YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ロンドンを間もなくして去るその日々~査証を取るのも国際情勢が大いに関係

2021-11-05 07:20:26 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
・昭和43年11月5日(火)曇り(査証を取るのも国際情勢が大いに関係)
 今日はガイ・フォークスの日(Guy Fawkes Day)であった。イラク大使館へ行って、査証を取得した。イラクまで行くなら、『イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の聖地・イスラエルへ行かない手はない』と自分の手持金、行先の国の情報や自分の知識、能力、体力を省みないで、『旅への想い』だけが飛躍して行った。 
 イスラエルへ行くなら、レバノンから国境を越えて行ける。レバノンとイスラエルは、紛争(戦争)状態である事は承知していた。しかし、両国の国境付近の状況を見たいので、行けるものなら陸続きで行って見ようと思った。そんな理由でレバノンの査証を取りに大使館へ行った。
大使館員から、「レバノンから何処へ行くのですか」と笑顔で聞かれた。
「陸続きで国境を越えて、イスラエルへ行きたいのです」と私は答えた。
その途端、大使館員の眉間は険しくなり、睨み付けるように、「両国は交戦状態にあって、貴方はイスラエルへ行く事が出来ません。イスラエルへ行く人には、査証の発給を認めません」ときっぱり断られた。
結局、中東戦争の影響でレバノンからイスラエルへ行けず、レバノンの査証の取得を諦めた。それに第一の目的は、シンガポールを目指して行く事であり、レバノン及びイスラエルはそのルートから外れているので、影響は全く無かった。
 それにしても、イスラエルとレバノンを含むアラブ諸国とは、戦争状態である事は知っていたが、『陸続きで行ける可能性があるかも』と思った事は、第三次中東戦争(1967年のイスラエル対アラブ諸国戦争)後の中東情勢についての私の知識、認識が甘い証拠であった。 
レバノン大使館から今度、イラン大使館へ査証申請手続に行った。その大使館員の方が、「旅券の渡航先にイラン国名が未記入なので日本大使館へ行って、渡航先を記入して貰うように」と言われた。私は渡航先を確認しないで来てしまったのだ。しかしそれならイラクも渡航先未記入であったのに、如何してイラク大使館は、査証を発給してくれたのであろうか。分らないが多分、イラク館員は見落としたのであろう。
その様な訳で、直ぐに日本大使館へ行った。館員にトルコからイラン、イラク、アフガニスタン、パキスタン、インド、ビルマ、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナム、マレーシア及びシンガポールまでの各国を旅券の渡航先に記入してくれる様お願いした。しかし館員は、「インドまで加えましょう。必要であったらその先の国は、インドの大使館・領事館でして貰って下さい」と案内された。結局、渡航先を追加して貰った国名はトルコ、イラン、イラク、アフガニスタン、パキスタンそしてインドであった。
この時、その大使館員からビルマ情勢の事で、「現在、ビルマは軍が政権を掌握し、内政不安定の為、渡航禁止の処置が取られ、ビルマへは行けない」との情報を得た。
又その館員から、「最近、若者が中東諸国やインドの渡航先記入が多いが、イギリスからどの様にそれらの国々を回るのか」と質問されてしまった。私の知っている情報を彼に教えて上げた。前に来た時の大使館員の態度は、慇懃無礼であったが、今日の館員はそんな感じでなかった。
所で、インドへ行くルートは、欧米の若者や日本人倹約旅行者、そしてハシシ(大麻の一種)を求めてヨーロッパのヒッピー達で最近多くなったようであった。
私は日本大使館を出た後、先週分の賃金を受け取る為、そして私の仕事の最終日にマネージャーのミセズ レーミンと相棒のホーさんが休んでしまい、挨拶が出来なかったのでボンド ストリートのウィンピー ハウス レストランに立ち寄った。レーミンさんにはお世話になり帰国後、手紙を書きたいと思ったので彼女に住所を聞いたら教えてくれた。そして彼女から最後のウィンピー料理をご馳走になった。


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