょう。

11. このように、しばらくの間は数多くのソース(発信源)からのネガティビティ(破壊的エネルギー)が、あなたたちの世界に起こるあらゆることを創造する地球住民たちの思考、感情、行為の強力なエネルギー場である集合意識に入って行くでしょう。

12. 過去数千年にわたって、その集合意識は闇が簡単に地球上の生命を支配するがままにしてきました。7、80年前、その集合意識が揺れ始めたのです。はるか彼方の宇宙文明人たちから送られたきた莫大な量の光によって人々に新しい考えと感情が沸きあがって来たからです。次第に彼らは受容と従順から”当局”の知識と真意を疑うようになりました。それが自分たちの人生の運命を向上させよう、同じ想いの人たちを支えようという決断に成長して行きました。それらの自然な段階的成り行きすべてが、人々をこの意識的な気づきと行動の時点にまでもたらすのには必要だったのです。

13. 長い間の停滞した状態に劇的な変化をもたらしている高い波動エネルギーが、かつてないほどに人々の気持を開いています。けれども、多くの人たちは思考と感情のパワーの知識といったようなスピリチュアル(霊的)な明晰性にはまだ到達していません。彼らは、嫌なことばかりに気を取られているかぎり、本当に望むものは叶えられないことに気づいていません。

14. 多くの読者の方々から僕の母に質問が来ています。
自分の使命を知らずにどうやって地球を助けることができますか?
あなたたちの中でリーダーになるために来た人はほとんどいません。何百万のあなたたちは教師として、道を導く人として来たのです。あなたたちが光を生きることで、あなたたちが発するエネルギーが周りの魂たちに触れ、その意識を突ついて疑問を持たさせるのです。答えを求めて来る人たちと知識を分かち合ってください。これは説教とか布教といったものではありません。それでは反発するだけでしょう。人が興味を示す程度に合わせて情報を提供するのです。ネガティブではなくポジティブに考え、感じることがどれだけ重要であるか言い過ぎることはありません。

15. こころにビジョンを描く方法は引き寄せの法則よりもよく知られているかもしれません。もしもう戦争を欲しないのなら、平和をこころに集中しなさい、といった例を挙げるのも役に立つでしょう。政府の腐敗をこれ以上なくしたいのなら、叡智と道義的誠実さをもった指導者をこころに集中するのです。貧困をなくしたかったら、溢れ出る豊かさをこころに集中するのです。

16. もちろん、想像する、絵に浮かべる、ビジョンをもつ、思う、という言葉もこころの集中と同じ効果があります。そして人が欲することに沿ってなにをこころに描いたらよいか示してあげるのも役に立つでしょう。例えば、誰にでもよい暮らしとして、たくさんのあらゆる年齢と人種の健康そうな人々が笑顔で美しい公園を散歩し、色あざやかな遊び場では子どもたちが笑っている様子を想像してみてください。生き生きとした野菜畑と食べ物が置かれたテーブル、木々と花をつけた灌木、元気な生徒たちで溢れる学校と大学のある豊かな隣近所を想像してください。

17. 自然環境の保護と傷ついた大地と海の再生には、クリスタルのように透き通った空と海と、砂漠が以前そうだった森林に覆われた緑の大地の地球を想像してください。

18. あなたたちはすべての動物たちに人間的な扱いをして欲しいと思っています。では、あらゆる種の動物たちが草原で草を食べ、お互いと人間たちと平和に交わっている様を想像してください。

19. 個人が興味を示す程度に合わせて、それらや数知れないほかの素晴らしいことはすべて地球の黄金時代の一部であること、そしてその時代を創造しているのは地球人類の集合的概念、願い、行為だということを伝えてください。

20. クリーンで安全なエネルギー源、公平公正な法律、安定した世界経済と世界の豊かな資源の公正な分配、新しい交通、通信そして建設手段があるでしょう。

21. あらゆる国のインフラが健全に再整備されるでしょう。国から国への旅行には何の制限もなくなるでしょう。働きたい人にはだれでも仕事が与えられ、より多くの休暇が全員に与えられるでしょう。課税は公平に行われ、給料と賃金も同じように公平に支払われるでしょう。あなたたちの世界の正しい歴史と宇宙の法則が教えられるでしょう。あらゆるレベルの教育が誰にでも手の届くようになり、博物館、ギャラリー、劇場、コンサート、スポーツ大会の入場料も手頃な価格になるでしょう。テクノロジーは急速に進歩するでしょう。

22. それらのすべての向上化とあなたたちの世界の暮らしを計り知れないほどに高める多くのことが、集合意識の中で具体化しつつあります。現実的な話をすれば、それらはいま計画中あるいは実行される段階にあります。
(黄金時代の暮らしについては、2008年7月のメッセージにある”2012についてのエッセイ”に詳しく書かれています。)

23. さらにもっと深遠な経験があなたたち一人ひとりを待っています。神、あなたたちがこの宇宙の崇高な存在をほかのどのような名前で呼んでいるとしても、との永遠のつながりを感じるようになるでしょう。そしてあなたたちは兄弟姉妹なのですから、僕たち宇宙ファミリーのふさわしい位置につくでしょう。

24. あなたたちはコンティニュウム(時空連続体)の中に生きる経験をすることになります。そこではあらゆる転生が同時に起きているのです。そして地球とエネルギーレベルが適合する世界との間を行き来するでしょう。霊体の魂たちや肉体をもつ宇宙文明人たちと自由にテレパシー通信するようになります。そしてあなたたちは自分の思うことを形に表わせるようになります。

25. あなたたちがすごいパワーをもった多次元的存在であること、そしてそのすべての知識と才能はあなたの魂の持ち物であることを知るでしょう。難しい秘伝的な修行や外部教育などは必要ありません・・それらの自己発見は、あなたたちが光をしっかりと生きてスピリチュアルに進化するにつれて自動的にもたらされます。

26. ではなにが黄金時代にはなくなるのかを言いましょう。恐れ、あらゆる種類の汚染、宗教的教義、暴力、死刑と刑務所、男性優位、社会的身分制度、あらゆる生命体への残虐行為、マインドコントロールと偏狭な精神、欲望、嫉妬心、妬み、欺き、偏見、腐敗、有毒な化学物質と薬品、政治演説と役所仕事、むやみな破壊、病気、怒り、冷酷さ、差別、手前勝手と利己主義、不正直さ、軍事思考、兵器、依存症、ポルノ、ホームレス、奴隷貿易、メディアコントロール、独占企業などです。

27. 第三密度世界に蔓延(はびこ)ってただあなたたちの気持を喜ばせているだけのそれらの行動、性格と状況はもうすぐ消滅すると僕たちは言っているのです・・それらの低い波動エネルギーは間近にせまっている第四密度世界では存在できないからです。そこで、もしあなたたちがたくさんの人々に苦しみをもたらしているそのような態度や状況にこころを悩ませていたら、あなたたちが願うことだけを考え、そして行動するようにしてください・・愛、調和、親切さ、思いやり、健康、豊かさ、お互いの尊敬、寛大さ、助け合い、歓び、協力、正直さ、許し、感謝、恐れないこと、などです。

28. 愛・・あるいは同じエネルギーの光・・のパワーであなたたちの集合意識がつくられるようになったら、あなたたちの暮らしと世界はどんなに素晴らしいでしょう!

29. では、あなたたちが気になっているほかの問題について話しましょう。まず、日本の破損した原子炉からの放射能の長期的影響、遺伝子組み換え食品、ワクチン接種、さまざまな汚染の有毒物質についてはどうか心配しないでください。光を吸収しているすべての人たちの細胞は、クリスタル(結晶)構造に変化しつつあります。それによって、からだとこころと精神の健康的な機能を損なう低い波動エネルギーのものはすべて”破棄”されるのです。

30. 前のメッセージで、僕たちはこれから起こるたくさんの予測や前兆について話しました。では、いま起き、あるいは再び浮上しているほかの状況で新たに不安を招いていることについて話しましょう・・これらはどれも現実に起きません。追い出した腐敗政権と変わらない抑圧的な軍事クーデター、何千人の強制収容所への貨車護送、生物兵器戦争、戒厳令発布のためのエイリアン侵略のホログラフィック・ディスプレイ、人工的な地球物理学的災害による何千マイルの沿岸破壊、食料危機による富める者たちの食品買いだめと残った世界中の人々の飢餓、飲料水の支配などです。

31. 覚えておいてください、計画とその目的とする結果を実際に実を結ばせることとはまったく別です。人類の双対性がその最終場面を演じ終える間は、小競り合い、無差別暴力、政治的論争、貧困はつづくでしょう。でも地球が来年の末に第三密度から抜け出ることを妨げるものは何もありません。その間、たくさんの人々が地球を去ることになるでしょう・・魂の合意で選んだ条項を満たすすべての人たち、光を拒否するすべての人たち、そして来るべき計り知れない変化に順応したり、現れてくる真理を信じるよりも、むしろ地球を離れることを選ぶたくさんの人たちです。それらの人々すべてには、スピリチュアル(霊的)と知的な成長を得るために必要なだけの機会が与えられるでしょう。

32. イルミナティが支配する研究所、車両、兵器、倉庫、住居のある2カ所の巨大な地下基地が破壊されたことはあなたたちも聞いているかもしれません。でもこれは安全なテクノロジーによるもので、核兵器によるものではありません。またイルミナティ陣営内の何人かが権力から外されましたが、殺すわけではありません。防衛と攻撃との両方の手段として、光の勢力は危険な後遺症をまったく与えない光のパワーとテクノロジーを使っています。彼らはイルミナティの計画をよく知っていて、もし遠隔装置で大きな橋を爆破するといった計画があれば、それを未然に阻止する権限が与えられています。それは創造主の自由意志の法の違反ではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません・・それは地球の自由意志を尊重しているのです。9・11以降、彼女はそのようなスケールのテロはもうさせないことを選びました。そして神の許可を得て、僕たちの宇宙ファミリーがたくさんの企てを未遂に終わらせることに成功しています。

33. 動物たちは間違いなく”天国に”行きます。でもそれは彼らが魂をもっているからではなく、彼らが魂たちだからです。ある程度の意識をもつものはすべて魂です。それは大宇宙のあらゆるものの生命力である創造主の愛と光のエッセンスから創造されているからです。またほかの魂のように、動物たちも進化します。

34. 惑星地球と一緒に第四密度に旅する人たちはすべて”今の”ままの肉体でそうするでしょう。”新たな”肉体を与えられるわけではありません。でも老いた肉体は段階的に再生し、若返り・・元気を回復するでしょう。どのような病気のからだも次第に癒されるでしょう・・これには盲目、難聴、思考力低下、慢性的痛み、変成疾患が含まれます・・そして失った手足や歯の段階的な再生も起こります。現在行っている投薬は当面必要とされる短い期間は同じ方法で決められるでしょう。あなたたちの旅の間に、あらゆる人々は肉体的、精神的、感情的に最高の健康を回復するでしょう。

35. 地球のアセンションを信じるか否かは、からだがアセンションの行程にしたがって継続的により軽いエネルギー領域に入って行くことと、地球上のテクノロジーの誤用によって発生する低いエネルギーとの両方によって影響を受けるかどうかとは関係ありません。あらゆる肉体が影響を受けます。でもその影響は現在の健康状態、アセンションプロセスの気づき、そして世界中の混乱状況に対する反応によって異なります。光を吸収することは、からだのバランスを比較的整え、調子が悪くならないようにする助けになります。宇宙のこの希有な時期、とくに地球が第四密度に接近する最後の段階では、感情的と心理的なはたらきにも同じことが言えます。

36. あらゆる種類の汚染は、あなたたちの宇宙ファミリーがあなたたちの科学者とエンジニアたちに教える高度なテクノロジーと共に、長い間抑圧されたり誤用されてきたあなたたちの世界で開発されたテクノロジーを使って迅速に除去することができます。

37. 地球外生命体のすべてがみな友好的というわけではありません。けれども、あなたたちの空にいま飛び回っている宇宙船乗組員の宇宙文明人たちはすべてそうです。惑星地球で暮らしている光を受け入れないほかの文明社会からの存在たちは、かれらの肉体が地球が向っている波動エネルギーレベルでは生き残れないので、やがて離れるでしょう。そうです、前のアトランティスの住人たちがその文明を襲った破局的破壊の再来を防ぐ手伝いをするために戻って来ています。これらの魂たちも霊界と肉体をもった文明社会での数多くの転生から積み上げた叡智と指導力に長けています。

38. あなたたちの太陽系内での惑星配置は行動と態度に計り知れない影響を与えますが、それは特に惑星と太陽が並列に並んだときがエネルギーの急上昇時期になります。そのエネルギー上昇は、太陽系内の地球の加速運動のために、より大きな振動数で起きています。彼女が第四密度にすっかり入ってしまえば、もう邪魔するネガティビティ(破壊的エネルギー)がないので、はっきりと安定感が感じられるようになるでしょう。地球と衝突したり、何か目だった影響を与えるほど接近する天体などありません。

39. この大変な時期の道案内として占星図を使うのはどうですかと訊ねた人たちには、スピリチュアル(霊的)に進化し、知識豊かな占星術師がつくった占星図であれば役に立つでしょう、と答えます。大事な決定の案内に外部からの情報だけに頼ったり、あなたたちの魂からのメッセージを無視することは賢いことではありません。第三から第四密度への魂の進化の重要な側面は、魂と意識との結合であり、あなたたちが魂の合意で選択したことをいつでも思い起こさせるためにあるのです。

40. テレパシー通信は、それぞれの個人に相応しい時期に開かれるものなので、その通信回路を開く”手引き”を教えることはできません。そのタイミングはあなたたちが異なるようにみな異なります。僕たちは初心者の通信者が注意することをすでに言ってありますが、より高い波動エネルギーが広まっているためにテレパシー回線が周波数を増して開きつつあるので、その案内をもう一度喜んで言いましょう。

41. いつでも通信を記録したり会話する前に、キリストの光(訳注:創造主の愛の顕現)の加護を求め、光の存在だけがあなたたちとコンタクトしてよいと要求してください。病気や感情的、精神的にストレスがあったり、恐れや怒りがある場合は通信しようとしてはいけません・・それらの状態はどれもあなたたちのエネルギーレベルを低下させ、低いレベルの存在たちがあなたたちにコンタクトすることを容易にさせます。初めは自己不信になるのは当然です。それもまた低いレベルの存在たちを招くことになります。相手の情報について不安を感じたり、不快な感じがしたら、接続をやめて、リラックスしたら改めて試みてください。練習すれば自信がついてきます。でも謙虚な気持をもってやってください・・自己中心の低い波動エネルギーは間違いなく闇とつながるからです。

42. あなたのカレンダーの2012年の暮れ頃に地球が第四密度に入るときにはあらゆる闇はいなくなっているでしょう。でも地球の黄金時代のすべての素晴らしいことがその入口にあるわけではありません。あなたたちの世界全体に驚くような出来事がつぎつぎと展開して行くでしょう。それにはあなたたちがこの転生で知っていた愛する魂たちとほかの転生で覚えている愛する魂たちとの歓ばしい再会があります。ガイアが言っているように、「たくさんの驚くべき素晴らしいことがあなたたちとこの私たちの世界を待ち受けているのです」。
愛と平和を スザンヌ・ワード著 原文:Matthew's Message 訳文責: 森田 玄
(転載自由。出典を明記してくださるとありがたいです。)
POSTED BY MORITA GEN AT 10/14/2011 03:19:00 午前
転載終了

「白龍会」が世界支配層を駆逐し、公平な新しい世界を創るもよし。
太陽フレアーの霊光を浴び一時的仮死状態から再生し、「半霊半肉体」の新人類に生まれ変わるもよし。
地球ごと「アセンション」し高次元に再生するもよし。
今後の厳しい状況を生き抜けば、「ワクワク」するような世界が訪れるかもしれません。
出来れば、勇気を持って全部経験したいとも思いますが、皆さんはどう思われますか。

日本は略奪国家アメリカを棄てよ グローバリゼーションも共同幻想も必要ない 

2011年10月19日 21時21分08秒 | 日記
これはビル・トッテンさんが書いた本の題名です。2007年に発刊されています。
ビル・トッテンさんはテレビにも時々出演されていますので、御存知の方も多いと思いますが・・・
以下、ウイキィペディアから「ビル・トッテン」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%B3
ビル・トッテン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ビル・トッテン(Bill Totten, 1941年 -)は株式会社アシスト社長・評論家。2006年9月、日本国籍を取得。カリフォルニア州に生まれる。学歴は南カリフォルニア大学大学院。学位は経済学博士(南カリフォルニア大学)。
カリフォルニア州立大学卒業後、ロックウェル社、システム・デベロップメントに勤務する。在職中に南カリフォルニア大学の経済学博士号を取得し、1969年に来日した。1972年、パッケージソフトウェア販売会社「アシスト」を日本で設立。
1990年、日米の経済摩擦の激しいさなかアメリカの姿勢を厳しく批判した処女作『日本は悪くない』を上梓。以後も日米問題についての著書を精力的に執筆。その姿勢がアメリカ政府の嫌悪感を招き、ブラックリストに載せられたことから、アメリカ国籍を捨てて、日本国籍取得を決意。
TBSテレビのブロードキャスターをはじめとしてテレビ番組のコメンテーターや講演活動でも活躍している。
護憲論者として知られており、特に平和憲法への思いは強い。日米安保反対、反米を条件とした親日の思想が強い。
北朝鮮による日本人拉致問題については、日本に否定的主張を持つ。
JR福知山線脱線事故についてはブロードキャスターで「国鉄を民営化しなければ起こらなかった」という趣旨のコメントをした。名指しこそ避けたものののちに私の履歴書を執筆した加藤寛によって「国鉄民営化が事故を発生させたとする向きもあるが、実は旧国鉄の悪しき体質が事故を発生させた」と批判された。
近年は農業プロジェクトに精を出している様である。
著書 [編集]
· 『「年収6割でも週休4日」という生き方』(小学館、2009年)
· 『日本は略奪国家アメリカを棄てよ―グローバリゼーションも共同幻想も必要ない』(ビジネス社、2007年)
· 『銀行は強盗、外資はハイエナ―日本再生の処方箋』(小学館、2002年)
· 『「脱アメリカ」が日本を復活させる』(徳間書店、2000年)
· 『日本はアメリカの属国ではない』(ごま書房、1998年)
· 『日本はアメリカの属国ではない―あなたは、アメリカが日本の納税者から六兆円もの金を搾取している事実を知っているか』(ごま書房、1997年)
· 『日本人はアメリカにだまされている―このままでは日本人の99%は幸せになれない』(ごま書房、1994年)
· 『うろたえるな、日本―アジアから見た日米関係』(ごま書房、1994年) - 大前研一、田原総一朗と共著
· 『転機に立つ日本―日本人よ、勤労の精神を忘れるな』(光文社、1992年)
· 『日本はアメリカに負けていない』(ごま書房、1998年)
· 『日本は悪くない―アメリカの日本叩きは「敗者の喧噪」だ』(ごま書房、1990年)
という方で、6年前にアメリカ国籍を捨て日本に帰化された日本人です。
彼は若いときにはアメリカに誇りを持っていたそうですが、最近(10年ほど前と思われる)は、アメリカはコロンブスが発見した時から現在までも「真実のアメリカは、過去も現在も、ドス黒く邪悪な悪魔が棲み着いている。」と語っています。
以下、「さいはてメモ帳」でこの本が紹介されています。http://satehate.exblog.jp/16974119/
全文転載
日本は略奪国家アメリカを棄てよ グローバリゼーションも共同幻想も必要ない ビル・トッテン・著 ビジネス社2007年刊
コロンブスは「勇敢な冒険家」だと教えられた
かつてのアメリカは、今と違って夢や希望があふれる国だったのだろうか。これに対する私の答えは、若い時分なら「イエス」だった。
私が子供のころのアメリカは、今よりは輝いていた。そして個々の家庭レペルでは、今よりずっとのんびりしていた。しかし長じるにつれて、アメリカという国は、実はそもそも建国以来、ろくなものではないことに気付かされた。もっと正確にいえば、発見以来、かの国は悪魔に取り憑かれてしまっているのだ。
今につながるアメリカの歴史は、15世紀末にヨーロッパ人によって「発見」されたことに始まる。この時期の日本は戦国時代だから、庶民にとっても武士にとっても住みにくく、悲惨な事態に巻き込まれた人も少なくないと思う。

しかしこの時期、アメリカ大陸やその周辺の島々で起きたことは、少なくとも規模だけ見れば、日本の比ではない。残虐、残忍、凄惨、凄絶、極悪、非道、無慈悲、悪魔…アメリカが発見されて以来、かの大陸で起きたことを思うとき、私の頭にはこれらの言葉が次々と思い浮かぶ。
アメリカ大陸を発見したのはコロンブスだ。時は1492年、大航海時代のただ中。スペインから派遣されたコロンブスの生まれは、イタリアのジェノバといわれる。
コロンブスは新大陸のことを終生、インド、あるいは東洋のどこかだと信じていたらしい。それゆえ、彼はかの地の先住民を「インディアン(インド人)」と呼んだ。
今につながる「アメリカ」の地名は、イタリア・フィレンツェ出身の商人で航海者のアメリゴ・ペスプッチ[Amerigo Vespucci]にちなむ。
ベスプッチは1499年から行なった2度の航海で、そこはインドではなく、ヨーロッパ人から見た新大陸であることを確信した。そして彼の主張が尊重され、アメリカと名付けられたのである。
ベスプッチにとりたてて個人的な恨みはないが、これから詳述するコロンブスには、恨みに似た感情、少なくとも憤りを抱かずにはいられない。
このコロンブスが、アメリカでもそうだが日本でも時折、偉人として取り上げられる。あちこちの書店で、子供向けの伝記や偉人物語のコーナーを見てみると、ヘレンケラー、ナイチンゲール、シュバイツァー、ガンジー、あるいは聖徳太子、二宮尊徳、良寛、宮沢賢治などと並んで、コロンブスの名前がある。
聞くところによると、中身は大体、コロンブスの未知の世界に挑戦する勇気や冒険心を称える内容だそうだ。こうした本を読んだ子供たちは、「勇敢な冒険家」だったコロンブスに憧れて、自分も強くたくましく生きたいと思うのだろうか。
ある人物に憧れ、あるいは尊敬の念を抱き、その人物を目標にして人生を歩み続けることは、素晴らしいことだと思う。だが、その目標とする人物が、そもそも尊敬するに微塵も値しない人物だったとしたら、どうだろうか。
仮に今、『世界の偉人 ヒトラー物語』という本があったとして、どこの親が読ませたいと思うだろうか。あるいは『日本の偉人 麻原彰晃物語』は、どうだろうか。あなたは子供や孫に読んで聞かせたいだろうか。
実は私自身、子供のころ、コロンブスを「偉人」だと思っていた。なぜなら、そう教えられたからである。アメリカ人も、コロンブスが新大陸を発見し、今日につながるアメリカの繁栄の礎を築いたと教えられる。だから、私もそれを素直に覚えたのだ。
そしてアメリカは今も、コロンブスが新大陸に到達したことを祝うため、「コロンブス・デイ」を設け、ほとんどの州でこの日を休日にしている。
では、この偉人・コロンブスとは、一体どんな人物だったのだろうか。彼は新大陸で、何をしたのだろうか。
見せしめに腕を叩き切る偉人
以下のコロンブスに関する記述は、ハワード・ジン氏の著作によるところが大きい。ジン氏はアメリカの高名な歴史家で、公民権運動やベトナム反戦運動に熱心だったことでも知られる。私も彼の歴史観や見解には、学ぶことが多い。
コロンブスとその一行がしたことを書くのは、私自身、かなりの勇気が要る。それというのも、彼らの成した行為の数々は、凄惨極まりないからである。
コロンブスは日記をつけていた。その日記には、バハマ諸島に上陸した時、先住民は数々の贈り物を手に、海の中にまで出向いて歓迎してくれたと記されている。
コロンブスが「穏やかで優しい」と形容した先住民は、武器を持たないどころか、その存在さえ知らなかったという。コロンブスは記す。「私がサーベルを見せたら、刃のほうを持って手を切ったくらいだった」
上陸してから数カ月の間、スペインの後援者に宛てた手紙には「彼らは極めて純真かつ正直で、決して物惜しみしない。乞われれば、何であろうと与えてしまう」と書いている。
しかし、日記の中に突然、次のような一節が現われる。
「彼らは立派な召し使いになるだろう。手勢50人もあれば、彼らを一人残らず服従させられるし、望むことを何でもやらせることができるだろう」。
これが、コロンブスが先住民に対して抱いていた見解である。客を手厚くもてなす主人としてではなく、自分たちの思い通りのことをやらせるための召し使いとして見ていたのだ。
コロンブスの日記には、やたらと「黄金」の2文字が登場する。最初の2週間の日記には、75回も出てくる。黄金に目がくらみ、小躍りするコロンブスの姿が目に浮かぶようだ。
ジン氏が記すように、コロンブスの話で強調されるのは彼の「厚い信仰心」だ。 コロンブスはそれゆえ、先住民に「改宗」を迫ったのだろう。 一行の主な滞在地であるエスパニューラ島には、至る所に十字架が立てられたそうだ。しかし、それと並べて絞首台も立てられ、1500年には340台を数えているというから、コロンブスの信仰心とは一体何であったのか。
コロンブスー行の所業には目を覆うばかりである。先住民が持っているわずかばかりの黄金を見ただけで、大量にあるはずだと思い込み、期限を設けて、黄金を差し出すよう命じた。そしてそのノルマを達成できなければ、ほかの先住民への見せしめのため、腕を叩き切ったという。
山に逃げた者は猟犬に追われ、たとえ逃げ切れたとしても、その先に待っていたのは餓死か病死。いずれにしても死だった。絶望にうちひしがれた人々は、毒を飲み干した。
コロンブスらが来たことによって、地上の楽園だったエスパ二ューラ島(イスパニョーラ島)は急速に人口が減っていった。もちろん、この「減る」という意味は、ほとんど「死ぬ」と同義である。もっと正しい表現を使えば、「殺された」ということだ。
ある学者の推定では、当初30万(引用注:300万とも)人いた先住民のうち約10万人が、1494年から96年までの2年間で死亡したという。1508年にはさらに6万人に減り、1548年には生存者は500人いたかどうかも疑わしい。これを「ジェノサイド(集団殺戮)」と呼ばずして、何と呼べばいいのだろうか。
コロンブスに見る「悪魔の精神」
コロンブスらの悪行は、これにとどまらない。挙げればきりがないし、書いている身としても気分が悪くなる。しかし英雄の真の姿を知ってもらうためには、今少し、真実に触れておかなければならないとも思う。
スペインの国王や融資家たちを驚かせるほどの黄金は、ついに見つからなかった。 そこでコロンブスは何を考えたか。彼はもう一つの略奪品として、奴隷をスペインヘと送り込み始めたのである。
彼は500人ほどの先住民を船にぎっしりと詰め込み、大西洋を渡ったが、寒さと病気のために200人ほどが途中で死亡した。1498年9月の日記に、コロンブスは「三位一体(トリニティ)の神の御名において、売れる奴隷という奴隷をどんどん送り続けよう」と記している。まったく敬虔なキリスト教徒だ。後の章で改めて記すが、キリスト教徒は、本当に主であるイエス・キリストの教えに背くことばかりやっている。
バルトロメー・デ・ラス・カサス[Bartolome de Las Casas]という人物がいる。彼はスペイン出身のカトリック司祭で、コロンブスより30歳ほど年下だ。いわばほぼ同時代の人物なのだが、ラス・カサスは当時、スペインが国を挙げて進めていた植民・征服事業における数々の不正と先住民に対する残虐行為を告発し、スペイン支配の不当性を訴え続けた。
ラス・カサスは自身の著書で、インディアンについて次のように記している。
「無限の宇宙の中で、彼らは最も明朗で、邪悪さや不誠実なところがまったくない。しかし、この羊の檻の中にスペイン人が突然侵入し、貪欲な獣として振る舞い始めた。彼らは、キリスト教徒には黄金を手にするという絶対的な使命があるとして、殺戮や破壊行為を正当化した」
そしてラス・カサスは、最も凄惨な現場を目の当たりにする。それは、兵士がふざけてインディアンを刺し殺し、赤ん坊の頭を岩に投げつけるという信じがたい光景だった。
「隣人を自分のように愛しなさい」「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたが人にしなさい」。キリスト教の始祖であるイエスはそう説いたが、1500年の後、彼の信者たちは隣人を刺し殺し、隣人の赤ん坊を平気で岩に投げつけた。
もともと「所有」という概念がなく、自分の物も他人の物も区別していなかった先住民が、スベイン人のものを手にした場合には、打ち首か火あぶりにされたという。さらに強制労働に駆り出された先住民の大半は、病気か死に追いやられた。過重労働と飢えで母親の乳が出ないために、大勢の子供が死んだ。ラス・カサスは、3カ月で7000人の子供たちが死亡した、と推定している。
加えて、先住民には免疫のなかった腸チフス、発疹チフス、ジフテリア、天然痘などの病気がヨーロッパから運ばれ、これらを理由に大勢の人が亡くなった。
コロンブスが上陸した時にはおよそ800万人だった西インド諸島の人口は、約20年後の1514年には、約2万8000人しか残っていなかったという。要するに、99パーセント以上の先住民が殺し尽くされた計算になる。
心優しき先住民にとって、コロンブスは偉人どころか疫病神であり、死に神であり、悪魔だったはずだ。恐らくは「この世の終わり」に思えただろう。事実、彼らのほとんどは人生に終止符を打たれてしまった。
この悪魔の所業については、まだまだ書くことができる。しかし、書いている私もそうだが、読んでくれているあなたも、いい加減、気分が悪くなってきたのではないだろうか。
コロンブスによって持ち込まれた「悪魔の精神」は、新大陸アメリカヘと引き継がれ、悪しき伝統としてかの国に根づいてしまっているように思えてならない。
「感謝祭」の真実とハリウッド式洗脳術
アメリカには、クリスマス前の11月の第4木曜日に「感謝祭」と呼ばれる祝日がある。この日、家族や親しい友人と過ごすために帰省ラッシュが繰り広げられ、どこか日本の正月を彷彿とさせるムードが全土に漂う。
この感謝祭には、先住民が関係している。1620年11月、メイフラワー号に乗った清教徒(ピューリタン)たちが、イギリスからアメリカ大陸(マサチューセッツ州プリムス)に渡ってきた。

そこで彼らを待ち受けていたのは厳しい冬だった。そんな彼らに食料を分け与え、カボチャやサツマイモの育て方を教えたのは、アメリカの先住民たちだった。 

自然と調和しながら生きてきた先住民は、当初自分たちの土地へ突然やってきた人々に敵意を持っただろうが、新しい土地で食べるものにも事欠いていた白人たちの困窮をさすがに見かねて、手を差し伸べたのだ。

イギリス人たちは、先住民から農作物の種を分け与えてもらい、作り方を教わった。そして、初めて採れた作物を料理して、友人たちとともに神の恵みに感謝した。これが、感謝祭の始まりである。

最初の感謝祭には、先住民たちも招待された。想像の域を出ないが、この時は先住民とイギリス人は互いに打ち解け、心を許して語り合ったのだろうか。それとも、イギリス人は後に行なうことになる悪行を頭に描きつつ、表面だけ取り繕っていたのだろうか。
いずれにせよ、この後、先住民は白人に殺戮され、自分たちの土地を奪われることになる。人のよい先住民は、共に過ごした感謝祭の夜、そしてその後の自分たちの運命を想像することすらできなかっただろう。
私がアメリカで受けた学校教育では、アメリカ先住民の文化について、ほとんど教えられなかった。彼らの歴史や文化、彼らに対して白人がしてきたことを知ったのは、実はごく最近のことである。
新しくやってきた白人たちに、殺戮され、土地を奪われ、居留地に閉じ込められた先住民たちは、アメリカ政府の「同化政策」に服従することを強制された。同化政策とは、彼らから文化を奪うことであり、子供たちは家族から引き離され、国が作った寄宿学校で、西洋の文化やキリスト数的価値観を押し付けられた。
もちろん、英語以外の民族固有の言葉は、その使用が禁じられた。アメリカがイギリスから独立した1776年、独立宣言は「すべての人間は平等につくられている」と謳ったが、その中に先住民は含まれていなかった。
学校教育に加えて、ユダヤ系の人々が集まり作り上げたハリウッド映画が「正義の白人と野蛮なインディアン」という図式を喧伝した。西部劇のほとんどは、勧善懲悪のストーリーで、善は白人、悪はインディアンだった。
今だから話せるが、私自身、子供のころはインディアンが怖かった。
西部劇に出てくるインディアンは、実に恐ろしい。きつく険しい形相のインディアンが善良な白人たちに襲いかかり、金品を略奪する。対する白人は柔和な表情をしていて、穏やかで明るく優しい。絵に描いたような善人だ。
荒くれ者の白人が登場する西部劇も少なくはない。白人同士の決闘もあるが、インディアンは常に悪者だ。その悪者インディアンは結局、白人の保安官か騎兵隊に撃ち殺されたり、捕らえられたりして、一件落着…ほとんどが、こういうシナリオで終わる。
幼い私も、この結末にいつもホッと胸をなで下ろした。子供のころに受けた教育や映画、テレビの影響は絶大で、私は割に最近まで「インディアン=悪」の図式が、なかなか抜けなかった。
こうした西部劇はまさしく劇であり、真っ赤な嘘であることは今や常識である。さすがに最近は、このような「白人=善」「インディアン=悪」の映画やドラマが、ほとんど作られなくなったが、イラク侵攻を正当化させるアメリカ政府の論弁を聞くと、かの国の「洗脳工作」は今も健在であることがよくわかる。
アメリカ政府のプロパガンダはなかなか優れているから、実は今でも多くのアメリカ人は、今のアメリカの発展が先住民族の「屍の上」にあることを知らない。のみならず、野蛮な文化を終わらせたことを文明の勝利と信じて疑わない輩すら、今も多数存在する。
先住民族が合衆国市民として認められたのは、1924年。最初の感謝祭から、実に300年以上経ってからだった。その間、奪われた土地や言葉や文化は戻ることもなく、先住民はさまざまな民族の中で、今も最下位の層に位置している。
歴史書のほとんどは、勝者の都合で書かれる。先住民の土地を奪略し、無実の彼らをことごとく殺し尽くしても、白人にとってそれは未開を文明化する正当な行為であり、進歩であり、正義だった。歴史は今も事実を隠蔽し、文明と進歩と正義を前面に打ち出し、子供たちを洗脳し続ける。
感謝祭が行なわれる日、今のアメリカ人でまったくどれだけの人が、先住民から受けた恩を思い起こすだろうか。そしてどれだけの人が、その先住民を殺戮した事実を知っているだろうか。
ハリウッド映画で描かれるアメリカは、今日まで明るく誇らしく希望に満ちている。しかし真実のアメリカは、過去も現在も、ドス黒く邪悪な悪魔が棲み着いている。
● ミニ解説 ●

著者はアメリカ生まれ、アメリカ育ちの生粋のアメリカ人ですが、2006年にアメリカに見切りをつけて日本に帰化しています。アメリカという国が「悪魔の住む国」であることがわかったからだと言います。日本に住んでいると理解しにくいかも知れませんが、いまやアメリカは中産階級が破綻して貧困層へと没落していくなかで、ごく一部の富裕層に支配されたたいへん住みにくい国と化しているのです。
富裕層の圧倒的多数を占めるのがユダヤ人だと言われています。そして、ここに出てきたコロンブスの一行と、その後、新天地で一旗揚げるためにイギリスから流れてきた清教徒たちの多くもユダヤ人だったのです。
新大陸に押し寄せた人たちが先住民にどういうことをしたか、ということは、アメリカの子どもたちが使う教科書には全く載ることはありません。なぜなら、アメリカは今や完全にユダヤに支配された国だからです。著者も文中でやんわりと述べていますが、主要なマスコミはもちろん、ハリウッドで作られる映画もすべてユダヤ資本に押さえられ、コントロールされているのです。
そんなアメリカに嫌気が差して、著者は日本へと逃れてきたわけですが、その日本にも、ユダヤの魔手はしっかり入り込んでいますので、このままいけばアメリカとよく似た社会が実現することになるでしょう。そうなると、もう世界中どこにも逃げるところはなくなってしまいます。
実は、コロンブスが目指したのはこの日本だったと言われています。もし彼らが目的どおり日本にたどり着いていたら、インディアンが直面した運命は日本人のものとなっていたかも知れないのです。決して人ごととは思われない話です。
この本で著者は今日のアメリカという国の病理を余すところなく指摘しています。その上で「アメリカは世界のならず者国家である」「日本はアメリカを追うべきではない」というのが著者の結論です。これからの日本を占う上でもたいへん参考になりますので、ぜひ書籍を購入して読んでいただきたいと思います。お勧めの本です。  (なわ・ふみひと)

貴方を洗脳から覚醒させるアメノウズメ塾⑰NWO新世界秩序
http://www.youtube.com/watch?v=vT4nLhev7_E&feature=player_embedded#!
転載終了
1950年代~1960年代のアメリカは豊かで明るいイメージがありますが、1971年8月15日の「ニクソンショック」のドルとゴールドの交換停止宣言あたりから、建国までに数千万のインディアンを虐殺し、数千万の黒人奴隷を犠牲にしてきた「おぞましい本性」を次第に現し始めました。そして、現在は「手負いの狂った悪魔」と化しています。そして、NOW(新世界秩序)をパパブッシュが宣言し、その隠れた計画では世界人民大虐殺を目論んでいると言われています。だから、ビル・トッテンさんは元アメリカ人の日本人として「日本は略奪国家アメリカを棄てよ」といっているのです。まさに正論だと思います。
しかし、その「狂っている悪魔のアメリカ」は世界最強の武器と軍隊、世界最大の諜報機関を持っています。悪魔の中にいる良識派の出現で内部から破壊することを期待するしかないのでしょうか。それとも、地球方向を向いた巨大太陽フレアーの発生で水星と金星を巻き込んだ霊光(未発見のトップクオーク)により人類全員が一旦は仮死状態になり、真っ当な魂を持った人間が再生するまで待たなければならないのでしょうか。ベンジャミン・古歩道さんの情報では「世界的な組織の白龍会」が世界支配層と戦い優勢になりつつあるとのことですが・・・

アメリカのデフォルトを救った日銀?その金で買われる日本?オー!ノー!アンビリーバブル!!!

2011年10月18日 21時18分24秒 | 日記
日中戦争時、賢明な石原莞爾参謀長の「日中戦争不拡大」に反し、近衛文麿は当時のマスコミや政経済界を巻き込み、事前の言動とは異なる「北支派兵声明」を発表し、これにより戦線が延伸し泥沼化していきます。この近衛文麿の判断はその後の停戦交渉を不利にする愚行であり大きな国難を招く元になりました。あまりにも愚かな行為でした。
そして、70数年後の現在、小泉―竹中、菅、野田の確信犯的な売国行為だと思われる愚行がまたしても行われつつあります。

再掲 当ブログ2011年9月23日 23時3分の記事 「外国の為に150兆円余提供し、21兆円の復興費を増税で賄うとする財務省と日銀の愚策」http://blog.kuruten.jp/katukan01/177458
の一部を以下再掲します。

2009年にIMFに10兆円を提供。その同時期にポールソン財務長官かゼーリック世界銀行総裁に100兆円の要請をされましたがその要請を断りました。そうすると、中川財務大臣はあの酩酊会見に陥れられました。
この100兆円の要請は阿部、福田、麻生、鳩山、菅へと続けられ、その結果、それぞれ1年程度の短命政権の大きな原因になっているものと思われます。そして、311の東日本大震災「トモダチと称する輩による人工地震で起こされた東北関東地震津波テロと福島第一原発で3つの超小型水爆爆破テロ」で脅された日銀はあわてて60兆円余を震災のための緊急対策として3メガバンクと2大証券に特定し拠出しました。その後、現在までに40兆円余合計106兆円を拠出したと言われています。この106兆円は公開されている日銀のバランスシートには計上されていません。日銀には一般に公開されない秘密の特別会計があるようです。いずれにしてもこの106兆円はほとんど国内に出回らず、5特定金融機関を通じUSAへ流れたと見たほうが正解のようです。ひょっとすると8月初旬までもめたUSAの債務上限問題の解決の背景になっているのでは憶測してしまいます。
再掲終了

というように、私は中川財務大臣始め5代に渡る日本首相の短命政権はアメリカの度重なる「100兆円」要求があったため、それをかわすためでもあったのでは?と思っていました。
ところが、「311の自然地震を装った人工地震攻撃」と恫喝によりあえなく日銀が陥落、106兆円を供出してしまったようです。
小泉―竹中政権時に実施された「円高防止」の名目での100兆円のドル買い、その内の数十兆円が日本企業等の株の買占めに使われた、と同じことがまた行われようとしているようです。このときの小泉―竹中の政策は大店法、派遣法、郵政民営化など売国政策であったことが判って来ましたが、この100兆円のドル買いも明らかに確信犯であったと思われます。


以下、「新ベンチャー革命」さんの10月17日の記事を全文転載します。

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/archive/2011/10/17


新ベンチャー革命2011年10月17日 No.467

タイトル:3.11事件直後の不自然な超円高とTPP督促の関連性を読み解く:米国オバマ政権はなぜ、日本にTPP参加を急がせるのか
1.TPP騒動を受けて3.11事件直後の火事場泥棒的円買いの謎を振り返る。
 2011年3月11日の大震災直後から、多くの人の予想に反して猛烈な円高が起きました(注1)。そのため、政府・日銀は円相場安定化の名目で大量の円売りドル買いを行いました。その総額は100兆円規模でした。
 なぜ、3.11事件直後に不自然な大規模円買いが起きたのか、マスコミは震災の復興需要の先取りと説明していましたが、現実には震災が起きた直後、まだ震災の被害規模もはっきりしないうちから異様な円買いが行われたわけです。あたかも3.11事件勃発による日本国民大パニック発生を待ち構えていたかのように・・・。
 この動きは小泉政権時代に起きた『新帝国循環』の再来なのではないかと本ブログでは見立てています(注2)。ちなみに、この2000年代初頭当時、米国は日本からイラク戦争費用(100兆円)の一部(小泉政権による30~40兆円規模の円売りドル買い)を巻き上げています。
 さて、今回の3.11事件直後、この異様な100兆円規模の円買いを受けて、円相場安定化のため政府・日銀は巨額の円売りドル買いをして、手元に100兆円規模の米ドルが残ったはずです。その巨額米ドルにて米国債引き受けの日米政府間の密約があったかのように、2011年8月初め、オバマ政権は米国債デフォルト回避に成功しています。確かに100兆円規模の米国債を日本政府が引き受ければ、米国債デフォルトは回避されるはずですし、デフォルト寸前の米国債を買ってくれる奇特な国は、アメリカ様命の悪徳ペンタゴン日本人のはびこる日本国くらいのものでしょう。もし、このような日米間の密約があったとすれば、その当事の外国為替資金特別会計の運用権限をもつ財務大臣は、誰あろう、今の野田総理、その人です!
 なぜ、野田氏が大方の予想に反して唐突に総理になったのか、なんとなくわかります。米国ジャパンハンドラーは論功行賞や信賞必罰は律儀にやりますから(注3)。
なお、上記、悪徳ペンタゴン日本人および彼らを動かす米国戦争屋の定義は、本ブログのNo.225の注記をご覧ください。
 ところで一方、猛烈な円買いに走ったと思われる米国金融機関の手元には100兆円規模の円が残ったはずです。その後、円は1ドル70円台で高止まりしていますから、彼らによる大規模の円売りは起きていません。
2.なぜ、米国は日本にTPP参加を迫るのか
 3.11事件直後からの超円高が高止まりで安定しているので、変だと思っていた矢先、米国政府はまたもTPP参加を日本に強要し始めています。
 いったいどうしたのでしょうか。ここで穿った見方をすれば、3.11事件直後から確信犯的な円買いに走った米国の金融機関の手元に残っていると思われる膨大な円で彼らは、小泉時代同様に、またも日本買いを狙っているのではないかと推察されます。
 このような見方をすると、2011年における米国の対日戦略は以下のように整理できます、すなわち、(1)米国に余った核を使い3.11事件を仕込む、(2)日本国民を大震災でパニックに陥れる、(3)ドサクサに紛れて猛烈な円買い、(4)日本政府に円買い資金の米ドルを引き受けさせる、(5)日本政府にその米ドルで米国債を買わせる、(6)2011年8月、米国債デフォルト危機を日本を踏み台にして回避、(7)猛烈な円買いした米国金融機関は手元に残った円にて日本買いを計画、(8)日本政府にTPP参加を強要、(9)円をたっぷり抱えた米国金融機関が日本に再参入、(10)日本の企業、株、不動産を買いまくり、日本支配を強化する。
 以上のような、米国ジャパンハンドラーにとって二度おいしい円ドル資金循環現象は『新帝国循環』と言われています(注2)。
 上記のように、この対日資産奪取作戦は米国ジャパンハンドラーにとって確かに二度おいしいわけです、なぜなら、日本政府に米国債(デフォルト寸前のドル債)を買わして、まんまと米国デフォルトを回避すると同時に、紙くず同然のドル売りで得た日本円にて、日本の資産を合法的に奪取できるからです。こんなおいしい話はそんなにはありません。米国ジャパンハンドラーは笑いが止まらないでしょう。その反対に、日本国民にとっては自分のおカネで自分の資産が買われるという世にも悲惨な状況に陥るわけです(注4)。
3.アンチ戦争屋のオバマがTPP参加を日本に迫るワケ
 上記のような『新帝国循環』の一環として、TPPが位置づけられるなら、オバマが対日TPP参加強要に一肌脱ぐのも納得です。なぜなら、これによって、2011年8月、オバマは米国債のデフォルトを回避できて、おのれのクビがつながったからです(注5)。
 本ブログでは、今回のアンチ戦争屋である米オバマ政権による対日TPP参加強要は、オバマ政権がライバル・米国戦争屋の意を受けて対・日本政府恫喝用に突き付けてきた対日年次改革要望書の代替品としてでっち上げたとみなしています(注6)。
 さらに、上記のように、対日TPP参加強要・恫喝は彼らの『新帝国循環』再開作戦の一環として位置づけられますので、それならばオバマ政権にとっても大歓迎の作戦であり、珍しく、オバマ政権と米戦争屋ジャパンハンドラーが呉越同舟で仲良く実行できる対日作戦となったと分析できます。
 ほんとうに、こんなトンデモ作戦に尻尾を振って協力する悪徳ペンタゴン日本人連中には心底、怒りがこみ上げてきます。
 確かに、この作戦実行は、もし小沢氏が総理であったら、実行不可能でした、だから、小沢氏が徹底的に、全身がんじがらめに縛られているのはそういうことだったのです。もう溜め息も出ません、まったく。
注1:本ブログNo.402『3.11東日本大震災の火事場泥棒:ATM窃盗7億円ではなく100兆円規模の大被害か』2011年7月16日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/25587397.html
転載終了

このように、日本は世界支配層の第三勢力(ディビッド・ロックフェラー、ブッシュ等)およびUSA政府から極めて理不尽で一方的な第4次の日本攻撃を受け続けています。「パンドラⅢ」(で放映中の自殺防止のための脳改造と日本の再軍備をテーマとしたドラマ)どころか現実はドラマより「魑魅魍魎」、「奇奇怪怪」。信じられないかもしれませんが現実のようです。

欧米(世界支配層)の日本侵略は466年前から始まった!(3-2)

2011年10月17日 23時11分38秒 | 日記
日本が第二次世界大戦に突き進むきっかけは満州事変(1931年)ですが、その前に中国の北東面の軍閥であった「張作霖爆殺事件」(1928年)があります。元々関東軍は張作霖を取り込もうとしていましたが、張作霖は関東軍との距離を置き、満鉄と並行する鉄道の建設を進めていました。この鉄道建設の背景にはアメリカがいます。アメリカは最初、満州鉄道の買収を日本に打診しましたが断られたため共同経営を申し入れましたがこれも拒否されました。そこで、資金を援助し張作霖にやらせました。これらのこともあり関東軍が張作霖を爆殺したといわれていますが、「張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説」があり、むしろこの可能性が高いのではと思われます。また、この事件以外にもソ連の指示による中国共産党軍が工作したと思われる事件もあり、関東軍が満州事変を起こした背景にアメリカとソ連の工作があり世界支配層の影を感じます。ソ連の権力の中枢はユダヤ人(血統上のユダヤ人でなく白人系ハザール人)で占められ、ロシアのプーチン大統領がそのほとんどを追い出すまでユダヤ人体制が続いていました。アメリカの体制もそうであり今も続いています。
そして、満州を占領し、日本は清のラストエンペラーである溥儀を擁立し満州国を建国しましたが、国際連盟の「リットン調査団」に満州国を否定され、1933年日本は国際連盟の脱退を表明しました。
ウイキペディア 「満州事変」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89
そして、盧溝橋事件から日本(大日本帝国)と中国(蒋介石政権の中華民国、現在の共産党政権の中華人民共和国とは違う)は戦争になりますが、当時、双方とも宣戦布告はしていません。日本は国際的な影響を考慮し、中華民国は宣戦布告すると第三者の対外的な支援を受けられなくなるためといわれています。太平洋戦争前に無国籍の爆撃機が日本軍を攻撃した事実があるようですが、これはアメリカ軍が中華民国を支援するため行ったと思われます。当然、国際法違反です。また、欧米向の情報戦では蒋介石が断然有利な状況にありました。さらに、南京攻略寸前までドイツの機関銃指導部隊が国民軍の精鋭部隊を指導していたとのことです。
このように日本軍は満州から南京へと戦線を延伸して行きます。延伸すればするほど補給が困難になり占領拠点が多くなるため戦力が分散されます。この戦線延伸の責任は非常に重く、この重大な決定をしたのは陸軍でなく近衛内閣だったのです。
以下、ウイキペディア 「近衛文麿」 転載
7月7日に盧溝橋事件をきっかけに日中戦争(支那事変)が勃発。7月9日には、不拡大方針を閣議で確認。7月11日には現地の松井久太郎大佐(北平特務機関長)と秦徳純(第二十九軍副軍長)との間で停戦協定が締結されたにもかかわらず、近衛は、総理官邸に東京朝日新聞主幹や読売新聞編集局長ら報道陣の代表と、民主党総裁、貴族院議長、日銀総裁ら政財界の代表者らを招き、内地三個師団を派兵する「北支派兵声明」を発表。これが翌日の朝刊で世界中を駆け巡り、日本が好戦的な国だという印象を世界に与えた。これにより派兵決定とその公表は同時に進行していた現地の停戦努力を無視する行動であり、その後の現地交渉を困難なものとした[6][7]。しかし、その後の国会では「事件不拡大」を言い続けた。しかしながら、7月17日には、1,000万円余の予備費支出を閣議決定。7月26日には、陸軍が要求していないにも拘らず、9,700万円余の第一次北支事変費予算案を閣議決定し、7月31日には4億円超の第二次北支事変費予算を追加するなど、不拡大とは反対の方向に指導した。石原莞爾は風見章書記官長を通じて、日中首脳会談を近衛に提案したが、広田外相が熱意を示さず、最後のところで決断できなかった[8][9]。当初近衛は首脳会談に大変乗り気になり、南京行きを決意して飛行機まで手配したが、直前になり心変わりし蒋介石との首脳会談を取り消した。石原は激怒し「二千年にも及ぶ皇恩を辱うして、この危機に優柔不断では、日本を滅ぼす者は近衛である」と叫んだ。
8月2日には増税案を発表。この間に宋子文を通じて和平工作を行い、近衞と蒋介石との間で合意が成立した。国民政府側から特使を南京に送って欲しいとの電報が届くと、近衞は杉山元陸相に確認を取り、宮崎龍介を特使として上海に派遣することを決定した。ところが海軍を通じてこの電報を傍受した陸軍内の強硬派がこれを好感せず、憲兵を動かして宮崎を神戸港で拘束し東京へ送還してしまう。このため折角の和平工作は立ち消えとなってしまった。
この件に関して杉山は関係者を一切処分しなかったばかりか、事情聴取すら行わず、結果的に事後了解を与えた形になっていた。杉山本人も当初は明解な釈明が能わない有様で、以後近衞は杉山に強い不信感を抱くようになる。
8月8日には日支間の防共協定を目的とする要綱を取り決めた。8月9日に上海で、蒋介石軍の挑発による第2次上海事変が勃発。それに応じて、8月13日に、二個師団追加派遣を閣議決定。8月15日には、海軍による南京に対する渡洋爆撃を実行し、同時に、「今や断乎たる措置をとる」との断固膺徴声明を発表。8月17日には、不拡大方針を放棄すると閣議決定。
9月2日には「北支事変」という公式呼称を「支那事変」と変更を閣議決定し、戦域を拡大した。9月10日には、臨時軍事費特別会計法が公布され、「支那事変」が日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦と同列の戦争と決定され、不拡大派の石原莞爾参謀本部作戦部長が失脚した。
また、国内では、10月に国民精神総動員中央連盟を設立、内閣資源局と企画庁が合体した企画院を誕生させ、計画経済体制の確立に向けて動き出した。11月の日独防共協定締結後には、大本営を設置する。12月5日付の夕刊では、国民の一致団結を謳った「全国民に告ぐ」という宣言文を出させている。これは、近衛の意を受けて秋山定輔がまとめたもので、資金は風見章書記官長が出している。こうして、近衛は日本の全体主義体制確立へと突き進む。そんな中、12月13日に南京攻略により、日中戦争は第1段階を終える。
転載終了
近衛文麿がそのような間違った判断をした影には尾崎秀美を通じたソ連のスパイ「ゾルゲ」の影響があったものと推察されます。近衛文麿は長男をソ連に留学させていましたが、第二次大戦末期に殺され、自身も終戦後「東京裁判」召集前に自殺しました。
このように日本は中国戦線で戦力が分散・延伸しているにも関わらず太平洋戦争へ投入していきます。
続く
参考;
ウイキペディア 「近衛文麿」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E6%96%87%E9%BA%BF
ウイキペディア 「日中戦争」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89

欧米(世界支配層)の日本侵略は466年前から始まった!(3-1)

2011年10月16日 21時25分05秒 | 日記
第三次侵略はかなり複雑で長期に及んだと考えたほうが真実に近いと思われます。
まず、徳川幕府が倒され明治新政府が誕生しましたが、その新政府の主体は薩摩と長州です。その薩摩と長州はイギリストと戦争をして負けてからイギリスとの関係を深めます。
そして、イギリスはフランスと共謀して日本を内戦状態に誘導しようとしていたものと思われます。しかし、勝海舟とその愛弟子である坂本龍馬らによってその計画は阻まれました。この江戸末期と明治新政府誕生までには、あらゆる謀略があったようです。徳川慶喜が「大政奉還」した後、朝廷は引き続き徳川慶喜に内政を任せようとしましたが、薩摩を主体とする5藩は「王政復古」を名目としたクーデターにより朝廷の実権を握り旧幕府を賊軍に追い込んでいきます。このクーデターがあったので「孝明天皇暗殺説」や「明治天皇すり替え説」などの疑いがもたれたのではと思われます。そして、この時の首謀者が岩倉具視と薩摩の大久保利通であったと思われます。この二人は坂本龍馬暗殺にイギリス公使パークス、その部下アーネストサトウと共に関係しているのではと疑われます。いずれにしましても明治新政府の実権は岩倉具視と後に内務卿となった大久保利通が握り、大久保利通が暗殺される明治11年まで続いていました。この大久保利通が築いた内務省による行政支配はその後の明治、大正、昭和、そして、現在の日本行政の官僚支配体制へと繋がっていきます。そして、大久保利通の死後からは伊藤博文などの長州閥が台頭してきます。
明治になり開国した新政府は急速に「富国強兵」策を進めていきますが、それを支援したのがイギリス、ドイツ(プロシア)、フランス、アメリカなどでした。
この内のイギリスは薩長、フランスは幕府、ドイツ(プロシア)は東北諸藩との関係が強く日本を内戦に誘導しようとしましたが失敗したため、世界支配層は、その後、日本の発展に寄与し日本に力をつけさせ利用する作戦に変更したと思われます。
世界支配層の思惑とヨーロッパ各国の戦略は必ずしも一致せず、各時代ごとにズレが生じていますが、世界の流れを大きく捉えますと結果的に世界支配層の思惑にそったとおりになっているようです。
それが、中国の清の弱体化を狙った「日清戦争」。ロシアの弱体化を狙った「日露戦争」であったと思われます。
とんでもない、「日清戦争や日露戦争」は日本の独立を確保するため日本独自の判断で起こした戦争であると反論されそうですが、確かに日本の独自の判断が主としてありましたが、欧米(世界支配層)に利用された一面もあることを否めません。
ウィキペディア 「日清戦争」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89
ウィキペディア 「日露戦争」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89
結局、清は「日清戦争」終結6年後に起きた「辛亥革命」で滅び、ロシアは「日露戦争」中に「ロシア第一革命」が起き、1917年に二回目の革命が起き、その後内戦を経て1922年にソビエト連邦が成立しました。
このように日本は清とロシアという巨大な帝国の滅亡に間接的に加担したことは事実であり、「世界支配層」の思惑に結果的に利用された一面も否定できません。
それから、第一次世界大戦(1914年)、満州事変(1931年)、満州国建国(1932年)、日中戦争(支那事変、1937年)、中国戦線の南下延伸、太平洋戦争(1941年)へと進んでいきます。
続く

欧米(世界支配層)の日本侵略は466年前から始まった!(2)

2011年10月15日 23時04分11秒 | 日記
第一次侵略は、既に皆さんお気づきのように、その首謀者は世界支配層の第一勢力である
王侯、貴族、黒い貴族、ローマ法王、イギリス王室などの中のポルトガル王、スペイン王、ローマ法王でした。そして、欧米(世界支配層)の日本第二次侵略には、当時既にヨーロッパの金融王であったロスチャイルド家が関わってきます。
215年続いた「鎖国」は1858年(安政5年)タウンゼント・ハリスと徳川幕府が日米修好通商条約を締結し、鎖国が完全に終わりました。 しかし、それまでにも1792年ロシアの開国要求はじめ、諸外国からの様々な開国要求があったようです。
その詳細はウィキペディア「鎖国」の「開国までの動きと鎖国の終焉」に20数件の事件等々が載せられています。
ウィキペデイア 参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%96%E5%9B%BD
一度、開国すると外国から異人がどっと押し寄せたため、各藩は幕府を責めます。その急先鋒は長州でした。元々、孝明天皇は開国に反対でしたので江戸幕府に外国との条約を結ばないように命じていましたが、幕府はアメリカの圧力に抗し切れず「日米修好通商条約」を締結してしまいました。この条約は非常に不平等な条約であったことはみなさん御承知のとおりです。余談ですが、先日の韓国とUSAの「FTA」はこの「日米修好通商条約」以上に不平等であり、まるで韓国を奴隷扱いしている内容だとのことです。先日、投稿しましたTPP問題の中で、ニュージランドとアメリカ(間違ってオーストラリアと書いてしまいました。訂正します。)のTPP問題担当者のやり取りのメールで「これで韓国と日本を長期的に潰すことができる」とした件がウィキリークスで暴露されたと報じましたが、TPP締結は「トモダチなんて100億年お断りだ!」のアメリカの最悪の社会そのものを受け入れる「売国」行為なので、充分に監視しなければと思います。
で、「天皇が反対しているのになぜ幕府が勝手に条約を締結するのだ」ということで「尊王攘夷論」の激論が日本中で沸きあがります。
以下、「尊王攘夷」から「尊王」、「攘夷」の分離、さらに、「大攘夷」へ・・・
尊王攘夷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尊王攘夷(そんのうじょうい、尊攘)とは、王を尊び外圧・外敵を撃退しなければならないとする思想。日本では、江戸時代末期(幕末)に朝廷から一般民衆まで熱く論じられ、反体制運動の合言葉として利用された。
概要 [編集]
国家存在の根拠としての尊王と侵掠者に対抗する攘夷が結びついたもの。「王を尊び、夷を攘う(はらう)」の意。古代中国の春秋時代において、周王朝の天子を尊び、領内へ侵入する夷狄(中華思想における異民族。ここでは南方の楚を指す。)を打ち払うという意味で、覇者が用いた標語を国学者が輸入して流用したものである。斉の桓公は周室への礼を失せず、諸侯を一致団結させ、楚に代表される夷狄を討伐した。その後、尊王攘夷を主に唱えたのは、宋学の儒学者たちであった。周の天子を「王」のモデルとしていたことから、元々「尊王」と書いた。日本でも鎌倉時代、室町時代は天皇を王と称する用例も珍しくなかったが、江戸時代における名分論の徹底により、幕末には「尊皇」に置き換えて用いることが多くなった。
なお幕末期における「尊王攘夷」という言葉の用例は、徳川斉昭が弘道館記で東照宮家康公の事績を褒め称える文脈で使っているのがもっとも古い。
尊王論 [編集]
詳細は「尊王論」を参照
攘夷論 [編集]
詳細は「攘夷論」を参照
250年あまり続いた江戸の太平の世において、外国から日本への侵害を受けるといった発想や実感はあまりなかった。ところが、大航海時代以降世界に進出、支配領域を拡大した欧州、続く帝国主義の波に乗った米国によるアフリカ・アジア進出・侵略・植民地化は、東アジア各国にとっても脅威となった。アメリカ合衆国の東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが黒船で来航したときには「泰平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず」という狂歌が詠まれた。上喜撰とは緑茶の銘柄である「喜撰」の上物という意味であり、「上喜撰の茶を四杯飲んだだけだが(カフェインの作用により)夜眠れなくなる」とう表向きの意味と、「わずか四杯(ときに船を1杯、2杯とも数える)の異国からの蒸気船(上喜撰)のために国内が騒乱し夜も眠れないでいる」という意味をかけて揶揄している。
中国南部では(1840年)清国がイギリスと戦争(アヘン戦争)となり香港島を奪われ(1997年返還)、日本でも北海道でゴローニン事件、九州でフェートン号事件といった例などの摩擦が起こり始めた。これに対応するためには、「開国」して外来者を受け入れ自らも外へ出て行くか、外来者を追い払って(これまでの)平和を維持するかのどちらかであるが、「攘夷」は後者の発想・考え方である。また、国内では国学の普及にともなって民族意識がとみに高まった時代でもあった。ことは複雑で事態は単純ではないが、大きな流れとしては、江戸幕末では「開国」を主張する徳川幕府や薩摩藩と、「攘夷」を主張する長州藩の対立となった。ところが、欧米列強の圧力により修好通商条約に天皇が勅許を出した (1865年) ことにより「尊皇」と「攘夷」は結びつかなくなった。また、津和野藩の大国隆正らによって、欧米列強の圧力を排するためには一時的に外国と開国してでも国内統一や富国強兵を優先すべきだとする大攘夷論が唱えられた事は、「開国」と「攘夷」という相反する対外思想が「討幕」という一つの行動目的へと収斂される可能性を生んだ。土佐藩の坂本龍馬らの斡旋や仲介もあり、幕末日本の薩摩と長州の二大地方勢力は討幕へと向かっていくことになる。
転載終了

ということですが、薩摩は「生麦事件」の問題からイギリスと戦争し、長州は下関海峡封鎖問題からイギリスおよび外国連合軍と戦争しましたが、いずれも敗戦しました。
薩摩は数十箇所に、大砲の陣地を敷きイギリス艦隊を迎え撃ちましたが、薩摩藩内のイギリス内通者(五代友厚が疑わしい)がその陣地配置をイギリスに知らせたと思われる正確な砲撃によりことごとく撃破されました。
ところが、この戦争を契機に長州と薩摩はイギリスと手を結び「尊王攘夷」から「大攘夷」、さらに「倒幕」へと進みます。
そして、仲の悪かった薩摩と長州を結びつけたのが勝海舟の愛弟子である坂本龍馬でした。そのきっかけは武器が無く困っていた長州に薩摩名義で輸入した武器を提供したことですが、この取引に、イギリス・ロスチャイルド系列のシャーディーマセソン社の長崎代理店であったトーマス・ブレーク・グラバーが大きく関わっていました。その後、グラバーは武器を大量に仕入れ過ぎたり資金の回収がうまくいかず破産しましたが、高島炭鉱の経営者として日本にとどまり、岩崎弥太郎の三菱財閥の相談役などで活躍しました。私生活では五代友厚の紹介でハナと結婚し長女と息子「倉場富三郎」がいる。「倉場富三郎」は1945年8月に自殺している。
ウイキペディア「倉場富三郎」参照http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%89%E5%A0%B4%E5%AF%8C%E4%B8%89%E9%83%8E
このようにグラバーは日本が本格的な内戦になると見込んでいたようです。その情報元はイギリス公使の「パークス」かその部下の「アーネストサトウ」であったと思われます。
薩摩と長州を裏から操るイギリスと幕府を裏から操るフランスが共に両者をけしかけ本格的な内戦に持ち込み、両者が疲弊した時に乗っ取る算段をしていたのではと思われます。
しかし、当時の日本人には多くの賢者がいました。その賢者の中でも「勝海舟」とその愛弟子「坂本龍馬」の活躍により本格的な内戦になることなく「明治維新」が達成されました。
その課程では勝海舟はイギリスさえも押さえ込み西郷隆盛を説得し「江戸城無血開城」を成し遂げました。このことは本格的な内乱を防ぐ象徴的な出来事です。
その後、勝は二度も裏切られた主君徳川慶喜、篤姫、その他多くの幕臣の面倒を最後まで見ました。幕臣を静岡のお茶の栽培につかせたり、多くの幕臣を横浜へ移動させたりしました。また、日清戦争には最初から最後まで反対し、むしろ日中共同して欧米に対抗するべきだと言っていたそうです。勝海舟は欧米の世界支配層の企みを的確に見抜いていた数少ない「賢者」だと思います。そして、「コレデオシマイ」といってこの世を去ったそうです。
参考 ウィキペディア 「勝海舟」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E6%B5%B7%E8%88%9F
この激動の江戸末期、明治維新の際には「孝明天皇暗殺説」や「明治天皇すり替え説」などさまざまの謀略が渦巻いていました。坂本龍馬の暗殺などもそうです。この謀略には深くイギリス(世界支配層第一勢力および第二勢力)が絡んでいたものと思われます。それらのことが後の第三次、第四次の日本侵略に関係してきます。
続く

欧米の日本侵略は466年前から始まった!(1)

2011年10月15日 00時58分37秒 | 日記
欧米による日本の侵略は1549年8月15日から始まりました。

第一次侵略
その日はイエズス会の創設メンバーの一人であるフランシスコ・ザビエルらが鹿児島に上陸した日です。欧米にとっては日本侵略の第一歩となる記念日です。
以下、ウィキペディアより転載
1548年11月にゴアで宣教監督となったザビエルは、翌1549年4月15日、イエズス会員コスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士、マヌエルという中国人、アマドールというインド人、ゴアで洗礼を受けたばかりのヤジロウら3人の日本人と共にジャンク船でゴアを出発、日本を目指した。
一行は明の上川島(広東省江門市台山/en:Shangchuan Island)を経由しヤジロウの案内でまずは薩摩の薩摩半島の坊津に上陸、その後許しを得て、1549年8月15日に現在の鹿児島市祇園之洲町に来着した(この日はカトリックの聖母被昇天の祝日にあたるため、ザビエルは日本を聖母マリアに捧げた)。
転載終了
そして、ザビエルはポルトガル王とローマ法王に送った手紙に「日本の軍隊は非常に強力なので軍事での侵略は不可能と思われる」と書いていたそうです。当時の世界侵略の主要国はスペインとポルトガルでしたが、ローマ法王によってスペインは西回りで、ポルトガルは東回りで進出するようにとの指示が出ておりポルトガルの宣教師であったザビエルらが日本に上陸したわけですが、当時の日本人は聖職にある彼らが侵略の尖兵でありスパイであり工作員であったことなど想像もしていませんでした。一部の日本人はただ純粋に彼らが説くありがたい説教を受け入れ熱心な信者になって行きました。
九州の一部の大名はキリスト教に改宗し鉄砲の火薬に使われる硝石欲しさになんと、硝石1樽と女50人とを交換したそうです。

豊臣秀吉のバテレン追放令

以下ウイキペディアより転載
追放令の原因 諸説と論証 [編集]
この追放令が出た背景には諸説あり、九州の有馬氏や大村氏などのキリシタン大名が神社仏閣を破壊すると同時に僧侶にも迫害を加えたり教会へ莫大な寄進を行っていた事や、宣教師が人身売買(日本人を奴隷商品として国外へ売り払う)を行っていた事を始めとして、秀吉が有馬の女性を連れてくるように命令した際にキリシタンであることを理由に住民が拒否し秀吉が激怒したとも、島津攻めに向かった秀吉の目の前で、当時の日本イエズス会準管区長でもあったコエリョがスペイン艦隊が自分の指揮下にあるごとく誇示した事が原因とも、また織田信長から継承した旧来の寺社領を解体して統一政権の支配下におく政策をイエズス会領である長崎にも適用しようとしてイエズス会側が従わなかったとも言われている。
転載終了

徳川家康の英断
以下、ウイキペディアより転載
大航海時代にヨーロッパ勢力は、世界各地に植民地をつくっていた。植民地活動で先行していたのはカトリックのエスパーニャ、ポルトガル[1]であり、太平洋地域に於いてエスパーニャはフィリピンを植民地としてマニラ・ガレオンなどで多くの利益を上げ、ポルトガルはマカオを拠点にしていた。一方、植民地活動で遅れをとっていたプロテスタントのイギリス、オランダも、遅れを取り戻すべく積極的な活動をしており、徳川家康は、オランダの商船リーフデ号で豊後国(現・大分県)に漂着したイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦安針)を外交顧問としていた。
こうしたなか、慶長14年(1609年)に前フィリピン総督ドン・ロドリゴが上総国岩和田村(現御宿町)に漂着するという事件があり、慶長16年(1611年)には答礼使としてセバスティアン・ビスカイノがエスパーニャ国王フェリペ3世の親書を携えて来日した。しかし家康は、エスパーニャ側の要求であるカトリックの布教を許せば、それをてこにして植民地化されかねない、というアダムスの進言もあり、友好的な態度を取りながらも全面的な外交を開くことはしなかった。
転載終了

鎖国の完成
1633年の第一次鎖国令から1639年の第5次鎖国令まで7年間かけている。
以下、ウイキペディアより
鎖国(さこく、英:seclusion, national isolation, sakoku)は、徳川幕府が日本人の海外交通を禁止し、外交・貿易を制限した対外政策である。ならびに、そこから生まれた孤立状態を指す。実際には孤立しているわけではなく、李氏朝鮮及び琉球王国とは「通信」の関係にあり、中国(明朝と清朝)[脚注 1]及びオランダ[脚注 2](オランダ東インド会社[脚注 3])との間に通商関係があった。鎖国というとオランダとの貿易が取り上げられるが、実際には幕府が認めていたオランダとの貿易額は中国の半分であった。
一般的には1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶ。「鎖国」という用語が広く使われるようになったのは明治以降のことであるが、近年では制度としての「鎖国」は無かったとする見方が主流である[参考 1]。
なお海外との交流・貿易を制限する政策は徳川日本だけにみられた政策ではなく、同時代の東北アジア諸国でも「海禁政策」が採られていた[
· 1633年(寛永10年)第1次鎖国令。奉書船以外の渡航を禁じる。また、海外に5年以上居留する日本人の帰 国を禁じた。
· 1634年(寛永11年)第2次鎖国令。第1次鎖国令の再通達。
· 1635年(寛永12年)第3次鎖国令。中国・オランダなど外国船の入港を長崎のみに限定。日本人の渡航と帰国を禁じた。
· 1636年(寛永13年)第4次鎖国令。貿易に関係のないポルトガル人とその妻子(日本人との混血児含む)287人をマカオへ追放、残りのポルトガル人を長崎出島に移す。
· 1637年~1638年(寛永14年~15年)島原の乱。幕府に武器弾薬をオランダが援助。
· 1639年(寛永16年)第5次鎖国令。ポルトガル船の入港を禁止。それに先立ち幕府はポルトガルに代わりオランダが必需品を提供できるかを確認している[参考 8]。
· 1640年(寛永17年)マカオから通商再開依頼のためポルトガル船来航。徳川幕府、使者61名を処刑。
· 1641年(寛永18年)オランダ商館を出島に移す。
· 1643年(寛永20年)ブレスケンス号事件。オランダ船は日本中どこに入港しても良いとの徳川家康の朱印状が否定される。
· 1647年(正保4年)ポルトガル船2隻、国交回復依頼に来航。徳川幕府は再びこれを拒否。以後、ポルトガル船の来航が絶える。
· 1673年(延宝元年)リターン号事件。イギリスとの交易の再開を拒否。以降100年以上、オランダ以外のヨーロッパ船の来航が途絶える。
転載終了
参考 ウィキペディア「鎖国」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%96%E5%9B%BD

以上のように、欧米による第一次日本侵略は1549年8月15日フランシスコ・ザビエルの鹿児島上陸から始まり、一時はキリスト教布教を隠れ蓑に東北地方まで進められました。1549年~1639年の90年間、欧米に侵略される危うい時期もあったわけです。この間に全国の大名に取り入り色々と画策したようですが、当時の絶対的権力者である豊臣秀吉による「バテレン追放令」や徳川家康の英断を継承し三代将軍徳川家光の時代1639年の第5次鎖国令により終了し、侵略から免れました。鎖国は、以後1854年まで215年間続けられました。
続く

中国大発展のカラクリと日本の衰退の影に世界支配層有り

2011年10月13日 23時33分47秒 | 日記
世界支配層(ロスチャイルド、ロックフェラー・ブッシュ等)はアンフェアーな為替制度を悪用し、1991年~1995年に3.5倍の元安を行い、大挙して中国に資本進出を果たしました。そして、その3.5分の1の価格になった中国製品はたった5年間で魔法のように強力な国際競争力を得て破竹の勢いで世界貿易を席巻してきました。また、宇宙技術、武器技術、工業技術などのノウハウは主にアメリカからクリントン大統領の時代に黙認されたスパイや裏取引で提供を受けてきました。
さらに資金は、第二次大戦後、戦後の復興を推し進めるため何も無いところから土地を担保に資金を確保する「土地本位制」を編み出しそれにより発展の原資とした日本を真似た「借地権本位制」ともいうべき方法により確保してきました。その借地権は中国の発展を上回る勢いでどんどん上昇し含み益を増し地方政府に膨大な利益を生みました。地方政府は活発な再投資を行い急激なインフラ整備を実施してきました。
そして、今やGDP世界第二の超大国に成長しました。いや、金融を除き元安の実態やGDPを意図的に過小な統計で集計しているとのことを考慮すると、既にアメリカにならんでいるか上回っている可能性すらあります。電力消費量や車の販売量は既に世界一です。
以上が中国の大発展の主なカラクリです。中国は共産党や民衆の力だけで発展してきたのでは無いのです。アンフェアーな為替の悪用や各種技術の流出の黙認などアメリカ、いや世界支配層の思惑が大きく働きそうなったのです。中国発展の影にアメリカ有り、いや世界支配層有りです。
この間の日本はどうだったでしょうか。急激な元安が進んだとき、日本は、売国的・裏切りの日銀・大蔵省が仕込んだバブル崩壊で混乱し大きく打撃を受けていました。さらに円高で2重の苦境を味わい著しく国際競争力を失いました。さらに、アメリカからの強烈な要求で10年間で480兆円(当初要求は600兆円を竹下総理が了承(反対していた竹下を拉致し東京湾でヘリコプターから逆さづりにしてウンと言わせた;中丸薫説)、その1年後に交渉により480兆円になった。)のムダな公共投資を継続していました。さらに、やはりアメリカの圧力でビッグバン(金融の自由化)を行い銀行系列を中心に株の持合による強固な護送船団方式を崩され、銀行や有力な企業の資本侵入を許してしまいました。
さらに、あろうことかマスコミの大煽りで騙された国民は、派遣法、大店法、郵政民営化等々の売国的な政策を推進する「小泉―竹中」を熱狂的に指示してしまいました。そして、「911自作自演のテロ」を実施したと疑われているブシュと小泉は「トモダチ」?。まっ!、彼らは売国奴同士で「トモダチ」かもしれませんが、日本国民は「トモダチ」なんか「100億年」お断りだ!。
そして、政府・日銀は経済のデフレスパイラルに有効な手段を実施できないまま20年余が経過しました。また、昨今の諸外国同様まるで協調するかのように日本の国債残高は膨れ上がりました。現在は、年収200万未満の貧困者を大量に作り、円高で空洞化しつつある状況に拍車をかける企業の海外進出が行われようとしています。
このような厳しい状況に追い込まれた日本に先日の東日本大震災が襲い、その復興を増税で賄うとの「愚策」を「勝栄二郎―野田ライン」で実施しようとしています。さらに、あろうことか、まったくの反省が無いまま狂ってしまったかのような「原発再稼動」を認め、国際会議で諸外国から失笑を買う「原発推進」を表明する始末です。その上「TPP」参加の結論を急ぐとまで表明しています。このTPPは「トモダチなんて100億年お断りだ!」のアメリカの諸制度をそのまま輸入することに等しいのです。これを推進しようとしている連中は紛れも無い「売国奴」です。
日本の苦境の影にアメリカ有り、いや世界支配層有りです。
ニュージランドのTPP担当者はオーストラリアの担当者に送ったメールで「これで長期的に日本と韓国を潰せる」とほくそえんでいることがウィキーリークスで暴露されたそうです。

国家と国民を分断し統治せよ!(奴隷国家に賢者は不要と考える世界支配層)

2011年10月12日 22時33分14秒 | 日記
昨日の投稿で少し考えました。なぜ、日本の著名な御用学者や評論家は考えが浅いのか? よく考えると、思慮深い政治家、学者や評論家は世界支配層にコントロールされた官僚やマスコミにとって邪魔な存在であるからなのです。だから、小沢さんが3年近く攻撃されているのです。だから、中川昭一さんやNHKの長谷川守さんが殺されたのです。原発問題でもそうです。福島第一原発・超小型水爆爆破テロによる放射能問題についてマスコミに登場した御用学者や評論家はいずれも「原子力村」に所属する輩たちで、政府や東電、保安院の報告をほとんど鵜呑みにして解説していました。しかし、その政府、東電、保安院が発表する内容に疑問を投げかけ、本当のことを追求する本来の学者である京都大学の小出さんたちが主張したことのほうが正しかったと、その後の事実追認で明らかになりました。このように、よくマスコミに登場する専門家といわれる御用学者や評論家の多くは思考が浅く軽薄な判断力の持ち主が多いようです。また、そうした色々なことに疑問を抱かない軽薄で素直な人間のほうが官僚やマスコミにとって都合がいいからだと思われます。いろんな事象に対し、鋭い疑問や深い考察をする学者や評論家はその事象の本質やその裏に潜む真実までも浮き彫りにしてしまう可能性があるので、彼らからするとやっかいで危険な人物となるのでしょう。だから、御用学者や評論家はあまり物事を深く考えない軽薄で素直な人物のほうが好まれるということになります。つまり、「無能で軽薄な人間」のほうが都合が良いということになるのでしょう。そして、この「無能で軽薄な人間」が現在の日本社会の中心に座っているのではと思います。私の考え過ぎでしょうか。政治家、官僚、マスコミ、大学、経済団体や大企業等々のあらゆる組織で「無能で軽薄な人間」が登用され、「有能で思慮深い人間」は排斥される。その傾向が30年程前から現れ始め、この十数年その傾向が顕著になってきたものと思われますが、これも私の思い違いでしょうか。最近の政治家、官僚、マスコミ人、経済団体の代表といわれる方々はいずれも「有能で思慮深い」人たちには到底見えません。むしろ、「無能で軽薄な」人たちといったほうがピッタリ当てはまるように思います。どうも、わざわざそのような人物を各代表に選んでいるのではと勘ぐりたくなります。疑い過ぎでしょうか?。
世界支配層が考える奴隷の管理人は、彼らがコントロールするマスコミにおだてあげられた人気者で愚かで買収しやすい人間であればあるほど都合がよいと考えているのではないでしょうか。
アメリカの隷属国家である日本国に賢者は不要であると考えているのではないでしょうか。
いや、日本国家だけでなく世界の国々についても程度の差があるとはいえ同じように考えているのではないでしょうか?。
ここ数年の世界金融・経済危機に対する世界の首脳陣の対応を見ていると、まさに「愚者」そのものであると言わざるを得ません。
その「愚者」を見ている各国の市民は益々政治家を信用しなくなっており、国家の行政を信用しなくなります。
まさに、市民と国家行政の分断です。
そうです。「分断して統治せよ」世界支配層の策略だと思われます。

余談
現在の裏総理といわれる財務次官の勝栄二郎さんは思慮深い賢者なのでしょうか?
私にはそう思えません。なぜなら、勝栄二郎さんのコントロール下にあるといわれる野田総理が繰り出す政策はいずれも愚者の選択だと思うからです。
私は、勝海舟を尊敬しています。激動の江戸末期、明治維新を卓越した人生観で生き抜いた偉人だと思っています。勝栄二郎さん“勝海舟”さんの卓越した生き様をけっして汚さないようにお願いします。もっとも、その勝海舟さんと勝栄二郎さんは何の関係もないと週刊誌で表明されているそうですが、是非そうあって欲しいと思っています。

以下、ウイキペディア 勝海舟 江戸無血開城の顛末
勝は交渉に当たり、幕府側についたフランスに対抗するべく新政府側を援助していたイギリスを利用した。英国公使のパークスを使って新政府側に圧力をかけさせ、さらに交渉が完全に決裂したときは江戸の民衆を千葉に避難させたうえで新政府軍を誘い込んで火を放ち、武器・兵糧を焼き払ったところにゲリラ的掃討戦を仕掛けて江戸の町もろとも敵軍を殲滅させる焦土作戦の準備をして西郷に決断を迫った。
この作戦はナポレオンのモスクワ侵攻を阻んだ1812年ロシア戦役における戦術を参考にしたとされている[注 17]。 この作戦を実施するに当たって、江戸火消し衆「を組」の長であった新門辰五郎に大量の火薬とともに市街地への放火を依頼し、江戸市民の避難には江戸および周辺地域の船をその大小にかかわらず調達、避難民のための食料を確保するなど準備を行っている。また慶喜の身柄は横浜沖に停泊していたイギリス艦隊によって亡命させる手筈になっていた。
この会談の後も戊辰戦争は続くが、勝は旧幕府方が新政府に抵抗することには反対だった。一旦は戦術的勝利を収めても戦略的勝利を得るのは困難であることが予想されたこと、内戦が長引けばイギリスが支援する新政府方とフランスが支援する旧幕府方で国内が2分される恐れがあったことなどがその理由である。
以下、ウイキペディア 勝海舟 お時間のある方は是非ご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E6%B5%B7%E8%88%9F

アンフェアーな為替に翻弄され続けた日本経済

2011年10月11日 22時18分15秒 | 日記
先進各国は1971年8月15日のニクソンショック後の1973年3月以来変動相場制による為替レートで取引してきました。
変動相場制(へんどうそうばせい, floating exchange rate system)とは[1][2]、為替レートを外国為替市場における外貨の需要と供給の関係に任せて自由に決める制度である。フロートあるいはフロート制[3]とも呼ぶ。
戦後、続いた固定相場制度の時代をブレトンウッズ体制[4][5]という。1971年8月15日、米国のニクソン大統領は自国のドル流失を防ぐため、ドルと金の交換停止を発表した(ニクソン・ショック)。[6][7]それを受け、1971年12月通貨の多国間調整(金1オンス=35ドル→38ドル、1ドル=360円→308円に切り上げ)と固定相場制の維持が行われた。このスミソニアン体制[8][9]は長続きせず、1973年2~3月に日本を含む先進各国は相次いで変動相場制に切り替えた。
変動相場制は1976年1月ジャマイカのキングストンで開催されたIMF暫定委員会で承認された。これをキングストン体制[10][11]という。
以上ウイキペディアより
となっています。そして、「この変動相場制は為替レートを外国為替市場における外貨の需要と供給の関係に任せて自由に決める制度としてスタートしました。」となっていますが、現在は、「為替レートを外国為替市場において外貨のレバレッジを効かせた賭博市場とし、世界支配層の思惑によって自由に決める制度」と化しています。
日本政府・日銀が円安誘導のため数兆円の介入を行っても、アメリカのヘッジファンドや投資銀行が共同して原資で数千億円であってもレバレッジを効かせてその数十倍~百倍の額をタイミングを見計らって市場に投入し円高に誘導します。自由市場である取引は結局市場投入額の多いほうに誘導されます。当たり前ですね。
これが、需要と供給の関係に任せて自由に決める自由市場為替制度の実態です。このことは皆さん既にご承知のことと思います。
13年前に東京ビッグサイトの催し会場の一角で数百人収容の講演会場で経済講演会がありました。その講演が終わって質問時間がありましたので、私はこう質問しました。「現在の為替は実物経済がそれほど変動しないにもかかわらず極端に変動する。この為替相場により実物経済が大きく影響される。おかしいのではないでしょうか?」と、そうすると講演者は逆に質問を返してきました。「どうすればよいと思いますか?」と、私は質問に対して率直に答えてくれるものと思っていましたから、逆に質問を返されたことに少し憤慨しましたが、こう答えました。「基軸通貨は色々な通貨を織り交ぜたバスケット制にし、その通貨の割合と対基軸通貨との相対比は、これだけコンピュータが発達した時代ですから、各国の経済成長、ボリュームなどの比率は容易に計算できるので、対基軸通貨との変動幅は年間+―数パーセント範囲内の準固定相場制にすれば実物経済も安定すると思います。」と、
そう答えますと、講演者は「そういう考え方もあるんですね。」といいました。
私は、この講演者は経済評論家としてテレビにもよく出演しているのに為替制度の根本部分の認識はこの程度なのかとあきれてしまいました。
この2ケ月前にも地元の銀行主催の経済講演会があり、大学教授の講演者に同じ質問をしましたが、そのときは私の質問に少し躊躇している講演者の様子を見た司会者が「お帰りの飛行機の時間が迫っていますので・・・」ということで逃げられました。私は一旦質問を受けておきながら逃げ帰るとは失礼な奴だと思い、なぜこの程度の質問に即座に答えられないのかと思っていました。」
東京の講演者は経済評論家の「竹村健一」さん、地元の講演者は当時、大阪大学副学長の「本間正明」さん、2006年に政府の税制調査会会長になりスキャンダルで1ケ月後に辞任した方です。お二人とも著名な方ですので、私の単純な疑問に明快に答えてくれるものと思っていましたが、見事、裏切られました。以前に投稿しました。竹中平蔵さんにした、隠れた企業環境リスクの質問も「とんちんかん」な答えでした。他にも著名な経営者などにも質問したことがありますが、ことごとく裏切られて来ました。まともに答えられない理由があったかもしれませんが、基本的に日本の著名で政府の要職を任じられた方であっても、あまり物事を深く考えていないことがわかり、日本の行く末に不安を感じました。
そして、13年後現在、為替制度は何も変わっていません。極めてアンフェアーな市場そのものです。そして、確信犯か学習能力の欠けた財務省・日銀は、相変わらず「円高」の市場介入により外為特別会計の損失を広げています。
また、1991年~1995年に中国の元を対ドル比3.5倍の元安にしました。
これは元安になったのでなく、世界支配層第二・第三勢力が元安にしたのです。
そして、アメリカ資本の中国進出を容易にし、その後のその資本を受けた中国企業が国際競争力を3.5倍に増し利益を上げ拡大できるように。同時に、日本の国際競争力を相対的に低下させ、日本企業の中国進出を誘導し、日本国内の工業の空洞化を招く策力としてアンフェアーな為替制度を利用してきたのです。