原稿の手直しをしていて、急に調べたいことが出来た。
小さなことなのだが、原稿が留って前に進まない。
かといって、そのためだけに竹橋まで新幹線で出かける
わけにもいかない。そこで、愛知芸文センターのアート
ライブラリーを訪ねた。
竹橋のライブラリーが資料館であるのに、ここのは図書館という
性格が強い。開架を見ていくと、おもわぬ本を見つける楽しみが
ある。こういう施設があるとはありがたいことだ。
調べものが済んで、久しぶりに愛知県美術館を覗くことにした。
以前は常設展をこまめに見ていた。
須田の原稿を書き始めて、どんどん興味の視野が狭まり、
美術館になにげなく入ってみることがなくなった。
「渡辺崋山展」の最終日とあり企画展を見ることにした。
渡辺崋山に興味はあるが、まだ須田への関心が強く、
気持ちを拡げて他の画家をじっくりと見る気になれない。
密度の濃い画を描く人と思いながら、それ以上に
興味が前にいかない。
会場の一角から、急に明治以降の絵画になった。
崋山を西洋絵画吸収の原点と見て、日本の絵画が
どんな風に展開していったかという企画らしい。
それはそれで分かる。
そして、そこに須田国太郎の絵があった。
渡欧経験のある画家の、滞欧時と帰国後の
作品を一点づつ並べているコーナーである。
安井曽太郎、里見勝蔵、野口弥太郎、小出楢重らと
一緒に須田の2点が並んでいた。
スペイン時代の「風景(ポンテヴェデラ)」(1920)と
戦後に描いた「樹下」(1954)だった。
「樹下」は「窪八幡」を描く前年に描かれた作で、太い樹木の下で
ヤマアラシ?が二匹、木の根っこをかじっている絵だ。樹木と
小動物は黒で描かれ、一匹の眼が赤く光っている。
最近、TVの番組で「無茶ぶり」という言葉を覚えた。
生放送のヴァラエテイなどで、無理な進行を押し付け
られる様子を笑いとして説明した言葉とでも言えば
よいのだろうか。
須田の2枚が並べられている様子に、この言葉を
思い出した。滞欧期の作品といっても「風景」は
若描きとでもいうべき作で、当時を代表させる
のはちょっと苦しい。
帰国後作品もそうだ。
生涯、次々にスタイルを変えていった須田を、
晩年に近い「樹下」で代表させるのが適当か、ちょっと
判断が難しい。
しかし、こういう指摘こそ、実は「無茶」なのだ。
その美術館や企画展で展示できる品点には限りが
ある。須田作品を3点保有している愛知県美術館
ならばこそ、滞欧期作品と帰国後作品に須田
の絵を取り上げることが出来る仕事である。
東京に数多い美術館で、須田の絵を保有している
ところは皆無に近い。大原美術館や石橋美術館、
ひろしま美術館という日本の近代絵画を多く
展示している美術館でも須田作品は一点づつ
くらいしかないのだ。
安井や小出らと並んで須田作品を選んでくれた
ことを多とするべきだろう。
実は愛知県美術館で「樹下」を見るのは
これが初めてだった。
上記の2作品は2005-06年の回顧展に
展示されていたが、なぜか、地元の県美術館で
眼にする機会がこれまでなかった。
回顧展以来、初めての展示とは思えないから、
多分、すれ違いだったのだろう。
ようやく「樹下」をまた見る機会が、と
おもったが、それは最終日だった。
絵を見ることにはいつもこういう偶然性が
つきまとう。