YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

第4次中東戦争(10月戦争)の話し、及び平成18年(2006年)現在の状況の話~エルサレムの旅

2022-01-10 09:05:40 | 「YOSHIの果てしない旅」 第8章 イスラエルの旅
△古都・エルサレムの全容で中央の黄金のドームがオマールイスラム寺院(CFN)

・第4次中東戦争(10月戦争)の話し
 テルアビブ空港乱射事件の翌年の昭和48年(1973年)10月、第4次中東戦争が勃発した。ナセルの死後、エジプト大統領になったサダトによって企てられ、第3次中東戦争の敗北で失ったシナイ半島の奪還を目指したものだった。戦闘は当初、アラブ側が有利であったがイスラエル軍が反撃し、膠着状態になった。
 ここでサウジアラビアを始めとするアラブ産油国は石油戦略を用いた。彼等はOAPEC(アラブ石油輸出機構)を結成し、原油価格を一気に70%も引き上げた。さらにイスラエルを支援するアメリカへの石油輸出を禁止し、又アラブ諸国に協力的でないとみなした国家にも同様の処置を取ると宣言した。これが『石油危機』(第1次オイルショック)の原因であり、日本を含む世界経済に大きな衝撃を与えた。
 日本政府はアメリカ追随外交で、アラブ諸国に無関心であったが、手のひらを変える様に〝アラブ詣で〟(風見鶏外交と言って非難された)をして、石油確保に躍起になった。
  この戦略の発動によってエジプトのサダトは政治的な勝利を得た。戦闘は膠着状態のままアメリカのカーター大統領の仲介によって、エジプトはイスラエルと和解し、第3次中東戦争で奪われたシナイ半島を奪還したのであった。

・平成18年(2006年)現在の状況の話
 「人間(人類)は、勇気と知恵を持っている」と言われておりますが、私がイスラエルのキブツに滞在していた時から40年近く経っても、パレスチナ問題は一考に解決されておりません。
  私がイスラエルに滞在していた頃、ユダヤ人もパレスチナ人もある地域では共に暮らしていた。しかし、現在は高い障壁を築き、一定の地域(ガザ地区及びヨルダン川西岸地区)にパレスチナ人を集めた隔離政策を取る様になり、双方が暴力の応酬を繰り返されていると言うのが現実である。そして暴力行為は寧ろ悪化の一途を辿っているのが現状であり、私は憂慮している。
 
*(注)この見出しから14年後の2020年になってもパレスチナの状況は余り変わっていない様です。むしろイスラエルはヨルダン川西岸地区を自国領に編入しようと企て、又トランプ大統領と組んで首都をエルサレムにしています。日本を含む多くの国はこれについて認めていません。イスラエルの首都はテルアビブです。しかし2020東京オリンピック・パラリンピックのウェブサイトでイスラエルの首都を主催者はエルサレムと表記して問題になった。主催者側の無知を世界に曝け出してしまった、情けない話でした。


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