あなたと夜と音楽と

まあ、せっかくですから、お座りください。真夜中のつれづれにでも。
( by 後藤 純一/めるがっぱ )

サルトル広場

2014年04月30日 10時34分48秒 | Weblog
  地下鉄のサンジェルマン・デプレ駅のそばに
宿をとった。
駅から上がってくると、右手に教会がある。
この教会の前に小さな広場があり、
東西に走る大通りを挟んで南へ
もう一本の通りが始まる。
この広場の交差点で大通りを渡ろうとして
待っていると、信号の横にポールがあり、小さな
標識があるのが眼に入ってきた。
そこに「ジャン・ポール・サルトル/シモーヌ・ド・
ボーヴォワール広場」と書かれていた。
その広場の前には有名なカフェがあり、
その上の階にサルトルとパートナーの
ボーヴォワールが住んでいたという。


 サルトルという名前を久しぶりに眼にした。
10代から20代にかけて、この人の名前は
伝説的だった。
高校時代、「実存主義」という難しそうな
言葉にどきっとした。
「存在と無」という分厚い本を買って
何度か読もうとしたが、投げ出した。
今でも覚えているが、長い、長い一行が
ほぼ半ページいっぱいほどに続いていた。
主語がどこからどこまでで、どこに繋がるのかと
指をさして読んでいったが、結局、文章は途中で
消えてしまっていた。
さすがにそこで読むのをあきらめた。
(サルトルさんの名誉のために言えば、
悪いのは原文ではなく翻訳がひどかった
のだと思う。)
 サルトルで記憶に残っているのは
芝居だった。
民芸の舞台で見た「汚れた手」は
今もよく覚えている。
滝沢修、伊藤孝雄、草間靖子の名舞台であった。
もう一つはTVで見た四季の「悪魔と神」である。
歌舞伎の尾上松緑(二代目) が鎧を身につけ
仁王立ちになって「神は死んだ」と叫ぶ姿が
焼き付いている。
主人公であるドイツ農民戦争時代の
実在の人物というゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンという、
舌をかみそうな名前が、今もすらすらと出てくる。

1980年に亡くなったと、今頃になって
知った。
当時、話題にならなかったはずはないから、
すっかり忘れているのだ。
サルトルの名前が日本のマスコミから
消えて行ったのはいつごろだったのか、
ヴェトナム戦争が終わったころだったろうか?
今、日本の本屋で彼の本を見ることはなく、
きっとフランスでも似たようなものでは
あるまいか。
交差点の前にあるその標識は本当に小さなもので、
気づかない人も多いと思う。
旅行中、何度もその交差点に立ったが、
標識に眼を向ける人の姿は一度も見なかった。
想像を言えば、一時はその前で記念写真を撮る
人たちがいっぱいいたのであろう。