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日常のちいさな旅

平 川 渚 Hirakawa Nagisa

作ったもの、見たもの  記録、お知らせ、報告

竹の仕事展

2008年05月17日 | exhibition
昨日、由布院駅アートホールで開催されている「高見八州洋 竹の仕事展 編む・組む」に参加した。



ご本人と奥様が実際に、普段使っている道具を使用して仕事の様子を再現してくださった。
一本の竹を割るところから、全て手作業。道具も手作りのものが多いという。二人で淡々と、各々の作業を進めていく姿に感動した。一つの道を究めると、仕事の所作そのものも潔く美しいのだということを知った。
竹、というひとつの素材に、色々な行程を施すことで、実に多様なものになる。ひとつの素材の可能性を引き出し尽くし継承されてきた竹工芸というものの深さに驚いた。

高見さんのギャラリー「竹聲館」のリーフレットに書かれていた言葉が素敵だった。

 「 指や手や腕や心に
   竹が沁みこんでいる
   そんな人間(おとこ)になりたいと思った。 」


最近みたもの

2008年05月16日 | exhibition
4月、5月で色々なものをみた。

○淺井裕介さんの絵
冷泉荘に滞在している時福岡市内各所で「DESIGNING?展」というものが開催されており、冷泉荘は淺井裕介さんを招待作家として迎え、参加していた。
淺井さんは色々な場所にマスキングテープを貼り、その上から絵を描いてゆく「マスキングプラント」というものを作られている方だと思っていたけれど、今回は冷泉荘や大名の色々な場所の壁に、ピンクのガムテープで植物を描いていた。先日までインドネシアで作品を作られていたそうでその時の画像を見せてもらったら、現地の泥を数色使って、体育館みたいなところの床と壁に、すごく大きな絵を描いていた。とても呪術的で、迫力があった。展示期間が終わったら、はがしたり洗い流したり、後には残らない。
冷泉荘に3日程滞在されていて、何気なく屋上に行ったら、淺井さんがたったひとりで壁に絵を描いている。誰かが見ているとか、何かのためとか、そういうことは全く関係なく、絵を描くこと、ただ純粋にそれだけなんだろうなぁと思った。絵を描いたり作品を作ることで、結局は自分がどう見られたいか、とかいうことがその先にある人も多くいる。けれど淺井さんは彼自身が「描く」という行為そのものみたいだった。だからすごく存在自体がすごく真摯で自由に感じた。
 


○上杉満代さんの舞踏
冷泉荘滞在中、たまたま会場に来られた方に誘われて、上杉満代さんの「マドモアゼル・メランコリア」という舞踏をみに行った。上杉満代さんのことは今回初めて知ったのだけれど、暗黒舞踏の大野一雄の一番弟子といわれる方であるらしい。会場に入ると、既に舞台上に黒いサングラスをかけて椅子に座る上杉さんがいる。会場は超満員で、最後の一人が席に着くまでのかなりの時間、ずっとこちらに無言のまま張り詰めた気配を投げ掛けている。暗転して音楽が鳴り始めると、少しずつ少しずつ関節を動かし、サングラスとコートをとる。サングラスをとった上杉さんの顔は何か人間ではないみたいだった。
観客のほとんどは彼女がどういう舞踏家なのかを存分に知り、その上杉満代を見に来ているのが伝わる。そんな中自分は全く丸腰で見てたわけだけれど、すごく醜くく愚かなんだけれど美しく、どこか気品を感じた。それはきっと上杉さんの持っている資質の部分なんだろうと勝手に思った。


○光明禅寺の庭
初めて訪れた、太宰府市にある禅寺。お庭がかなり広く、素晴らしかった。ちょうど新緑がとても美しく、季節毎に違う様相が現れるんだろうなと思った。
このお寺の障子が、見事にモザイク模様になっていた。意図されたものとされないもの。その差は何なのだろう。みんな庭はじっと見ているけれど障子は誰一人見ていない。私には等価に見える。
 


○坂本和歌子さんの器
大分市のアートプラザに坂本和歌子さんの器の展示をみに行った。
和歌子さんとは同い年。彼女の器は数年前からときどき拝見させてもらってきた。今回はかなり広い会場に十分の見応えのある質と量の作品が展開されていた。何かこう彼女が充実しているのが伝わってくる。器だけでなく言葉、写真、映像などが展開されており、彼女の器作りに対する思想のようなものも伝わってくる。つべこべ言わず、きっとこれからもずっと器を作り続けるんだろう。
  


○セルビアのナイーヴ・アート
大分県立芸術会館で開催されていた「セルビアのナイーヴ・アート展」をみた。ナイーブ・アートというものの定義づけがよくわからないけれど、とにかく素晴らしかった。自由に描きたいものを描くこと、それだけでこんなにも伝わってくる。こういうものを見ると、デッサンとか透視法とか技法とかいういわゆる美術教育が、かえって不自由になるためのもののように思えてくる。
さらに、作者の顔写真がプロフィールと共に添えられていたのだけれど、皆、すごくいい顔をしていた。素朴な顔をしたじいちゃん、ばあちゃん。絵と顔が一致する。当たり前だけれど絵を描くことは決して特別な高尚なことではなくて、日常の中にあるものだと気づかされる。ここでは「作家」とか「作品」とかいう概念が意味のないものに思えてそれがすごく心地よかった。

「平川渚・冷泉荘に棲む」 終わりました

2008年05月06日 | exhibition
4/4から29日まで行った、冷泉荘での生活が終わり、湯布院へ戻りました。

ドアを開けて入ってきた方の多くが「うわっ、でっかい蜘蛛の巣!」と言っていたけれど、自分としては蜘蛛の巣を作っているのではなく、日々、糸を使って、縫う、編む、という行為そのものが大切で、出来た形はその副産物のようなものとして考えていた。でも終盤の数日になり、それまであった形に対する半透明の、抜け殻のようなものを作りたくなった。たぶん1ヶ月の間に私も気づかないうちに息をしていた巣の、何かそこから立ちのぼるかげろうのようなものを見ていたのだと思う。

なんで巣なんですか、とよく聞かれた。衝動が先にあって理由はいつも後から考えるのだけれど、明確に一つではなくいろいろな要因が混ざり合ってこんなことをしているのだと思う。でもたぶん、今の自分はもう保てなくなるとわかっているから、今この時の一人の自分を確認するために、保護するために、作らずにはいられないのだと思う。

最終日の公開時間が終わるまで、作り続けた。周囲がだんだん薄暗くなって、最後、数人の方が無言で見守ってくれた。自分の中で「終わった」と感じた瞬間時計を見たら、ちょうど6時頃だった。最後を見届けてくれたその場にいた人たちに感謝の念を感じた。

最後を迎えた巣の中で、「南無」の二人がライブをしてくれた。今回の展示をすることが決まった時から、絶対南無の二人に糸の中で演奏をしてもらいたいと思っていた。色んなタイミングが合ってそれが実現できて、すごく幸せだった。二人の演奏は本当に素晴らしくて、あの時あの場でしか成し得ないものだった。生まれたと同時に壊される巣に対して、弔いのようなはなむけのようなものになったと思う。本当にありがとう。

関わってくださった方、足を運んでくださった方に心から感謝します。ありがとうございました。














2週間

2008年04月17日 | exhibition
冷泉荘に棲みつき始めて、2週間が経ちました。
その間、部屋の公開時間以外はお花見に行ったり映画を観にいったり友人とご飯を食べたり三菱地所アルティアムに「PIECE OF PEACE レゴで作った世界遺産展」を観に行ったりIAF SHOP*に志久浩介さんの個展を観に行ったりしました。

「PIECE OF PEACE レゴで作った世界遺産展」は、タイトル通り、レゴブロックで作った世界遺産が展示されていた。

志久さんの作品はとても興味深かったです。何かの切れ端や送られてきた封筒やチラシなどに様々なものがコラージュされたり線や色が描かれていました。「さぁ、描け!」と主張しているような真っ白いスケッチブックよりも、日常生活の中にあるもののしわ、とか貼り付けられた切手、とかそういったものに足していく方が描きやすいというようなことをおっしゃっていて、すごくわかる気がしました。そういったものには時として白い上等の紙にはない魅力が備わっていたりしますものね。展示方法も面白かったです。作品が絵、というよりも一つの物体として存在しているように見えました。ご本人の詩の作品もあって、とても充実した内容でした。43才から絵を描き始めたそうですが、絵も詩も、何だか純粋で美しい印象を受けました。

そんなこんなで、やっと冷泉荘の周囲の空気が掴めてきたような気がします。
月曜日、こんなものがでてきました。




火曜日の時点でここまで成長。





昼と夜

2008年04月16日 | exhibition
今回の作品は、面白いことに昼と夜で雰囲気が変貌します。
おそらく二つの窓から見える中洲という街が、昼と夜で全く違う雰囲気を持つからなのでしょう。
カラスと、屋根の上を歩くネコと、わりと間近を飛ぶ飛行機を視界に捉えながら見下ろす昼間の中洲の街はとても静かで穏やか。しかし先日、初めて夜の中洲というものに足を踏み入れとても驚きました。ザ・歓楽街!と言える景色が広がっていました。






通常は11:00~18:00の公開なので夜の様子が見ていただけなくて残念なのですが、最終日の29日(祝)は、19時からクロージングパーティー、20時から南無のライブと、おそらく21時すぎまで開けていますので、夜の雰囲気を味わいたい方は、是非。