あなたと夜と音楽と

まあ、せっかくですから、お座りください。真夜中のつれづれにでも。
( by 後藤 純一/めるがっぱ )

須田ノート:「樹下」

2010年07月12日 21時24分19秒 | Weblog
 
 原稿の手直しをしていて、急に調べたいことが出来た。
小さなことなのだが、原稿が留って前に進まない。
かといって、そのためだけに竹橋まで新幹線で出かける
わけにもいかない。そこで、愛知芸文センターのアート
ライブラリーを訪ねた。
竹橋のライブラリーが資料館であるのに、ここのは図書館という
性格が強い。開架を見ていくと、おもわぬ本を見つける楽しみが
ある。こういう施設があるとはありがたいことだ。
調べものが済んで、久しぶりに愛知県美術館を覗くことにした。
以前は常設展をこまめに見ていた。
須田の原稿を書き始めて、どんどん興味の視野が狭まり、
美術館になにげなく入ってみることがなくなった。

 「渡辺崋山展」の最終日とあり企画展を見ることにした。
渡辺崋山に興味はあるが、まだ須田への関心が強く、
気持ちを拡げて他の画家をじっくりと見る気になれない。
密度の濃い画を描く人と思いながら、それ以上に
興味が前にいかない。
会場の一角から、急に明治以降の絵画になった。
崋山を西洋絵画吸収の原点と見て、日本の絵画が
どんな風に展開していったかという企画らしい。
それはそれで分かる。
そして、そこに須田国太郎の絵があった。
渡欧経験のある画家の、滞欧時と帰国後の
作品を一点づつ並べているコーナーである。
安井曽太郎、里見勝蔵、野口弥太郎、小出楢重らと
一緒に須田の2点が並んでいた。
スペイン時代の「風景(ポンテヴェデラ)」(1920)と
戦後に描いた「樹下」(1954)だった。
「樹下」は「窪八幡」を描く前年に描かれた作で、太い樹木の下で
ヤマアラシ?が二匹、木の根っこをかじっている絵だ。樹木と
小動物は黒で描かれ、一匹の眼が赤く光っている。
 最近、TVの番組で「無茶ぶり」という言葉を覚えた。
生放送のヴァラエテイなどで、無理な進行を押し付け
られる様子を笑いとして説明した言葉とでも言えば
よいのだろうか。
須田の2枚が並べられている様子に、この言葉を
思い出した。滞欧期の作品といっても「風景」は
若描きとでもいうべき作で、当時を代表させる
のはちょっと苦しい。
帰国後作品もそうだ。
生涯、次々にスタイルを変えていった須田を、
晩年に近い「樹下」で代表させるのが適当か、ちょっと
判断が難しい。

 しかし、こういう指摘こそ、実は「無茶」なのだ。
その美術館や企画展で展示できる品点には限りが
ある。須田作品を3点保有している愛知県美術館
ならばこそ、滞欧期作品と帰国後作品に須田
の絵を取り上げることが出来る仕事である。
東京に数多い美術館で、須田の絵を保有している
ところは皆無に近い。大原美術館や石橋美術館、
ひろしま美術館という日本の近代絵画を多く
展示している美術館でも須田作品は一点づつ
くらいしかないのだ。
安井や小出らと並んで須田作品を選んでくれた
ことを多とするべきだろう。

 実は愛知県美術館で「樹下」を見るのは
これが初めてだった。
上記の2作品は2005-06年の回顧展に
展示されていたが、なぜか、地元の県美術館で
眼にする機会がこれまでなかった。
回顧展以来、初めての展示とは思えないから、
多分、すれ違いだったのだろう。
ようやく「樹下」をまた見る機会が、と
おもったが、それは最終日だった。
絵を見ることにはいつもこういう偶然性が
つきまとう。




「移動祝祭日」(続)

2010年07月01日 23時23分38秒 | Weblog
 この本はヘミングウエーの遺作であり、死後に
出版されたものだという。
幸せな回想録という印象は、この事実からちょっと
ゆがんだものに変る。
(ヘミングウエーの死は猟銃での自殺であったが、
この遺作に死への予感は感じられない。)
 この文章を素直に読めば、最初の夫人への
離婚を悔いる遅すぎた恋文のような内容だ。
二度目の夫人との結婚を(そういう書き方は
していないが)事実上、後悔した文章に
なっている。しかも、この本を書いている作者は
既に三度目の結婚生活をおくっているのだ。
単純に考えれば、三度目の夫人ともうまくいっておらず、
その行き詰まりがこの本を書かせた背景のひとつと
見ることが出来る。

 気になったのはスコット・フィッツジェラルドと
その妻について書かれた文章が、長すぎることだ。
G・スタインからエズラ・パウンドやジョイス、そのほか
有名・無名の人との交遊を作者は書いている。中には
明らかにヘミングウエーの悪意を感じさせるものもある。
繊細でプライドの高い人だったようだから、交遊の中で
傷ついた記憶は何十年経っても鮮明に覚えていたのだろう。
フィッツジェラルドとの交遊も眼に見えない傷が
積み重なっていくようなものだったのだろうか。
少なくとも、その文章からはそういう気配は
伺えない。
だが、それにしては、作者の描くフィッツジェラルド像には
ひどくいびつなものがある。
実際、フィッツジェラルドという人物がヘミングウエーの
描いたとおりだったとして、何十年も経った後に、
これだけページを割いて克明に書く内容とは思えない。
さりげなく短い文章にまとめて、次の話題に
進むことは出来なかったのだろうか。
あるいは、ヘミングウエーという作家を考えるヒントが
こういう所にあるのかもしれない。

新潮文庫。高見浩訳。