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「月光」と「屠龍」

2007-03-30 | 自動車・飛行機・船
 「月光」(写真左)は昭和13年(1938)に日本海軍により開発が始まり当初は「13試双発陸上戦闘機」と呼ばれていました。任務の中で最も重要視されたのが爆撃機を援護しながら敵地へ向かう長距離侵攻でしたが、大きく重い双発戦闘機では高性能で運動性に勝る単発戦闘機にはかないません。そこで各国の双発戦闘機は攻撃機や偵察機としての道を歩むことになりました。昭和17年7月、「13試双発陸上戦闘機」は、二式陸上偵察機として南方の激戦地ラバウルに送り込まれました。ここでアメリカ陸軍の誇る4発重爆撃機B-17に出合うことになりましたが、重武装で防弾装備強固なB-17は昼間でも撃墜が難しく、夜間になればお手上げだったのです。そこで発案されたのが機銃を斜め上向きに装備して、B-17の後方下部から追尾しながら射撃し多数の弾丸を撃ち込むことが出来るように改良されました。そして遂にB-17を撃墜することに成功、「斜め銃」の有効性を実証し、昭和18年8月、名前を変えて夜間戦闘機「月光」として新たに制式採用されました。



   コックピットの後ろに斜め上方に取り付けられた20mm斜め銃×2挺



本土防空戦でもB-29を撃墜するため千葉県香取基地や、神奈川県厚木基地、愛知県豊橋基地などに配備され活躍しました。

 同じころ、陸軍でも夜間戦闘機が誕生していました。同系列のエンジン(海軍では「栄」、陸軍では「ハー102」)を搭載していましたが機体は「月光」よりも小型でした。(最初の写真左側)





昭和17年(1942)2月日本陸軍に制式採用されたときの名称は「二式複座戦闘機」試作名称「キー45改」でした。後になって「屠龍」(とりゅう)と呼ばれるようになったようです。当初の開発目的は「月光」とほぼ同じでしたが、同様の事情により、夜間戦闘機として装備が見直されました。機首に37mm機関砲(元々は対戦車用)を取付、さらに昭和18年には操縦席後部に20mm機関砲2門の「上向き砲」(海軍では「斜め銃」)が装備され、陸軍の夜間戦闘機としての地位を確立しました。しかしB-29は高度一万メートル前後で侵入し爆撃をするため、日本軍の戦闘機「屠龍」などでは高性能な排気タービンもなく上昇するのに1時間近くかかりました。そこで夜間に高度を大きく下げて侵攻するB-29を狙って攻撃するのがやっとでした。しかもB-17より速度も攻撃防御性能も格段に優れたB-29を撃墜することは大変でした。
最終局面においては、上昇能力をあげるために武装を全部はずして体当たりで撃墜すると言う「震天制空隊」(東部軍管区)、「回天隊」(西部軍管区)が登場して、B-29撃墜の殆どは、この体当たり攻撃によるものが多かったようですが、時すでに遅く、圧倒的な物量と、高高度での爆撃機に十分な戦いが出来ず終戦を迎えました。

写真は、菓子(ガムが一つしか入っていません)のオマケとして売られている各種戦争物シリーズで、「世界の双発戦闘機シリーズ」としてスーパーで売られていました。買い物をしていたとき目に付き、衝動買いしてしまったものですが、大変リアルに出来ていますね。小学生のころ、少年サンデー、少年マガジン、少年キングなどの連載戦争漫画を楽しく読んでいたので「屠龍」や「月光」の名前はよく覚えていました。そのほかにドイツの夜間双発戦闘機「ウーフー」(電探装備)もあり、4個買いましたが、その中にはありませんでした。「月光」が3機、「屠龍」は1機でした。他のシリーズのオマケと同じでついつい沢山買ってしまいますが、同じものばかりでがっかりしますね。シークレットは塗装の違う「屠龍」のようです。所属部隊などのデカールは附属していますが、今回は貼っていません。実物の1/144のスケールですので、長さは80mmくらいの大変小さい模型です。

 写真はニコンcoolpix4500にマクロリングストロボSB-29をコードで接続し本体TTL調光センサーにてマクロ撮影しました。結構大げさな機材になりますね。

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