祖父の回顧録

明治時代の渡米日記

第28回(ロス・アンゼルスへ行く)

2011-11-14 09:27:03 | 日記
27.ロス・アンゼルスへ行く



 
 ロス・アンゼルス行きの夜行は、七時ごろ出発するので、K藤と別れてから、直ぐクラブへ引返してほんの少しの見廻り品をバッグに入れて停車場に馳せつけた。私の外にも十数名の避難民らしい人々も来ていた。二年余り暮らした懐かしいシスコを離れて、異国で苦楽を共にした友人とも別れて、また何時合えるかと思うと一抹の淋しさを感じた。

 もともと裸一貫であるから、シスコ市にいても良いのではあったが、この機会に心機一転南下して、自分の運命を新しい所で試して見ようと思い立ったのである。

 ロス市に入ったら一人の知人もおらず、頼る所もなく、全くの天外の孤人というのは私に当てはまる言葉ではあったが、「渡る世間に鬼はいない」筈だ。ましてアメリカのような自由の国では「至る所青山あり」で、自分から進んで生活の糧を勝ち取るならば、いつかは成功のチャンスにも恵まれようと、ロス・アンゼルス行きには希望が沸いてきた。
 私はロス市に行ったから、この機会を握ることができたが、若しシスコ市にそのまま残っていたら、どんな結果になったろうか。人の運命というものは計り知り難いものがある。私は良いサイコロの目をふったのである。

 汽車がシスコを出て一時間ばかりたつと、サンマテオ駅についたが、駅には待っていたとばかりに、町の婦人連が駆けつけて来て、
“Don’t you want milk, sandwiches, eggs and bread; Anything else?”(ミルク、サンドウィッチ、卵、パン等いりませんか。外のものも如何ですか。)といって、呼んで要るものをドンドン客に投げ入れてくれた。ここを過ぎてからも、沿道到るところの停車駅でも温かい歓待を受けて、翌朝六時頃無事ロス・アンゼルスに着いた。
 駅には避難者が着くというので、婦人連や宗教団体の人達が待ち構えていて、希望の所へ案内していた。また、要るものはないかと色々の品物をくれたが、私には下着と靴下をくれた。

 駅の待合室で軽い朝食をもらっていると、米人のYMCAの人が来て
“If you don’t mind, you can come to our association to put up while you will find a job.”(若し差し支えなければ、仕事が見付けるまで、私の協会に来てもよいですよ)
と親切に勧めてくれたが、日本人の旅館の方が都合がよいから、日本人会の世話を受けることにして、この人の案内でサンペトロ街(San Pedro St.)の東洋ホテルというのに投宿した。ホテルとは名ばかりで、古い建物で二階に小さな部屋が廊下を隔てて二室あり、合計四部屋しかなく、階下は食堂や洗面場や帳場で貧弱な旅館だった。

 ロス市はシスコ市に比して邦人在留者の移住も遅く、従って彼等の経済力も少なく、商店側も余り振るわない状態だった。それでも宿泊所が定まったので安心した。

 翌朝七時頃起きて、粗末なこのホテルの朝食をとって、サンペデロ街一帯を見物した。この辺の街は道幅も狭く、家屋も汚く、低所得者の住宅地域らしく、この家並みの間にポツンポツンと日本人の住んでいるらしい小住宅も見られ、また日本人の店もあったが、シスコ市よりは少なかった。日本人の居住人口が少ないのでそれだけ発展の度合いが遅れているのだろう。

 夕方なにげなくホテルバルコニー(balcony:露台)に出て、表の人通りを眺めていると、怪しげな女が三々五々ホテルの前を過ぎて行く。皆顔をコテコテに塗って、キシャな服装で見るからに不潔な女たちであった。旅館の主人に聞いたら、あの女は皆売春婦で、その附近にはそういう宿があって公然と営業していると聞いて驚いた。日本人の家もありますというので、この一帯はロス市のアンダーグラウンド(underground:地下室的の隠れ場所)で、市政の退廃も察せられて唖然とした。

 シスコにもイタリヤ街や海員などの立ち寄る地域にはバーバリーコースト(Barbary Coast 未開海岸、野蛮海岸)といって、バーやサルーン(共に酒場)などがあって、ムードショウ(mood show)を見せたりして、法外の金を巻き上げる場所はあるが、公娼のこういう女(prostitute)はいなかった。
 しかるにロス市には、時の市長が公娼制度(Licensed prostitution:免除した女)を布いて、町の繁栄を計っているのだとのことであった。
 このため婦人団体や宗教団体などが決起して市の清き政治(Clean government)を主張して、革新運動を起こし遂に新市長を選んで、その革新を断行して善政を布いてロス市もクリーンシテイー(Clean city)になった。
 こういう状態で当時のロスはまだまだこれからの発展途上にあったのである。
 これであるから市の中心街であったブロードウェイ(Broadway)やメーン街(Main Street)なども、田舎町じみていて、大商店や百貨店などもシスコに比して二流であった。ただ市の中心にユニオンスクエアー(Union Square)というのがヒル街にあって、ここは立派な公園で、前には一流のホテルがあって、市民の憩いの場所として設備も完備していた。
 ロスで有名なハンバカー百貨店(Hamburger Store)なども私が行った後にできたのである。



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