1957年(昭和32年)に須田国太郎は病に倒れた。
年譜によれば、一時は回復するが、同年12月に再入院し、
以降4年間の入院生活がその死まで続く。
「しかし、病床にあっても制作意欲は一向に
衰えることなく、特製の画架をつくらせてベッドに
伏したまま制作するという痛ましい日々であった。」
(島田康寛「近代の美術57」p73)
図録の年譜などに当時の写真が残っていて、ベッドで横に
なったまま絵に向う様子が映っている。病床でなお絵に
向う須田の姿は画家の執念をおもわせる。
*
細かなことだが、この「特製の画架」は、須田が
松江の山中を訪ねたときに見たものがヒントになった
という説がある。
山陰中央新報が1992年に連載した「須田国太郎 その
生涯と藝術」にこんな記載がある。
「 戦後まもなくカリエスを患い、三年間寝たままで
絵を描いてきた山中さん。病床を見舞った須田は、
あお向けになって、胸の上にキャンバスを固定して
描くそのスタイルに、とても関心を示したという。
それがヒントになったのか晩年、病に倒れた
須田は、山中さんと同じスタイルで寝たまま
描き続けた。」
(同紙:1992年2月25日)
山中の談話に基づく記事だが、それなりに説得力を
持つ。「特製の画架」が作られた経緯に触れた須田論は
他に見当たらない。
須田の執念を思わせる「特製の画架」の背後に
松江の山中を見舞った記憶があったとすれば、
それはそれで興味深い。
年譜によれば、一時は回復するが、同年12月に再入院し、
以降4年間の入院生活がその死まで続く。
「しかし、病床にあっても制作意欲は一向に
衰えることなく、特製の画架をつくらせてベッドに
伏したまま制作するという痛ましい日々であった。」
(島田康寛「近代の美術57」p73)
図録の年譜などに当時の写真が残っていて、ベッドで横に
なったまま絵に向う様子が映っている。病床でなお絵に
向う須田の姿は画家の執念をおもわせる。
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細かなことだが、この「特製の画架」は、須田が
松江の山中を訪ねたときに見たものがヒントになった
という説がある。
山陰中央新報が1992年に連載した「須田国太郎 その
生涯と藝術」にこんな記載がある。
「 戦後まもなくカリエスを患い、三年間寝たままで
絵を描いてきた山中さん。病床を見舞った須田は、
あお向けになって、胸の上にキャンバスを固定して
描くそのスタイルに、とても関心を示したという。
それがヒントになったのか晩年、病に倒れた
須田は、山中さんと同じスタイルで寝たまま
描き続けた。」
(同紙:1992年2月25日)
山中の談話に基づく記事だが、それなりに説得力を
持つ。「特製の画架」が作られた経緯に触れた須田論は
他に見当たらない。
須田の執念を思わせる「特製の画架」の背後に
松江の山中を見舞った記憶があったとすれば、
それはそれで興味深い。