いままでは他県の観光地などを訪ねてブログに書き込んでいましたが、
今回は地元閑谷学校(しずたに)を紹介しようと思います。
備前藩主池田光政公が庶民教育を目的に開いた学校で、藩営としては日本最古の
庶民学校です。閑静な山紫水明のこの地に光政が家臣の津田永忠に命じて建設させ
たもので、現在の姿が整ったのは元禄14年(1701)のことです。
備前焼の瓦が美しい国宝の講堂をはじめ、敷地内の建築物のほとんどが重要文化財
です。創立以来、儒教精神に基づく教育がなされ、他藩からの入学者、学者、文人
の来遊も相次ぎ、明治になってからは、旧制中学、新制高校と変遷し、現在は県青
少年教育センターがあり、三百有余年の間、優秀な人材を送り続けてます。
幕末に備中松山藩で活躍した、山田方谷の資料なども展示されていますので、
興味のある方はぜひ立ち寄って見てください。
「備前市」
特に11月初旬に、「櫂の木」が紅葉します。向かって右側は黄色、左側は赤色
に色づき大変感動します。それから、ぐるりと廻らされた石塀は、草が生えにくい
ように考えられ、石組みの見事さも印象的です。
期間は限られていますが夜間ライトアップも楽しめ、写真を写すために遠くから
こられる方もおられます。写真はいずれも去年の秋に訪れたときのものです。
今回は地元閑谷学校(しずたに)を紹介しようと思います。
備前藩主池田光政公が庶民教育を目的に開いた学校で、藩営としては日本最古の
庶民学校です。閑静な山紫水明のこの地に光政が家臣の津田永忠に命じて建設させ
たもので、現在の姿が整ったのは元禄14年(1701)のことです。
備前焼の瓦が美しい国宝の講堂をはじめ、敷地内の建築物のほとんどが重要文化財
です。創立以来、儒教精神に基づく教育がなされ、他藩からの入学者、学者、文人
の来遊も相次ぎ、明治になってからは、旧制中学、新制高校と変遷し、現在は県青
少年教育センターがあり、三百有余年の間、優秀な人材を送り続けてます。
幕末に備中松山藩で活躍した、山田方谷の資料なども展示されていますので、
興味のある方はぜひ立ち寄って見てください。
「備前市」
特に11月初旬に、「櫂の木」が紅葉します。向かって右側は黄色、左側は赤色
に色づき大変感動します。それから、ぐるりと廻らされた石塀は、草が生えにくい
ように考えられ、石組みの見事さも印象的です。
期間は限られていますが夜間ライトアップも楽しめ、写真を写すために遠くから
こられる方もおられます。写真はいずれも去年の秋に訪れたときのものです。