YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ウィンピー ハウス レストランの仕事~オックスフォード ストリート店の話(その1)

2021-09-23 15:53:24 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
                    △フィッシュ アンド チップス

ウィンピー ハウス レストランの仕事

・オックスフォード ストリート店の話
 9月21日に色々あったが結局、仕事に就いた。最初の話の中で労働時間は、午後の5時から11時まで、1日1ポンド4シリングと言う条件であった。しかし最初の出勤日に、私が早く仕事に慣れるように4時から仕事を始めた為、そしてマネージャーの要請により、翌日からも午後4時から11時までする事になった。
1週間遅れで賃金を貰った時、1日に付き税金等で4シリング差し引かれていた。それにしても、安いアルバイト代に税金を徴収されるとは、私は全く知らなかったし、支配人も何も言ってくれなかった。1日〝7時間勤務〟(その内の1時間休憩の6時間労働。休みは月曜日)で1日1ポンド(週6ポンド)になっていた。
 本当に低賃金で頭に来た。それで又何か言ったら、「辞めてもいいですよ」と言われかねないので、私はどうすることも出来ず諦め、我慢するより仕方なかった。しかし私の休みは11月2日に仕事を辞めるまで、月曜日は変わらなかった。 
 このレストランは、地下鉄のボンド ストリート駅を降りて、ボンド ストリートからオックスフォード ストリートに出て、直ぐ左側の所であった。ボンド ストリートは、オックスフォード ストリートとピカデリー ストリートのメイン道路を結ぶ通りであり、ピカデリー ストリートを出ればそこから王立美術館、ピカデリー サーカス、トラファルガー広場、そしてバッキンガム宮殿等の観光名所が幾つもあった。
したがって、私が働く事になったこのレストランは、店内は広く150人程入れるし、また地下にも客席があった。立地条件が良いので、いつもお客さんで賑わっており、24時間営業をしていた。
本社(イギリスウィンピー社)は、このレストランの通りの向かい側にあり、ロンドンだけでも幾つもレストラン経営をしていた。
 ウィンピー ハウス レストランの“料理〟(大袈裟に言うほどの料理でないが、イギリスでは立派な料理かも知れません)の代表的な物は、「Wimpy and chips」と言って、アンパン程の大きさのパンにオニオン、ハンバーグ、トマト、レタス、チーズ等挟んだサンドイッチ(後に日本に上陸したマクドナルド ハンバーガーの様な食べ物と理解して良い)とポテトフライを添えた料理、そして「Fish and chips」と言って、タラをパン粉で包み、油で揚げてポテトフライを添えた料理が主流であった。料理は皿に盛られナイフとホークで食べます。これにミルク、コーヒー、ティー、コカ コーラ、又はジュース類等であった。   
 私のシフトの人員配置は、あのマネージャー1人、ウェイター兼任のサブマネージャー2人、ウェイトレス5~6人、調理人はパキスタン又はインド人2人、コーヒーやジュース類を作るパキスタン人2人、そして皿洗い人は45~50歳位のパキスタン人と私の2人でした。
 一度だけウェイトレスをしているアイルランド人の女性から、忙しい合間を縫って声を掛けてくれた事があった。その内容は、彼女が日本人と文通をしている話であった。以後、お互いに仕事中であり、忙しく全く話せる機会がなかった。彼女の名前、日本人の住所や名前等を聞きだせなかったのは残念であった。
 レストランの仕事をしていたお陰で、食事代は随分助かった。部屋で朝昼兼用の食事をし、夕食はレストランで好きなだけウィンピーかフィッシュ アンド チップスに飲み物を付けて食べていた。したがって仕事をしている期間、「腹が減って仕方ない」と言う事はなかった。これだけは、「まぁまぁ」であった。自分で作った食事だけでは、体力的に持たなかったでしょう。
 そんなある日(1968年10月1日)の午後9時頃、私と年齢が同じ位の「大金さん」(仮称以後敬称は省略)と言う日本人が、職を求めてこの店に飛び込んで来た。彼は英語が下手なのか、マネージャーが私の所に来て、「仕事は無いので断ってくれ」と頼まれ、その旨を彼に伝えた。彼は残念そうな顔をしていた。私も同胞同士で共に働ければ良かったのに、と思うと残念であった。彼はいかにも腹が減っていそうな顔をしていた。聞くと「まだ夕食を食べていない」との事であった。私はマネージャーに頼んで、店の奥でウィンピー料理を食べさせて上げた。彼は余程腹が減っていたのか、「美味しい、美味しい」と喜んで食べた。私は困っている同胞に、何か良い事をした様な気分で嬉しかった。
 それによく聞くと、午後10時近くになるのに、彼は「今夜泊まる所がない」と言うではないか。まるで私と同じ様な境遇であった。気の良さそうな人でもあり、困っている時はお互い様と思い、「シングル ベッドだけど今夜、一緒に寝るか」と言ったら、「是非お願いします」と言う事で泊めて上げる事にした。彼は私の仕事が終る11時迄、店の奥で待っていた。
 仕事が終り、彼と共にアパートの下車駅近くのパブに立ち寄った。お金の余裕はないが、私と彼の為に、時には奢っても良いかな、と思った。イギリスに来て日本人とビール(大ジョッキ2つで2シリング5ペンス、約120円)を飲んだのは初めてであるし、彼と長く日本語を話したのも初めてであった。
シングル ベッドへ入ってからも、大金さんとの話は尽きなかった。本当に色々な事を話し、お互いに日本語で話をするのが飢えていた、と言う感じであった。彼は私と同じように6年間営団地下鉄に勤めて、2年間電気専門学校に通っていたとの事。それにしても本当に気が合って話し込み、寝たのは深夜の2時頃になってしまった。
 一夜が明け、彼は10時近くに出て行った。彼は自分で仕事を見付けるとの事、これも又、彼の道なのだ。私は「幸運を祈る」と言って見送った。大金さんとの一夜の出逢いであり、そして永遠の別れになった。

                         *その2へ続く


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