Everyday Enjoy

松本潤さんと嵐さんメインな日々語りです。

JUN STYLE 5/30

2009-05-30 17:24:16 | radio
☆月イチ嵐

 潤「今日のオープニング曲は27日にリリースされました嵐のNEWシングル
 Crazy Moon~キミ・ハ・ムテキ~聴いてもらってます。
 
 では早速ですが、月イチ嵐2004年についていただいてるメールをご紹介します。
 まずはクイズでございます」

メール(要約)

2004年で特に心に残ってるのは25メートルの大滝を登ったアイスクライミング。
見ているこちらも手に汗握る思い出。
5年たった今、振り返って何を思いますか? また挑戦したいですか?

クイズ
その時のメンバーからのプレゼントを覚えていますか? 誰のを持って行きましたか?

 潤「ということなんですけど。プレゼント・・・プレゼントですよ。
 まったく覚えてないですね。
 旗か酒だと思うんだよね、俺。
 誰からもらったとかも全然覚えてないですけど。
 あんねー、ものすごく寒かったから、雪山で。
 ウォッカをなんかこう小瓶っていうかさ、映画で出てきそうな
 なんかこう銀色だったりとかするやつに
 すげー強いウォッカが入ってて、それ飲めって言われて
 飲みながらやってた記憶がありますね、ええ。

 そんなプレゼントだった気がするんですが、正解は・・・

 智くん・・・<寒かったら食べてね>とおにぎり。
 くふっ、カチカチに凍ってましたね。
 翔さん<寒かったら飲んでね>
 ニノ<気持ちだけでもあったかくねと>ハワイアン風な音楽。
 相葉ちゃん<寒かったら使ってね>とマッチ。
 持って行ったのは翔さんのお酒でした。

 うん まあまあ・・・ 当たってもないし、ハズレてもないみたいな感じですね。
 アイスクライミングね~懐かしいですねー!
 あの当時はなんかそんなに考えずに<できるでしょう>と思ってやったんだけど。
 今考えると無謀なことやったなと思いますけどねー、ええ。
 まあいい思い出ですよ、ハイ。
 ということで、2004年月イチ嵐今日はやっていきたいと思います。
 ではここで1曲。2004年にリリースされた曲ですね。
 嵐で<PIKA★★NCHI DOUBLE>」


♪♪♪

 「えー、まずは2003年の年末からライブをやっていたと。
 <ARASHI WINTER CONCERT 2003~2004 ~LIVE IS HARD だから HAPPY~>
  という、え~ライブやりましたねー。

 懐かしいですねー。
 先輩の元光GENJIの佐藤アツヒロくんに、こう監修というか間に入ってもらって
 いろんなこうライブのこととか、聞いた記憶がありますね、んー。
 
 え~1回限りの<Dの嵐!スペシャルライブ>っていうのも1日やったということですね、ええ。
 懐かしいね。
 なんかもう1コクイズがあったけどやってみようか。

メール(要約)
冬コンの大阪城ホールMC時に、潤くんとニノの成人式のお祝いをしたのを覚えてますか?
会場のみんなである歌を1フレーズ歌ったがそれは何でしょう?


 潤「まったく(強調)覚えてません、これ僕。
 なんだろうね。
 成人式で歌う曲ってなんだ?
 嵐の曲かなー・・・ えー!?
 1フレーズだけ歌ったっていうのがポイントだと思うんですけど。
 全然覚えてね~な~コレ。なんだろう・・・。
 校歌? 会場のみんなで歌ったんだもんね。
 俺の学校の校歌なんかみんな知らないよね。
 え~なんだろう。 全然覚えてないや。
 降参です。

 答え・・・ はぁぁぁ~・・・
 H2Oの<想い出がいっぱい>
 ♪大人の階段上る~から1フレーズでした。
 歌ってるうちに
 ♪少女だったと・・・ という歌詞のところで
 <少女じゃねーじゃん>って言って終わったんでした(苦笑)

 っていうことです。
 全然覚えてないですねー。
 なるほどねー。

 え~そんなコンサートがあって、2月の18日に先ほどかけたPIKA★★NCHIがリリースされたと。

 そして3月1日~28日まで、えー東京グローブ座の方で
 <ピカ★★ンチ LIFE IS HARD だからHAPPY>をやったと。
 そうちょうど、ピカンチの1と2含めて、このLIFE IS HARDっていうのをかけてたんですね。
 <LIFE IS HARD だけど HAPPY>が1だよね!? 確かね。
 で<だからHAPPY>それにかけてコンサートやってたんですね。

 えー4月3日にえ~<朝なのにDの嵐!>っていう
 深夜番組でずっとやってたのを午前中にやったのかな!?
 全然覚えてないですね、そんなの。

 そしてその、えー3日から同じく、え~フジテレビの方で<嵐の技ありっ!>という番組・・・
 技ありって何やってたんだっけ!?
 技ありってきたろうさんが一緒に出てたやつ!?
 みんな1つひとつ宿題やろうみたいな、なんか課題があって。
 その時に映画俳優を100人覚えるっていうのをやった気がする。

 ひとまず曲いきますか。
 2004年に出たアルバム<いざッ!NOW>から嵐で<ハダシの未来>」

♪♪♪

 潤「後半戦、7月21日、アルバム<いざッ!NOW>リリース。
 そして27日から8月の31日までコンサート<Dの嵐!プレゼンツ・嵐!いざッ、Now Tour!!>ということで。
 
 8/21・22日<24時間テレビ27・愛は地球を救う>のメインパーソナリティーを初めてやりましたね。

 そしてその前か、8月18日にシングル<瞳の中のGalaxy/Hero>をリリースと。

 で、11月の10日にベストアルバム<5×5>リリース。
 12/24~30日(あれ?4日からでは?)まで東京青山劇場でミュージカル<WEST SIDE STORY>
 ベルナルドですよ。

 メールを読みます。
(要約)
小4の時いざなうコンで初めて嵐を見た。
カッコよさに圧倒された後、24時間TVの相葉くんの手紙で涙があふれて
<絶対トップになろうね>という嵐の夢を一緒に追いかけようと思った。
その日からずっと嵐が好き 10周年楽しみにしてる。

 潤「やっぱり24時間テレビっていうのがいちばん多かったですね 、メールが、うん。
 24時間テレビ、特にそのやっぱり相葉くんの手紙とかですかね・・・
 <のところですごく私は感動しました>とか
 <それまで潤くんのことはあんまり得意じゃなかったけど(笑)
 あの手紙の時の涙を見て、あ、この人はいい人なんだなって思いました(エコー)>とか。

 (笑)いろいろありましたね、ハイ。
 まあ それこそ去年ですか?
 24時間テレビで僕ら二度目やらせていただきましたけど。
 まあ~やっぱり二度目やってみると、
 1回目はほんとに足りない部分がたくさんあったんだなーって思いますけどね。
 なんかこう、自分達がいっぱいいっぱいでしたね。
 番組として視聴者の人に何かを届けるっていうスタンスより
 自分達が一生懸命やるっていうスタンスだったかなー・・・。
 それしかやりようがなかったんだと思いますね~、その頃は、んー。
 なんか、まあもちろん去年やったのが
 なんかすごくいろんなことができたっていうわけでもないと思うんですけど。
 去年改めてやった時に、うん、変わったんだなって思いましたし。
 なんて言うのかな、2回目の方があっという間だった、そういう意味で。
 1回目はものすごく長かったですね。

 もう1枚。ライブについてのメールですね。

(要約)
いざなうツアーがいちばん印象に残ってる。
特に潤くんソロ<La Familia>
5周年を迎えた嵐と5周年から5年後の嵐のことを歌った曲。
今聴くと当時よりも感動してしまう。
まさに今10周年の年のことを歌った曲。
作詞したのは潤くん本人だということだが、どうしてこのような曲を書こうと思ったのか。
当時、雑誌等でもこの曲についてあまり話してなかったが、10周年を迎える今少しでも教えてもらえれば。

 潤「んーと、どういう意図だったんですかね。
 書いてみようっていうのがもともとだと思いますね。
 で自分で書くとするなら、自分のなんかこうパーソナルな部分というか
 自分自身が普段感じてることととか、そういうものをあまり包み隠さず書いてみたいなと思っていて。
 あれ、僕自身、僕1人で作ったというよりは人に手伝ってもらいながら作ったんですけど。
 なんか人と一緒にやったから、あまりこうたぶんその当時言わなかったんだと思うんですね。
 自分1人のものだと思ってないっていうか・・・だと思うんですけど。

 あのーほんとに10周年とか、先が見えてないなかで今まで5年やってきたけど
 そっから5年後はどうなってるんだろうっていうこととか、今とか。
 なんかね、1番がverse1が デビューから5年を言ってて
 で、verse2でその今の、今から5年の間の話をしてて。
 で、未来、最後その結末みたいな、今後のことっていうかまとめみたいな感じだったんですけど。

 結構このあの<La Familia>については それなりにありましたね。
 <アンサーソング書いて下さい>(笑)みたいなこととかありましたけど。
 まあ、それもアリかなーと思いつつ。
 逆になんかこう、10周年っていうのはまあ1つの区切りだと思うんですけど
 嵐として活動していくんであれば、なんかこうそこでひと区切りするよりは
 先を見ながらやった方がいいんじゃないかなーなんていう考えも今はありつつ
 どうしようか、考えてる最中ですね。
 今後、どういう曲をこう発表するかみたいなことは、ハイ。

 そして<WEST SIDE STORY>ですよ(苦笑)
 これね、大変だったね。
 これね~、今言っちゃっていいと思うんですけど。
 もともとアレ僕オーディション受けるはずじゃなくて。
 たまたまなんですけど、もともとね、あれ櫻井・大野・相葉かなんかでやるはずだとたんですよ。
 で、相葉くんがですね、オーディションの日に行けなくなって。
 たまたま俺その日空いてて。
 <行ったら?>って言われて、行ったらやることになりました。

 そっから3ヶ月間もう・・・やったことないバーレッスンとか、バレエの。
 初めてやって・・・ 全然できないのに。
 一生懸命なんかこう3ヶ月間で無理くり、なんか何とかまだ見れるようにしよう っていう感じ。
 ずーっとバーレッスンとかやってましたね、ええ。
 結果的にさ、あのー<WEST SIDE STORY>ってさー、若者の話だからさ。
 結構どこの国でも、まあ欧米とかはちょっと若いのかもしれないけど。
 やっぱこう、ダンスの経験があってとか、歌が上手くてとか
 やっぱ曲のキーがすごい高かったりとかもするから。
 その、年齢的に実年齢に近い歳でやってる人ってあんまりいないんだよね、実際。
 なんだけど、僕らほんとに実年齢に近い設定だったんで
 そういう意味で<リアルだった>って言う人達は、まあいましたけど。
 まあこうスキル的なことを考えたら、まあ~酷かったんだろうなって思いますけど。
 今やれって言われたら、たぶん僕は笑っちゃうと思いますねー。
 
 毎日さー、本番始まる前にさ、そのJetsとSharksがこう舞台袖でケンカみたいなのしてて。
 なんか、リーダーと俺が向き合って睨み合いして<お前が先行けよ>とか、なんかそんなような。
 それこそほんとに、プロローグで始まる時の抗争みたいなこう対立関係みたいなのを
 舞台袖でやってからスタートしてましたね、ええ。
 懐かしいですね。

 まあほんとに、いろんなことがあった年ですねー。
 <5×5>という5年がまあひと区切りっていうことで
 それまでのベストアルバム出したりとかしましたし、ええ。
 この頃、5年後どうなってたかなんか想像ついてないですしね。
 まだまだ先は長いなと思います、ハイ。

 ではここで1曲お届けします。
 8月18日にリリースされた嵐のシングルでした。<Hero>」

♪♪♪

☆エンディング

♪明日の記憶

初回盤の説明後・・・

 潤「通常盤の初回出荷には、U-12ステッカーっていう・・・
 ついに僕らがシールになっちゃいましたっていう・・・
 あの、ステッカーがあるんですよ(笑)
 なぜU-12ステッカーなのかっていう話なんですけど。
 13歳とかはダメなのかっていう・・・感じですけど。
 そういうのが初回出荷には付いてくるんだよね!? ハイ。
 僕も持ってます、ハイ。
 こないだ新垣結衣ちゃんにそれをあげました。
 (笑)使ってるのかは知りませんが、ハイ。

 本日午後9時から<クイズショウ>やります。
 <クイズショウ>もね・・・ すごいクイズですよね、クスッ、ハイ。
 両方楽しんでいただければと思います。
 スマイル共々よろしくお願いします。
 ではまた来週聴いてほしいと思います。
 お相手は嵐の松本潤でした、バイバイ(←今日も言った♪)

*****

La Familiaは翔ちゃんに手伝ってもらったんじゃなかったっけ!?
ちょっと前にDVDでこの曲見ましたが、ほんと泣けますわ;;
当時も客席で必ず泣いてたんだけど(苦笑)
5年後嵐がこんなに大きくなってるなんて、本人達はもちろん私達もほとんど想像してなかったはず・・・。
今見ると余計に、そんないろんな感慨でいっぱいになる曲ですよね~。

で、懐かしいウエストサイド。
そりゃあ、四季とかブロードウェーの舞台に比べたら青かったですが
3人とも短期間でものすごく頑張って素晴らしい舞台を作り上げてました。
オープニングのとこの、ベルナルドがバーン!と足を上げるダンスは
めちゃめちゃカッコよかったし
マンボのダンスも圧巻で大好きでした♪
ただ、あのリーゼントはもう少し低くてもよかったんじゃないかと
今でも思ってます(爆)

バーレッスンを頑張ってくれたおかげで
翌年のOneコン<Days>での3人は
動きが滑らかでとても美しく、指の先まで神経が行き届いてて
智ファンの友達とウエストサイドやってくれてよかったね~と感涙してましたよ;;
潤くんは謙遜してるけど、何事も無駄な経験はないということですよね~。

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