2学期の折り返しに…(子供の自信と自己を肯定する感情を育てましょう)
校長 合津 郁夫
2学期は各学年の中心となる学期であり、1学期に養い蓄えた力を発揮して行事や学習、生活に活かしていく学期です。学校の教育活動も2学期に重点を置いて計画されています。また地域においても様々な児童対象の行事が開催されます。10月は「陦飾スポーツフェスティバル」や青戸地区「なかよし運動会」「少年の主張大会」が開かれ、本校からも児童有志が参加しました。その他にもそれぞれ大会やコンクールなどに挑戦した子はたくさんいるでしょう。最初は本当に緊張した様子ですが、競技やスピーチが終わった後は最高にすっきりとした表情を見せてくれます。さらに、見事に自分の目標を果たした結果を残せたときは、最高の自信を得ることにつながると感じます。そして、その自信は次への意欲につながり、人生に対する前向きな態度を育てていくでしょう。しかし、特別に良い結果が残せなくても、いや、たとえ失敗してしまっても、その経験を自信や満足感へと導くことは可能ですし、それこそ、その子にかかわっている私たち教師や指導者、親である大人の役割であると感じます。結果からのみの賞賛や叱責はその子の成長には良い影響は与えません。なぜなら、人生の中では挑戦しても結果を残せないことの方が多いからです。特に他人との比較では難しくなります。人間には得意、不得意があります。上には上がいます。運もあります。常に勝ち続けることは多くの人間にはできません。ですから、ほとんどの子供は結果のみで判断されれば、常に周りの大人の不満足な感情に接することになり、自信も自分に対する肯定的な感情も育たず、結果的には自分の人生に対しての意欲も失っていくことになります。しかし、結果だけではなく、その子供が挑戦した意欲や取組の過程で努力したこと、伸びたことなどを周りの人間がしっかりと認めて、価値づけをし、励ますことをすれば、たとえ失敗の経験であっても、次への意欲や自分の肯定感を高めることへつながります。先月、6年生の日光移動教室を実施しました。2日目はかなりハードな行程でした。体を使うことが得意な子は軽々と進み、苦手な子は遅れ気味となります。先頭の子供と最後の子供には大きな差が開いてしまいました。それも一つの勝負としてみれば、その結果は明らかですが、一人一人の子供にとって、全行程を自分の足で歩き通したという「価値」は同じです。中にはけがをした子もいましたが、歯を食いしばりゴールに着くことができました。そのやりとげた「努力」の価値に気付かせてあげたいし、私たち大人が大切にしていかなければと考えます。最近気になることは、生活指導の必要がある際に話をすると「どうせぼく(わたし)なんかだめなんだ。」という答えが返ってくることが多いことです。「君(あなた)はやればできる。」と励ますのですがなかなか納得することができないようです。日常生活から「だめだ、だめだ」と言われ続けると自分の価値にも気づけなくなっていくのだと思います。今月行われる「葛飾教科スタンダード検定」も「かつしかっ子宣言シンポジウム」も、子供たちが目標達成のために挑戦する意欲や努力の過程を認め励ますことで、達成感をもたせ、自信や自己に対する肯定的な感情を育てる取組です。日常の生活においても、中青戸小の子供たちを学校、保護者、地域の大人たちが、みんなで認め励まして育ててまいりましょう。
校長 合津 郁夫
2学期は各学年の中心となる学期であり、1学期に養い蓄えた力を発揮して行事や学習、生活に活かしていく学期です。学校の教育活動も2学期に重点を置いて計画されています。また地域においても様々な児童対象の行事が開催されます。10月は「陦飾スポーツフェスティバル」や青戸地区「なかよし運動会」「少年の主張大会」が開かれ、本校からも児童有志が参加しました。その他にもそれぞれ大会やコンクールなどに挑戦した子はたくさんいるでしょう。最初は本当に緊張した様子ですが、競技やスピーチが終わった後は最高にすっきりとした表情を見せてくれます。さらに、見事に自分の目標を果たした結果を残せたときは、最高の自信を得ることにつながると感じます。そして、その自信は次への意欲につながり、人生に対する前向きな態度を育てていくでしょう。しかし、特別に良い結果が残せなくても、いや、たとえ失敗してしまっても、その経験を自信や満足感へと導くことは可能ですし、それこそ、その子にかかわっている私たち教師や指導者、親である大人の役割であると感じます。結果からのみの賞賛や叱責はその子の成長には良い影響は与えません。なぜなら、人生の中では挑戦しても結果を残せないことの方が多いからです。特に他人との比較では難しくなります。人間には得意、不得意があります。上には上がいます。運もあります。常に勝ち続けることは多くの人間にはできません。ですから、ほとんどの子供は結果のみで判断されれば、常に周りの大人の不満足な感情に接することになり、自信も自分に対する肯定的な感情も育たず、結果的には自分の人生に対しての意欲も失っていくことになります。しかし、結果だけではなく、その子供が挑戦した意欲や取組の過程で努力したこと、伸びたことなどを周りの人間がしっかりと認めて、価値づけをし、励ますことをすれば、たとえ失敗の経験であっても、次への意欲や自分の肯定感を高めることへつながります。先月、6年生の日光移動教室を実施しました。2日目はかなりハードな行程でした。体を使うことが得意な子は軽々と進み、苦手な子は遅れ気味となります。先頭の子供と最後の子供には大きな差が開いてしまいました。それも一つの勝負としてみれば、その結果は明らかですが、一人一人の子供にとって、全行程を自分の足で歩き通したという「価値」は同じです。中にはけがをした子もいましたが、歯を食いしばりゴールに着くことができました。そのやりとげた「努力」の価値に気付かせてあげたいし、私たち大人が大切にしていかなければと考えます。最近気になることは、生活指導の必要がある際に話をすると「どうせぼく(わたし)なんかだめなんだ。」という答えが返ってくることが多いことです。「君(あなた)はやればできる。」と励ますのですがなかなか納得することができないようです。日常生活から「だめだ、だめだ」と言われ続けると自分の価値にも気づけなくなっていくのだと思います。今月行われる「葛飾教科スタンダード検定」も「かつしかっ子宣言シンポジウム」も、子供たちが目標達成のために挑戦する意欲や努力の過程を認め励ますことで、達成感をもたせ、自信や自己に対する肯定的な感情を育てる取組です。日常の生活においても、中青戸小の子供たちを学校、保護者、地域の大人たちが、みんなで認め励まして育ててまいりましょう。