あなたと夜と音楽と

まあ、せっかくですから、お座りください。真夜中のつれづれにでも。
( by 後藤 純一/めるがっぱ )

映画「歩いても 歩いても」を見て

2009年01月27日 00時11分55秒 | Weblog
 DVDで映画「歩いても 歩いても」を見ました。
是枝裕和監督・脚本・編集。
2008年作品。

 見終わって一冊の本を読み終えた充実感を与えてくれる
映画です。
15年前に亡くなった兄の命日に家族が集まる実家を舞台に
どこにでもある一日半の日常を描いた映画ですが、
脚本にはぎっしりと中身が詰まっています。
夫と妻、父と子、母と子の心理を切り取り、それぞれの
気持ちが交じり溶け合う様子を描いて、ひとりひとりが
抱えた屈折を日常のオブラートで包み、笑いをまぶしながら、
暮らしの中に潜むものを浮かび上がらせています。


   Ⅰ

 横山恭平(原田芳雄)は、高台にある町の
小さな病院の院長だった。
跡継ぎがなく、近所に大病院が出来たことからも
病院を止めざるを得なかった。
恭平は医者のプライドと自分一代で病院を作ったと
いう自負の殻から、今もぬけだせない。
仕事いちずに働き、先生、先生と呼ばれ上から目線で
世間を見てきた過去が重い鎧となって、今も家族の前で
どう動けばよいのか、わからない。
そんな恭平を妻と娘が影でからかう。

「コンビニの袋を下げてるのをご近所に見られるのが嫌なの。
先生様と呼ばれていたいから。」

せっかくの一族再会にも、恭平は書斎にこもりがちだ。
家族が自分を置き去りにして、楽しそうにしている
のが、不愉快なのだ。
孫が「おばあちゃんの家、大好き」と言う声を
耳にして、「俺が建てた家なのに、なんでおばあちゃんの
家なんだ」と機嫌が悪い。
真っ白い頭髪と歩くときの杖が恭平の年齢を感じさせる。
散歩で海に向かうのだが、海辺は道路の向こうのすぐなのに、
大きな横断歩道を簡単には登れなくなっている。
石段を杖をついて降りる様子が、つらそうだ。

 次男・良多(阿部寛)はそんな父親がうっとうしい。
父親の肥大したエゴが嫌で仕方なく、
なにかと死んだ兄と比べられるのもたまらないが、
子どもの頃は大きくなったら医者になりたいと
作文に書いたのに、今は絵画の修復を仕事とするように
なったことで、父と優秀だった兄への負い目がある。
良多は子づれのゆかり(夏川結衣)と結婚した。
義理の息子あつし(田中祥平)との間も、おずおずとした
雰囲気はあるものの、その穏やかな人柄でしっかりした
関係を作っている。
義理の父を「良ちゃん」と呼ぶ息子も、新しい父が
嫌いではない。
ゆかりは、子づれの再婚の身であることにひけ目を感じながら、
裏表のない夫を信頼し、良多も気持ちをゆかりに
ゆだねている。良多はゆかりに母親に似た気持ちを
抱いているのかもしれません。
義理の父母相手に気疲れしたゆかりは、荷物を
置いた部屋に戻って、足をなげだし息をついています。
良多はそんな妻にやさしく声をかけるのでした。

 映画の主人公は、恭平の妻で良多の母としこ(樹木希林)
です。
とうもろこしをかき揚にした料理が、母の自慢料理だ。
油の跳ねる音が快く、このかき揚には子どもたちも孫も、
偏屈な夫の恭平さえもが書斎から出てきて、みんな喜んで
手を出す。
この料理だけで、母が3人の子どもを育て気難しい夫の
面倒を立派にみてきたことを伺わせます。
(冒頭で母親が姉と一緒に台所で料理を作っています。
豚肉の角煮を煮る鍋、マッシュポテトをつぶすボール、
枝豆をゆでた笊がアップとなり、茗荷を包丁でざくっ、
ざくっと切る様子や、料理を作る手が大きく映し出され
ます。料理の匂いが漂ってくるようです。
ひとつの画面を作るために監督とスタッフがどんなに
議論をしてアングルを作り照明を決めたのかと想像させる
ものがあります。
むろん、映画はそんなことは感じさせず、おしげもなく
次々とおいしそうな画面を切り替えていきます。)
「歩いても 歩いても」という題名どおり、歩くシーンが
何度も出て来ます。
墓のある丘の上まで母と次男夫婦が歩き、翌日、海岸まで
父親と次男親子が歩き、またバスの停留所から家のある高台
に続く石段を歩いて帰るシーンが、大事な場面となっています。
でも、実は、「歩いても 歩いても」とはいしだあゆみの
「ブルーライトヨコハマ」の歌詞から取られたものでした。

「歩いても歩いても 小舟のように
 私はゆれて ゆれてあなたの胸の中
 足音だけが ついて来るのよ
 ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
 やさしいくちづけ もう一度  」
(作詞:橋本淳)

母はこの曲のレコードのことを夫である恭平には教えず、
時折ひとりで聴いていたのでした。
夫の恭平が知らない妻のこころの襞を示す題名です。
妻を公然と見下しがちな恭平は夕食の席でも
ゆかりの前で妻をからかいます。
そんな恭平の前で、妻はレコードを取り出し
良多にステレオをかけさせるのです。
鰻重を食べながら、恭平は妻が自分に内緒でそんな
レコードをもっていたのが、面白くありません。
ぶすっと鰻をかきこむのを皆が上目遣いにみまもる
シーンは見ものです。
古いステレオが今も使える状態になっていたことから
良多は母親は今も時々あのレコードを父のいないところで
聞いているのだと言い、ゆかりは誰だって人に内緒に
している曲はもっていると答えます。

「君もか」
「うん」
「教えろよ」
「内緒」
「こわいな」
「人って、こわいのよ」


 映画は亡くなった兄のことが軸になって、
前に進んでいきます。
父は跡取り息子を失い、自分の代で病院を止めなければ
いけない無念に胸をふさがれ、母親の中には今も長男を
亡くした思いがたぎっています。
二人の気持ちが遠のいたのは、長男の死が原因のひとつ
だったのかと思わせます。ほとんど気持ちを交わすことの
なくなった二人ですが、一方で、亡くなった長男への
思いが背中合わせに二人を繋げているのかもしれません。
 兄の墓参りに行った後、画面は居間に戻るのですが、
陽が傾きはじめたのでしょう、庭にさす陽射しが
赤みを帯びています。
居間に、それまでの登場人物の他に、ひとり知らない
人が座っています。
からかいたくなるような太った身体、人の良さそうな顔で
どこか緊張した早口で最近の消息を語っている。
誰だろう、親戚の一人かと見ていると、やがてこの青年が
長男の亡くなる原因となった相手と分る。
15年前、長男の純平は当時幼かった良夫が海で
おぼれているのを救い、死んだのだ。
毎年、良夫がお線香をあげに訪ねてくる。
その太った身体を大儀そうに持ち上げて良夫が
立ち去った途端、父は悪し様にののしります。

「ただのフリーターじゃないか、あんなヤツなんか
社会の役にたたん。」

跡取りを失った悲しみがそう言わせているのですが、
それは母も同じ気持ちなのです。
気持ちのやさしい良多は、良夫に同情します。
「もう時間が経ったんだし、そろそろ呼ばなくていいだろう。
可愛そうじゃないか。つらそうだよ」と言う次男に、
母は「10年やそこらで忘れてもらっちゃ困るのよ」と
つぶやくのです。
「あの子のせいで純平は死んでいったのだから。
年に一度くらいはつらい思いをしてもばちはあたらないと
思うの。だから、来年も再来年も来てもらうの。」
子どもを亡くした思いのぶつけ先の見つからない恨みが、
そのきっかけを作った相手に向けられているのです。

 その夜、ちょっとした異変が起こった。
墓参りから帰る坂道に、黄色い蝶が飛んでいた。
「冬になっても死ななかった白い蝶が、翌年、黄色く
なって戻ってくるのだそうよ」と母が良多に言ったその夜、
黄色い蝶が家の中に舞い込んできたのだ。
戸をあけて外へ逃がそうとする良多に母は「開けないで、
純平かもしれないから」と言う。
「純平よ、ついてきたのよ。」と思わず蝶を求めて
母は浮き足立つのでした。
なぜか蝶は遺影の前に静かに止る。
ただの蝶だよと、良多がつまんで外にだしてやるのですが、
家族の表情はどこかこわばっていたーーーー。

 母は良夫が昔の相撲取りに似ていると言い出します。
その相撲取りの名前をどうしても思い出せない
(相撲取りの表情を真似る樹木希林の顔がおかしい)。
帰り際、良多は急にその名を思い出すのですが、
すでにバスの中です。
良多はおもわず、「いつもちょっとだけ間に合わないんだ」 と
つぶやくのでした。
父と息子も入れて三人でサッカーを見に行く海辺での約束も、
母の夢だった息子の車で買い物に行きたいという
願いも、結局間に合わない。
 父母が次男一家をバス停で見送った後、石段を登って
家に戻る後ろ姿に、良多のナレーシヨンがかぶります。
父は3年後に亡くなり、母もその後、すぐに死んだと。 
映画は子どもが産まれ今は4人家族となった良多の
家族が墓参りをするシーンを映し、四人が墓からの帰り、
坂道を下る後姿と遠くに海が照りかえる映像で終わります。

 場所は三浦半島の湘南の海辺ちかくの高台の
町です。
(良多と恭平、あつしが散歩する浜辺に
漁船が傾いて横たわっているのをあつしが
指さす画面が印象的で、記憶に残ります。)
夏のお盆が過ぎてしばらくした頃なのでしょう。
高台から望む海がまぶしく、夏の高い空が鮮やかで、
庭の百日紅の花がきれいに咲いています。

 ギター(ゴンチチ)の短い旋律が画面を引き締め、時に
やわらげてくれます。



    Ⅱ

 この映画が小津安二郎の「東京物語」を意識しているのは
確かでしょう。
夏川結衣演じる良多の妻ゆかりのキャラクターは、
「東京物語」で原節子が演じた、戦争で亡くなった
次男の嫁を踏まえたものとみて良いかと思います。
「東京物語」では次男の嫁は、実の娘・息子たちが
上京した老夫婦をじゃけんに扱うなかで、ひとり
けなげに面倒を見るのでした。
この映画では次男の嫁であるゆかりが、実は物語全体を
見渡す役割を担っています。

 映画は夫婦の難しくなった間柄を背景に、死んだ長男への
思いと次男への愛情を縦横の糸として進みます。
母は良多が子づれのゆかりと結婚したことが不満なのです。
むろん、面と向かってゆかりにそんなことを言う母親ではない
のですが、映画の冒頭、良多家族が着く前に、母は娘のちなみに
ぼやくのでした(このYOUと樹木希林との母娘の掛け合いが
可笑しい)。

「前の亭主が死んでたった4年なのよ、早すぎるわ。
 死に別れよりも生き別れのほうが良いのよ。
 生き別れは相手を憎んで別れたのだから後腐れが
 ないけど、死に別れはどうしても比べてしまう。
 なにも子づれと結婚しなくても。」
「でも、良ちゃん、あまりもてなかったわよ」
「そんなことないわよ。中学の卒業式で
 制服のボタン全部無くなってたわ。
 下級生の女の子が列をつくったんだって。」
「いじめられてボタンなくしたんじゃないの。
 親の欲目ってすごいわあ。あたしも気を
つけよう。」

 墓からの帰り道、(ゆかりに聞こえないところで)
母は良多に言うのでした。
「あんたたち、子どもはどうするの。
 子どもが出来たら、別れられなくなるわよ。」
「普通は早く孫の顔がみたいというじゃないのかい。」
「だって、あんたらは普通じゃないもの。」
「今は(男が初婚、女が再婚という)こんな結婚は
 珍しくないよ。」

 良多に母親はパジャマを買ってくれたのに、
ゆかりやあつしには何の準備もしていません。
せめてあつしにはと、不満が顔に出るゆかりを
母の呼ぶ声がします。
母親がゆかりにあげるからと、昔の着物を
拡げるのでした。
「高いのでしょう」というゆかりに、「娘に大島つむぎを
あげたのにちっとも着てくれない」、ちゃっかりした
娘は「最近流行りのネットなんちゃらで売っちゃている
かもしれないからいいのよ」と、次々に箪笥から着物を
出してみせるのです。
「あなた、笑うとえくぼが出来るのね」
「えくぼといってももう若くはありませんから」
「女は幾つになっても愛嬌が大事なのよ」
と、会話ははずむのですが、母はふと振り返り、
ああ、そうだとなにげない口調で「あなたたち、子ども、
どうするの」と嫁に聞くのでした。
嫁は表情を変えず、「時間をかけて考えてみようかと
おもっています」と答える。
嫁はこの質問がいつか出されるだろうと予期しあらかじめ
答えを準備していたのでしょう。
母は「あつしくんのこともあるからーー。
赤ちゃん出来て、ぎくしゃくするかもしれないから、
やめておいたほうがいいわね。 残念だけど。」
と質問を打ち消すようにまた、箪笥へと向かうのです。
その母の背中を画面がじっと映し出します。
そこには息子への盲目的な母親の愛情を見つめる
作者の視線に、姑を見つめる嫁の視線が重なって
います。
映画は嫁ゆかりのここでの表情は映さずに次のシーンへと
進むのですが、母の言葉にゆかりが何を感じ取ったかは
明らかです。
表面的には次男の眼で母親を主人公として作られた映画ですが、
実は嫁の視線で作られた映画とも言えるのです。
夏川のふっくらとした肉づきを感じさせる背中は、
子を持つ母親の雰囲気を描くべく、
監督が減量ならぬ、体重を増やすことを指示した
成果なのだと、思います。
母としこの跡を継ぐのは、嫁のゆかりなのです。


    Ⅲ

 脚本にいろいろなものが詰め込まれていて、重くるしい
映画になってもおかしくない内容です。
母親以外の登場人物それぞれの視点もそのまま生きていて、
その視点を膨らませていけば、それぞれ一本の映画が出来る
くらいです。
監督によっては114分の映画はその倍近くになっていた
かもしれません。
編集も担当した監督はそれぞれのシーン、カットを
おもいきって切り捨てています。
日常を描くことは時に画面の緊張をゆるんだものに
しがちですが、この映画が最後まで快い緊張を持続するのは、
緻密な脚本、演出、撮影(山崎裕)、演技陣のせいも
むろんありますが、なにより編集が良いからだと思います。
編集がこの映画を引っ張っていっていると言って
いいでしょう。

 俳優の個性をよく考えた配役とその演技のアンサンブルが
楽しませてくれます。
樹木希林はこの映画を自分の代表作と誇れるでしょう。
幾つかの国内映画賞で彼女は「助演女優賞」を受賞しています。
良多が主役だから「助演」ということなのでしょう。
良多を中心に映画は進みますが、この映画が母親を主人公と
していることは明らかであり、主演女優賞とすべきです。
姉ちなみを演じたYOUと母親樹木希林の、母と娘の
会話は傑作です。YOUのちゃっかりして世間なれした
頭の良い娘ちなみの明るく高い声が、暗く重くなりがちな母親の
くぐもった声との二重唱になっています。
原田芳雄の重量級の存在感に、阿部寛の軽みのある演技も
光っています。「笑わない王子」とちなみが言っていた
息子あつしの田中祥平も暗い眼が生きています。
そんな中、夏川結衣が穏やかな中に品と芯の強さを
感じさせるゆかりをきれいに演じて印象に残ります。

 是枝裕和監督の作品を見るのはこれが初めてです。
他の映画は見ていないのですが、才能豊かなこの作家に
とっても、この映画は滅多に作れない優れた作品と
なっている気がします。
たまたまこの映画を見る前に、小林政広監督の
「歩く、人」を見ました。
同じように法事を機に家族が再会する映画で
父親役の緒形拳の雪道を歩く姿が印象的でした。
ひょっとしたら、この映画は小林作品から刺激を
受けたのかなという気もするのですが、考え過ぎ
でしょうか。


(引用したせりふは、印象と記憶によるもので
正確ではありません。)



翻訳について(2):「斑点」

2009年01月20日 00時14分27秒 | Weblog
 ヴェルフリンの「美術史の基礎概念」と言えば、
ルネサンスとバロックの個性の違いを集約した
五つの特徴が知られている。

 1:線的(線画的・彫塑的)と絵画的
 2:平面的と深奥的
 3:閉じられた形式と開かれた形式
   (構築的と非構築的)
 4:多数性と統一性
   (多数的統一性と単一的統一性)
 5:明瞭性と不明瞭性
   (無条件の明瞭性と条件付明瞭性)

 これらの中で分りにくいのが「絵画的」という
言い方である。
デューラーを「線画的」というのはまだ分るが、
ルーベンスやレンブラントが「絵画的」とは
どういう意味か。
特に、日本語訳では「絵画的」の説明の文章の
中で「斑点」という単語が眼につく。
例えば、こんな具合だ。

 「(略)初めにひとまずこう言うことができよう。
  線画的様式は線で見、絵画的様式は塊(マッセ)で
  見るのだと。(略)一方、塊で見ることが起こるのは、
  縁線が注意を引かなくなり、視線の軌道であった
  輪郭が眼にとって多少ともどうでもよくなって、
  斑点現象としての事物が印象を左右する時である。
  このような斑点現象が、色彩として現れようと、
  単に明暗として現れようと、この際、どちらでも
  よいのである。」(P30)

 「斑点現象」とはなんだろう?
手もとの国語辞典には「斑点」の説明として
「ところどころにある点。まだら。ぶち。」
とあった(岩波書店:国語辞典:1994)。
「斑点」という言葉はスーラとかシニャックの後期印象派の
点描画の手法を連想させる。
むろん、文脈から考えて、ゴシックを論じた文章の中で
印象派やその手法が出てくるはずがない。

 英語訳を書けば誰もが、「えっ」と驚くだろう。
英語では「patch」という訳が出てくるのだ。
引用個所の「斑点」と訳されている行の英語訳を
書いてみる。

 「and the primary element of the impression is
things seen as patches. It is here indifferent
 whether such patches speak as colour or only
lights and darks. 」(P18-19)

 辞書には「patch」の訳語として確かに「斑点」が
出てくる。

 1:つぎ、継ぎ接ぎ
 2:ばんそうこう、眼帯
 3:つけぼくろ
 4:班点(spot)、(不規則な)広がり(area)
5:(不規則な形の)小地面、畑
 6:断片、破片(scrap、bit), 残片(reminant)

などである(三省堂:カレッジクラウン英和辞典:1964)。
翻訳者は(英訳で言えば)4の意味から「班点」という
言葉を採ったのだろう。4には例文として「a patch of
brown on the skin」が挙げられている。「皮膚にある
褐色の班点」という訳である。
注意したいのは、「patch」でいう「班点」は、他の
訳語が示すように小さな「面」のイメージを伴う言葉
なのだ。
一方、国語辞典では「斑点」とは「ところどころに
ある点」として、「面」のイメージは乏しい。
「まだら」とか「ぶち」という言葉には、かすかな
「面」のイメージはあるとしても、「斑点」という
言葉は他の辞書でも「表面にまばらに散らばった、
点。」(大辞林)と「点」という形状を強調している。
想像で言えば、日本語の「斑点」という言葉があいまいな
翻訳であることが根本的な問題と言うべきなのだろう
(ちなみに点描画法は「pointillism」と訳される)。
明治期に点と面という性格の違う意味合いを「斑点」
というひとつの言葉で訳したことから、今回の混乱が
生じているとさえ言っていいかもしれない。

 日本語訳にもどって、「斑点現象」を「まだら現象」、
あるいは「ところどころにある点」と言い換えて意味が
通るだろうか。
むろん、通らない。
「patch」(に相当するドイツ語)を「斑点」と訳しては
「面」のイメージが伝わらないのだ。
ここは拙いながら、思い切って「小さな面」とでも
訳したほうがすっきりとする。

 「and the primary element of the impression is
things seen as patches. It is here indifferent
 whether such patches speak as colour or only
lights and darks. 」(P18-19)

 「印象を形作るものは主に小さな面となって見えて
  くるのだ。
  その小さな面が色彩として現れようと
  明暗としてあらわれようと、ここでは
  無関係である。」

スマートさに欠ける訳だが、意味は明らかであろう。
デューラー(ルネサンス期)を「線画的(linear)」と
いうのは絵を描く上で線が単位になっているという
意味であり、ルーベンスやレンブラント(バロック期)は
「小さな面」が絵画制作の(あるいは、作者の視覚上の)
単位となっていることを「絵画的(painterly)」と呼んで
区別しているのだ。
「斑点現象」では意味がとれず、読者は困惑する。

 前回の「関節の芸術」にしても、この「斑点現象」に
しても、翻訳者の苦労がしのばれる。
今回の翻訳を行った海津忠雄氏の師である守屋謙二氏の
訳した翻訳でも「斑点現象」という言葉が使われている
(岩波書店:1936年)。
ドイツ語はわからないが、きっと英語訳は分りやすさを
重視して、日本語訳は原語に出来るだけ沿った翻訳を
意識したものなのだろう。
守屋訳も海津訳も「斑点現象」という言葉に訳注を
設けていないことに、読者としては疑問を感じる。





「日本美術101 鑑賞ガイドブック」

2009年01月15日 08時25分06秒 | Weblog
 「日本美術101 鑑賞ガイドブック」という本を
購入した。
神林恒道、新関伸也編著。三元社。

 題名の示すように、101点の作品を紹介しているが、
作品鑑賞を通した日本美術史となっている。
美術史を斜めで見ているわたしがこの本を入手したのは、
直接には須田国太郎の「犬」が101点の中に含まれていた
ことだった。
「犬」は、須田の代表作として、教科書にも取り上げられて
いると聞いたことがある。
本を買ってから他のページを見て、おやっと思ったことが
幾つかあった。
一つは、「日本美術」とうたう中で、中国画が何点か
入っていることだ。
徽宗や牧けいである。
以前から明治以前の日本美術の「古典」は中国画であった
という印象をもっている。ちょうど現在の日本人にとって
印象派などの西洋絵画が大きな位置を占めるように、
中国画が当時の日本画家や絵を好む人にとっての
「古典」であった。
多分、このことは多くの人がそう思っている周知の
事実だと思うが、この本のように具体的に日本美術の
通史の中で取り上げているのは、嬉しいことだ。
もうひとつは、須田国太郎の位置である。
明治期の高橋由一に始まって、黒田清輝、藤島武二、
浅井忠と教科書的に続いて、昭和期に安井曽太郎、
梅原龍三郎と須田を並べている。
この3人を同格に取り上げた企画展(島田康寛)の
例もあったが、(わたしの眼にした限りでは)
美術史の中で具体的に須田をこのような位置に
置いた例はほとんどないように思う。
須田は独立美術協会に属していたとはいえ、
フォーヴィスムに位置づけるのは無理がある
だろう(そういう本もあるが)。
須田は当時の絵画の流れから孤立し距離がある
と見られるのが普通で、通史の性格上、その
扱いが難しい。
この本は美術史ではなく「鑑賞」用のガイドブック
だから須田をこの位置に置くことが出来たとも
言えるが、須田と並んで岡本太郎や長谷川潔を
選んでいるのも面白い。

 そのほか、書の森田子龍や割れる卵をリアルに描いた
上田薫が入っているのも嬉しい。

翻訳について(1):「関節」

2009年01月11日 20時34分42秒 | Weblog
 翻訳を読んでいて、時々意味不明の日本語に
出くわすことがよくある。
ヴェルフリン(1864-1945)の「美術史の基礎概念」も
読んでいて首をひねる個所が何ヶ所かある。
ドイツ語は知らないから英訳版をアマゾンで
買って、判らない個所を比べてみた。
(M.D.Hottinger訳:Dover Publication,Inc.)

 届けられた本はペーパーバックだから当然なのだが、
訳注がないせいもあり、日本語訳のハードカバーの
半分程度のページ数である。
それにしてもと、ちょっとため息が出たのは
題名の違いである。
「美術史の基礎概念」が英訳では「Principles Of
Art History」なのだ。
抽象的な言葉を苦労して翻訳した明治の先達には
悪いが、英訳の簡素で軽い言葉にうらやましいものを
感じた。
なお、原著は1915年に出版された。
英語版は1932年に訳され、日本語訳は1991年の18版を
使ったとある。
日本語訳に付いている出版の経緯説明(著作管理者の
13版序)を読む限り、1915年以降、大きな改訂は行われず、
版の違いは主に出版上の事務的な改訂にとどまっている、
ということらしい。
以下の文章は英訳も日本語訳も同じテキストを使っている
という前提での解釈である。
日本語訳は慶応義塾大学出版会から2000年に出版された
もので、翻訳は海津忠雄という方。

 英訳と比べて、えっと驚いたのは「序論」(p.14)の
「建築はールネサンスは最高にそれであったのだがー
関節の芸術であることをやめる。」とある「関節」と
いう単語である。
以下の訳文を読んで、一度に理解できる人がいるだろうか。

 「建築はールネサンスは最高にそれであったのだがー
  関節の芸術であることをやめる。かつて最高の自由の
  印象を生むのに役立っていた、建築本体の徹底的な
  分節が消滅し、ほんとうの独立性をもたない部分の
  寄せ集めとなる。」

 ルネッサンスでは「個々の部分はそれぞれ全体に
いかにしっかりはめ込まれていても、常になお独立した
ものであることを主張する」(p22)という作者の見解を
よく承知している人は、人体の関節に喩えているのだと
理解できるかもしれないが、「関節の芸術」という日本語は
不自然で無理がある。
 英訳を読めば、簡単だ。

 「Architecture ceases to be what it was in the
Renaissance, an art of articulation, and the
composition of the building, which once raised
the impression of freedom to the highest pitch,
yields to a conglomeration of parts without
true independence.」

  英訳では「関節」を「articulation」という言葉に
している。
英語に親しんだ人なら、この単語で、ああ、そういう
意味かと文章全体を理解するはずだ。
「articulation」に身近な訳語を当てれば、活舌
(かつぜつ)のことである。
英会話の例で言えば、アメリカ人同士が早口で話している
ように聞こえる会話も実際は単語のアクセントを踏まえ、
単語と単語との間にあるかすかな隙間を活かした話し方を
している。
この点を無視して日本人が同じテンポで英語を話しても、
しばしば、意味は通じなくなってしまう。
この言葉のひとつひとつを大事にすることを「articulation」
という。
引用個所の後半に「建築本体の徹底的な分節」とあるが、
「articulation」の言語学上の訳語として辞書に挙げられている
のが「分節」である。
ドイツ語ではどんな単語が使われているのか興味深いが、
それにしても「関節」とはすごい日本語を持ってきたと
思う。
辞書を引くと、確かにarticulationには、上記の意味のほかに、
生物学の用語として「関節結合」という訳語があるし、
articulate animalで関節動物という例も見える。
しかし、上記の文脈で「関節」と訳した翻訳で
意味を自然に受け取れるだろうか。
誤訳とは違うが、読者に親切な仕事とは言えない。

 「建築本体の徹底的な分節」という訳も理解できない。
英訳では「the composition of the building」であり、
そのまま訳せば「建物の構成」である。
「本体の」とか「徹底的な分節」という訳はどこから
来るものか。意訳としても、意味が通じるとはおもえない。

 翻訳者を弁護すれば、実は同じページの引用個所の少し
前にも「関節」という言葉が使われている。

「(ルネサンスでは)すべての形が完結した実存として
 見えるように作り上げられる。関節が自由に動くようであり、
 すべての部分が独立して呼吸するようである。」

 英訳はこうだ。

「Every form developed to self-existing being, the whole
freely co-ordonated: nothing but inndependently living
parts.」

 「関節」とか「呼吸」という生物学的な単語は英訳には
見えない。恐らく原著でもそうなのだろう。
ルネサンスの特徴を人体に喩える説明は翻訳者の意訳と
思われるが、この引用個所ではよく理解できる翻訳に
なっている。
さらに先にあげた引用の一行前にこういう文がある。

 「塊量、重厚で分節の不分明な塊量が運動を始める。」

 「The masses,heavy and thickset,come into movement.」

英訳には「分節の不分明な」という個所は見当たらないから、
ここも(推定では)翻訳者の意訳であり、その後の
「関節の芸術」を導くための布石なのであろう。
 想像で言えば、翻訳者は「articulation」(に相当する
ドイツ語)の訳に呻吟し、その前の個所に原著の表現から
やや離れた自由な生物学的な訳語を使い、その直前には
言語学上の訳語を予め挿入しておくことで、「関節」という
訳に活路を見出したのだろう。
翻訳者の苦労が見えるようだ。
しかし、文章を読んでいけば、その布石は必ずしも
十分とはいえず、「関節の芸術」という言葉に
困惑してしまう。
ヴェルフリンの文章は翻訳で読んでも、直感的・感覚的で、
感性が先行しているような文体である。
難解な表現は使わず、簡単な言葉で書かれているように
見えるが、作者個人の思い込みの強い個所も少なくないようだ。
一般に、研究者の翻訳は、原典の言葉使いやその言語特有の
言い回しなどを活かそうとする姿勢が見える。
そういう配慮からあまりに自由な意訳となることを避けるなら、
この個所の場合は、なんらかの訳注で補足したほうが
良かったのではないかと思われる。   

以下に拙訳を参考までにあげておく。

 (建築はルネサンス期においてそうであった
  ところの『(全体の中の)個々の部分のあり方を
  重視する』芸術ではなくなったのであり、建物の
  構成はかつては自由の印象を最高度に高めた要素で
  あったが、(バロックでは)ほんとうの意味での独立性を
  もたない、部分の寄せ集まった形へと変っている。)
 




顔(続)

2009年01月05日 19時02分05秒 | Weblog
 TVをつけたら、吉本隆明の顔がアップで
写った(NHK教育TV:ETV特集)。
壇上で講演をしているのだが、上を見て
手振りを交えてとつとつと、しかし、熱心に
話していた。
吉本隆明をTV画面で見るのはこれが初めて
だった。
都合でところどころしか見られなかったが、
もとよりこの人の良い読者ではなく、その
著作で読んだことがあるのはほんのわずかだから、
ただ、顔を見つめるだけだった。

 すぐに、わたしの母親とどこか似ていると思った。
母親は脳梗塞で倒れ、入院している。
85才である。
気休めと知りながら体をもむと
手に異臭が残った。
吉本は83才だという。
母と同年代と言っていい。
頬のこけた母と違い、若い頃からの
特徴である頬骨と強い眼の力に変わりはないが、
どこか似た印象を受けるのはそのせいだろうか。

 気になったのは、常に上を見て話すことで、
話をする上での癖なのかもしれないが、
首の筋肉になにか問題があるのかもしれない。
カメラが下がると車椅子に座っていた。
番組で一番印象的だったのは、最後に自宅で
部屋に戻っていくときの歩き姿で、この人は
もう背中を伸ばすことができず、前かがみに
腰をかがめて歩く様子がはっきり分かった。
老いとは、老いを生きるとはどういうことかを
吉本は書いていたと思う。
自分の老いの姿をありのままに見せることも
自分の課題だと言っている気がした。