あなたと夜と音楽と

まあ、せっかくですから、お座りください。真夜中のつれづれにでも。
( by 後藤 純一/めるがっぱ )

須田ノート:回顧展

2012年01月24日 23時22分53秒 | Weblog
 須田国太郎の展示会を調べてみると、大体5-6年に一度の頻度で、
まとまった規模の展示がコンスタントに開かれて来ていることがわかる。



遺作展 1963年 京都市美術館 東京国立近代美術館

須田国太郎・村上華岳展 1966年 岡山総合文化センター

13回忌展 1972年 梅田近代美術館

須田国太郎展 1977年 広島県立美術館

須田国太郎展 1978年 小田急百貨店

須田国太郎展 1981年 京都国立近代美術館

小林和作・須田国太郎展 1985年 山口県立美術館

生誕100年記念 1991年 日本橋・高島屋ほか

光と影のリアリズム 1992年 大津市歴史博物館

梅原隆三郎・安井曽太郎・須田国太郎展 1994・1995年 大丸・京都店ほか

検証「筆石村」 1996年 静岡県立美術館

須田国太郎展 2001年 蘭島閣美術館

須田国太郎展 2005・2006年 京都国立近代美術館ほか




そして、今年の須田展へと繋がる。
上記以外にも、奈良・中野美術館、伊東・上原近代美術館、銀座・日銅てい
画廊の小規模ながら充実した展示が開かれている。
 高い評価を受けながら暗い画風で人気に広がりがないと言われがちな
須田国太郎だが、(調べたわけではないけれど)梅原、安井と比べて遜色のない、
むしろ両者をしのぐ頻度で展示会が開かているのかもしれない。



藤原良経

2012年01月23日 21時41分40秒 | Weblog
 時々、あっと驚く本を見つける。
おおげさかもしれないが、藤原良経の歌集を本屋で手に取った時は
ちょっと感動するものがあった。
小山順子「藤原良経」(笠間書院:コレクシヨン日本歌人選027)
である。正確には、歌集ではなく、良経の代表作に選者の感想を寄せた
ものだが、知る限り、良経の歌を集めた本はこの本が唯一では
あるまいか.
良経の歌はむろん、新古今や千載集で読めるとしても、
歌集「秋篠月清集」は大手出版社の古典文学大系の中でも取り上げられて
おらず、読もうとすると分厚い「国歌大観」を探すしかないのだ。

良経という歌人が世間であまり知られていないことに、不思議な
感じがある。
この歌人が新古今和歌集と結びついて語られることが多く、新古今
というと人工的で面白みのない歌集というレッテルから
積極的に論じられることのないまま、現在に至っている気がする。
塚本邦雄以外、この歌人を取り上げた現代の詩人はいない。
良経についてはいつか、短い文章でも、書きたいと思ってきた。
この数年来、源氏を読んでいるのも、良経について書くための下準備
である。





2012-13:須田国太郎展

2012年01月20日 18時35分41秒 | Weblog
雑誌「美術の窓」2月号に、須田国太郎展が
予定されているとあった。



1:「須田国太郎展 珠玉の上原コレクシヨン」

  会場:上原近代美術館(伊豆・下田)
  期間:2012年12月5日ー2013年3月13日



2:「須田国太郎展 没後50年を顧みる」

   2012年4月7日ー5月27日:神奈川県立近代美術館 葉山

     7月21日ー8月26日:茨城県近代美術館 水戸

     9月1日ー10月14日:石川県立美術館 金沢

    10月20日ー11月25日:鳥取県立博物館 鳥取

    12月1日ー2013年2月3日:京都市美術館 京都

     2月15日ー4月1日 :島根県立美術館 松江


 「1932年の初個展出品作や独立美術協会出品作などを中心に、
  風景や草花、鳥や動物などを描いた主要作品約130点で構成」
  される由。
 


  

須田ノート:須田国太郎の本

2012年01月15日 23時18分12秒 | Weblog
 先日、本屋である本が眼をひいた。
ある作家の文章を集めたもので、A5版でかなり分厚い
本である。恐らく5-600ページあったのでは。
興味深かったのは、その本は(間違っているかもしれないが)
作家が自選したものではなく、その作家のファンである
編集者が代表作を選んで出版したらしいことだ。
聞いたことのない出版社であり、むろん、作家の承諾は
得たにせよ、随分思い切った本を出したものだと、唸った。
人気のある作家とはいえ、すでに多くの本が大手の出版社から
出ており、あれだけのボリュームの本を新規に購入する読者が
多いとは思えなかった。
事情はよくわからないが、編集者(出版社社長?)の
個人的な思いがあの本を作ったのだと思えてならなかった。
想像で言えば、きっとその作家の本を作るのが夢だった
のではなかったか。

 世の中には本マニアとでもいうべき、本好きな人が
いる。わたしにそういう趣味はないけれど、個人的に
夢想する本がある。須田国太郎の書いた文章から
代表作と思われる文章を集めて、新に本に出来たらと、
時々考えるのだ。
 須田国太郎にはすでに「近代絵画とレアリスム」という
遺稿集がある。須田が1961年(昭和36年)に亡くなった
あと、河北倫明が編纂し1963年に中央公論から出版され、
現在も入手可能である。
河北のあとがきには、原田平作(当時、京都市美術館)
が「文献調査」にあたり、富山秀男(当時、国立近代
美術館)が掲載論文の選択にあたったとある。
(原田作成の須田の文献目録はこの時の作業が
元になっているとおもわれる。)
 この本の存在は大きい。
死後の須田国太郎像の少なからぬ面がこの本に納められた
文章(の幾つか)から説き起こされている。

 「須田国太郎 絵画を読む」でも書いたが、現在の
時点で振り返ってみると、その文章の選び出しにもっと
違う選択がありえたのでは、と思う。
 拙著では、戦争期の須田の苦渋の表情が伺える
「芸術統制に応じて」(1941)が入っていないのは、
戦争の記憶がまだ濃かった出版当時はやむを
えなかっただろうとして、次のように書いている。

「戦前、戦争期の文章には、「新たに見出されたる
美の諸相」(1930)、「色彩」(1932)、「冬山の
佇まい」(1935)、さらに須田の文明史論ともいうべき
「東西両洋芸術の相互理解」(1941)やインドでの
体験を述べた「アジャンター壁画への追憶」(1943)
など、論文集に選ばれてもよかったのではという
ものが少なくない。」

 他にもなぜ入ってないのかと思う文章が、
少なからずある。
むろん紙数に限界があるのだからと思いながら、
あの本は須田の美術史家の面が強調されすぎてるのではと
いう気がする。
須田の文章に眼を通してみると、須田の文章世界には
様々な面があり、もっと人間的なものが見られる。
もし須田の選集を新たに本に出来たら、それは
須田国太郎の再評価に直結していくだろう。

 須田国太郎は美術史のうえで孤立しており、その画業に
幅広い関心が寄せられているという画家ではない。
人気作家でもなければ、画家の書いた文章が本になること
自体、まれである。須田の文章をあらためて編纂し、
本にしようという動きを期待するのは、わたしが生きて
いる間には無理な話であろう。
それだけにいつか、須田の選集を本に出来たらと
夢想するものがある。







須田ノート:執筆リスト

2012年01月15日 21時59分20秒 | Weblog
 「須田国太郎 絵画を読む」に、須田国太郎が
活字として残した文章の一覧を参考資料として
添付した。
「須田国太郎執筆リスト」と題している。
 須田の文献目録には原田平作が1975年の須田画集で
作成したものがあり、その後、平野重光が一部を
追加したものを1992年の画集で発表した。
以後20年、須田の文献一覧としては、この92年の
目録が利用されていると言っていい。
(わずかに、1994年の図録で石井亜矢子が新に
見つかった文章を幾つかまとめている。)
 
 原田・平野の目録と今回作成したものとは、作成の
手順が違う。
原田・平野目録は須田家の遺品からまとめたものが
その骨格となっていると、断言してよいかと思う。
几帳面な性格であった須田は、自分の文章が
掲載された新聞や雑誌を残しておいたのであろう。
 今回のリストは、実は古雑誌の発注リストから
始まった。
原稿執筆の途中、須田の文章の載った古雑誌を
ネットで注文していた。雑誌の点数が増えるに従い、
二重に発注しかねないと、それまで入手した雑誌と
文章のメモを取り始めた。やがて、各地の図書館で
眼にしたものも反映させ、それが結果として、先人の
仕事を更新する形となった。

 更新というのは正確ではないかもしれない。
「執筆リスト」では、目録にありながら所在を確認
できなかった文章と、目録に見当たらず新規に確認
できた文章に印をつけている。
原田は美術関係のものだけに絞って記載したと、目録の
末尾に書いている。「新規」と印をつけた文章も、
あるいは遺品のなかに残っているものが幾つかある
かもしれない。
しかし、「構図について」(1949)など、須田研究の上で
もっと知られてよいと思われる文章の幾つかが目録には
見当たらない。
目録から外された美術関係以外の文章も、須田国太郎の
人物像を再評価する研究を進める上で、基礎的な資料と
思う。
遺品が公開されていない現状からも、今回のリストが
今後の研究の一助になってくれれば、嬉しい。

 本を出してから新に見つけた須田の文章が
幾つかある。
本の改訂版を出す機会が来るかどうかは分らないので、
メモとして、このブログに少しづつ書いていこう。


 

須田ノート:スペイン学

2012年01月11日 23時31分58秒 | Weblog
 「スペインを訪れた日本人」という本を見つけた
(行路社:2009)。
著者は坂東省次という方(京都外国語大教授)。
 幕末・明治以降、スペインを訪ねた日本人21人について
そのスペインとの関わりを記述したもので、須田国太郎が
そのうちの一人として取り上げられている。
スペイン学に携わる人の著書でこれまで須田を取り上げた例が
見つからず、不思議にも不満にも思っていた。
違っているかもしれないが、スペイン学の研究者が
須田を取り上げたのはこの本が最初かと思う。
 執筆中、須田の前にスペインを訪ねた日本人を調べて見たが
あまり資料が得られず、言及を諦めた。この本を知って
おれば、少し書けたかもしれないと残念におもう。

 21人の中で須田と同時代あるいはその前後にスペインを
訪れたとして、美術関係では吉田博(1906年)、川島理一郎
(1915、1930、1931)、木下杢太郎(1924)が取り上げられ
ている。いずれも一ヶ月単位の旅行であり、須田のように
3年8ヶ月(1919-1923)という期間、スペインに腰を
据えたという例は見当たらない。
本書では取り上げられていないが、須田の前後にスペインを
旅行で訪ねた画家は少なくない。金山平三、石井柏亭、黒田
重太郎、児島善三郎、里見勝蔵などがすぐに浮ぶ。
他にも多数いる筈だ。
しかし、須田のようにスペインに居を構えたという
画家は、この時代にはいなかったのではあるまいか。

 スペイン学の研究者で須田に言及した例の少ないのは
ある意味、やむを得ない。須田はスペインについて
ほとんど文章を残していないからだ。
しかし、公開された日記と滞欧期の絵がある。
スペイン学の立場から、須田のスペイン体験を
検証してみる研究を期待したい。