『偉大なるシルクロードの遺産展』 其の壱拾壱

2006-01-16 16:34:24 | アジア編
■ここで、アクバル・ハキモフ博士の紹介論文にちょっと戻ります。

……見事な壁画や木彫彫刻……現地の職人によって金や銀の容器が製作され、焼き物工房では多種多様な土器が焼かれ、織物工房では素晴らしい絹や木綿の織物が作られた。これらソグドの交易品はシルクロードを通じて様々な方面にもたらされた。交易の結果、イラン、インド、ビザンティン、中国、そして東方の草原地帯の美術や手工業、芸術が職人によって受け入れられたことで、現地の伝統の相互作用が促された。宗教的モチーフおよび宗教儀式のテーマや像が美術の定義とされた先行する時代とは異なり、中世初期の美術では、世俗的テーマが最重要視された。前イスラム時代の造形美術は、この時期、あるいは英雄叙事詩と、あるいは宗教的儀式と結び付いていた。立体彫刻と高浮き彫りは、すでに古代のような重要な役割を果たしてはいなかった。ソグドの裕福な家屋や寺院では、彫刻の素材に、土、ガンチャ、木材が使用された。壁画は、絵の複雑さ、主題の充実性、色調の豊かさが際立っていた。……


多様な民族を顧客にしている腕自慢の職人達は、特定の宗教文化に偏らずに創作活動をしていたのではないでしょうか?そして、交易都市には独善的な信仰を持った民族を「野暮」と考えるような風土が出来上がっていたのかも知れません。富を費やして家屋を飾る品々ですから、きっと、客間に一番の自慢の作品を置いたことでしょう。そうなれば、露骨に一つの宗教を喧伝するような作品は「喧(やかま)しい」だけで、その場の雰囲気をぶち壊しにしてしまった事でしょう。喧嘩の種にならず、どんな民族の目にも「見事だ!」と感動を与えるような作品が競って作られたのでしょう。

■神様のようでもあり、美しい女性のようでもあり、花の精でもあるかのような作品を愛(め)でて、思い思いの飲み物や食べ物を楽しむ穏やかなサロン空間が完成していたとすれば、男性中心の出家宗教だった仏教に、女性の姿を採った観音様が出現する必然性も有ったわけです。野蛮で猛々しい時代ならば、救いを求める対象には筋骨隆々とした憤怒の表情の男性神が似合いますが、戦乱が去って心の平安を求めるような時代には、母性を前面に出した豊穣と慈愛を表現する女神像が求められたのでしょう。初期の仏教芸術では、艶(なまめ)かしい女性像はすべて仏陀の瞑想を邪魔する困った魔物として描かれていましたが、民族や性差の壁が融解する時には、魅惑的な女性像を忌み嫌う必要も無くなります。しかし、その影響が仏教の理論にまで影響を及ぼすのは困った事なのですが……。


中世初期の美術の中で最も顕著な形象は、言うまでも無く、トハリスタンやソグドの壁画であり、……この壁画の基本的な主題は、様々なテーマや主題の変種が形象化された、善と悪の戦いである。それらの世俗的特長(祝賀行列、英雄の戦闘場面や狩猟場面、皇帝の饗宴、酒宴など)が壁画の主題を証明しており、現地の神話や叙事詩から多くを借用し、中には仏教の図像と結び付いた場面も見られる。


■その例としてタジキスタンのカライ・カフィルニガンから見つかった壁画が示されます。7~8世紀の作品で、右肩を出した袈裟姿の僧侶に続いて煌(きら)びやかな衣装を纏った王族が蓮の花を手に持って供養に出向く姿が描かれています。玄奘さんがインドでの勉強を終えて唐に戻って翻訳をしていた頃だと考えれば、この仏教壁画は言い知れぬ迫力と悲しみを湛(たた)えているように見えて来ます。僧侶が身に付けている袈裟は黄色がかっているので、南伝仏教と同じ伝統を守っていた事が分かります。インドの地で定められた厳しい戒律が、北でも南でも厳守されていた頃の様子が分かります。玄奘さんは広大な遊牧民族の生活圏を往復しながら、一切の肉食を断り通していましたから、当時の中央アジアの仏教僧達も乳製品と穀物だけを食していたのでしょう。勿論、生涯独身。

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2 コメント

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バークレイへの旅  仏陀 (地方の蛙)
2006-01-20 09:08:38
初めまして

「科学の終焉」に蘇り来る心の旅。

風雲の光景を拝見させていただきました
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いらっしゃいませ (旅限無)
2006-01-20 11:12:24
展示会が終わる前に書き上げようと思っていましたが、雑務と本店の『旅限無』にかかずらわっているうちに、予定が狂ってしまいました。もう少し、この旅を続けますので、お付き合いくだされば幸いです。
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