マクルーハンはあらゆる知識を一人の人間の中で統合することを理想としたが、ドラッカーは、それぞれの専門知識を組織の中で統合することの必要性を説いた。ドラッカーの方が現実的、実践的なのは間違いない。マクルーハンには組織のマネジメントの発想はなかった。
第一章 「着想(ひらめき) ― 新しい組み合わせを探す」では、マクルーハンが子供のように「発見」に夢中になっていたこと、その発見の方法が「新しい組み合わせ楽しむ」遊び心にあったことをジェームス・W・ヤングの名著『アイデアのつくり方』と比較しながら考察しました。
第二章 「逆説 ― クールな言葉が想像力をかき立てる」では、マクルーハンの矛盾に満ちた逆説的な言葉や駄洒落(ことば遊び)が、読者の想像力を働かせ、行動に駆り立てていること解説しました。
第三章 「類推(アナロジー) ― 非なるものの中に似(に)を探す」では、彼の独創性は、一見似ていないものの中に類似(アナロジー)を見つけていく詩的な認知方法にあったことを解説しました。
第四章 「譬え話 ― 人を征服しないで納得させる」では、古代ギリシアにおいて「論理」と並んでもう一つの思考法であった「レトリック」は、比喩(譬え)を用いて思考の跳躍を生む創造的な言語技術であることを解説しました。
第五章 「創造 ― 比喩が現実を創る」では、「現実」は隠喩(メタファー)によって創られていること、世界を比喩的に見ていくことが直感のカギであることを解説しました。
第六章 「展開 ― 全体を一挙につかみ形にする」では、問題を部分に分けて分析するのではなく、マクルーハンの残した思考の道具「テトラッド」を使って、全体を一挙に把握すれば、事態の変化を見誤ることなく適切に対処できることを解説しました。特に、企業経営者が陥り易い「マーケティング・マイオピア(近視眼)」から逃れるためのツールとして「テトラッド」が有効に活用できることを事例を交えて紹介しました。
彼(マクルーハン)は、いつも自分の考えていることだけに夢中になっていたものの、楽しい客だった。しかし、二十年以上に及ぶ付き合いの中で、一度たりとも、私が何をしているのかを尋ねたこともなければ、私の説明を聞いたこともなかったと思う。彼もまた、彼自身のことについては一度も話したことはなかった。いつも、彼は考えていることについて話した。いつも、妙なことばかり考えていた。彼は実によくわが家に立ち寄った。ほとんどあるいはまったく予告なしに、訪ねてきた。そして、ある夏の嵐と雷の真夜中の一時、彼はニュージャージーの私たちの家の呼び鈴を鳴らした。びしょ濡れの彼がにこにこ立っていた。
『傍観者の時代』には、ドラッカーとマクルーハンの出会いとその後の交際の様子がドラッカー独特の筆致で描かれています。
プラトンが攻撃した古い権威は、前文字文化のソフトウェアであった。それは口誦的で共同体的な、ほとんどショービジネスであった。ローマと中世の教育はもっとハードウェア、すなわち書記と紙とパーチメントに依存していた。それはまた、人の移動とこれらの素材の輸送にも頼っていた。プラトンとアリストテレスは、彼らの大学を固定して動かない都市国家の観念の上に発展させた。ローマ及び中世の理想はもっと移動的で連邦的だった。今日、新しい電気的ソフトウェアの到来にともない、時間と空間は情報へのアクセスに関する限り消滅した。我々は世界中のいつの時代のことであれ、どこの場所のことであれ学ぶことができる。さらに、ソフトウェアはポスト識字の傾向がある。電気的映像(エレクトリック・イメージ)は、印刷されたハードウェアに簡単に取って代わる。こうした映像の即時的な性格は、教育における目標志向を破壊する。個人的キャリアのための専門主義と個人的な方向付けは、即座にその妥当性を失い、現行の教育及び商業機構に参加している全ての人の理想と活力を混乱させる。
(トロント大学マクルーハン・アーカイブ資料から)
マクルーハンは、「専門家(スペシャリスト)というものは、小さな誤りは決して犯さないが、すごい誤りに向かって進んでいくものである」と皮肉った。P.ドラッカーも、「専門化は、今後ますます知識を獲得するうえでかえって障害となっていく。知識を有益なものとするうえでは、さらに大きな障害になっていく」と言った。学校のカリキュラムに馴染めず大学を二度も退学したバックミンスター・フラーは、「専門分化とは、聡明な若者に生涯続く奴隷状態を受け入れさせるために考案されたものである」とまで言っている。晩年、経済史から文明史に転じたH.A.イニスも、学習における専門化、細分化に一貫して反対していた。