「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

軍歴表 2

2006-06-25 11:57:58 | Weblog
 情報連隊の服装は、戦闘帽には日除けのビラビラを着けた中隊と着けない中隊があり、うちの中隊は着けなかった。椰子の葉を使ったヘルメット形の、昔のアフリカ探検隊が被っていたような帽子もあった。
 平常の上着は少し青みがかった濃緑色の半袖であった。この上着は北スマトラ、アチェ地区では評判が悪かった。満州ゴロ(北満の各部隊からの転属者の集まり、転属させられる者は大抵そこの余り者が多かったから、満州ゴロツキを縮めて満州ゴロと言っていた)の多い隊では、よく「いただき」または「員数つけ」をやったので
「オイ、あの上着が来たら用心せい」という具合だったらしい。
 この北スマトラ地区は近衛第二師団の育ちの良いのが多かった為、満州下りは一寸骨っぽくて、荒々しく、持て余し気味のようだった。
 「お前等のような上着を着た奴が来てのウ」とよく悪口を言われた。
 下は半ズボンだった。これは野山を駆け回るときには都合が悪かったが、蒸れなくて、非常に良かった。
 しかし、何かある時には長ズボンをはいて、巻き脚袢を巻いたが、暑いので着た最初は一寸汗が出たが、外気が湿気のないサラッとした気候なので、後は変わらなかった。
 軍歴書には7月17日メダン着、9月7日展開の為メダン出発となっているが、53日間何をやっていたのか、何か忙しかったのか、ある時、メダンの農事試験場の横を通った時、暇を作って見学に行きたいと考えた事などが思い出される。

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