4月、5月で色々なものをみた。
○淺井裕介さんの絵
冷泉荘に滞在している時福岡市内各所で「DESIGNING?展」というものが開催されており、冷泉荘は淺井裕介さんを招待作家として迎え、参加していた。
淺井さんは色々な場所にマスキングテープを貼り、その上から絵を描いてゆく「マスキングプラント」というものを作られている方だと思っていたけれど、今回は冷泉荘や大名の色々な場所の壁に、ピンクのガムテープで植物を描いていた。先日までインドネシアで作品を作られていたそうでその時の画像を見せてもらったら、現地の泥を数色使って、体育館みたいなところの床と壁に、すごく大きな絵を描いていた。とても呪術的で、迫力があった。展示期間が終わったら、はがしたり洗い流したり、後には残らない。
冷泉荘に3日程滞在されていて、何気なく屋上に行ったら、淺井さんがたったひとりで壁に絵を描いている。誰かが見ているとか、何かのためとか、そういうことは全く関係なく、絵を描くこと、ただ純粋にそれだけなんだろうなぁと思った。絵を描いたり作品を作ることで、結局は自分がどう見られたいか、とかいうことがその先にある人も多くいる。けれど淺井さんは彼自身が「描く」という行為そのものみたいだった。だからすごく存在自体がすごく真摯で自由に感じた。
○上杉満代さんの舞踏
冷泉荘滞在中、たまたま会場に来られた方に誘われて、上杉満代さんの「マドモアゼル・メランコリア」という舞踏をみに行った。上杉満代さんのことは今回初めて知ったのだけれど、暗黒舞踏の大野一雄の一番弟子といわれる方であるらしい。会場に入ると、既に舞台上に黒いサングラスをかけて椅子に座る上杉さんがいる。会場は超満員で、最後の一人が席に着くまでのかなりの時間、ずっとこちらに無言のまま張り詰めた気配を投げ掛けている。暗転して音楽が鳴り始めると、少しずつ少しずつ関節を動かし、サングラスとコートをとる。サングラスをとった上杉さんの顔は何か人間ではないみたいだった。
観客のほとんどは彼女がどういう舞踏家なのかを存分に知り、その上杉満代を見に来ているのが伝わる。そんな中自分は全く丸腰で見てたわけだけれど、すごく醜くく愚かなんだけれど美しく、どこか気品を感じた。それはきっと上杉さんの持っている資質の部分なんだろうと勝手に思った。
○光明禅寺の庭
初めて訪れた、太宰府市にある禅寺。お庭がかなり広く、素晴らしかった。ちょうど新緑がとても美しく、季節毎に違う様相が現れるんだろうなと思った。
このお寺の障子が、見事にモザイク模様になっていた。意図されたものとされないもの。その差は何なのだろう。みんな庭はじっと見ているけれど障子は誰一人見ていない。私には等価に見える。
○坂本和歌子さんの器
大分市のアートプラザに坂本和歌子さんの器の展示をみに行った。
和歌子さんとは同い年。彼女の器は数年前からときどき拝見させてもらってきた。今回はかなり広い会場に十分の見応えのある質と量の作品が展開されていた。何かこう彼女が充実しているのが伝わってくる。器だけでなく言葉、写真、映像などが展開されており、彼女の器作りに対する思想のようなものも伝わってくる。つべこべ言わず、きっとこれからもずっと器を作り続けるんだろう。
○セルビアのナイーヴ・アート
大分県立芸術会館で開催されていた「セルビアのナイーヴ・アート展」をみた。ナイーブ・アートというものの定義づけがよくわからないけれど、とにかく素晴らしかった。自由に描きたいものを描くこと、それだけでこんなにも伝わってくる。こういうものを見ると、デッサンとか透視法とか技法とかいういわゆる美術教育が、かえって不自由になるためのもののように思えてくる。
さらに、作者の顔写真がプロフィールと共に添えられていたのだけれど、皆、すごくいい顔をしていた。素朴な顔をしたじいちゃん、ばあちゃん。絵と顔が一致する。当たり前だけれど絵を描くことは決して特別な高尚なことではなくて、日常の中にあるものだと気づかされる。ここでは「作家」とか「作品」とかいう概念が意味のないものに思えてそれがすごく心地よかった。