YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ムスリムの祈り(その1)~エルサレムの旅

2022-01-06 15:17:59 | 「YOSHIの果てしない旅」 第8章 イスラエルの旅
        △壮麗、荘厳のオマール・イスラム寺院(CFN)

・昭和44年1月15日(水)晴れ(エルサレム観光と異様なイスラムの祈り)
 今日、私は1人でJerusalem(エルサレム)観光に出掛けた。エルサレムはユダヤ教、キリスト教の聖地であると共に又、「マホメットが昇天した地」と言われ、イスラム教にとっても聖地である。 三つの宗教が共に「エルサレムは、我々の聖地である」と言っているので、必然的に宗教争いが起こるのも頷けた。中世おいてはイスラム教からキリスト教を守るための十字軍の遠征、第二次世界大戦後はイスラエルの独立に伴う第一次から第三次中東戦争、又その裏にはユダヤ教対イスラム教と言う宗教戦争でもあった。そんな事を思いながらエルサレムの観光が始まった。
  エルサレムは、新市街(New city)と昔から存在する都市・旧市街(Old city)に分かれていて、ニューシティはここ20年の間に出来上がった都市で、そこにはイスラエル人が住んでいて、街も明るく活気があった。そしてオールドシティは、城壁に囲まれていた。                     そのオールドシティに入るのには幾つかの門があり、一般観光者が入るのは『ダマスカスの門』が一番便利で、私も橋を渡りその門を潜ってオールドシティへ入った。入った途端、20世紀後半の西洋的近代文明の世界から、中世のアラブ世界に迷い込んだ様な錯覚に陥り、私は強いカルチャーショックを受けた。偏見な言い方かもしれないが、住民は彫りの深い、何を考えているのか分らない、そして取っ付きの悪いアラブ人がそこに住んでいた。勿論、街の中に車は走っておらず(車道が無い)、車以外でも近代的文明はここに無かった。道幅は狭く、迷路の様に曲がりくねっていて、所によっては地下になっていて、昼間でも薄暗かった。
 城壁内通路では羊の皮を剥ぎ取ってそのままぶら下げている肉屋、いつ採って来たか分らないような魚や野菜類が並べてある魚屋や八百屋等があった。又、オリエントらしい装身具屋や陶磁器屋、ペルシャ絨毯などの織物屋、金や銀の細い針金を使った細工物屋があり、狭い道路や通路階段まで商品を並べられていた。しかも通路は長い歴史の中から醸し出す変な臭いと商品の生臭い匂いが混ざり合って、異臭が発ち込めていた。商売人は薄汚れた汚い手で食べ物を扱っていて、全ての点で非衛生であった。ここはアラブ人だけで、私以外に他の旅行者は全く見当たらなかった。私は怖い感じがして、その様な所に長居は出来なかった。

     
      △エルサレムの城壁内のオールドシティ

 この後、ユダヤ教の聖地の中でも真の聖地、過ってユダヤ教の神殿(第一神殿)があったとされる宮の山(モリア山)の台地へ行って見た。そこからのエルサレム旧市の眺めは、正に何千年と言う長い時を経ての古都であり、そしてイスラムの影響を受けた中近東である事を強く感た。  ローマ帝国の徹底したエルサレムの破壊と2,000年以上の風雪の為か、宮の山の台地に神殿らしき形跡は、数本の柱(?)を残すのみで、全く無かった。それどころかそこには立派な、そして目にも眩しい巨大な黄金のMosque of Omar(オマール・イスラム寺院) が建っていた。詳しく言えば、黄金のドームと青と白を基調として、良くコントラストされた大理石造りの荘厳壮麗なイスラム寺院であった。この場所はイスラムの預言者・モハンマド(モハメットAC570~632)が昇天された所と言われ、イスラム教にとっても聖地でした。彼が生まれた場所は、サウジアラビアのMecca(メッカ)である。従ってイスラム教の3大聖地は、メッカ、Medina(メディナ)、そしてエルサレムなのです。
 しかしこの寺院及び周辺の観光客は、私だけであった。その寺院からコーラン(イスラムの聖典)が流れるその寺院に少し立ち入って、顔を覗かせて見た。ドーム天井は何とも言え難い極め細やかな模様で出来て、美しさが溢れていた。そして寺院の中には1,000人、或はそれ以上か、何しろ大勢の男だけの〝イスラム信徒〟(ムスリム)が前後左右接触するぐらいの間隔で、整然と並んでコーランのリズムで、一斉に立ったり座ったり、尻を持ち上げたり、頭を垂れたり、身体を前屈みに臥せたりして、一心不乱にお祈りをしてた。                                                     
 私にとって不思議な事に、彼等が懸命にお祈りしているその正面には、何も無かった。仏教であったら仏像、釈迦如来像、聖観世音菩薩等の偶像があり、キリスト教では十字架に張り付けられたイエス・キリストやマリア様の偶像があって、拝む対象物があるのだが、イスラム教には何も無かった。寺院の外観と内側のドーム天井の美は凄かったが、寺院内はガランとして、何の飾り気も無かった。これは私にとって一つの発見であった。ムスリムは偶像崇拝をしないで、ただメッカに向かってお祈りをする慣わしになっていた。いずれにしても彼等の一糸乱れずその祈るその姿、そして一心に祈る人々が放つ迫力は、初めてイスラムの本格的な礼拝を見た私にとって、神聖さを通り越して、何だか恐ろしさすら感じた。                            
私に気が付いたのか、後ろの方の数人のムスリムが、私を刺す様な目で睨んでいた。『寺院内は、外国人の私が立ち入る場所ではない。トラブルになってはまずい。』と察し、寺院から早々退散した。それにしてもイスラム教の祈りは、正に圧倒、圧巻な儀式であった。そしてイスラム寺院は観光者が気軽に入る場所でない雰囲気があった。以後、外国で宗教上のトラブルになってはまずいので、私は2度と礼拝中のイスラム寺院の中へ入らなかった。しかし寺院の見物は何度かあった。

*その2に続く(明日掲載予定)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿