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( by 後藤 純一/めるがっぱ )

須田ノート:「京都の仏像」

2009年12月22日 07時14分09秒 | Weblog
 須田国太郎の資料を探して、古本を多く購入した
一年だった。資料は資料だから、読んでも読書とは
言えない読み方だ。
その中で、これは良い本を入手したと思うのが、
「京都の仏像」「続京都の仏像」という本である。
もとは京都新聞の夕刊に連載されたもので、
京都新聞社編集局編として昭和31年、32年に
河出書房から河出新書として出版された。
京都にゆかりの有名人が好きな仏像の写真に
短い文章を寄せたものである。
机の上において、時々気ままに開いて
写真を眺め、文章を読んでいる。
湯川秀樹、吉川幸次郎、貝塚茂樹という大学人から
千 宗室、金剛 巌、吉井 勇、溝口健二、長谷川一夫
という名前が並んでいる。
題名どうり薬師如来や千手観音など多くの
仏像が選ばれているが、中には上田秋声像や
西行法師像、さらにはエジプトの婦人像や
ロダンのアダム像を選んだ人もいる。
須田国太郎は「ふくれの乙(おと)」という狂言に
使われるおかめの面と、快慶作の迦葉(かしょう)像(
大報恩寺)について書いている。

 おかめの面について一部を抜き出すと、こう書いている。
能狂言の舞台を見て何千枚というデッサンを残した須田
らしい感想だ。

「私の友人が壬生狂言の土産に鬼の面を買って帰って
彼の幼児に見せたことがあった。恐がるかと思うと
一向左に非ずでいじくっていたが、それを親父がかぶって
みせると、とたんに子供は泣き出したのである。それを
外すとまた機嫌が直るのであった。この事実からも
面の表情が面だけに限られず、手足、体全体の仕ぐさに
表情があることがわかるのである。だからこの乙の
面をかむって泣くこともあれば、怒ることも可能なので
ある。もっと突込んでいうと面の付け方だけによっても
同じ面が違った表情を示すのである。」


 迦葉は釈迦の弟子のひとりだという。
須田は「鎌倉時代の彫刻は全く新しい写実的な
発展を遂げたことにおいてわが彫刻史上最も
輝かしい実績を残したのであった。」として
次のように書いている。

「迦葉のような形式に制約される仏、菩薩とちがって
一個の人間像としての瞬間的な表情、それは特に
激情というのではないかもしれない。何かいいたげな、
仏弟子としての行いすました聖者の日夜頭陀(ずだ)
の生活の一瞬を深くとらえようとしているのである。」

 怖い顔である。釈迦の弟子という温和な印象の
ものではない。立体的な造形の顔立ちで、内面に
激しいものを抱えて自分とぶつかってきた葛藤が
目鼻をごつごつした岩に変えたような顔だ。
短文だからということもあるが、須田の文章は
いつも肝心な部分は言葉にしないのである。
いつか大報国寺を訪ねてみようとおもう。