山に癒されて…♪

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自己世界の超ロ~ング日記です
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御池から眺めていた天狗堂とサンヤリの尾根を歩く・・・前に・・・

2019年10月25日 | 山登り 近畿 霊仙 伊吹 藤原
2019年10月20日(日) ☁/☀ 天狗堂・サンヤリ君ヶ畑から御池林道周回

御池岳ボタンブチから望む景色で
いつも目にする尖がり帽子の天狗堂

いつか御池から覗いて見える 
尖がり帽子の尾根を歩いてみたい・・・
いつ頃からでしょうか そう思う様になりました

近頃 空模様が不安定で 予定していた泊山行は
全て計画倒れとなっています



今は体調は良い方♪
これは楽しまなければ損!損!

そこで この機に
気になっている尾根を歩いて見ましょう・・・
という事になり 早速出かける事にしました


御池岳からいつもめていた稜線を歩いて
今度は 御池岳楽しむ事にします
さてさて お空は味方してくれますでしょうか



天狗堂登山観光駐車場 所在地:滋賀県東近江市多賀町


名神高速 八日市ICから県道229号経由県道34号で君ヶ畑へ向かい
観光駐車場に着いたのは 7時30分ごろでした

天狗堂登山観光駐車場には3台ほどの車が停まっており
若者2名が準備をしておりました

あら!登山者多いかな?

御池岳方面への登山者は見かけますが
天狗堂への登山者は殆どいないと
勝手に思っていただけに
先行者がいる事に 軽い驚きを感じました

そしていつものように 
のんびりと準備を始めて出発します


 
コースタイム

7:50 天狗堂登山観光駐車場 → 8:05 大皇器地租神社 8:10 → 8:37 筒井峠と天狗堂の分岐 → 9:37 天狗堂 988m ~ 展望岩 9:50 → 10:27 サンヤリ(仏供さん山) 958m 10:35 → 11:15 展望岩~天狗堂 11:45 → 12:20 岩尾谷出合 → 12:40 岩尾谷登山口 → 13:07 君ヶ畑バス停 → 13:14 天狗堂登山観光駐車場


君ヶ畑の集落入口に設けられた観光駐車場から
君ヶ畑の集落へと舗装道路を歩いて行きます

まず目指すは大皇器地租神社(おおきみきじそじんじゃ)
天狗堂への登山口はその大皇器地租神社にあります



 舗装道路を進みます
 君ヶ畑の集落の中へ
 正面に木地師ミニ展示館!

木地師ミニ展示館


君ヶ畑は ろくろを使ってお椀などを作る
木地師発祥の地といわれます
その作品やろくろなどを展示しているミニ展示館
正面に見えてきます
そこには3台ほどの駐車場があるようです


 木地盆


この先にある神社には
椀器製作を始めた惟喬親王を祭神としているそうです
その神社こそ大皇器地租神社!(おおきみきじそじんじゃ)
今まさに 目指している神社です


 木地師ミニ展示館左横の道
 大皇器地租神社案内標識

大皇器地租神社分岐

大皇器地租神社分岐を左側の坂道へと進みます

のんびりとした静かな佇まいの集落・・・
ふと 自身の郷里の雰囲気と重なります
道脇には・・・ 
最近あまり見かけなくなったチカラシバ
場を占領するかのように広がり
風に揺れながら 悠々と秋を楽しんでいます

昔・・・ 地道の轍の脇でよく見かけたチカラシバ
引っ張っても抜けないほど強く そこから付いた名前・・・
私ならば・・・根性芝と名付けたかも・・・(笑)

よく力比べに引っ張りっこしたり
罠をしかける材料に使って遊んだ事を思い出します


 チカラシバ
 チカラシバの穂先

大皇器地租神社の参道入口

大皇器地租神社の案内板に従って進むと
大皇器地租神社参道入口の十字路に出ます


 参道を行きます
 茶の花



参道の脇には 茶の花が出迎え 反対側に
ススキのが秋の装いを濃くして揺れています

高い空に向かって背伸びをする芒の穂が
風に靡き その向こうの雲が流れ・・・
冷たい風が自由奔放に遊んでいます

参道の坂を登り切った先に鳥居があり
鳥居を潜って大皇器地租神社の境内の中へ・・・

手水場の向こうに大きな杉の大木があり
こじんまりした橋が架けられております
どこか重々しくも静寂で厳かな空気が漂い
歴史を感じさせる景観に足が止まります

参拝させて頂きましょう・・・

拝みに行く前に
手水場でお清めの手洗いをします

右手にひしゃくを持ち
左手を流すように洗い
左手に持ち替えて右手を洗い
右手で水をためて口をすすぎます
さらに右手を洗い
 すすいだ水を吐いたところに水をかけて流します

橋を渡り・・・
古木の大杉の間を通って・・・
境内へと入っていきます



大皇器地租神社 境内


寛平10年(898)に創建された由緒ある神社
木地師の祖神として惟喬親王を祀る神社です
親王の幽棲地とされる隣接の金龍寺は
「高松御所」として蛭谷の筒井公文所とともに
全国の木地師を支配していたそうです
氏子狩帳は県指定民俗文化財となっております


 白雲橋


木地師というのは木地屋とも称し
近世末まで手挽き(二人挽き)・ろくろなどの工具を使って
椀・盆などの木地を造った工人のことです
ろくろ挽きは
平安時代文徳天皇の第1皇子であった惟喬(これたか)親王が
巻物のひもにヒントを得て考えついたといわれています
惟喬親王は都を逃れて 蛭谷・君ケ畑に隠れて
このろくろ挽きの業を土地の人々に伝授したといいます
この縁起により 惟喬親王が
ろくろ業の祖神として両神社に祀られています

 蛭谷の筒井神社には木地師資料館があり
木地師の歴史資料が展示されています
記録帳(氏子狩帳(うじこがりちょう)によると
正保4年(1647)から明治15年(1882)までの236年間に
木地師の名が4万9990人記されています

滋賀・琵琶湖観光情報HPより


 本殿・拜殿


境内案内板より・・・

当郷は惟喬親王の御領地(小椋ノ荘園)であって親王御入山遊ばされ
諸種の民業を振興され 就中轆轤を用いて椀器製作の業を伝え給う 
或いは樫の木の実を叡覧有りて 椀器製作の術を感じ給うとも伝えられる 
これは 我が国に於ける椀器制作の根本であり 作る職人を木地師と言う
以後全国に木地師として栄え 現在に至りとても 
木地及び金属の挽物職人として重要な位置にある
親王は或時、侍臣を召し集め
『元慶三年(879)十一月九日を以て入寂の日と定め 
「たとえ余命あるとも其の期日を以て縁日とせよ」と仰せられるに仍って 
侍臣藤原光長郷は都に上り 謹んで旨を清和天皇(文徳帝第四皇子)に奏上
天皇は太皇大明神として守護すべき旨御諡号を賜り 
翌年(880)4月3日に神殿の造営なり親王の御神霊が鎮祭される 
これが当社の創始された所以である 
白雲山小野宮器地祖大明神と敬拝し奉る 
今や諸国より産業の神として崇敬されている
明治十五年十二月、社号を大皇器地祖神社と御改謚になる 
同二十六年内務所より当社保存金として金壱百円也を下付される
 
                              〈引用〉




さざれ石の案内板より・・・

国家「君が代」に詠まれているさざれ石

この石は惟喬親王の重臣 藤原定勝公の末裔である
岐阜県楫斐群楫斐川町春日小宮神の藤原一族により寄進された「さざれ石」です
定勝公は 椀木地の司として仕えていた木地師であり 
親王の銘を受け「江州君ヶ畑」から良質な木材を各地に探し求め 
ついに春日渓谷の奥地一帯を発見しました
一族と共にこの地に移り住み 「江州君ヶ畑」の名に因んで
「濃州君ヶ畑」は他の地からの移住者などにより 
戸数と人口が増加した事から 延宝元年(1673年)頃 
新しく「小宮神村」が誕生したと思われる         
                            〈引用〉




拝んだ後再び 古杉の大木まで戻ります

 境内から見る登山口
 鳥居の大杉の右側から登山口へ

登山口

境内の中に登山口があり
届け出ポストも設置されております



さて ここから本格的山歩きの開始です
天狗堂へ向かうべく入山していきます・・・が

初っ端から 試練は始まります・・・


つづく


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