銀座の白銅てい画廊が須田国太郎の「男の首」を
展示している。
汚れがひどく廃棄されかけていたものを引き取り、
修復したのだとか。
ほとんど知られていなかったこの絵が
復活?したのを喜びたい。
この絵は京都新聞社の画集にもなく、
須田の日記にも出てこない。
しかし、薄い光のなかからぼんやりと存在感が
浮かび上がってくる画風に須田のオリジナルな
個性を感じさせる1点である。
推測だが、おそらく欧州から帰国後、一人で
研鑽を積んでいたころの作ではあるまいか。
「人体習作」(1925:上原美術館蔵)と、その
薄暗がりを基調とした作風に共通したものを
感じさせる。
世の中にはまだまだ知らない須田の絵が
ある気がする。
展示している。
汚れがひどく廃棄されかけていたものを引き取り、
修復したのだとか。
ほとんど知られていなかったこの絵が
復活?したのを喜びたい。
この絵は京都新聞社の画集にもなく、
須田の日記にも出てこない。
しかし、薄い光のなかからぼんやりと存在感が
浮かび上がってくる画風に須田のオリジナルな
個性を感じさせる1点である。
推測だが、おそらく欧州から帰国後、一人で
研鑽を積んでいたころの作ではあるまいか。
「人体習作」(1925:上原美術館蔵)と、その
薄暗がりを基調とした作風に共通したものを
感じさせる。
世の中にはまだまだ知らない須田の絵が
ある気がする。