YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ユダヤ教の祈り(その2)~エルサレムの旅

2022-01-07 07:47:32 | 「YOSHIの果てしない旅」 第8章 イスラエルの旅
      △正統派の女性の祈りー嘆きの壁にて

(NO1からの続き)城壁内の旧市街、オマールイスラム寺院やユダヤ教の聖地である宮の山(モリア山)を見学して嘆きの壁へ・・・

 この後、私はWailing Wall(嘆きの壁)を見に行った。嘆きの壁は、ユダヤ教神殿の唯一の遺物であり、それは中庭西側の壁だった。そして神殿唯一のこの壁は、ユダヤ人の苦難な放浪が始まってから2,000年間と言う長い間、彼等にとって最も神聖な霊場であった。嘆きの壁の前は、黒の長服・黒のズボン・黒の山高帽子を被り、揉み上げの髭をした何人ものユダヤ教信徒(正統派)が、壁に向かって泣く様な声で、しかも懸命に何かを訴えている様に祈っていた。彼等は一心不乱にユダヤ人同胞の祖国復帰と〝メシア来臨〟(救世主が現れる事)を祈り続けているのであろうか。
[イスラエルの民は苦難の歴史とその流れの中で、常にダビデ王の時代を理想と仰ぎ、懐旧の情を抱いて来た。ダビデ王への敬愛はやがてダビデの血を引く者がメシアとして現れ、民を救うとの信仰と確信に至ったのである。そしてそのメシアは、ダビデの生まれた町ベツレヘムにこそ生まれる、とイスラエルの民は期待していた]([ ]内は河谷龍彦書の「イエス・キリスト」より)。
 そう言えばイスラエルの国旗は、三角を上下二重にした星印の表示である。これは「ダビデの星」と言って、イスラエル国民はダビデ時代の再来を願い、その救世主の出現を切望している。長い放浪、迫害、そして戦いから得た彼等の望みは、ヘブライ語のシャローム(平和)であり、彼等の挨拶である「おはよう」「こんにちは」は、「シャローム」と言って、お互いに「平和であります様に」と言って挨拶に使っていた。 
  異国人、無神論者である私の様な心の不純・不潔な者は、一心不乱に祈り続けている彼等を物珍しいと言って、近づいてジロジロ見たり、写真を撮ったりするのは失礼になるかもしれないので、私は離れて彼等の様子を眺めていた。キリスト教、イスラム教、或いはユダヤ教にしろ、一心不乱にお祈りしているその姿、或いは自分の身を神に捧げているその姿は、どの宗教でも同じに見えた。彼等は真に純粋な、そして平和を愛する人々に思えるのであるが、中東を含むその周辺や世界で、如何して侵略戦争、民族紛争、或は宗教戦争が起こっているのであろうか。この中東戦争も、ユダヤ人対アラブ人(パレスチナ人)の領土絡みの戦争であり、またユダヤ教対イスラム教の宗教戦争に思えた。




  △ユダヤ教徒の巡礼者の一団の写真2枚―嘆きの壁前にて
 
 嘆きの壁を見た後、その周辺とあのオマール・イスラム寺院の間をウロウロしていたら、私が不審者に見えたのか警備兵に呼び止められ、職務質問と旅券の提示を求められてしまった。彼からすれば、私の行動が挙動不審に思ったので、任務として対応したのであろうが、私としては余り良い気分でなかった。
 旧市街のエルサレム観光を終えて、新市街へ歩いて戻って来た。ユースへ帰る途中、疲れたので歩道脇のベンチに腰掛け休んだ。そして思う事がたくさんあった。旧市街で多くの乞食や無気力者を見掛けたが、やはり格好良いものだと私には見えなかった。ベンチに暫く休んでいたら、私の目の前で一人の道路作業員が、ツルハシやスコップを使って一生懸命に作業をしていた。その男は、額に汗して働いていた。その姿を見て、『仕事は大変であるが、どんな職業でも良いから働いてお金を得るべきである』と思った。パリ滞在中、私の考え方に強い影響を与えたマサオは、「働くなんてバカらしい。金のある人が無い人に分け与えるべきなのだ。」と当然の様に言っていた。しかし与えて貰う人よりも、与える事が出来る人の方が、より人間らしいではないか。お金や物を乞うのはやはり惨めである。私はそんな事を考えていたら、一生懸命に道路工事をしている薄汚れた服を着たその作業員が、後光を照らしている神様の様に見えた。 
 ユースへ帰る途中、ある墓地の墓標の前で7人の兵士が整列していた。亡くなった兵士(戦死したのかも)の墓標の前で、兵士達がその墓標に『捧げつつ』の儀式を行っていた。最後に7人の兵士が1人ずつ鉄砲を空に向けて撃ち、そして儀式は終った。彼等が去った後、私はその墓地へ入って見た。そこはやはり戦没墓地であった。多くの墓標を見たら、皆18歳から25歳までの間に亡くなっていた。彼等は何の為に生きてきたのであろうか。いくら祖国の独立、建設、防衛の為とは言え、私と同じ歳か私より若い兵士の青春が散って行ったのである。可哀想であるし又、人生の虚しさを感じ、涙が出そうであった。又アラブ側も多くの兵士や市民がイスラエルの攻撃で亡くなっているのだ。
 私は心が重苦しくなってユースに帰って来た。早くこの中東戦争が根本から解決出来ないものか、切に願うだけであった。シャローム!


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